序.鬼の山のはじまりを語る
今よりずっと昔の頃、大江山に美しい鬼女が住んでいた。
名は咲良姫と言う。
人々が気付いた頃にはその鬼女が住みついていた。長く美しい髪を風になびかせ、すらりと長い手足、透き通るような白い肌、……そして何よりも美しい顔立ちであった。山に迷い込んだ者は一目彼女を見かけてはしばらくは魂を抜かれたように放心するという。
彼女は何十年経っても姿の変わらぬ美しい姿を保っている為、おそらく人の生気を吸いとっているのだと言われていた。
そんな鬼女につがいとなる男が現れた。彼は十数人の鬼を従え山を訪れた。
名は眞佐良。伝承によれば八つの頭を持つ大蛇とそれの贄に選ばれた娘との間に生まれたという。
これが尋常な容貌ではなかった。炎が燃えるような赤い髪、吸い込まれるような翡翠の瞳、褐色の肌、大の男よりも大柄な巨躯である。そして彼の頭には二本大きな角が生えていた。それは光のあたる角度によっては様々な色へと輝く美しいものであった。
人々はこれも鬼に違いないと噂した。
鬼女は男との間に子をもうけた。一人目は女児、二人目は男児であった。
二人は女児を山の巫女とし、男児を自分たち一族の長とし育てた。女児の名は空閑御、男児の名は御暈と名付けられた。
男は二子が大きくなるにつれ衰え出し成人した頃には死んでしまった。
一族は男を山の神とし崇めた。鬼女は娘をそれに仕える巫女として養育し、様々な呪術を覚えさせた。一通りのことを覚えさせると男の後を追うように死んでしまった。
◇ ◇ ◇
山の中、源頼光は部下の卜部季武に己が知る大江山の古い伝承を教えていた。伝承といっても誰も知らない、忘れ去られたものであったが。
「鬼夫婦の子・空閑御と御暈には大きな違いがあった。空閑御には子を為せない代わりに不老長寿を得ており、御暈は子を為せる代わりに寿命というのを持っていた。寿命といっても千を超え、人間よりもずっと長生きだけどね」
その為、御暈は一定の時期を経ると子孫を絶やさぬように子を儲ける必要があった。相手は同族の鬼の一族だったり、別の一族だったりした。棟梁となる御暈の子孫は共通し紅葉色の髪と翡翠の瞳を有していた。その髪の色から朱天童子と呼ばれるようになった。それがいずれ酒呑童子という漢字に変わっていった。
鬼の一族の歴史は途方もなく長い。鬼の寿命は三ケタなど珍しいことではない。千以上生きた鬼もいたというのだ。長い月日の流れの末、ようやく八代目に須洛にいきついた。といっても彼が生まれた頃はまだこの国の帝の一族が本州にいたかどうかも怪しい時代であったが。
「これから会うのは都の脅威の赤鬼と、歴史の影に隠れ続けている女鬼だ。心してかかれ」
「何故、あなたがその話を知っていたのです」
季武はずっと気になっていた。それに頼光はにやりと笑った。
「幼い頃、私の家に老人がいた。これがかなりの皺くちゃで………だが、昔の鬼の伝承について詳しかった。もう誰も耳にしたことのないことまで知っていて、私は幼い頃からそれを閨に聞かせてもらうようにせがんでいた。そして興味を持った」
古くから都の脅威と恐れられていた大江山の鬼たち。未だに存在し、時には人の前に姿を現す。
人々は恐ろしい者たちと恐れた。
空閑御と呼ばれる鬼はかなりの呪術者であり、天皇を呪い発狂するまで追い込んだと言う。
「いつ人の世を脅かすともしれない鬼たちだ。いずれ、私の手で打ち取ってやりたいと考えていた」
そして老人から鬼を退治するこつを教えられそれを元に鍛練に励んだ。おかげで若い頃より呪術者でも陰陽師でもないが鬼や異形の者を退治することができたのだ。
「さて、長々と話しているうちについてしまったな。社に」
頼光が示す先には小さな社がたっていた。古いがずいぶんしっかりとした作りである。
「ここに酒呑童子よりもずっと古株の女鬼が住んでいる。空閑御という名の、奴と目を絶対に合わせるなよ。魂を持っていかれるからな」
頼光は刀に手を添える。少し苦笑いした。
長々とこの山の昔話を語ってしまった。それは無言で山の中を歩くことができなかったからだ。落ち着かせる為、奮起するために季武に語りすぎてしまった。
季武は寡黙な男で、大人しく話を聞いていた。おそらく頼光の心の中のことに気付いていることだろう。