信頼は新たなる世界のために
話が終わるタイミングを見越していたように現れた女神は慈悲の笑みを浮かべながら、青年の前にたつ。
青年は女神が登場するなり、その前にひざまずいて頭を垂れた。
「女神様」
「いや、だからそういうのはもういいですよ。とりあえず、転生の準備に入るけどいいですか?」
「はい」
「さて、それでは準備を始めます。目をつむって私の前に立ってください」
彼女はそういうと、小さく息を吐いてから青年の頭に手を置く。
「あなたは新たなる世界で新しい生を受けて、新たなる役割を持ちます。その信仰心は忘れないでください」
女神が声をかけるとともに青年の体が徐々に淡い光に包まれていく。
青年は女神の指示に従順に従っているので今回は何事もなく、このまま終わりそうだ。
そう思った矢先である。
「入りますよ」
どこか聞き覚えのある声が室内に響いた。
ボクと青年も女神のその動きに合わせるように彼女が見ている方向を向く。
女神はそれによって、転生の儀式を中断し、声の主がいるであろう方向を向いた。
「……何のご用でしょうか? わざわざこんなところに出向くなんて」
女神はそのまま声の主に対して皮肉をたっぷりと込めた口調で語りかける。
しかし、それをされた幼女……もとい、閻魔は動じる様子もなくこちらに歩み寄ってきた。
「今日話しに来たのは転生についてです」
「おや。転生庁の業務については神界法に規定されている通りに行っているつもりですけれど? それとも、転生庁の現場担当の私が知らないうちに法改正がされたとでも?」
「……あなた、我々がもともと転生に反対なのを知っての発言ですか?」
「だからって、なんたって急に来るのですか? せめて、仕事を終えてからにしてくれませんか?」
二人とも表情こそ穏やかであるが、今にも大喧嘩が勃発するのではないかと思うくらいには不穏が空気が流れていた。
閻魔が突然、ここに来た理由はわからないが、なによりもボクとしては閻魔がちゃんと服を着ていることにおどろいた。
それが普通なのだろうが、これまで彼女と会うのは決まって銭湯だったのである意味当然の感想なのかもしれない。
幼い見た目に反してスーツのような服に大きく“罪”と書かれた帽子、赤い眼鏡をかけた彼女の容姿は一般的にイメージする閻魔の容姿とはかけ離れている。(強いて言うならば、“罪”と書かれた帽子ぐらいだろうか?)
そんな彼女はボクよりも背が低いのだが、キッと女神を見上げてにらんでいる。
「あなたは自分がやっていうことの意味を理解しているのですか?」
「だから、魂の移動による調整については私が考え出したことでもないし、私がすべてを管理しているわけじゃないけれど?」
「そんなことは関係ありません」
あくまで自分の責任の下にないと主張する女神と女神に責任があると追及する閻魔。
いきなり起きた事態にボクも青年もぽかんと口を開けてその様子を見守っていた。
「どういうつもりですか? もしかして彼に何か?」
「そっそれはですね……」
女神の問いに明らかに閻魔は動揺を見せた。
「やっぱり、そういうことですか……あなたが介入してくるときはいつもそうですね」
「こちらも仕事でやっている。邪魔しないでいただきたい」
「それはこちらのセリフですね。私も正式な業務として行っています。管理体制もしっかりと整えているつもりですが?」
女神は余裕の笑みを浮かべながらあくまで冷静に対処する。それに対して閻魔は苛立ちを隠すことなく女神に指を突き立てる。
「あなたの! あなた方転生庁のその態度! おごり! それこそが輪廻転生の秩序を壊しているのです!」
「ですから、そもそもそれぞれの世界内での転生だけでは魂が足りないわけですよ。これは以前から説明しているはずですけれど?」
「うるさい。とにかく、彼を引き渡してもらおう」
閻魔がさらに女神に詰め寄ろうとするが、悲しいことに身長差のせいで子供が癇癪を起してるようにしか見えない。もちろん、口調そのものや話している内容はそうではないのだが……
「彼? はて、彼とは誰のことでしょうか?」
閻魔の問いに対して女神は首を傾げて尋ねる。
「いや、だからそこの彼に……っ!」
そこまで言って気づいたようだ。
ボクも先ほどまで気づいていなかったのだが、横にいた青年はいつの間にかこの空間からいなくなっていた。
おそらく、閻魔と話す片手間で転生の儀式を完了させてしまったのだろう。
「……私としては言葉が託せずに不本意ですが、神界法にのっとって転生の儀式を完了させました。次の転生者候補が居るのでお帰り願いますか?」
女神が涼しい顔でそう告げると、閻魔はキッと恐ろしい目で女神を睨み付け、そのまま踵を返す。
「そうそう。いつも、思うのですけれどあなた、どうやってここに不法侵入しているんですか? 警備はちゃんとしているはずなのですけれど」
「あなたが知るべきことではない」
閻魔は女神の問いに吐き捨てるように答えると、その場から立ち去っていく。
「困ったものね……あの小さい閻魔様にも」
「いや、困った以前に状況がまったく理解できないんですけれど」
とにかく、なにが起きたのかわからない。
閻魔が突然乱入してきたり、転生者の青年がいきなり消えていたり……目の前で起きた現象は何とか理解できても、それがなぜ起きたかまったくわからない。
一体全体、なにが起きているのだろうか?
そもそも、銭湯の時はまったく感じなかったが、女神と閻魔の間にも何かありそうだ。
「そうですね。説明する必要があるかもしれません」
彼女は神妙な顔つきを見せながらボクの方を向いた。
「そもそも、何をするにしても誰からの反対もないということはありえません。それがどれだけ必要なことでもあってもです……何をするにしても物事には両面性がありますから」
女神はそう言いながら指を鳴らす。
すると、空間は真っ白な空間からどこかの図書室のような光景に変わった。
「私たちの仕事が異世界への転生による文化交流や魂の数を調整することだというのは前に説明した通りです。しかし、その文化交流がすべてうまくいくとは限らないのです。いくら、新しい技術であってもそれを扱う人の行動に問題があったり、その力を畏怖され滅ぼされるということがあるのです。また、せっかく新しい知識があってもそれが限られた場所でのみ伝承され、そこが滅びることにより積み上げてきたものがすべてなくなってしまうという例もありました。そうして生まれるのがいわゆるオーバーテクノロジーやロストテクノロジー、オーパーツと呼ばれるモノです」
女神が挙げるモノから連想されるモノは多い。
現代の科学技術をもってしても製造法がわからないとか、そもそも何で造られているかわからないというモノが存在する。
彼女はそういったモノが転生庁の仕事の失敗によって起こったものだと言っているわけだ。
彼女は神妙そうな表情を崩さないままボクの顔をじっと見据える。
「ここで問題になってくるのは一つではありません。その人物自身の人となり、新しい世界との相性、その世界の文化、時代、生まれ落ちた地……こちらではそのバランスに細心の注意を払っていますが、それでも制御しきれない面がある。閻魔様がつついてくるのはそこです。彼女の主張はその世界の魂はその世界の中でのみ回るべきであり、それによりその世界の身の丈に合った成長をさせるのが一番だというのが彼女の主張です。まぁわからなくもない主張ですが……」
彼女はそう言いながら一冊の本を手に取った。
その本には題名のない赤い無地の表紙の分厚い本で女神はそれをボクの目の前に持ってくると、それを開いた。
「ここにある本一つ一つはそれぞれの世界の記録、繁栄、栄光、崩壊、滅亡……それぞれ異なる世界の記録がここに収められている本の一つ一つなのです」
彼女に言われて周りを見回してみると、確かに「地球世界」と背表紙に書かれている本を始めとして、それぞれの世界の名前だと思われるモノがほとんどの本に刻まれていることが確認できる。
しかし、その中に時々混じっている題名のない本はなんなのだろうか?
ボクがその疑問を口にするよりも前に女神は説明を始めた。
「……この題名のない本はその本に書き記されていた世界がすでに存在しない……つまり、跡形もなく滅亡してしまったことを意味します。その理由は数多におよび、自然災害から核戦争、パンデミックなど様々です。そして、それら一部の要因に我々の活動が関わっていることがないというのはあながちウソになってしまいます。たとえば、後進文明に先進文明の科学を与えた結果、それを獲得しようと戦争に発展し、結果的に不毛の大地だけが広がってみたり、その技術を正しく制御できずに世界の崩壊を招くということも否定できません。あの閻魔様が指摘しているのはまさにその点です。その技術が新しい世界を滅ぼしかねないか、その人物の考え方が世界の崩壊を招くようなことはないのか……彼女が心配していること、恐怖していることは十分にわかります。我々は人を信じることから始まり、閻魔は人を疑うことから始まるという違いもそうさせているのかもしれません。この人物は世界をすくうはずだと信じる私たちとその人物が世界を滅ぼすのではないかと疑う閻魔……相容れないのは当然です。当然ですが、だからと言って同意をあきらめてはなりません。おそらく、彼女からすれば今回の彼は問題があったのでしょう。しかし、我々はそうではないと判断した。それも頭の片隅に入れておくようにお願いします」
彼女が言い終わると、風景が揺らぎ元の真っ白な部屋に戻る。
ボクはゆっくりと女神の話を飲み込みながら周りをゆっくりと見回してみる。
おそらく、たくさんのギミックがあるであろうこの部屋から旅立って行った転生者たちがその後、どうしているのか……その世界にとって本当にプラスになっているのか……いろいろと疑問がわいてくる。恐らく、あの閻魔の乱入がなければ気づくことはなかったかもしれない。
「さて、彼女の乱入で疲れましたし、今日の仕事はこれぐらいにして、他の世界でものぞきにいきましょうか」
女神はいつも通りの笑顔を浮かべてボクに語りかけた。




