助手になるために
「えっ?」
どこが上でどこが下かもわからなくなるような真っ白な空間にボクの間の抜けたような声が響く。
その原因は目の前にいる女神が話した彼女の助手になるために必要な手順の内容だ。少々予想外なその内容に思わずそんな声をあげてしまったのだ。
女神はボクの声を話を理解していないモノとみなしたのか小さくため息をついた。
そして、初対面の時とはまた違う丁寧な口調で説明をし始める。
「ですから、もう一度話しますよ? 私の助手になるためには一度正式に生まれ直す必要があるんです。もちろん、どこか知らない世界に放り投げたりするわけじゃないですよ。まぁ新しい体を作ってそこに魂だけ移すという考え方でいいです。その体についての要望を聞きたいと言っているんです」
「いや、そこじゃなくて」
「体の条件の話ですか? ですから、体に関しては子供に戻る代わりに色々と自由にいじれますよ。あまり無茶苦茶言われると対応できかねますけれど」
「……えっと、容姿を飛び切りよくしてほしいとかもあり?」
ボクの質問に女神はどこか自慢げな顔を浮かべてうなづく。
「もちろん!」
「それじゃ、たとえば性別を変えてほしいって言ったらできる?」
「うーん。まぁ出来るんじゃない?」
「えっほんとに?」
彼女の言葉を真に受けるのならば、彼女がいう無茶というのは相当な無茶なのだろう。というか、性別を変えてほしいがオッケーで何がダメなのだろうか? 人間以外にしてほしいとか?
ボクは頭の中で新しい自分のイメージを作っていく。
まぁ性別を変えるというのはやりすぎにしても容姿をいじれるというのは一考すべきだろう。
「……でも、自由っていうと逆に迷うというか……答えが出ないというか……」
「あーそれは分かりますよ。何せ、一度決めたらその容姿でずっと生きていくわけですからね。その場のノリで変な風にして後悔しても遅いですし」
彼女は諭すような口調でボクに語りかける。
もしかしたら、過去に似たような事象があったのかもしれないが、仮にあったとしてもボクには関係のない話だ。
それから、ボクも女神も口を閉ざしたまま時間だけが過ぎていく。
体感時間だけで言えば一時間ぐらいと言ったところだろうか? 実際にはどれくらいの時間が経っているかは定かではないし、そもそもこの空間に時間という概念があるかどうかすら怪しいが、それなりに長い時間そのままだったと思う。
とりあえず、それだけの時間を経て出した答えを告げようとボクは顔を上げる。
「ちょっと……あれ?」
話しかけても反応がない。
よく見てみると、前に会話した時はぱっちりと開いていたまぶたが閉じられていて、スヤスヤという寝息が聞こえそうだ。
どうやら、ボクが考え込んでいる間に目の前の彼女は直立不動のまま寝入っていたようだ。どのような技術があればそれが可能なのかわからないが、このまま放置していても拉致が開かないのでボクは目の前で立ったまま寝ている女神の肩をたたく。
「ふわぁ……容姿の……というか、転生の条件決まりましたか?」
何がそんなに眠たいのか、女神はいかにも眠たいですと言わんばかりに大あくびしている。
ボクはそんな彼女を前に小さく深呼吸をしてから口を開いた。
「下手に後悔しないようにしたいから今の容姿にできる限り近くしてくれる?」
「あぁ近くですねーはいはい……早く家に帰って寝たいのでさっさとやっちゃいますね……あとから変更はできませんがいいですか?」
「はい。大丈夫です」
いろいろと考えたがこれが一番の答えだ。
生まれ持った自分の容姿に対して不満はなかったし、急に自分の容姿が変わったら困惑することは間違いない。
そんなことを考えている間にボクの体は温かい白色の光に包まれていく。
おそらく、これが転生なのだろう。
ボクは白い光の中で静かに意識を手放した。
*
「……知らない天井だ」
目覚めて最初に口にしたのがこの言葉だ。自然に出たわけではなく、単純に言ってみたかったから言っただけで特に深い意味はない。
その理由は至極単純でボクが目を覚ますと、視界に入ってきたのはあの女神と話した真っ白な空間ではなく木目調の天井だったからだ。
体を起こさずに頸だけを動かして周りを見ると、壁は土壁、床には畳が敷かれており、体勢を変えて枕元の方を見てみると、床の間があるのが確認できた。
床の間には掛け軸があり、それには“神”という一文字だけが書かれている。
「どこだ? ここ……」
少なくとも自分が知っている場所ではない。
自宅はマンションの一室で洋室だし、祖父母の家もまたここまで純和風という感じではない。一瞬、倒れて病院に担ぎ込まれたのではないのかと勘ぐったが、こんな病院があるわけがない。
「……おっ目覚めたようですね。どうですか? 新しい体は」
そんな言葉とともに障子の向こうから女神が姿を現して、ボクが寝ている布団の横に座った。
「ここは?」
「ここはあなたの自宅になる場所です。いくら神と言えども体の休息は必要ですので……あぁ説明し忘れましたが、助手と言っても立派な神になりましたよ。額面通りの神様転生と言ったところでしょうか?」
「あのさ……そういうことは先に言ってもらえると助かったんだけど……」
「てへっ」
女神は一切反省する様子なく舌をペロッと出す。なんだか無性に殴りたいという衝動に駆られるがあとあとめんどくさそうなのでグッと抑える。
初対面の時から何度も感じていることだが、彼女は必要な情報を伝え忘れる傾向にあるようだから、彼女から何かしらの情報を得ようとするときは気を付けないといけない。
「体、起こせる?」
「……うん。まぁ……大丈夫」
心なしか体が重い。
おそらく、転生の影響なのだろう。
ゆっくりと上体を起こすと、ちょうど目の前に大きな鏡が置いてあり、依然とほとんど変わらない自分の容姿が鏡越しに確認できた。
おそらく、ボクが起き上がってすぐに容姿が確認できるように彼女が事前においていたのだろう。
子供の体になるという彼女の話は本当だったらしく、立ってみると同じぐらいの背に見えた女神の顔がかなり上にあるように見える。
それとともに自分の下半身に何とも形容しがたい違和感を感じた。
そのことがそれとなく顔に出ていたのか女神は笑いをこらえるように体を震わせている。
「えっまさか!」
彼女の反応と下半身の違和感。それが頭の中で結びついた瞬間、ボクは自分でも信じられないほどの速さでズボンの中に手を入れた。
「ウソ……」
そうつぶやいてから、自分が女神に提示した条件を振り返ってみるがどれだけ記憶を探っても“今と似た容姿で”という条件を出した記憶しかない。
あまりのことに何が起きたか理解できないが原因が自分の傍らで笑いをこらえている女神にあるのは間違いない。
ボクが彼女の方を見ると、彼女は相変わらず必死に笑いをこらえている。
「おい」
「はいはい。なんでしょうか?」
「……ボク、転生の条件はなんて言ったっけ?」
「確か容姿はなるべく今に近い形というような内容だったと記憶していますけど? あぁ伝え忘れていましたが性転換はオプションです。あなたから話を聞いて、どうなるかやってみたくなったので」
お店に来た客に買ってもらった商品のほかに“おまけをつけるよ”と言うぐらいの軽い口調で彼女は“性転換をオプションで付けました”と言ったのだ。
ボクは身のうちにふつふつとわき上がってくる怒りを抑えながら彼女に尋ねる。
「要するにボクは単なる実験台っていうわけ?」
「平たく言えばそうなるかな……まぁほら、神様だとあまり性別は関係ないありませんから。むしろ、女の子の方がやりやすいと思いますよ。えっと、僕っ娘っていうだっけ? うん。まぁそういう方向を目指すのをおすすめしますよ」
こちらの心情などお構いなしに彼女は笑顔で応対する。その顔を見ていると、なんとなく……本当になんとなくではあるのだが、表に出さないだけで彼女は“バカ”と言われたことを根に持っているのではないかと思えてきた。
そうでなければ、さすがにこんなことはしないと思う。
しかし、そんなことは関係ない。
ボクは彼女の首元……に手が届くわけもなく彼女の手をつかみ顔を見上げる。
「なにが僕っ娘だよ! 勝手なオプションはいらないから! 性別戻せ!」
「あーそれは無理でしょ? ちゃんと説明したでしょ? 転生したら容姿等の情報は変更できないって」
腕をつかむ力を強くするが、幼女が思い切り腕をつかんでいるぐらいでは大したことはないのだろう。女神はニコニコと笑顔を絶やさずにボクを見下ろしている。
「あのなぁ!」
「はいはい。忘れてはいないと思いますけれど、今日から私はあなたの上司ですからねー口調を改めましょうか」
「そうじゃなくて!」
「まぁまぁ。そのうち慣れますよ……ほら、悪いことじゃないですよ? 神界には温泉もありますからね。女湯に堂々と入れますよ?」
「だぁかぁらぁ!」
笑顔でそんなことを告げる女神に詰め寄るが彼女はいつまでも笑顔を崩さない。
「そんな容姿で怒っても怖くないですよーさてはて、まずはその体に慣れてもらわないといけないですね……私の助手としての仕事を覚えてもらうのはもう少し後にするとして、神界の案内やその体についてじっくりと話をしましょうか。まぁ今日一日はこの家の中にいるという条件付きで自由にしていていいですよ。疲れていると思うのでじっくりと休んでください」
彼女はそういうとボクの手を振りほどいて部屋の出口の方へと歩き出す。
「ちょっと! 待って!」
「大丈夫。ちゃんと何とかしますから……勘違いしないでよ! べっ別にあなたのためじゃ……あっツンデレはダメだっけ? えっと……おとなしく待っていてね。レイちゃん」
語尾に音符が付きそうなぐらい軽い口調でそういうと、彼女は部屋から退室していった。
一人取り残されたボクはやり場のない感情を拳に込めて土壁をたたく。
まさか、こんなことをされるとは思わなかった。
彼女が何を考えているか理解できない。単なる実験だといってたが、あの状況と言動から考えて彼女は転生に関する神様のはずだ。だったら、性転換したうえでの転生がどうなるかという結果ぐらい知っていてもおかしくない。
本当の彼女がわからない。彼女の本心や考え方が笑顔の奥に隠されていそうだと考え始めた途端に背筋が凍るような寒気とともに恐怖が襲ってきた。
「いや……そんなことはない……たぶん、ないはずだ……」
ボクは自分に彼女は単純に“バカ”と言われたことを根に持っているだけのはずだと言い聞かせる。性転換について彼女が語った内容と初対面の時からの言動を見る限り、彼女はそういう人間(神?)に見えた。
だから、大丈夫なはずだ。
おそらく、彼女とは会ったばかりだからそんな不安を感じているのだろう。こんなことで彼女を恐れいてたら、自分の死因を特定するという目標を達成するのが難しくなる。
仮に性転換させたのに意味があるのだとしても今の自分には関係ない。
ボクは先ほどまで自分が寝転んでいた布団に倒れこむと、現実から目をそらすように目を閉じる。
あわよくば、これが悪夢でありますように……
最後にそんなことを考えながら、ボクは眠りについた。