序 岩扉の向こう
巫女たちに誘導されるまま石段をあがり、大きな岩の扉をまのあたりにする。
あまりの巨大さに圧倒され、思わず後ずさりそうになる。
震える足がそれ以上前に行けない。どうしようもなく怖い。
「やれやれ、ここまで来て何を躊躇う」
あきれ果てながら千紘から嘆息が漏れた。それは千紘ではなく尹褄のものであった。
前へ進むと扉が音をたて開かれる。ようやく通れる程の幅が開かれ、尹褄は奥へと進んだ。
扉の先には地面の間隔が失われた。
ふつうの人間であれば不安を感じるだろうが、尹褄はそんなこと感じなかった。
今から会える存在に心が躍る。
「ああ、なんて美しい」
しばらく前を進むと真っ白な巨体がみえた。白く輝く巨大な蛇であった。蛇は目を開き尹褄の方を見つめる。
「おや、今回の贄は珍しいね。二つの魂が存在するなど」
そういい蛇は大きく背伸びをして、姿を人の姿に変える。白い長い髪に金色の瞳を持つ美しい男であった。
男は穏やかにほほ笑み、尹褄の方へ近づいた。
「ああ、愛しき神よ。あなたに会うのにどれだけ焦がれていたか」
尹褄は目をとろんとさせ、目の前の男に見とれていた。
「おや、君は土蜘蛛の姫かい?」
「左様です」
「おかしいな。君は大昔に勝手に岩扉を開けようとした罪で里に近づくことを許されない身だったはず」
「あなたに会いたくここまできました。そのためにあなたが望む名無姫を連れてきましたよ」
尹褄は昔のことをこの前のように思い出した。
大昔に彼女は里を出入りできる身であった。そして偶々来訪の日が儀式の日と重なり、巫覡に交じり儀式の光景を見つめた。
岩扉が開かれ、奥にあるものをみて尹褄はほうっとため息をついた。
美しい巨大な蛇に心を奪われたのである。
あの古き神が自分と交わり、子を産むことができればどれだけの素晴らしい子を産めるだろうか。
そう思うようになり、彼女は岩扉を開けることを試みた。何度も向こうの神に声をかけ、恋い焦がれたかしれない。
それがばれてしまい危険視され彼女は里に入ることを禁じられてしまった。
「困ったな。ここまで来てしまうとは思ってもいなかった」
「あなたを想ってこそです」
「そうだね」
男は尹褄に唇を重ねた。目をとろかせていた尹褄であったが、突然目を見開き手足をばたばたさせた。男が手を離してやると彼女は急いで傍を離れた。顔を真っ赤にさせ、両手で唇を抑えた。
「うん、思った通りあまり好みじゃなかったな」
ごくりと飲み込む仕草をして男は感想を述べる。
千紘の肉体にとりつく尹褄の魂を吸い取り咀嚼したのである。もう千紘の中には尹褄は存在しない。直に中で解かされ男の養分となっていくのだ。
「後味が悪いな………あまり蜘蛛は好みじゃないんだよ」
そう呟きながら目の前の千紘の方へ近づく。
「っひ………」
千紘は怯えて顔を覆い隠すが、男は彼女の顎をとらえ上の方へ向けさせた。
「久しいな。またこうして私の前に現れるとは嬉しいよ。私の姫よ」
「あ………あなたは」
「私は外の鬼たちからは古き神と呼ばれている」
千紘は知っていた。この姿を。目にするのは二度目である。
頭の奥から記憶がよみがえる。前世、この世界に入り今のように同じ挨拶をされていた。
「しかし、どうして土蜘蛛なんか肉体に入れていたのかな」
男はやれやれとため息をついた。
「あれは私に固執してきて面倒だから相手にしなかったんだけど、まさかこうやって乗り込んでくるとは」
確か自分との子供を産みたいとは言っていたような気がする。
しかし、男にはそんな気は一切ない。蛇と蜘蛛の子など想像しただけで変な気分になる。
「だけど、そうだな。君とならいいかもしれないね」
二度も見えた名無姫に男は愛し気に髪をなでた。
「それにしてもあの赤髪の鬼はどうしたのだい? 結局別れてここまできたのかな」
「違います………私は、須洛の角を返してもらいにきたんです」
「角?」
ああと男は思い出す。頭の上を指し笑って言った。
「これかい」
男の頭には二つの角が飾られていた。闇の中でも輝くそれは美しく見とれてしまいそうになる。
「そうそう、君の魂と引き換えにもらったんだ。あまりに美しくて気に入ったから再び新しい姫をねだるのを忘れてしまったよ。すると君の気配がして気になって扉に近づいたんだよ」
「か、返してくださりませんか?」
男は首を傾げ目をぱちぱちした。
「何故だい?」
「それは、元は須洛のもので………」
「そうだね。でも、私は君の魂を引き換えにもらったんだよ」
古き神にとって捧げられた贄は自分の所有物である。ただ引き渡すわけにはいかず、それに見合う対価を求めるものだ。
「私が………今度こそあなたにすべてを捧げます。だから、返してください」
「さぁて、君はすでに私のものだから、自分のものと自分のものを交換するのは変なことだと思わないかい?」
「え………」
「しかし、二度も同じ贄の姫が目の前に現れるとは思いもしなかったな」
男は関心したように千紘の姿を見つめた。
「しかも、すでに少女ではない」
それを言われ千紘は頬を真っ赤にした。
「面白いな。このような贄は初めてだ」
男は楽しむように笑い、千紘の腕を掴んだ。
「いや」
千紘はふるふると頭を横に振った。男の目は関心の色に満ち、千紘のすべてを暴こうとしていた。衣装を身に着けているのに裸にされている心地である。
この男の傍にいることですべてが支配される心地だ。
「っ………須洛」
心細く不安でたまらない。千紘は思わず須洛の名を呼んだ。
このような場所で彼が来てくれるはずがない。
そうわかっていても求めずにはいられなかった。
「千紘」
優しく呼ばれて包み込まれたい。このように。
そう思うと自分は古き神ではない者の腕の中にいるのに気が付いた。
「須洛?」
千紘は後ろを振り返る。すると目の当たりにしたのは美しい紅葉色の髪の男であった。
「なんだ?」
須洛はにと笑い答えた。




