4 喜びの末
気づけば目の前に翡翠色の瞳がみえた。彼の瞳に自分がしっかりと刻み込まれている。
「あの、棟梁様………っん」
唇を塞がれ、久しぶりの彼の唇の感触で身震いした。息苦しく思わず身じろぎしたが、彼は決して千紘を離そうとしなかった。
ようやく唇を離され、息が荒れる。力が抜けてきてしまいその場に座りこもうとしたが、須洛は千紘を抱き上げた。
「棟梁………様」
「千紘、すまなかった」
自分の名を呼ばれ千紘は声が震えてうまく声が出なかった。
「ああ、何と荒れた手か。すぐに薬を塗らなければ」
千紘の荒れた手を見つめ、それを握りしめる。
「薬は藤さんやこの子からいただいているので大丈夫です。それに、夕餉の準備を」
「その必要はない。お前は俺の傍にいてくれる……それだけでよいのだ」
「でも私………本当に何もできないもの。あなたや周りにいつもしてもらうばかりで」
「お前は俺の傍にずっと離れずにいてくれただろう」
決して相手にされなくても彼女は懸命に須洛の身の回りの世話をした。
「愚かにもお前を忘れてしまった俺から離れずにいてくれた。俺にはそれだけで十分だ」
そういい須洛は千紘を抱きしめた。千紘と須洛の狭間で苦し気に潰されている小鬼は今の状況を喜び苦しいのを忘れ涙を流していた。
渡辺綱ははぁとため息をつきながら、大江山を下りた。道中、目の前に赤い髪の女性が現れた。
朱音であった。
「はぁい」
彼女は明るい調子で挨拶をする。それに綱は眉を潜めた。
「あらあらご機嫌斜めね。綱様」
「ええ。鬼女にけしかけられ、姫に求愛してこのざまです」
見事ふられてしまった。
千紘の目には今も須洛のことただ一人をみている。その瞳は真っすぐで迷いがなく自分程度では動かすことはできないと実感した。
「まぁまぁ、失恋もさらに良い男にするための経験よ。綱様だったら素敵な女性に巡り会えるわ」
「白々しい。例えばどこにいますか?」
「こことか」
朱音はにこっと笑って自分を指さした。
「冗談はやめてくれ。斬るぞ」
「まぁ、まぁ………でもまた会いましょう。綱様」
朱音は微笑み別れの挨拶をした。
彼女としては満足のいく結果がえられた。どこで須洛が記憶を取り戻せたかはわからない。しかし、千紘はどんなことになっても須洛を想い続けると宣言し、須洛は記憶を取り戻し千紘を再度迎えにいった。今度こそ妻として迎える為に。
再度妻として迎えられた千紘は単衣姿になり、髪も綺麗に整えられた。
彼女は慣れないようにそわそわしてあたりを見渡した。
「やはり私には勿体ないわ」
華美な調度品も衣装も自分には過ぎたものである。
「ですが、姫さまの為のものなのです。姫さまが着てくれて私もとうりょうも嬉しいです」
小鬼は嬉しそうに千紘の肩に乗って言った。
「よくお似合いです」
「ありがとう」
千紘は笑い、小鬼に頬ずりした。
今日は改めて須洛・千紘夫妻のお披露目の宴の日であった。各所の鬼の里からたくさんの客が来ているのだ。
「千紘、準備はできたか?」
須洛が部屋の中を覗き込んだ。
準備はできたと答えると須洛は千紘の手をとり、宴の場へと連れていく。
庭の方からすでに酒盛りをしている鬼や人たちが二人を歓迎した。その中に見覚えのある男の姿があった。
目をこらすと誰もいない。
首を傾げる千紘に須洛は声をかけた。
「どうした?」
「ううん、何でもない」
気のせいなのだろうかと千紘は考え、須洛に手を支えられるまま宴の席についた。
「よいのか?」
館の外を出ようとする鬼に犀輪は声をかけた。多由であった。
「声をかけてやってもよいだろう」
「必要はない」
多由は笑って言った。
今の光景をみれただけで満足していた。
「あの鬼が他の女を迎えたら、連れ出そうと思っていた」
だが今はこうして改めて千紘を妻として迎え大事にしてくれている。
「今度こそあの子は幸せになってほしい」
何もできなかった愚かな父親の我がままである。
「これからお前はどうするのだ」
「特に………ただあの子が見たがっていた外の世界というものをできる限り目に焼き付けてみたい」
里を追放され、寿命が縮んでいく身であるがそれでも許す限りみていきたい。
「そうか。では伴をしてやろう」
犀輪はそういい多由とともに里を出た。




