プロローグ
「異世界」「神様転生」「強力な能力」
この三つの単語を聞いて真っ先に思いつくのは、さえない一般人が事故で死んでしまい、神様から強力な能力をもらって、異世界でチート能力を発揮して敵をバッタバッタと切り倒し、かわいいヒロインと仲良くなる……要はそんな典型的な話だろう。
まず、自己紹介をしなければならない。
ボクの名前は立山玲。家の近所にある上でもなく下でもないごく普通の公立高校に通い、ファストフード店でアルバイトをしている。
別におたくというわけでもなく、引きこもりということもない。
髪も黒で短めに切りそろえられていて、身長体重ともに平均的といった最早個性がないことが個性なのではないかと友人に言われているボクはどういうわけか、目を覚ましたら真っ白な空間にいた。昨晩は自室のベッドで就寝したにも関わらずだ。
上も下もなくどこまでも真っ白という狂気的なこの空間にいるのは、ボク自身をのぞけば流れるような金色色の髪と雪のように白い肌そして、サファイヤを思わせるような真っ青な瞳を持つ女性だけだ。
白いベールのような服を着た彼女は事態が呑み込めずに呆然としているボクにぺこりと頭を下げる。
「誰?」
ボクが尋ねても女性はそれに答えない。
「突然、このようなところにすいません。ここにいる意味。わかりますか?」
自己紹介の代わりというか、それをすっかりと失念しているのか、合唱でいうソプラノぐらいの高い声で彼女が問いかける。しかし、ボクは彼女のいうここにいる意味というのが理解できないし、そもそもここがどこかわからないので素直に首を横に振る。
それを見た彼女は、“困りましたね……”とつぶやいた。
彼女は三秒ほど空を仰いだ後、ボクの方を見た。
「……立山玲。この際ですからはっきりと言いましょう。あなたは死にました」
「えっ?」
あまりにも唐突に……それも事務的な口調で言うものだから、一瞬何を言われたのか理解できなかった。
「ですから、死んだんです。ちょっとした手違い……コホンッ交通事故で」
念を押すように“死んだ”という事実を強調してそういう女性はなぜか、目をあさっての方向に逸らしている。
さらっと告げられた自分が死んでしまったという事実はとても信じられるようなモノではなく、玲は驚きを隠せない。しかし、今重要なのはそこではない。いや、かなり重大で重要なのだが、それよりも……
「手違いってなんだよ!」
何よりも重要なのは目の前の女性の口から飛び出たひと言。“手違い”である。
「へっ? べっ別に今はまだ死ぬはずじゃないあんたを間違えて殺しちゃったわけじゃないんだからね! あんたのためじゃないんだから!」
なぜか、顔を真っ赤に染めツンデレの典型のような台詞を吐く彼女を見て、ボクは頭を抱えてため息をつくと同時に心の中で何かがフツフツと湧き上がるのを感じた。
なぜ、ここで急にツンデレになるのだろうか? というよりも、“あんたのため”ってどういうことだ?
彼女は予想外にボクの反応が得られなかったからなのか、はたまたボクの心情を感じ取ったのか、戸惑ったように首をかしげている。
「あれ? 男性……それもあなたぐらいの年頃だとこのような行動が好まれると聞いたのですが……何か間違っていました?」
「あのね……この状況でやるべきじゃないし、そもそもベタすぎる。というか、その言葉通りだったら“ボクのためにボクを殺した”っていうわけのわからない状況が出来上がると思うんだけど?」
ボクの指摘に女性はぎょっとした表情を浮かべる。
「えっウソ。じゃあどうしましょう……えっと、妹萌えとかヤンデレですか? それとも、メンヘラ?」
「そうじゃなくて、ちゃんと説明をしてほしいんだけど。いろいろと……特に“手違い”ってどういうことなのさ?」
女性は動揺したように目を泳がせているが、そのまましばらくすると小さくうなづいて、まっすぐとボクの目を見た。
「えっとね……手違いのこと? だよね。うん。あぁそれなら気にしないで。こっちで適当に処理しておくから」
「いや、適当ってそこらへんって結構重要じゃないの?」
「あーやっぱり?」
ボクの指摘に彼女は頭をポリポリとかきながらため息をつく。
「あのーまぁさ……いろいろと、そのほらね? 対応するからさ……えっと、なかったことにしてくれない?」
「いや、なかったことにって……要は生き返らせてもらえるってことですか?」
そうしてもらえるのなら、願ったりかなったりだ。そんな思いを乗せて、彼女に尋ねる。
「えっ? 何言ってるの? そんなの無理に決まってるでしょ?」
女性は至極当然だといわんばかりに真顔でボクの希望を打ち砕きに来た。
「えっと……だったら、どうやったらなかったことになるの?」
「そうね……こういった場合だと、異世界へ転生ってところだけど、残念ながら枠がいっぱいいっぱいなのよね……」
枠がいっぱいということの意味がいまいち理解できないというか、理解したくもないが、一応彼女に聞いてみないことには始まらない。
「えっそれはどういう?」
「いや、だからね。枠がいっぱいだから、あなたを転生させられないのよ……でも、このまま素直に死亡手続きを取ると、閻魔にばれちゃうし……いや、それ以前に三途の川で引っかかるか……」
ボクの質問の意図などまるで理解してようで彼女はなにやらごちゃごちゃと言い始める。
そう。ボクが知りたいのは彼女が置かれている立場への懸念ではなく、“枠”というのが結局なんなのか、そして、どうして死んだのか、それ以前に目の前の女性が何者なのかという三点だ。
しかし、彼女はそんなことはお構いなしだといわんばかりにブツブツと何やらつぶやいているままだ。
話しかけようにも名前を聞いていないし、初対面の人間に“お前”などというのは気が引ける。いや、呼び方はいくらかあるのだろうが、どれにしてもどうやって呼ぶべきか困惑しているのは事実として相違ない。
いや、恐らく自分が知りたいのは女性が何者なのかという点だけかもしれない。
彼女が言う“枠”が何か、そして彼女が何者なのかというのはおおよそ見当がついている。しかし、それは同時に信じられないモノであり、自分が死んだということを前提に考えるのなら答えを出すのはかなり容易だ。
彼女もそれをわかっているのかもしれない。わかっていて、あえてそれを言及していないのかもしれない。でなかったとすれば、状況説明が足りないにもほどがある。
そんな風に思考するボクの目の前で女性がポンと手をたたく。
「そーだ。せっかくですし、私の助手でもやってもらいましょうか」
「はっ?」
またもや意味がわからない。
もしかしたら、彼女は完全に自己紹介と詳細な説明を失念しているのかもしれない。
そこから導かれる答えは至極単純である。
「……もしかして、ただのバカ?」
「はっ? バカって何よバカって! この女神に向かってバカ!? いくら手違いで殺したからってそれはないでしょうがこのバカ! 神をちゃんと敬いなさい!」
これまで大してボクの言葉を聞き入れてくれなかったというのに地獄耳のように“バカ”という単語に反応するとは……しかも、こんなくだらない理由で彼女が女神だということが露呈した。
ボクはどうしたものかと深くため息をつく。
言葉足らずなんて言うレベルではない。足りなさすぎて何が何だかまったく理解が追い付かない。
目の前でわめき散らす女神から目をそむけ、ボクは深く思考する。
結局のところこれだけの時間をかけてわかったことは、何かしらの手違いで自分が死んだということ、そして目の前の女性が自称女神だということだ。
自称とつけた理由は至極単純ではっきり言って、目の前の女性からは神々しさがかけらも感じられない。
そもそも神様に会ったことがないから何とも言えないのだが、神様というのは皆が皆そうだとは信じたくない。それ以前に目の前の女性が神様だと信じたくない。それに彼女が神様だと認めようものなら何か大切なものを失ってしまう気がする。
別にどこかの宗教を信じているわけでもないので神様の存在を意識するのは合格祈願だったり、どうしてもかなえたい願い事があるときや冠婚葬祭の時だけ、都合よくどこぞの宗教の信者になるぐらいだ。そういった時は心の底から神様の存在を信じている。
宗教家からすれば神に対する冒涜だとか言われかねないが、アニメなどでもピンチに陥った時、“神様、仏様!”なんていう台詞が出るぐらいだから、大体の日本人は自分と似たような考え方だとみて間違いない。
思考がここまで至るころになって、ようやくボクが話を聞いていないという事実に気づいたらしい彼女がボクの肩をがっしりと掴んだ。
「話! 聞いてるの! ねぇ!」
「聞いてたよ。神をちゃんと敬いなさいっていうぐらいまでは」
「全然聞いてないじゃないの! 大体、これだから信仰心のない子は困るのよ。神様が目の前にいるのよ! 涙を流して感謝しなさい!」
「しないよ。まずは詳細な状況説明がほしい。結局、ボクの死因はなんなの?」
「えっと……それは……その……覚えていて、あえて言わないなんてことはないんですよね? それなら今のうちに白状してください。いえ、むしろ知らないなら知らないままの方がいいかと……」
聞かれて女神が視線をそらす。
よほど言いにくいのだろうか? はたまた、言えないのだろうか?
「……死因なんてどうでもいいでしょ? あなたが死んだという事実は変わらないわ」
しばらく、思考を泳がせた女神は先ほどまでとは違う冷たい口調で彼女がそう告げた。
何かを隠している。ボクの直感がそう告げている。
「私がこういうことを言うのもなんだけど、あなたはすでに死んだ人間。現世に戻れるわけじゃないんだからさ、私の下で素直に助手をやっていればいいんだよ」
間違いない。彼女は都合の悪いことを隠しつつボクを自身の助手にしようとしている。
この分だと、彼女がいう“手違い”というのが本当に単なる事故かどうかも怪しく思えてきた。
「あぁそっか……」
彼女の言う通り、立山玲という人間はすでに死んでいるのだ。
だったら、彼女に従うふりをしてゆっくりと探っていけばいいのではないか。たとえ、それがどんな結果であろうともだ。
そう考えると、なんだか急におかしくなってきた。
これまで感じたことのないような感情に笑い声が抑えられずにくくっと口から笑い声が漏れる。
「えっと……立山玲君?」
突然、笑い出したボクを見て不安になったのか、女神が心配そうな表情を浮かべて声をかける。
しかし、ボクはそれを無視して笑い声をこの空間中に響かせるようなつもりで張り上げ続ける。
そうだ。ここで彼女の助手をしながら神様の真似事なんかしていると面白いかもしれない。自分が感じた疑問のほとんどは目の前にいる女神についていけばそのうち解決する。
だったら、彼女の言うことを聞きつつ、単に素直にしているだけで知りえない情報を集めればいい。ただ、それだけの話だ。
彼女の意図も、手違いの真意も、そして自分自身……立山玲の死因も……ついでに言えば、目の前にいる女神の本名もだ。すべて今すぐなければならない情報ではない。だったら、彼女の下にいながらじっくりと調べればいい。
一通り笑った後、ボクはゆっくりと首を動かして彼女の目を射る。
「……わかったよ。ボクはあなたの助手になりますよ。女神様」
目の前の女神の明らかにひきつる。
この場には鏡がないから何とも言えないが、今現在、ボクの顔は不敵な笑みを浮かべゆがんでいるのだろう。
本当にこれは面白いことになりそうだ。
本当の意味で自分が死んだということを受け入れるまでには時間がかかるかもしれないが、せっかくだから全力で楽しもう。
最初に感じた衝撃などすきれいさっぱり忘れて、そんなことを考えていた。