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男たちの日曜日  作者: 中島 遼
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real#9

「戻ってきたのよ……ね?」

「うん、戻ってきたんだよな?」

 忽然と部屋の中央に現れた萌と高津は、それだけを言ってお互い顔を見合わせ、そして次の瞬間抱き合って喜んだ。

 夕貴もまた暁に抱きついて再開を祝している。

「やった!」

「地球よ、地球っ!」

「夕貴、よく頑張ったね!」

 村山はほっとすると同時に、例えようもない強い疲労感を感じて壁と机の角辺りに寄りかかった。

「おめでとうございます」

 暁に何か声をかけたあと、村山の方に二人してペンギンが振り向き、一歩前に進んだ。

「貴方の努力が報われました」

 ぐったりとした彼は耐えきれずに瞼を伏せる。

「……それも言うならあいつらの努力の結果だろう。俺は結局システムを理解しないままに終わってしまった」

 声はかすれて音として感知するのも難しいぐらいだったが、翻訳機はちゃんと訳したようで、ペンギンの声がシューシューと聞こえた。

「何か悔しそうですね。三人が無事に戻ったというのに」

 村山は今にも昏倒しそうな身体と戦いながら、不機嫌に応える。

「己の力の至らなさを知るのは、いつだって気持のいいものではないさ」

「貴方は本当によく頑張られました」

 ペンギンの声が耳元でする。彼も小声で話しているらしい。

「正直に告白しましょう。今回、私がソフト会社と相談して貴方にこんなことをさせた大きな理由は、三人を助けるためではありませんでした。それよりむしろ、ここまで最善を尽くしてもなお助けることができなかったという事実によって、貴方に三人の命を諦めてもらうことが目的だったのです」

 何かを言おうとしたが、彼にはもうあごの筋肉を動かす力がなかった。

「しかし、貴方が孤独な戦いを強いられている間に、私の気持ちも変化しました。つまり、私は貴方の姿に感動したのです。特に貴方がなぜこの三人を助けようとここまで頑張るかの理由がはっきりしてからは」

 目を開けようとしたがどうしてもまぶたが持ち上がらない。それどころか意識をここに留めることすら精一杯だった。

「最初は仲間への同情あるいは民族性からくる習慣のようなものだと思っていましたが、しぶとく諦めない貴方をみているうちに仲間への愛情が強いのだろうと考えを変えました。だが、愛情も大きな要素の一つではあるでしょうが、最も大きな理由ではなかった」

 声が遠くから聞こえてくる。

「それは貴方自身に備わった、人としてあるべき姿を貫く誇り。中にいたのがこの三人以外でも、あなたはきっと同じように命がけで頑張ったと思います……前に奇妙にねじ曲がったなどと表現して申し訳ありませんでした。貴方の自尊心は崇高で美しい。私たちはそれに打たれたのです」

 ペンギンの手が村山の右手に触れた。

「貴方の精神が極めて不安定な基礎の上に成り立っているにもかかわらず、二倍クロックへの変化の途上で生き残り、またあの極端にシビアな適性検査でも合格できたのは、きっとその自尊心が強固に、そしてしなやかに貴方の心を支えているからなのでしょう」

 ペンギンが息をつくと、今度はもう一人のペンギンの声が逆方向から聞こえてきた。

「多分、もう二度とお会いすることはないでしょうが、私は貴方の誇り高い魂のことは命ある限り忘れません。ありがとうございました」

 村山は有りったけの力を振り絞って声を出した。

「俺は人として当たり前の事をしただけだし、この状況に置かれたら、地球にいる人間はやっぱりみんな同じようにすると思う。……それより、こちらこそ本当に感謝している。色々文句も言ったし、脅しもしたけど、それは君たちが嫌いだったからじゃないんだ」

「存じております」

 ペンギンの身体が傾いだのが何となくわかった。

「この件を公にしないと申し上げておりましたが、少し考えが変わりました。こんなことが二度と起きないようにするために、我々も自分たちができる限りの努力をするべきなのだろうと」

 村山は小さく首を横に振ろうとしたができなかったので、唇をわずかに動かした。

「……あまり大きな事にしないでくれ。俺のモットーは何事も穏便に、なんだ」

「配慮いたします」

 ペンギンは彼の手を離した。

「それではごきげんよう。いつかこの宇宙のどこかで我々の構成単位が何か新しい一つの物質を作る日まで」

 多分、彼らの別れの慣用句なのだろう。

 村山は何とか薄く目を開けた。

 そして彼ら二人の名と感謝の言葉を、彼らの言語で言ってみる。

 ペンギンが二人して目を丸くしたところを見ると、ちゃんと通じたようだ。

「言われて初めて、うっかりと貴方のお名前をお聴きしていないことに気がつきました」

 再び彼は目を閉じる。

「……村山、涼」

 ペンギンはシュシュシュシュシューと口の中で繰り返し、そして最後にもう一度ごきげんようと言った。

 不意に彼らの存在感が消え、声も全くしなくなる。

「……だよ」

 そして代わりに聞き慣れた声がいくつか彼の耳に飛び込んできた。

「そんなことはないわ。圭ちゃんがいたから戻れたのよ」

「じゃあ、間を取ってチームワークの勝利ということにしておこうか」

「そうね。……それにしても、この何ヶ月、こっちの世界で何もやってなかったことを考えると却って緊張する。明日からちゃんと学校に行って、ちゃんと三度のご飯を食べて……」

「……それより、このことを親父たちにどうやって説明したらいいのか、それ考えると頭が重いや。……学校じゃあ、どんな噂になっているかって考えたらぞっとする」

「とりあえず、一日はお休みしましょうよ」

「そうだな、それでやりたかったことを思い出したり、リハビリしたりして……」

(……あ、そう言えば)

 薄れ行く意識の中で、村山は急に現実に立ち戻った。

(今日はパソコンを組み立てようって思ってたんだ)

 しかし彼は心の中で頭を振る。

 コンピューターなんてクソ食らえだ。ソフトなんて一生作りたくもないし、既存のアプリケーションすらクリックするものか……

(……?)

 と、彼は右肩に何か温かい力を感じて思考を止めた。

 小さな手が彼の肩に乗っているのだが、そこから異種の力が流れ込んでくる。

 それは疲れ果てた彼の心を優しく癒し、春の日だまりのような暖かさで彼を包んだ。

(……夕貴?)

 彼はうっすらと目を開けた。目の前に夕貴がいる。

(いつの間にか、日が落ちてたんだな)

 余程一心不乱で作業に没頭していたのか、そんなことにも気づかなかった。

(……あれ?)

 頭や身体が軽くなったためか、周りの夕闇を物ともせずにずっと話を続けている萌と高津の姿がようやく目に入る。

「おい、電気ぐらいつけて話をしたらどうだ?」

「ひゃあっ!」

 萌がびくりと数センチ跳び上がった。

「む、村山さん……」

 肩を振るわせて萌がこちらを向く。

「い、いつからそこに?」

 暁が白熱灯のスイッチを入れると、辺りはふっと明るくなった。

「さっきからずっといたよ」

「それだったら、それだったらどうして声もかけてくれないのよっ!」

「……だって、話に割り込む暇などなかったから」

 萌は手で涙をぬぐった。

「でも、半年ぶりなのよっ! もっと驚いたり喜んだりしてくれたっていいじゃない! あたしたちはずっと村山さんに会いたかったんだから!」

「……半年?」

 側で高津が首をかしげた。

「そう言えば元の世界に戻れた喜びで深く考えなかったけど、帰って来た時にはそこに青い気配が三つあったような気が……っていうか、何か大きなぬいぐるみの幻覚をみたような気も……」

 村山が口を開く前に、今度は暁が急にぱたぱたとこちらに向かって走ってきた。

「こら、夕貴っ! おじさんは疲れているんだから、そんなにしがみついたら可哀想だよ」

「いや、暁、これは……」

 言いかけたとき、彼はさっきまでの疲労が嘘のように消えていることに気づいて茫然とする。

「……夕貴?」

 村山が彼女を見つめると、夕貴はにっこり笑った。

 その口が確かにありがとうと動く。

 まるで村山が今までやってきたことを全てわかっているとでも言うように。

(……いや、きっと夕貴は知ってるんだ)

 別段、彼がした苦労を他人に知って欲しいとは思わなかったが、それでも誰かがわかっているというのは嬉しいものである。

 それにしても、村山の疲労をこうまで解消するとは、一体この少女は何者なのだろう。

「これもリソカリトの力?」

 答えを期待した訳ではなかったが、夕貴はしばらく考えてからしっかりと頷いた。

「……そうか」

 村山は息をついた。

「何にしても良かった。無事に帰ってきてくれて」

 時計を見ると、もう六時半だ。

(……これから帰って晩飯食って……と、少し時間はあるな。となると、梱包を解くぐらいのことはできそうだ)

 不意に増設CPUのために、冷却装置を自作しようとしていたことを思い出す。

(あのサーミスタ、何かちょっと怪しかったし念のために抵抗値だけでも計っておこうか。そしたら……)

 現金なもので、疲れが取れると再び趣味の世界への思いが頭の中を満たした。

「ところで圭ちゃん、あの壁紙ってなんなのかしら?」

「さあ」

 萌が始めた何気ない日常会話が耳に心地よい。

(……壁紙、か。よし、今晩から俺も壁紙を新しいのに変えよう。気分一新だ)

「部屋の壁紙のことよね?」

「パソコンなんかじゃ、デスクトップの模様のことを指したりするけど」

〈萌姉ちゃん、やって!〉

 夕貴が萌に手話でせがんだ。

「やってって、何を?」

 代わりに高津が答える。

「萌の好きなキャラクターの名前を言って、出てきてくれって言えばいいんじゃなかったっけ」

「好きなキャラ? あの世界で? 誰だろう、岩石王かノイミ・ツンチ・ミニか、はたまたロッジの煙おじいさんたちか……」

「みどりんだろ?」

「なんであたしがあんな奴!」

〈言って、言って!〉

 高津が含み笑いを浮かべた。

「とりあえず言ってみたら? 壁紙がでなきゃそれでいいんだし」

「そうね、だけどあんな趣味の悪い絵の壁紙なんてやだ」

 言いながら萌は天井を見上げて右手を挙げた。

「みどりん、出ておいで!」

「……なんだ、せっかくお前の顔を二度と見なくて済むと思ってたのに、いきなり呼び出しか?」

 突如声がした部屋の中央に視線を移した村山は、異様な……しかし、とてもよく知った緑色の生物がのたりと座っているのを見て、声も出せずに凍り付いた。


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