3.三の姫
三の姫は紅葉少将の三番目の姫として生まれた。彼女が幼い頃より住んでいた邸は紅葉が綺麗に手入れされ都でちょっとした秋の名所となっていたのだ。だから彼女の父親は紅葉少将と呼ばれていた。
三の姫の母親は側室である。大人しく穏やかな女性であったと乳母に聞かされていた。
だが、とても愚かな女だった。
彼女の実家は小さな受領の家であった。母方の祖父は出雲守を務めていた時期があり、その時に生まれた娘が三の姫の母だったという。
任期を終えた祖父は我が娘可愛さに母を連れ帰り、共に都で住むこととなった。
それから二回程受領の仕事を得ることができたため母の実家は裕福であった。だから祖父が亡くなっても母は暮らしに困ることはなかった。
母が父に会ったのは祖父が亡くなってまもなくの頃であったと聞く。
はじまりは父・紅葉少将が喪の慰めに紅葉の枝を持ち母の元を訪れたことであった。
母は一瞬で紅葉少将に一目ぼれしてしまった。
だから、何度か通った末の父からの求愛にあっさりと応えた。その時の母の浮かれようはすごかったらしい。
しかし、当時母のお付きの侍女であった三の姫の乳母は難色を示した。
その時にすでに紅葉少将には北の方がおり、男児一人女児二人に恵まれていた。三の姫の兄姉たちである。ちなみに北の方の出身は中納言家、受領の家の娘には到底敵わない相手である。
侍女は紅葉少将との恋はやめた方が良いと説得を試みた。
だが、母はそれでも構わないと紅葉少将との関係を続けていた。
この時、三の姫の侍女は気付いていた。紅葉少将の目的は母が祖父から受け継いだ遺産だったのに。もっと強く説得すればよかったと何度後悔したことか、と三の姫に語っていた。
紅葉少将との恋に盲目な母は乳母の説得も耳に貸さず、交際を続けていた。そして腹に子を身籠った。
これを機に紅葉少将の邸に住まないかと誘われ、母は喜びのあまりあっさりと受けた。舞いあがった母は愚かにも、紅葉少将の言われるまま遺産を全て紅葉少将に手渡してしまった。
いざ、紅葉少将の邸で住むようになって、そこで待っていたのは北の方の執拗な嫌がらせの日々。
頼みの綱であるはずの紅葉少将はもう用が済んだ母を見向きもしなかった。西の対の端にすまわせそれっきり顔を見せに来ない。
出産が近づきただでさえ、気落ちになりがちな母は日に日に精神が衰えて行く。
そして三の姫を産んであっさりとこの世を去ってしまったのだ。
葬儀も全くもって粗末なもので、母を見捨てられずついてきてそのまま三の姫の乳母になった女性はとても悲しく思った。
ここにいても三の姫は幸せになれないとわかっているが、ここ以外三の姫の住む家はなかった。母の家は既に紅葉少将が売り払ってしまったのだ。
それでも乳母は何とかしたいと三の姫の母の遠縁の家に頼みの文を出し、三の姫を引きとってもらうように頼んだ。
しかし、紅葉少将はそれを認めようとしなかった。三の姫を手放してしまえば三の姫の母の遺産を返す様に言われてしまう。それを恐れてのことだった。
なのに、三の姫のことは全く構ってこない。三の姫の養育は全て北の方に任せると言ってそれっきりである。
乳母は紅葉少将を恨めしいとさえ感じながらも、三の姫を守りながら育てて行った。
しかし、そんな乳母もいつまでも三の姫を守って行くことは叶わなかった。
乳母も夏の病に罹り、それが長引いてしまった。食欲が衰え、体力が削られていき秋を迎えることもなく亡くなってしまった。
三の姫が十歳の頃である。
母もおらず、ずっと三の姫を守り育ててくれた乳母がいなくなってしまった。
北の方は意地悪で思い出したように最低限の食事と粗末な衣装しか与えるだけだ。姫とは思えない生活を四年間強いられることとなる。
近い者の死は三の姫の心に大きな穴を開けたように感じられる。寂しいというより空しい。
そして五年の間、三の姫は孤り西の対の隅でひっそりと暮らした。
ぼんやりと日々を無為に過ごす三の姫の姿は生気があまり感じられなかった。
時折近くを通りかかる下男や侍女たちはまるで幽霊のようだと三の姫を揶揄する。邸で宴が開かれても三の姫が招かれることはなかった。北の方や異母兄弟たちは招かれているというのに。
紅葉少将はすっかり三の姫という娘の存在を忘れてしまったようである。
紅葉少将がここを訪れることなどない。実際三の姫がはじめて父の顔を見たのはこの前都を発った時であった。
三の姫のいる部屋には時折北の方や異母姉が思い出したように三の姫にからかいの使いがやってくる。文を送られても三の姫はどうやってそれを返していいかわからなかった。簡単な和歌の作り方しか知らず、どのように返して良いか教えられていない。そのまま返事をしなかったら、さらにからかいの言葉が出てくる。
何もできないつまらぬ姫。
そう言われても三の姫は悔しいと思う気が起きなかった。
何の反応もできなかった。
乳母が死んでから、心をどこかに落としてしまったかのようである。
だから幽霊などと揶揄されるのだろう。
北の方や異母姉たちが送って来たからかいの文を見ては皮肉気に笑った。
◇ ◇ ◇
がたり
蔀戸が開かれ突然朝の陽ざしが三の姫の顔にかかった。蔀戸を開けたのは小鬼であった。彼はぴょんと部屋の中へ飛び降り、三の姫の方へ近づく。
「姫さま、朝ですよ」
「うぅ」
三の姫は眉をしかめながら身を起こす。目をこすり周りを見ると自分の寝具に小鬼たちが気持ちよさげにすやすやと眠っていた。
「えーと」
昨晩まさかの混乱で泣きじゃくっていると小鬼たちが中に出て来て三の姫の周りに侍って来た。時折頭を撫でたり優しい言葉をかけて三の姫を宥めてくれていた。そして泣きつかれた三の姫はそのまま眠りにつき、今に至ったというわけである。
「………」
三の姫は昨晩のことを一から整理していき、顔を真っ赤にさせ膝に突っ伏した。
「ひめさま、おはようございます」
日差しにより目を覚ました小鬼たちは三の姫に朝の挨拶をする。しかし、挨拶を返さない三の姫に小鬼たちは首を傾げた。
(私、なんてことを………)
昨夜混乱のあまり、須洛を部屋から追い出してしまったのだ。一応夫となる男に何と言う仕打ち。
おそらく怒っているに違いない。
他の鬼たちも棟梁に対する侮辱と受け取り三の姫に怒りの感情を抱くようになるだろう。
そして、嫁としてあまりに無礼な姫を食べてしまおうと今料理の相談をしているのではなかろうか。
「ど、どうしようっ………私、とにかく謝って」
「なぜ、謝るひつようがありますか?」
小鬼たちが不思議そうに首を傾げる。
「だって棟梁様に無礼を働いて」
「ぶれいを働いたのはとーりょでしょう? だから姫は泣いていた」
「姫さまはなにも悪くない」
小鬼たちは三の姫を強く擁護する。何とも可愛い擁護である。
「こら、おまえたち! 遊んでいるばあいじゃないぞ」
しっかりものの声をした小鬼はぴょんとジャンプする。それに小鬼たちははっとした。
「そうだった。姫さまのおせわをしなければ」
「あさげ取ってきます!」
そう言いながら小鬼たちはお水いっぱいの角盥を持ってきたり、朝餉を持ってきてくれた。小さい体でなんて働き者なのだろう。
「姫さま、まずは顔を」
「はい、ありがとうございます」
三の姫はくすくす笑いながら小鬼たちが持ってきた水で顔を清めた。
「姫さま、きょうのよていは覚えていますか?」
「えーっと」
朝餉に箸を進める三の姫に小鬼は突然の質問をしてくる。
今日の予定………は何かあっただろうか。
すぐに出て来なかった。
「こほん、きょうはおひろめのひです。姫さまはあのきものを着てみんなにおひろめします」
「ああ、そういえばそうだった」
昨日、朱音がお披露目があるとか言っていた。その為に小鬼たちが寸法を測り直してくれたのだ。
「おひろめだからきれいにしなければなりません。だから、あさげがおわったら髪を洗います」
「え?」
きらきらしたつぶらな瞳でそう言われ三の姫は少し驚く。
「わたしたちがせきにんもってきれいにします」
小鬼たちが三の姫の髪を洗うというのだ。部屋の方ですでに他の小鬼たちが準備している。相変わらず手際の良いことである。
「私の髪、結構洗うの大変だと思うよ」
幼い頃に乳母に先立たれ、侍女もいなかった三の姫は自分で何度か髪を洗ったことがある。これが結構大変な作業である。だから、こんな小さな生き物たちにやらせていいものか。
「わたしたちのしごとは姫さまのおせわです。あんしんして洗われてください」
そう言い小鬼は懐から櫛をとりだす。いつでも準備万端だと言いたげであった。
「そうなの。じゃぁ、よろしく」
朝餉をすませた三の姫はさっそく小鬼たちに髪を綺麗にしてもらった。小鬼たちは三の姫の黒く長い髪を綺麗に洗う。
可愛い生き物たちがこうして自分の髪を洗ってくれている。
そして、焚きこまれるお香の香りのよいこと。こんな良い薫りのものを使ったことはなかった。いつも乳母の遺したものをけちりながら使ったものだ。
(なんだか気持が良いなぁ)
ほっこりとした気分であった。
「きょうはおひろめです」
「ええ、そうね」
小鬼たちの会話に三の姫は相槌を打つ。
「ごちそうがいっぱい出るはずです。姫さまのために都のりょうりも出されるそうです」
「ふぅん、都の料理………」
山の中だし、鬼たちのことだから猪鍋とか熊料理とかざっくりした料理を想像していたので少し安心した。
「みやこのりょうりはとってもおいしかったのでたのしみです」
少し太った小鬼が一人じゅるりと涎を垂らしそうになりはっとそれを拭きとる。
「あなた、都の料理を食べたことがあるの?」
「はい。姫さまの館で……人がいっぱいえんかいしている時」
「…………ひょっとして去年の秋?」
三の姫は小鬼たちの台詞を考え、思いつく宴会は去年の紅葉の宴の時だと理解した。同時にもしかするとと考えが浮かぶ。
「父上に須洛の私への求婚を伝えたはあなた?」
「なぜわかったのですか?」
「…………そうだったのね」
去年の秋、邸で開かれた紅葉の宴に突如現れた鬼の使いはこの小鬼たちだったのだ。見た者たちは怖ろしい鬼とか言っていたが。
「何で夜に誰もいない時に言わなかったの」
おかげですごい騒ぎになった。
小鬼は困ったようにうぅっと首を傾げる。
「はじめはそのつもりでした。夜になって姫さまの父うえ、ひとりになるのを待つよていでした」
だが、人々が紅葉の宴にえんやわいや騒いでいるのが楽しそうでふらふらっと出てきてしまった。こっそりならばばれないと小鬼たちは気楽に考え、宴にこっそり潜り込んだ。
ちょっと料理とお酒を楽しめればそれで満足だったのだが、一匹の小鬼がうっかり公達に見つかってしまった。
公達が大声をあげて、宴は別の方へ騒ぎだした。
ここで追い出されたら使いをきちんとまっとうできなかったとされ、須洛に怒られてしまう。
それを畏れた小鬼たちは合体をし、大きな黒い鬼の姿に転じ宴の主催者の方へ近づいた。
そして須洛が三の姫に求婚を申し出ていることを伝え、三の姫の父親が了承しているのを確認してばあっと合体を解いて散り散りに逃げだしたのだ。
そして、陰陽師たちを呼びよせる前に紅葉少将邸を、都を脱出していたということである。
「成程………謎が解けたわ」
どうして真昼間に目立つように鬼の使いがやってきたのか。三の姫は理解した。
なんというお間抜けな真相だったのだろうか。
「じゃぁ、私の元にいろいろ櫛とか紅とか送ってきたのもあなたたちね」
「よくわかりましたね。ほんとうはとーりょが持っていきたいのですが、あの方はおしごとで忙しいので」
(そうか。来なくて正解だったわね)
贈り物について綱に相談したら、綱は三の姫の寝所付近で見張りをしていた。だが、鬼は現れずちょっと目を離した隙に贈り物が置かれているので結局捕まえることができなかった。
(これでもうひとつの謎も解けた)
三の姫がここ半年の間感じた謎は全て小鬼たちの為す業であったのだ。
綱もまさかこんな愛くるしくて小さな生き物たちがせっせと暗躍していたとは思っていなかったはずである。
◇ ◇ ◇
里の館はいくつかの建物で構成されている。だが、だいたいの造りは母屋があってその中心にいくつかの必要な建物が存在し、それらを廊で繋げている。
ひとつだけ外れにある小さな建物がある。どちらかといえば高床式の倉庫に近い造りである。
そこは棟梁専用の倉庫であり、須洛が時折その倉庫に籠ることがよくあるという。
中で何をしているのかは不明である。鬼や里に住む人々はあそこに近づくのをよしとしない。小鬼ですら入るのを躊躇う場所とされているのだ。
悪戯心に小鬼があそこに近づいて見ると、ざっざっと大きな木槌の音がする。そして時折男の悲鳴や呻き声が響いたというのだ。それを聞き小鬼は怯えて近づかなくなってしまったという。
朱音は倉庫の階を上り、倉庫の扉を開く。中にはどんよりとした空気がたちこまれ朱音は困ったように笑った。
「自分の部屋で眠ったらどうなの?」
袿を羽織って床にごろ寝する男に声をかける。袿の中に包まっているのは棟梁の須洛であった。朱音の声に応じるようにむくりと袿が起きあがり、顔を出した須洛はぼさぼさの髪を抑えたり引っ張ったりして直そうとする。朱音は懐から櫛を取り出して須洛の髪を梳いてやった。
「お湯を準備させるわ」
「いい」
須洛は着物の襖の中へ手をつっこみ脇の下をわしゃわしゃとかく。里の若い娘から美形と評判の棟梁がこれでは台無しである。
「姫に振られたからって拗ねないの」
「振られてないし、拗ねてないし」
「あら、じゃぁ、初夜の開けに何故棟梁はこんなところで雑魚寝していたのかしら?」
「…………」
朱音に意地悪気に言われて須洛は沈黙する。朱音はくすくすと笑いながら須洛の頭を撫でてやる。
「何があったか朱音姉さんに話してごらんなさい。坊や」
「泣かれた」
「まぁ、野蛮」
姫に泣かれて追い出される程のことをしでかしたということか。朱音は非難の言葉を投げかけた。
「違う」
須洛は否定する。
「普通の夜這いだ………ただ」
須洛は三の姫の泣く姿を思い出す。小さな肩を震わせ、必死で袿の中に隠れ身を守ろうとする姿を。
「姫は十五だったから手を出しても大丈夫かと思ったんだが」
都では立派な適齢期である。男女がどのように過ごすか、もう知っているはずだと思った。しかし、そんな経験もなければ教えてくれる者もいない三の姫ははじめての異性というものに恐れて泣きだしてしまった。
「そうね。あなたとは、犯罪レベルの年齢差ね」
「よっぽどお前は俺を獣扱いしたいようだな」
「あら、違ったの?」
朱音はにっこりと笑って須洛の犯罪性を語る。
「五百という人で言えば春が過ぎ過ぎた爺年齢の癖に十五の幼さが残る少女をこんな山に呼びよせて夫婦の契りを交わそうとする男は獣だと思うけど」
「つくづくひどい言い方だな、婆………っぃ!」
髪を結いあげられ無理に引っ張られ悲鳴をあげる須洛に朱音は『何? 何か言ったかしら?』と笑顔を見せる。
「もう少し棟梁を労わってくれよ」
「酒呑童子と畏れられるあなたがあそこで切れずに思いとどまっただけ偉いと言ってあげましょうか?」
朱音はつんと須洛の頬を指指す。
「姫の生い立ちを考えると心はまだ十に満たない少女のようなもの。あなたに迫られてどうして良いかわからない……恐いと感じてあんなことになってしまったのよ」
「わかってる………。だから引きさがったんだ」
「どうするの?」
「時間をかけて慣れさせる。それまでここでのんびりと自由にさせてやるさ」
「できるの?」
朱音はおいうちをかけるように言う。それに須洛はうぅっと唸る。
「本当は昨晩、泣きじゃくる姫が可愛くて可愛くて無理にでも進めちゃおうかなとか思ったんじゃない?」
ぎくり。
須洛は視線を余所に向けてたじろぐ。どうやら図星だったようである。それに『けだもの』と朱音は切り捨てる。
「だが、だが、襲ってないだろ」
「でも、いつ爆発するかしら?」
「俺は絶対そんなことはしない。あいつが悲しむことは絶対にしないって誓ったんだ」
「ふぅん? この五百年の間何人の女と関係を持ったかしら? かくゆうこの私とも」
「う、うるさいっ! 俺だって、あいつに会えるとは思わなかったんだ」
若さ故の過ち。長い間独り身で寂しくてつい……そんなありふれた言い訳が並び朱音は不審そうな視線を向ける。
「………幸せにするんだ」
須洛はぐっと拳を握り真っすぐと朱音を見つめる。
「都のお姫様にとって鬼に嫁ぐことが幸せだったと思う?」
「あのままあの紅葉少将の家にいても幸せになれたと思うか?」
「うぅん、そうねぇ」
須洛と朱音は三の姫の生い立ちをある程度調べている。
父親から存在すら忘れられ、父の北の方や異母兄姉たちにはいじめられる日々を送っていた姫。
だから須洛は彼女をこの里へ招いたのだ。誰からも苛められず、大事にされる為にこの里へ。
「俺が幸せにするんだ」
「その言葉、忘れないでよ」
須洛の髪を梳きながら、朱音は言う。勿論と須洛は豪語した。
「さて、やっぱり湯の用意をさせるわ」
「いや、必要ないし」
「汗臭いのよ」
朱音はぴしゃりと厳しいことを言う。それに須洛はびくっと身構えた。そんなに自分は汗臭かっただろうか。袖を鼻につけてくんくんと匂う。
「あなたは気にしないかもしれないけど、都育ちの姫は気にするかもね。最悪、こんな汗臭い男が背の君だなんて嫌ですっ! とか言っちゃったり」
最後の言葉に須洛ははっとした。一瞬脳裏に浮かぶのは冷たい視線を送り臭いから近づかないでという三の姫の姿。
可愛い姫にそんなこと言われると少し立ち直れないかもしれない。
須洛はそう考えながら、くらりと眩暈をおこしそうになり床に両手をつく。
「お湯の準備をさせるわね」
「………頼む」