桜の下の再会
桜並木が並ぶ土手。
そのすぐ内側にある大きな公園にもたくさんの桜が植えられていて、ちょこちょこと出店があるのも確認できる。
川沿いの風景もなかなか良かったが、公園の中は石垣の上に建つ城を背景に赤い橋のかかる池に桜があったりして、人が多いもののとてもきれいな風景が広がっていた。
赤い橋の上から穏やかな水面の池を見下ろしてみれば、水面に桜が写っていて、その中を錦鯉が泳いでいるという何とも不思議な光景を見ることができる。
女神と閻魔、椚、そしてボクは公園の中で別行動中だ。
当初は一緒にいたのだが、結局意見が分かれてそれぞれが好きなところへ行こうという案になったのだ。
今頃女神と椚あたりは河原ので店を回り、閻魔は桜並木を眺めているのだろう。
そして、ボクは十分ほど前からこの橋の上にいる。
橋の入り口や中ほどから写真を撮っている人も多く、狭い橋の上は人通りが多いのだが、それでもゆっくりとここから池を眺めていたかった。
こういう時、子供の体というのは便利だ。ずっといてもそこまで邪魔にならないし、集合写真を撮る人たちが来てもうまく陰に隠れられる。
「ねぇそこのお嬢ちゃん。もしかして迷子?」
そんなことを考えていた矢先、背後から声がかかった。
どうやら、悪い意味でも子供の容姿が影響してしまっているらしい。
「えっいや、そうじゃなくて……」
迷子じゃないと答えながら振り返るが、ボクの言葉は声をかけた人物を視界に入れた途端に詰まってしまった。
「どうしたの?」
「いっいや……なんでも……」
ボクの態度を見て不審に思ったのか、首をかしげるその動作を見てボクは確信する。
目の前にいる桜色の薄手のカーディガンを来た女性は自分が日本にいたころの同級生である白臼谷桜子だと。
何かしらの理由で死亡して、神界に行く直前……正確に言えば、日本人の高校生立山玲だったころに会った最後の人物であり、仲のいい友人の一人だ。
女神はボクが住んでいた場所から少し離れている場所だと説明していたが、それでも彼女がここにいるということ自体が驚きで、さらに付け加えればボクを迷子だと勘違いして声をかけてきた時点でほぼほぼ奇跡だといってもいい領域である。
あまりの状況にすっかりと固まってしまっているボクの視線と自身の視線を合わせるように桜子が目の前にしゃがみ込んだ。
ボクがこの世界で死んでからそれなりに時間が経っているのか、はたまた子供視点で見ているからか、彼女の背は記憶にあるよりも高くなっていて、体型もまとわっている雰囲気も幾分か女性らしくなっている。加えて、このように顔が目の前に来ると、それ以外にもいくらかの変化が感じ取れた。
「えっと……あの……」
とりあえず、迷子であるということを否定しなければならない。
そうは思うのだが、どう答えを返していいのかもわからずに視線を泳がせる。
それを不審に思ったのかはたまた警戒されていると感じたのか、桜子は小さくため息をついてからボクの頭に手を置く。
「お母さんはどこにいるの? お姉ちゃんが一緒に探してあげるから安心してね」
「えっいや、だから迷子じゃなくて、えっと、友達と来てそれぞれバラバラで好きなところを見てるところで……」
とりあえず、嘘ではない。
見た目年齢でいえば、保護者なしでこんな人混みのなかにいるのは不自然だろうが、最悪、近所に住んでいることにでもすれば、なんとかやり過ごせるはずだ。
目の前にいる桜子はなんとかボクの話を信じてくれたのか、うんうんとうなづいている。
「そうか。迷子だって言いたくないのね。まったく、かわいい子供ね」
いや、納得していなかった。
どうやら、彼女はボクが見栄を張って迷子であることを隠したがっていると思っているらしい。そういえば、彼女は昔から思い込みの激しい方だったことを忘れていた。
おそらく、今の彼女に何を話していも、どうにかして迷子だということに持っていかれるだろうから、これ以上の抵抗は無駄かもしれない。
この状況から抜け出すには女神と合流するのが一番だが、食べ歩きをするにしても露店はたくさん出ているのでその中から女神が行きそうな場所をピックアップするのは難しいし、しらみつぶしに探すのも時間がかかりすぎる。
「いや、でも、大丈夫だから……」
「もう。私は怪しい人じゃないから大丈夫。ほら、近くにお母さんいる?」
断ろうとするボクを無視して桜子はボクを抱き上げて自身の頭よりも少し高いぐらいまで持っていく。
「……いない」
ここまで来れば、素直に彼女に従うほかないだろう。これ以上の抵抗はどうやら無駄の様だ。
悪い人ではないはずなのだが、こういった思い込みの激しい部分は何とかしてほしいと感じてしまう。
そうしている間にも彼女は歩き出していて、橋から離れ始める。
「ねぇ。なんでボクが迷子だなんて思うの?」
「うん? それはそうでしょう。だって、ずっと橋の上にいるし、周り人が来るたびになんか顔見ているじゃない? 確かに迷子かと聞かれると微妙だし、本当にあなたの言う通りかもしれないけれど、声をかけてみようって思っただけよ」
「そうなんだ……」
よくわからない。確かにはたから見れば迷子だという風にみられる可能性もあったけれど、それでも彼女が強引にそうでない可能性を考えつつもこうしている理由が理解できなかった。
少なくとも、彼女がボクと立山玲が同一人物だと気付けるはずがないし、気付いていたとしたらもっと別の反応があったはずだ。
そうなると、彼女は本当に偶然、たまたま見かけたボクを迷子だと断定して声をかけたのだろうか? どうなっているのか、事態がまったく読み込めない。
「まぁいっか……」
「どうかしたの?」
「なんでもない」
「そう」
そんな短い会話を交わしたのち、ボクは桜へ視線を向ける。
先ほどとは違い枝や花が目の前にやってきて、時々それらをよけながら周りを見てみる。
そうしていると、本当に迷子のように見えるかもしれないが、それでもこの桜の風景は貴重なような気がした。
「ねぇ。あそこで綿あめ売っているけれど食べる?」
そんなとき、桜子から声がかかった。
彼女の視線の先にあるであろう露店を見れば、確かに赤い猫のキャラクターが描かれた袋がたくさん並んでいる。
店先に“綿あめ”と書かれているあたり、その袋の中身は綿あめなのだろう。
「えーと、いいの?」
「うん。大丈夫、私が買ってあげるから」
なんで初対面のボクに対してそこまでするのか理解できないが、大して断る理由もないのでおとなしく綿あめを食べることにした。
桜子は露店で綿あめを買うと、その袋をボクに渡す。
袋を開けると、確かにその中身は空に浮かぶ雲のようにふわふわとしていて、白い綿菓子だ。
「うん。おいしい」
「よかったわ。さて、それじゃお母さんを探すのを再開しようか」
彼女は隣の露店で焼き鳥を買うと、それを食べながら歩き始める。
値段だけ見れば、お祭り価格というかなんというか、少し高めなのだが、ある程度は仕方ないことだろう。
そんなことはさておいて、これからどうしようかと考える。
すっかりと彼女のペースに乗せられているような気もするが、一番先決なのはうまいこと女神や椚、閻魔と合流することだろう。
そうしなければ、この状況から脱出できる可能性は皆無に等しい。迷子と勘違いされ、肩車をされ、そして今はちゃっかりと綿あめを買ってもらってしまった。
手に持った綿あめをほおばりながらボクはすぐ目の前に迫る桜に視線を向ける。
「きれいな桜よね。昔から私、ここの桜が大好きなの」
そんなボクに再び桜子が話しかける。
「そうなの?」
「えぇ。とっても……昔ね。私、ここの桜を見に行こうって友達を誘ったことがあるの。男の子の友達だったんだけど、用事があってダメだって断られちゃって……まぁ当然よね。私がなかなか誘わなかったせいで結構ぎりぎり……というよりも前日になって突然、声をかけたわけだし……って、なんであなたにこんな話をしているんでしょうね」
「別にいいよ。続けても……聞いているから」
なんとなく、ボクが彼女について行っていしまった理由を理解し始めたような気がする。
桜子の話を聞きながらボクは考える。
あの白い空間に飛ばされる日の前日。確かにボクは彼女から桜を見に行かないかと誘いを受けた。
確か、彼女が設定した日に何かしら用事があって、断ったという記憶がある。その用事が何だったのかは残念ながら覚えていないが、それは自身の死因にかかわるからだろうか?
彼女の話しぶりからすれば、その用事については何も知らないようだし、そもそも彼女はそのあたりのこともあまりよくわかっていない様だ。
そんな話を聞いているうちに綿あめはすっかりと食べきってしまった。
あとに残っているのは赤い猫のキャラクターが描かれた袋だけだ。
「ねぇお城の天守閣。登ってみる?」
昔の友人の話をしていたはずの桜子から、唐突にそんな提案がなされたのは、まさしくそんなタイミングだった。