scenario#9 1
何とか地獄に降り立った彼らだったが、今度は複雑なダンジョンを二週間近く彷徨っていた。
もともと太陽のように強い光が黒の世界にはなかったとはいえ、こうも長く暗闇を徘徊するというのは口では言えない辛さがある。
「あれ、ここ、前にも通らなかったっけ?」
みどりんの発光する光に照らされた岩壁の傷を見ながら、萌が疲れた声で言った。
「……そんな気はする」
しかし、彼らは真っ直ぐ北に進んでいた。一度でも曲がったならともかく、同じ場所につくとは思えない。
「いや、気のせいじゃない。ほら、食ってはみたもののあまりのまずさに捨てた魔物の骨が……」
「そんなもの捨てとかないで。非常識にもほどがあるわ」
「俺は美食家だからな」
「あんなもの食べて、何が美食家よ」
「ふん、自分だって本当は食いたいくせに」
「何ですって!」
「わっ!」
久々に見る強い光に、夕貴が両手を広げて喜んだ。
「……今のはみどりんが悪いよ」
高津が言うと、みどりんは身体をぷうと膨らませた。
「何でさ、それは贔屓ってもんだぜ! いくらお前がこの馬鹿に惚れてるからって……あうっ」
高津がメイスでみどりんの頭をぱかっと叩くと、彼は触手で叩かれた場所を撫でた。
「そうじゃなくて、俺たちが飢えてるのわかっててそういうこと言うなって」
彼らは腹を減らしていた。
もちろん二週間前から何も食べていない。
時々見つける泉の水は、彼らに生気やスタミナを与えたが、空腹がそれでどうなるものでもない。
(……でもま、二週間以上何も食べてないにしては空腹感は少ないけど)
ちょうど、昼食を抜いた日の夕食前の腹の減り具合とでも表現するのが適当な感じだろうか。
「どうする? また真っ直ぐ進むか?」
「いや、またここに戻ってくるのが落ちだろう」
と言っても、やみくもに進めば簡単に道を失ってしまう。
もちろん既に彼らは道に迷っていたが、それでも高津だけはどちらが進行方向かをまだしも把握していた。
「だけど、どっちへ行ってもここに戻ってくるんなら、適当に歩いていれば目的地につくんじゃない?」
方向感覚のまるでない萌が言うと、やっぱりみどりんが混ぜ返した。
「お前にはそんなことを言う権利はない」
「どうしてよ」
「感性が鈍いからさ。落とし穴にははまるし、『何か足下がかさかさする、』とか言いながら、毒ムカデの大群を踏み越えて行くし、一昨日なんぞは……」
「ああ、もういいじゃない、そんなこと。みんながみんな鋭利な感覚を持って、ぴりぴりしてたんじゃ辛いでしょ?」
「まあな、それは認める。超図太いお前のお陰で、このパーティも先が真っ暗であることを時々忘れてしまうんだからな」
「……今度はおどしじゃなくて、本当に焼くわよ」
しかしそれはみどりんの言う通りだと高津は思う。
あの悲惨な夢の中でも、萌は元気に振る舞おうと努力していた。それは時折引きつった笑みになることもあったが、それでも高津を勇気づけるのには充分だった。
(……ああ、そうか)
時々、村山が目を和ませて萌を見ていたことを思い出し、何となく彼は合点した。
村山ほどの人間でも、疲れたときや行き詰まった時には萌に勇気づけられることがあったのだろう。
(……萌は強いんだ。本人は気がついていないけど)
リソカリトとしての力を得て、彼女が大きな自信を持ったことから花が開くように天性の性質が現れたのだ。
(そして俺は弱い)
だがその臆病さがある限り、このパーティの安全は保証される。
かつては先陣を切って敵と刃を合わせないことを恥だと思っていたが、今は違う。
(そういう人間がいたっていい)
萌のような人間ばかりでは、最初の頃に全滅しているだろう。もちろん逆もしかりだ。
「……ん?」
何やら言い合っている萌とみどりんをゆっくりと眺めた時だった。
本当に、本当に微かでひやりとした空気を頬に感じ、高津は左を向いた。道は三叉路になっている。
そしてこの間はその真ん中の道を進んでいったのだ。
(……風が流れているのかな)
彼は人差し指をなめ、そして前にかざした。すると、やはり左の方から三十秒に一度ほど、空気が流れてくるのがわかる。
「みどりん、今度はこっちに行ってみよう」
みどりんは頷く。
「根拠があるみたいだな」
「うん、こっちから風が流れてくるんだ」
萌と夕貴は顔を見合わせ、高津の真似をして指を前に出した。
「あたしにはわかんない」
〈夕貴も〉
みどりんが触手を一本伸縮させた。
「俺にもわからないけど、圭介が言うんなら間違いはない」
「うん」
皆、疑いもなく高津を信頼してついてくる。彼はそんな自分を誇らしく思い、次いでその期待に背かぬようにと神経を集中させた。
「こっちだ」
道が分かれているところでは、自分が納得するまで何分も佇んだ。
それは無駄な時間のようでいて、実は大切な時間なのだ。
(……村山さんならきっとそうしただろう。充分検討して、実行は素早くする人だから)
途中、何度か魔物の襲来にあったが彼らのチームワークは抜群で、相当手強い化け物も、こちらは無傷で倒すことが出来た。
「圭ちゃん、あれ……」
どれくらい歩いたろう。岩陰にしみ出たわき水でリフレッシュした高津たちは、前方に白い灯りを見つけた。
「どう? 赤い?」
「そういう気配はないね。だけど何か不安がある。慎重に歩いてくれ」
彼らはゆっくりとその光に向かって歩いた。
「そうか、上から光が差し込んでいるから、あそこだけ明るく見えたんだ」
彼らの視野には天井に開いた穴の形の通りに光が縁を描いているのが映っている。
どうやらそこは体育館くらいの広さがある吹き抜けになっているようだ。
「あっ!」
突然光が遮られ、一瞬彼らは視力を失った。
「ゆうきっ!」
最初に動いたのは萌だった。彼女は叫びながら暗闇に向かって剣を振るう。
それで初めて高津は夕貴が何物かの歯牙にかけられたことを知った。
「赤くないのに……」
それはあの北の山での体験とはまた違った。あのときは全体が赤く、場所はわからないまでも敵の悪意の存在には気づいていたのだ。
だが今度は違う。彼は敵がいるということすらわからなかったのだ。
(……前にもこんなことがあった。いつだったろ?)
萌が黒い闇の放射する気を辛うじて避けた。
(……そうだ、夢の中だ)
あの悪夢の最後の場面を彼は不意に思い出す。マスターとして降臨してきた緑のお化け。
それが赤くなかったことに彼はあの時、軽いショックを覚えていたのだ。
「あ!」
突然、暗闇が旋回し、高津に迫る。
「しまった!」
咄嗟のことで、彼はそれを防ぐことも避けることもできなかった。唯一できたのは、彼の喉笛をかき切ろうとする大きな爪を見ないように目を閉じることだけ……