序 母親
幼い頃から耶麻禰は感じ取っていた。周りからの視線を。
耶麻禰の父は尹褄の里の鬼で優れた土蜘蛛の使い手であった。
母は里の外からの鬼で、尹褄一族の長姫の命令で耶麻禰の父が娶った。話によるとかなり衰弱した状態で父が見つけたという。村の者はどこの生まれかわからないはぐれ鬼であり里の者は母を疎ましく感じた。
それは昔敵から受けた扱いのせいであった。はじめは友好的な態度をとり村へ入り酒杯を交わしたが、その夜に大軍を村に引き寄せられ多くの鬼が殺され村は血によって汚された。青青と茂っていた草も、清流とした川も血で汚れたといわれる。一族は当時の長姫と僅かに残った数人だけで洞窟へ逃げ延び、そこで集落を築いていった。それがこの洞窟であった。
敵の友好的な態度をとった一番はじめの経緯は道に迷い込んだ数名が村にようやくたどり着いたものだったのだ。
そのため一族は母に対して信用しきっていなかった。
父が生きている間はよかった。
父は優れた土蜘蛛使いの鬼であり、長姫からの覚えもめでたい。父が生きている間は何とかなっていた。しかし、突然の病での急死により村の母への陰鬱とした態度は表にでるようになった。彼女にだけ物資が与えられず、彼女が通ると人々は明らかにいないものとして扱った。
子供ながらに村の大人たちの態度に耶麻禰は嫌悪を感じていた。
母は長姫の厚意で村にいる。ならば長姫にこのことを話しても良いのではないかと言った。
体が弱い母はそれはしないと言った。
ならば一緒に村を出ようと言いたかったが、母は体が弱くそれは叶わなかった。母はどんどん病弱になっていき耶麻禰が幼少のころに息を引き取った。
その後、長姫の小間使いとして社に招かれそこで養われるようになった。
長姫はときどき耶麻禰を奥へ呼び寄せては土蜘蛛の扱い方を教えてくれていた。呪術はさすがに耶麻禰には才能がなかったため早々に土蜘蛛使い中心の話となった。
その時、耶麻禰は母の素性について聞かされた。
耶麻禰の母・似鳥は特殊な鬼の一族の里の巫女であった。
長姫ですら入ることが叶わない鬼の祖ともいわれる一族・真鬼の里であった。
しかし、そこで罪を犯し似鳥は兄とともに里を追い出されることとなった。兄と同じ場所へ捨てられればまだましだったかもしれないが、兄は東の方へ似鳥は西の方へ捨てられた。
今まで外界を隔てた里の清らかな空気の中で過ごしていた似鳥にとって外の空気は穢れで体を弱らせていった。人のいる場所へと目指していたが、温室育ちの似鳥にとって外の空気で過ごすことは苦痛であった。日々衰弱していくところを父に拾われ、長姫の加護を受けいくらか穢れによる影響を弱めることができた。子を産むだけの体力は回復したが、出産後、夫の急死も影響し体がどんどん弱っていくこととなった。
「何故? 里から追い出されなければ母は死ななかったのでしょう」
なぜ母は里を追われたのか。どんな罪を犯したのか?
「それは本来は母の罪ではない。母の仕えていた巫女姫と御暈一族の棟梁の責任だ」
長姫はそう答えた。
似鳥は真鬼の一族にとって大事な姫の世話係をしている巫女であった。姫は一族にとって大事な儀式を行う巫女であった。
当然、穢れない少女ではなければならなかった。
しかし、里を訪れた御暈一族の棟梁に騙され、棟梁と姫の逢引に加担してしまう。ちなみに似鳥の兄は棟梁の周りの世話係を買ってでていた。つまり兄妹ともに御暈の棟梁に騙されてしまったということだ。
その一件により儀式は中途半端な状態に終わり、一族は憤慨した。
棟梁を外へ放り出し、二度と里へ入れないようにした。
そして責任は似鳥にも追及されることとなった。似鳥と彼女の兄は棟梁と姫の逢引の加担の罪により里の外へと追放された。二人ばらばらに。
「それじゃ………」
「そう。全ては御暈の棟梁の責任……そして本来の責務を忘れ恋にうつつを抜かした姫の責任」
しかもこともあろうに儀式は中途半端に終了し、巫女姫は輪廻の道へと入ることになった。
「棟梁は今もその巫女姫の生まれ変わりを待ち続けているという」
それを聞き耶麻禰は憤慨した。
二人のせいで母が苦労したというのに。
それなのに当の二人はいずれ再会を果たし幸せになろうとするとは。
「何でおこがましい」
耶麻禰は心から憎悪を抱いた。それは幼い頃からの母の苦労、そして生まれた時から自分に向けられた疎外感を感じれば感じるほど強かった。




