友人に会いに行きましょう
転生庁のおひざ元にある町の一角。
少し建物の背が低いその場所にその診療所は建っていた。
いつもはそれなりに人がいる場所なのだが、今日は休診日だからか入り口も閑散としていて、扉に“急患の方はお声かけください”と書かれているだけである。
女神は別に急患だということではないが、おそらく診療所の奥で暇をしているであろう友人に会うためにその扉を開けた。
「椚。いますか?」
誰もいない診療所の待合室で声をかけてみる。
当然ながら返事はない。
よくよく考えてみれば、今日は休診日なのだから急患がいない限り診療室にいるとは考えづらい。となると、彼女の所在はこの診療所に隣接している自宅だろうか?
女神は診療所内をぐるりと見ながらそんなことを考える。
「やっぱり、こちらにはいませんか……」
当然と言えば当然な結果を確認した女神は再び待合室を通って診療所の外に出る。
「さて、そうなると隣にある彼女の自宅にいるということでしょうけれども……あまり行きたくありませんね」
誰かに聞かせるわけもなく、女神は一人ぶつぶつとつぶやきながら診療所のすぐ隣に建っている民家を目指す。
「椚! いますか? いたら返事してください!」
少々大きめの声をあげて、友人の名前を呼ぶ。
しばらくすると、ガタガタという音が鳴って、引き違い式の玄関扉が開くと、部屋着と思われるジャージをだらしなく着崩した椚が姿を現す。
その姿は、普段清潔な白衣に身を包み、柔らかい笑みと的確な判断で患者を診察している彼女のイメージとは遠くかけ離れたものだ。
「あぁ女神様でしたか? 急患でしたら改めて診療所のベルを鳴らしてもらえます?」
「急患じゃありませんよ。それよりも、その休日になると急にだらしなくなるのはなんとかならないのですか?」
「あぁこれは何ともならないですね。普段が普段なんでたまの休みぐらいにはですね……いつ呼び出されるかわからないからあまり家からもあまり離れられませんし」
「それはそうかもしれませんけれど……」
女神があきれているのは彼女の姿だけではない。
彼女のすぐ背後に広がる、椚の居住空間……大量のモノが廊下を埋め尽くすような勢いで放置されているその現状も女神の心情に拍車をかけていた。
「まったく、あなたという人はどうしてこうもだらしのない私生活ができるのですか?」
「……あぁもう。閻魔様じゃないんだから説教なんてやめてほしいです。それよりも、どうして私のところに来たのですか? 用件があるのだったら奥で聞きますけれど」
「はぁ……久しぶりに休みなんでお茶でもしようと思ってきたんですよ。見る限り、できる状態ではありませんが……」
女神が若干の皮肉を込めてそういうと、椚は少しの間空を仰いだのちに玄関扉を全開になるまで開ける。
「大丈夫ですよ。お茶して話をするぐらいでしたら……私も久しぶりの来客だから、ちゃんと用意しますので」
「そう? だったらいいのだけど……」
せっかく来たのだし、家に上がらせてもらってもいいだろう。
そんな風に考えながら女神は椚の後について家の中に足を踏み入れる。
「おじゃまします」
「はい。おじゃまされます。まぁごちゃごちゃとしていますが、ゆっくりしていってください」
椚ののんきな声を聴きながら女神は廊下と呼んでもいいのかすらわからないほど散らかっている廊下を進んでいく。
「……やっぱり、前に来た時よりもひどくなっていませんか?」
「あぁまぁそうですね。どうしても家の片づけまで手が回らなくて……医者とまではいかなくても看護師の一人でもいてくれれば随分とましになるかもしれませんけれどね」
「看護師ね……雇えばいいんじゃないですか?」
「無理無理。神界はどこだって人手不足ですから……それは転生庁も同じはずでは?」
今度は自分だと言わんばかりにあきれたような態度で椚が応対する。
まぁそれはわかりきっている事情だ。
現在の神界の人口は増加傾向にあるが、それを上回るレベルで求人が急増している。
理由はいまいち定かではないのだが、日々増加を続ける平行世界を管理する役所が優先的に人を雇っていくからだという面がある。
もちろん、転生庁も平行世界に関わる役所ではあるのだが、最近できたばかりということもあり、人脈があまり豊富ではなく、簡単には人を引き入れられない状況だ。
重要な役割を担う役所である転生庁ですらそうなのだから、ここはそれ以上に大変なのだろう。
「はぁまったく、お互いに人手不足ですね」
「えぇ。誰か手伝ってもらえる助手さんでもいれば話はずいぶん変わるかもなんですけれどね」
「そううまい話なんて転がってないですから、余計に辛いものです」
二人でそんな風に会話しているうちに女神と椚は客室へと到達する。
さすがに普段使われていないだけあって……という言い方はおかしいかもしれないが、多少ホコリがたまっているものの荷物が散乱しているということはない。
女神はかるくホコリを払ってから備え付けのソファーに座る。
この家に来るのは実に二十年ぶりぐらいなのだが、いい意味でも悪い意味でも変わっていないように見える。
当時は転生庁が本格的に動き出す前であったし、椚とも頻繁に会っていたのでここにはしょっちゅう訪れていた。そのたびに彼女との共通の友人である閻魔とともに部屋を片付けろと説教していたような気がする。
そういう意味ではあの当時が一番楽しかったのかもしれない。
三人で育てていた向日葵もこの部屋から見える場所に置かれていた。
しかし、それも今は存在していない。その時間が戻ってくることもない……二十年前の事故の日からは三人ともバラバラになってしまって、仕事の終わりに決まって銭湯で顔を合わせるぐらいだ。
ただ、椚と女神という組み合わせならともかく、女神と閻魔は事件以来すっかりと犬猿の仲になってしまい、会えば喧嘩するばかりだ。
その後も時々仲介人を立ててお互いに接触を試みたりするものの、不運なことに事件の直後から女神は転生庁の仕事に閻魔は閻魔庁の仕事に追われるようになってしまい、まともに話し合うことすらできていない。
そういった意味では本格的に仲介人を探して、お互いの日程を懸命に合わせるべきなのだろうが、月に一度あるかないかないかぐらいの女神の休みと同じく月に一度休みの閻魔のスケジュールがそう簡単にあうわけなく、相当強引な手段でも使わない限りちゃんとした話し合いの場を持つことはできないだろう。
仮に強硬手段をとるのであれば、その話し合いは確実に成功させなければならない。そのためにどうすればいいのだろうか?
椚へ協力を仰ぐ手は直ぐに考え付くのだが、彼女は自身が自覚していないながらもかなり評判のいい名医だ。
その彼女が長い時間診療所を空けるのは好ましくないだろう。
そう考えると、女神一人でということになるのだが、それでは少々不安だ。
なんというか、まともに会話になる気がしない。
女神と閻魔の間にはいつの間にかそれほどの溝が出来上がっていた。
「はぁどうしたものでしょうかね……」
かつて、向日葵がおかれて居場所を見つめながら女神が小さく息を吐く。
「何かありました?」
ちょうどお茶を入れて戻ってきたと思われる椚が女神の前に湯のみと茶請けを置きながら聞く。
「いえ、やっぱり助手の一人や二人はほしいなという話です」
「そうですか。まぁそうですよね。今のところはとんだ高望みかもしれませんけれど」
「えぇ。それでもいつかは……」
椚はある程度女神の意図を組んだようで彼女がそうしているのと同様にかつて向日葵がおいてあった場所に視線を向ける。
この部屋であの向日葵を撮ったあの瞬間が皆が仲の良かった最後の瞬間だったのではないかと思うぐらい、あの後目まぐるしく事態は動いていった。
女神による向日葵の持ち出し、実験、そして事故……あの日以来、女神は事故の詳細な結果を含めて周りにまともに語ったことはない。
どうしても事情を説明しきる前に話し手と聞き手、どちらかが感情的になってしまうと思ったからだ。
「まだまだ私たちには時間が必要なのでしょうね……第三者の必要なく対話ができるようになるには……」
女神はどこかここではない遠くを見るような目つきのままそうつぶやく。
そんな女神の頭に椚はポンと手を置いた。
「……気長に待ってられますよ……と言いたいところですが、あまり状況はよろしくないですからね。現状で対話ができないのなら、いっそのこと事情を知らない第三者の介入を期待するしかないかもしれませんね」
「えぇ。それは私自身が一番よく分かっています。優秀とまではいなくても、それなりにできる助手がいればいいのですけれども……」
そういって、再びため息をつく女神の横で椚が唐突に何かを思い出すようなしぐさをしてから口を開く。
「そうだ。いっそのこと、転生者候補の中から一人いい子を抜けばいいじゃないですか?」
「……それじゃただの職権乱用ですよ。上はともかく、閻魔が黙っていません」
「まぁそれはそうでしょうけれど……」
それでも不満なのか、椚の口調は少し尻すぼみだ。
そんな彼女を見て、女神はぽんぽんと手をたたいた。
「あぁもう。休日ぐらい仕事のこと忘れるつもりでいたのに……椚も今日は急患が入らない限り仕事のことは忘れて過ごしたらどう?」
「なるほど。それはいい提案ですね。せっかくですから、ショッピングにでも行きますか? そこの商店街ぐらいでしたら、呼ばれても気付けますし、すぐに戻れますから」
「……あなたがそれでいいならかまわないわ」
女神は湯のみに入ったお茶に口をつける。
とりあえず、時間はまだあるので焦る必要はないだろう。
対する椚は外着に着替えてくると言い残して、あわただしく部屋から出て行ってしまう。
「さて、何を買いましょうかね……」
女神は楽しげな口調でそう言いながら、商店街の地図を広げ、商店街のどこの店を回ろうかと思案し始めた。