長い話を聞いた後は銭湯でゆっくりと体を伸ばしましょう
「はぁ生き返るーもー上の連中は話が長いし、仕事は多いですしー」
町の商店街の近くにある銭湯天晴湯。
今日もまた、この銭湯に来た女神は今日の仕事が相当きつかったらしく、偶然居合わせた椚に対して次から次へと愚痴をこぼしていた。
椚は椚でその話をおとなしく聞いている。時々、首がカクンと下を向き、相づちすら打っていないがきっと、話を聞いている。
「もう聞いてますか?」
「……」
女神が尋ねるが、椚から返事はない。うん。これは間違いなく寝ている。
すっかりと寝入ってしまった椚をよそに女神は小さくため息をつく。
「はぁ人の話の間に寝てしまうとは……ひどいと思いませんか?」
確かに人の話の間に寝るというのはあまり推奨された行為ではない。
ただ、先ほどまで展開されていた話はほぼ百パーセント愚痴であり、それが永遠とループしていたのでそうなってしまうのはある程度仕方ないのかもしれない。
そんな中でボクがとった行動は同情でも同意でもなく、寝たふりというある種最強の手段であった。
あくまで周りをあまり見ないためだという理由を必死に思い浮かべながらボクは女神からの追撃をかわす。
「ちょっと、レイちゃんまで寝てしまったのですか? せめて、話ぐらい聞いてくださいよ!」
女神がボクの体をゆすりながら声をかけるが極力起きていることを気付かれないようにする。
目を伏せたままゆっくりと視線を横へ移すと、すっかりと熟睡してしまったらしい椚が徐々に湯船の中に沈み始めていた。なぜ、そんな状態でも寝ていられるのか若干不思議だ。
「もうレイちゃん……って」
そんなことを考えている間に唐突に女神の揺さぶりが終わった。
こっそりと視線を椚からほかの方へと動かしてみると、小さな女の子のモノと思われる足が見えた。
「あなたは何をやっているのですか?」
それを認識した直後に聞こえてきた少々冷たい声。間違いない、閻魔がやってきたようだ。
彼女はペタペタと足音を立てながらこちらへとやってくる。
「これはこれは閻魔ちゃんではないですか。聞いてくださいよ。みなさん、私の話の途中で寝てしまうんですよ」
「そうですか。それで? 何の話をしていたんですか?」
閻魔は少々あきれたような声で話しながらかけ湯をして、湯船に入ってくる。
この調子であれば、おそらく閻魔がこの先話の聞き役になってくれるのだろう。そう安心して、顔を再び伏せたときなんとなく、視線を感じたのは気のせいのはずだ。
「聞いてくださいよ。今日、月に一度か二度だけの仕事だったんですけれど、一日で済ますにはあまりにそれが膨大な量でして……あぁ月に一度か二度の仕事というのは主にデータの整理なんですけれどね。とにかく、それが多くて多くて……しかも、上の連中はあぁでもない。こうでもないと口を出してきますし、もう大変ですよ。何よりも機械の誤動作。これがあったら取り返しのつかないことになるのでそれだけ神経質になりますし、何よりも……」
閻魔が来たのをいいことに女神は再び堰を切ったように一気に語り始める。
その様子に閻魔は多少なりとも引いているのか、まともに相づちすら聞こえてこない。
いつもは説教している閻魔が女神の口に言い負かされる様子というのはじっくり見てみたいのだが、顔をあげたら起きているということがばれてしまうので必死に頭を伏せて寝ているふりを継続する。
「それでですね。あの司書がなんて言ったと思いますか? 助手ができてよかったですね。ですよ。まったくもって白々しい。それはもちろん私だって助手ができてうれしいですよ」
それにしても何だろうか? 女神の絡み方はまるでお酒の勢いで普段言えないようなことをぶちまけているようにすら見えてくる。
もちろん、転生庁を出てから彼女がお酒を口にするところは見ていないし、仕事中も飲んでないはずだ。
そう考えると彼女は単純にかなりのストレスを感じているのかも知れない。
女神の口調から彼女は相当夢中になって話をしているのだろうと判断し、ボクはゆっくりと顔をあげる。
「えぇ。ですからね……って閻魔ちゃん。聞いてますか?」
うん。どうやら、まだ顔を上げない方がいいかもしれない。
驚いたことに閻魔は首をコクリコクリと動かしてすっかりと居眠りをしていたのだ。
あの説教魔である閻魔ですら居眠りをするあたり、この女神の愚痴という名の催眠光線の破壊力は恐ろしいものだ。
ボクはターゲットにされないように急いで顔を伏せる。
女神はどうやらボクが起きているとは気づいていないようで小さく息を吐いた。
「まったく。私のかわいいかわいい助手さんはお風呂でも寝てしまうのですね」
そんな声とともに頭をなでられる。
普段なら多少なりとも抵抗するが、寝ているという設定を貫き通すためにおとなしく身をゆだねる。
なんとなく、安心するようなそれに身をゆだねていると、本当に寝てしまいそうだ。
「レイちゃん。あなた、実は起きていますよね?」
しかし、その安心感は女神のその一言とともに強制終了させられる。
天井からのしずくが背中を打ち、額からは冷や汗がツーと伝っていく。
「あくまでそのド下手な寝たふりを貫くつもりですか?」
女神がぐっと顔の横まで迫ってくる。
ボクは目を開くまいと必死に目を固く閉じ続ける。
「……あなた、寝ている間に寝室に忍び込んで頭をなでていても、手をはじくのになんで今日に限ってそれがないんですか?」
女神の言葉に思わず体がびくりとふるえてしまった。
どうやら、寝ている間でも無意識のうちに女神の手を防いでいたらしい。
だが、それが本当とは限らないのでこの時に起き上がってしまうのはまずいと必死に寝たふりを続ける。
「そうですか。でしたら……起きてもらいましょうかね」
その言葉とともに女神がボクの体に触れる。
もう一度揺さぶるのかと思いきや、脇腹を二度ほどつついた後にくすぐり始めた。
あまりの不意打ちに笑い声を上げそうになるが、必死に抑える。
いや、それでも体がプルプルと震えてしまっているのでもう手遅れかもしれない。
「あぁもうわかったよ。起きればいいんでしょ。起きれば」
なので半ばやけになってボクは顔をあげる。
すると、女神はきょとんとしたような顔でこちらを見ていた。
「あれ。もしかして、本当に寝ていたのですか?」
「えっ?」
どうやら、ボクが本当に寝ていると思っていたらしい女神はしばらく硬直していたが、すぐにニタッと笑みを浮かべた。
「さて、せっかくレイちゃんも起きてくれたことですし、お話の続きをしましょうか」
女神はその名にそぐわない人の悪そうな笑みを浮かべて、ボクの姿をじっと見つめいていた。
*
「とんだ災難でしたね」
天晴湯の脱衣所。
コーヒー牛乳の入った瓶を両手に一本ずつに持った閻魔がボクに声をかける。
閻魔はそのうちの一本をボクの方へと差し出した。
「私のおごりだ」
「ありがとうござます」
ボクは閻魔からコーヒー牛乳を受け取って、ふたを開ける。
なお、女神は語っている間に湯あたりしてしまい、現在は脱衣所の長椅子の上に横たわって、椚が様子を見ている。
閻魔は女神が寝ているのとは別の長椅子に座ると、ボクに隣に座るようにと促した。
「にしても、よくあの女神と二人で暮らせるものですね。疲れませんか?」
あくまで平坦な口調で閻魔が話しかける。
ボクは少し視線を空に泳がせてからゆっくりと返答し始めた。
「そうですね。確かに疲れるかもしれません」
「そうですか。まぁ否定はしません。私が聞いた質問ですし」
「でも、それだけじゃないと思いますよ」
ボクが先ほどの言葉に補足するような形でそう言うと、興味を持ったのか閻魔が少し顔をあげる。
「それだけではないというと?」
「昔からの友人であるあなたの方がそれがわかっているのでは?」
「……さぁどうでしょうね。私としてはいちいちうるさいし、いつの間にか人を自らの術中にはめているような厄介な友人といったところでしょうか……」
彼女はその先の言葉を飲み込むように一気にコーヒー牛乳を口に含む。
ボクもそれに倣うような形でコーヒー牛乳を飲み始めた。
「はぁやっぱり、風呂上りはコーヒー牛乳に限りますね。あなたもそう思いませんか?」
「うん。確かにそうかもしれないね」
日本にいたころはたまにどこかの温泉に行くぐらいであまり銭湯に行った記憶はない。
それでも、銭湯といえばコーヒー牛乳という連想が容易にできてしまうのはなぜだろうか?
アニメや小説で銭湯のシーンの後に登場人物たちがコーヒー牛乳を飲むシーンが入るときが多いからかもしれないが、そんなことは今はどうでもいいかもしれない。
コーヒー牛乳を飲み干したボクは空いたビンをもって、回収用のボックスの方へと向かう。
「ごちそうさまでした」
ちょうど、女神も復活したようだし、服もすでに着ているので帰るのにちょうどいいころ合いだろう。
急いで服を着始めている女神を横目にボクは脱衣所を出る。
番台の前を通り、表の道に出ると陽はすっかりと沈んでしまい夜になっていた。
帰路を急ぐ人々を眺めていると、天晴湯から女神が出てきた。
「もう。せめて着替えている間ぐらい待ってくださいよ」
急いで着用したのか、少し着崩れている服を直しながら女神が抗議の声をあげる。
「あぁうん。今度からはそうするよ」
「えぇ。絶対にそうしてください。さて、帰りましょうか」
「はい」
ボクの返事を聞いた女神は真っすぐとバス停の方へ向けて歩き出す。
その横に並ぶような形でボクも女神とともに歩き出した。
「もうすぐ冬ですね」
真っ暗な空を見て、女神がぽつりとつぶやいた。
「そうだね。風邪をひかないように気を付けないと……」
「そうですね。せっかくだから、夕食は何か体があたたるモノにしましょうか」
「うん。それがいいかもしれない」
そんな会話を交わしながら女神とボクは街灯と家々の明かりが明るく周囲を照らす道路を歩いていった。




