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男たちの日曜日  作者: 中島 遼
39/42

scenario#9 4

「オーケー、準備は万端だ」

 全員が高津を見つめたので、彼は頷く。

 そしてそれを合図にみどりんが触手を一本上に挙げて歩き出した。

 だが、

「あいて」

 数歩も行かないうちに、彼は何かにぶつかって身体の形を変形させた。どうやら見えない壁があるらしい。

「任せて!」

 萌が鞘から剣を引き抜き、柄を顔の前に持ってきて剣先を天井に向けた。

 そして、おもむろに上段に構えた後、力任せにそれを振り下ろす。

「やっ!」

 と、まるで石をぶつけた車のフロントガラスみたいな亀裂が空間を走る。

 そこを萌は今度は剣を地面に平行にして思いきり突く。

 小銭を地面にばらまいたような音が辺りに響き、粉みじんになった透明な壁が水のように地面に落ちた。

 そして傾斜が低くなっている洞窟の入り口に向かって輝きながら流れていく。

「よし、行くぞ」

 しかしその境界を越えて二十メートルほど歩いた時だった。

〈……お前たちは大変なことをしてくれた〉

 突然耳元で声がしたので、高津は辺りを見回す。同じように萌やみどりんもきょろきょろしている。

〈これで世界は破滅する。この壁だけが、最後まで`あれ`が外に出ようとするのを拒んでいたのに……〉

「貴方は誰? `あれ`って何?」

〈私は黒と白の境界上で、この世の均衡を司る者。`あれ`は、この世を全て食い、そして何も生み出さぬ虫〉

「よくわかんないわ」

〈……青の洞窟、緑の塔に赤い沼、茶の畑、紫の森、黄色の砂漠に橙の塔。それらの謎を解決し、敵を倒してきたお前たちならもうわかっているはずだろう。この世の成り立ちというものを〉

「あの、行ってないとこもたくさんあるんですけど」

〈そんなはずはない。お前たちには三人の賢者の聖徴が見える。それを得るにはそれぞれの修羅場をくぐり、謎を解かねばならないことを私は知っている〉

「……と言われても」

〈ともかく、お前たちがこの壁を壊したことによって、`あれ`はついに自由になる〉

 声が少し哀しげに響いた。

〈私の力が足りなくて、`あれ`をこの世界から消去することができなかった。せめて封印により`あれ`が外に出ることを防ごうと努力したが、永遠のせめぎ合いで私の気力が萎えるたび、あれは徐々に外へ流れ出してしまった〉

 広いのか狭いのかがわかりにくい空間である。声がどこから聞こえるのかもわからない。

〈そしてそれは本来侵されてはならないはずの白の世界まで流れ込み、人の心も土地も、全て荒廃していった〉

 高津は少し引っかかりを感じて質問する。

「と言うことは、黒の世界は侵されてもいい世界なのか?」

〈この世の成り立ちを知っているのなら、そんな疑問は浮かばぬはず。あの虫がこの世に突如現れるまでは世界は一つであり、清濁分け隔て無く存在していた。しかし、`あれ`がこの世を食い尽くそうとしたため、私はそういう浸食に対して抵抗のあるものを選び、それで黒の世界を作った。それは弱い白の世界を守るための防護壁となった〉

 と、声が突然止まり、数秒後に再び聞こえた。

〈……どうやら`あれ`がこちらに向かっているようだ。檻に穴があいたことがわかったのだろうか〉

 萌が声の位置を確かめるように辺りを見回す。

「あたしたちは多分、そいつを倒すためにここまでやってきたの。どうやったら倒せるの? 知ってたら教えて?」

〈知っているなら私が倒している。……`あれ`はこの世に生まれた誰にも倒せない〉

 と、珍しく夕貴が片手を挙げて自己主張した。

〈諦めちゃだめ〉

〈私はもう何億年もの間、その方法を模索してきた。そして出た結論が、`あれ`は倒せない。封じることしかできない〉

〈諦めちゃ駄目って先生言ってた。諦めなければあたしもお話ができるようになるって〉

 多分、発声訓練のことだろう。

 村山はその件でずっと夕貴の母を説得しようとしていたから……

 と、突然高津の背中に鳥肌が立った。

「来たっ!」

 高津は今まで感じたことのない程の空虚な存在を目の前にして少し怯えた。

「来たってどこに?」

 姿が見えないためか、萌の口調はどことなくのほほんとしている。

「壁の側だっ! みどりん、避けろっ!」

 みどりんが訳もわからぬまま、とりあえず横にもそもそと移動したが、その場所が急に黒く塗りつぶされたように闇に浸食された。

「え?」

 改めてみどりんが後ろに跳び退る。

「なんなの、これ……」

〈`これ`が何なのかは誰も知らない。だが、触れるもの全てが闇に返る〉

「闇って……」

 返事を聞く余裕は萌に与えられなかった。萌のいた位置にも闇がゆるゆると迫ってきたのだ。

 夕貴が両手を挙げて風を起こす。

 だが、`これ`の勢いには何の関与もなかった。

「……なんで効かないの?」

 萌がうめくように言ったが、高津には事の本質が見えていた。風もまたこの世の一部なので、闇に食われてしまうのだ。

〈逃げよ。この闇が広がるにはそれなりの時間がかかる。その瞬間までは少なくとも命を真っ当できるだろう。何なら好きなところへ送ってやろうか?〉

「いやよ! どうせ逃げても助からないなら、逃げる意味がないもん!」

「……お前にしては納得できる理屈だ」

 みどりんが普段と変わらない口調で呟き、熱線を触手から放った。しかし、エネルギーもこの世のものである以上、`これ`に通用するはずもない。

「どうしたらいいんだ?」

 高津は必死で恐怖と戦いながら敵を見つめた。感受性が高い分、敵の恐ろしさは多分萌たちよりもよくわかっていた。

 だから怖さもそれに比例して大きい。身体はそのため強ばって動かない。

「圭ちゃん、こっちへ!」

 萌が叫んだ。特に彼らを攻撃しようという意志もない闇の一部が、ゆるゆるとこちらへ向かって来たからだ。

「もっと早く!」

 彼女の声を後ろに聞きながら、高津はじりじりと後ずさりをする。

 もはや恐怖はピークに達しようとしていた。

 倒す方法もわからず、なすすべもないという事実が彼の身体をマヒさせる。

(……何が間違っていたのだろう)

 ひょっとしたら地獄は一番最後で、他の三つの場所に行かなければ敵の倒し方がわからないようになっていたのかもしれない。

「だとしても手遅れだ」

 今逃げても、これだけの速度で追ってくる`これ`より先に、三つの場所に行くなんてことができようはずがないし、大体それ自体が正しいかどうかもわからないのだ。

(……まてよ)

 何かが頭の中に囁いた。それは村山のように理知から導き出される論理ではなく、ほとんど思いつきに近いひらめきだ。

「さっき、どこでも好きな場所に飛ばしてくれるって言ったね?」

〈言った〉

「なら俺を、お墓とお別れとがっちゃんこに順番に飛ばしてくれ。そして俺がいいって言ったらまたここに戻してくれないか」

 しかし声はその言葉を予期していたかのように瞬時に返る。

〈もし、お前がそれらの場所に行って情報を集めようとしているのなら、それは無駄だ。何故なら私にもそれぞれの場所を支配する魔物が倒せなかったからだ〉

「俺もそうだかはやってみないとわからないだろ?」

〈……私の守護石はお前と同じ感性と忍耐。そして私は三カ所の魔物を倒すにはその石では無理だということを身をもって知っている〉

「構わないっ! いいから飛ばしてくれっ!」

 しかし、突然高津の前で萌が足を一歩踏み出した。

「待って」

 どうやら彼の意図に気づいたらしい。

「じゃあ、他の石を守護に持つものなら倒せるのね?」

〈おそらくは倒せる〉

「だったら、それぞれの場所に、最も相応しい者を選んで飛ばしてちょうだい!」

「萌っ!」

「時間がないのよ、他に選択の余地がないのなら、賭けられる方法に乗るわっ!」

「お前と同じ考えというのは癪に障るが、俺も乗った」

〈夕貴もっ!〉

 高津が彼らの顔を見回す間もなく、声が静かに頭に響く。

〈わかった。では、事が成ればもう一度私を呼ぶがいい。ここに戻そう〉

 瞬時に三人の姿は消える。そして高津は一人になった。

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