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男たちの日曜日  作者: 中島 遼
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real#0 3

 村山は心の中で溜息をつく。

 姉の澄恵が気にしていた「彼が父に叱られた話」の顛末は、思い出しても惨めなものだ。

 ある日村山が事務室に行ったとき、オーダリングシステムが障害を起こしていたのがそもそもの発端である。

 システムの代理店がいい加減なのかアフターサービスを極力しないで済ませる社風だったのか、何故か事務に管理者用パスワードがあったので村山がコードを修正してそれはそれで終わった。

 問題は当直の時に暇に飽かせてそのシステムを眺めた際、何だかおかしなことになっている部分をたくさん見つけてしまったことである。

 時間のある時にその辺りをIT担当の職員に雑談がてらに話したところ、それがどうしてか父親の耳に入ってしまって呼び出された。

 「お前の仕事は何だ?」

 「医師です」

 「一人前の医師か?」

 「……半人前です」

 「だったら何でパソコンのことで事務に口出しをする?」

 いつもならこの段階で頭を数回下げてそれで済んでいたのに、この日の村山は寝不足で疲れており、少し自制心が欠落していた。

 「ここのシステムは恐らく不具合や既存システムの刷新があるたびにその場しのぎでいじってきたので、全体としての……」

 「私にそれを説明する必要はない。そんなことは事務や委員会に任せろと言っているんだ」

 病院には様々な委員会活動がある。

 ITについても情報処理委員会というのがあり、院内LANや、医師にICタグカードを持たせて常に居場所把握するなどという恐ろしい仕組みについて必要とあれば検討したりした。

 「……はい」

 「まったく、経営のこともわからずに金のかかることばかりを提案しおって」

 ITガバナンスが脆弱なのを放置するのは経営にとってどうなんだろうと心の隅に思う。

 だが、目の前に叩きつけるように出された見積書を見て、色んな意味で村山は驚いた。

 「……これは?」

 「お前が言ったことを素直に外注先に頼んだ場合の見積もりだそうだ」

 そんな見積もりを何故頼んだかという疑問も、その衝撃的な数字によって吹っ飛んだ。

 「何でこんな額に?」

 「こういうものは金がかかる」

 「……システムを構築し直すのは無理としても、一週間ほどいただければ取り急ぎ重要な課題が解決できる程度には俺でも直せると思います」

 「なるほど、メーカーよりも自分の方がパソコンに詳しいと言いたい訳だな?」

 「いえ、そういう意味ではなく……」

 「今すぐ医者をやめて、システムエンジニアにでもなるか?」

 「申し訳ありません」

 父が不快そうに眉根をよせたので、彼は慌てて頭をさらに下げた。

 「それからこの場を借りて一言言っておく。この件ばかりではなく、他でもお前は少し生意気だそうだな」

 驚いた村山は思わず顔を上げた。未だかつて彼はそんなことを人から言われたためしがない。

 小さい頃から引っ込み思案で、中学時代はいじめられっ子。それ以降もどちらかといえば優等生で大人しく、いつも友人達の側に隠れるようにしていた。

 大学時代はなるべく独りでいるように心がけ、それでも集団生活では人が和することのために心を砕いた。

 卒後研修では大人しすぎて外科医は無理だと言われたこともある。もちろん社会に出てからも先輩への絶対服従は彼の不文律だ。

 「どういう事でしょうか?」

 「他所の科に頻繁に顔を出していると聞いた」

 村山は頷く。それは事実だ。

 調べてわからないことがあったときに、他科の先生に文献の紹介をしてもらったり、それが縁で勉強会に呼んでもらったりすることがこのところ増えた。

 「教わりたいことがあったからです」

 かつて彼は、優れているとは言わないまでも、自分をそれなりの人間だと思っていた。

 自分から進んで何事かをなそうという気概こそなかったが、言われたことは必ず完璧に成し遂げたし、一応の成果も上げた。

 だがあの夢の中で、彼は誰一人助けることができなかったばかりか、質問一つにも満足に答えることができず、何の役にも立たなかったのだ。

 (……だから)

 もっと勉強しなければならないと思った。

 人の役に立つためには、知らなければならないことが無数にあると思った。だから……

 「自分の専門もまともにできない若造のくせにどういうつもりだ?」

 「もちろん、外科の勉強をないがしろにしてる訳ではなく……」

 父はじろりと彼を一瞥した。

 「顔を売りたいが為のデモンストレーションなら今すぐやめろ」

 思わず首を横に振る。

 「そんなつもりじゃありません」

 「……どうだかな」

 修造は両手を机の上で組み、不愉快そうな顔を彼に向けた。

 「それとこっちはもっと深刻な話だが、手術が無造作だという話を聞いた」

 「……え?」

 彼は目を見開いた。

 手技は同年代の者と比べればそこそこ上手だと自分でも思っており、ましてや無造作とは対極にあるはずだ。

 それでなくても慎重な彼は郭清も人より丁寧だったし、結紮けっさつ、つまり糸結びも比較的頻繁に二重で留めるなどしていた。

 「何でもかんでもが雑で早すぎるらしいな」

 村山は眉をひそめる。

 ルーチンワークの腹腔鏡下胆嚢摘出術は、早く終わりそうな場合でも、念のために五十プラスマイナス三分の枠内に収まるように時間調節していた。

 (……他の手術も似たり寄ったりだし)

 そもそも、この病院に来て以来、外来から回ってきた手術でやらせてもらったのは虫垂炎とヘルニアぐらいのものだ。

 救急も難易度が高いと思うようなものは必ず上級医師を呼ぶようにと強く言われている。

 (……ただ)

 心当たりがない訳ではない。

 救急のときに上級医師と連絡が取れず、第二外科の呼吸器専門の医師と一緒にやった手術が一件、それと似たようなケースがもう一件。

 確かに少し興奮し、調子に乗った記憶がある。

 村山は思わず唇を噛む。

 それらの手術が早かった理由については、他人に話すには難しい内容を含んでいた。

 (原因は、それは……)

 彼が長くて辛い夢を見たあの日以来、彼の身体は以前とは少し変わった。

 もちろん、普段の生活や何かがさほど変化した訳ではない。

 だが、ここぞと言うとき、例えば手術で繊細な作業を強いられている時や、パソコンのソフト作りに熱中しているとき、また、飛んできたボールを避けるときなどに、彼の神経は驚くほど情報の伝達速度を上げた。

 その力はどれほどでたらめに癒着している内臓であっても、瞬時に解剖図を組み立て直した状態に置き換えてどこに何があるかを彼に教えたし、血管の走行も確実に予測でき、見えない部分も透けて見えるように感じた。

 過去に見た先輩医師の手術シーンが頭を過ぎり、その内でもっとも適正なものを選択し、気づけばそのように手が動いている。

 それは内臓の状態ごとにどのアプローチが最適かを寸時に彼に教えもしたし、時に脳を経由せずに、指が癒着した臓器の漿膜と漿膜の隙間を視ている錯覚を覚えることもある。

 そうなるといつもの気の弱さは嘘のように影をひそめ、自分でも驚くほど怜悧で客観的な判断をスピーディーに下したし、それは難易度が高いほど顕著になった。

 だが、それは決していい加減な手術をしているということではない。術後の経過を見てもそれは一目瞭然だ。

 (……と言っても)

 そんなことを、他人にどう説明すればいいのか。

 「お前程度の年齢の医者にできることは、誠意と丁寧さぐらいのものだ。ほんの少し手先が器用だからと言って、いい加減に結紮や縫合をしていいと思ってるのか?」

 「え?」

 村山は瞬きを二回した。どうやら父が言ってるのは、その二例の話ではないようだ。

 というか、恥ずかしいほどもっと初歩的な……

 「俺が結紮をいい加減に……ですか?」

 手術が概ね終わったあとの縫合や、術者が剥離をしているときの血管の始末などは彼の仕事であることが多い。

 「そうだ、雑だと聞いた」

 雑などでは絶対にない。器用な彼はそういう細かい作業には秀でており、確かにスピードは速いがかなりきっちりしているという自負もある。

 前にいた病院の部長などは、後輩の研修医に糸結びは村山の真似をしろと言ったぐらいで……

 「それも術中の血管結紮などではさらに粗っぽいと聞く。どういうつもりだ?」

 早くくくらないとそこから血が噴き出すからに決まっている。

 「それは……」

 院長は不意に机を叩いた。

 「内科医に何がわかるとでも言いたいのかっ!」

 彼はびくりと身体をすくめる。そうして反論の言葉は消えた。

 いつものことであるが、彼はこうなると言いたいことが言えなくなる。

 「そういう行為は患者さんに失礼だし、周りで見ている者も不快に感じる」

 (……周り、か)

 言われて彼はもう一度我が身の至らなさについて考え直す。

 彼が気づいていないだけで、端からは粗く見えるほどにピッチが上がっていたのかもしれない。

 「……はい」

 「優秀な外科医を気取るのは十年早い。それを覚えておけ、いいな?」

 「……申し訳ありません。以後気をつけます」

 「下がれ」

 彼はほっとして一礼する。

 「……それと、冒頭の話だが、今後一切IT担当者と会話することを禁じる」

 「え?」

 ほとんどドアのノブに手をかけていた彼は思わず動きを止めた。

 その担当職員には手伝ってやると既に約束している。

 「あの、できれば俺が気づいた点だけでも……」

 「口答えするなっ、さっさと出て行けっ!」

 「……失礼します」

 仕方なしに彼が部屋を出ると、院長に用事があるらしい薬剤部長が目を見開いて彼を見つめていた。

 彼が怒鳴られた話がその日のうちに病院中に知れ渡ることになったのはきっとそのせいだ。

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