3.結界
「よしだいたいの仕組みは理解した」
長いこと話していた犀輪はそう言ってそれぞればらばらになっていた人々を集めた。
いつのまに老人の姿になっていたのかひょこひょこと跳ねている。
「これから洞窟の入り口へ行く。移動中、土蜘蛛に見つからぬよう用心せよ」
それを聞き今更のように千紘は首を傾げた。
そういえば先ほどまでの時間土蜘蛛は全くやってくる気配がなかった。
その疑問に気づいて犀輪は答えた。
「椿鬼たちが急ごしらえに結界をこの場所に張っていたのじゃ。三人が協力して作った結界だから土蜘蛛もこの中に入ることはできなかった」
「犀輪様、俺も結界張りやっていましたけど」
三人というと卯月と他二名の成人した椿鬼をさしているのだろう。それに不満げに蒼江がつけたした。
「ほっほっ。まぁそう拗ねるな」
老人が子供をあやすかのような言い草に蒼江は頬を膨らませた。
朗らかな会話であるが他の椿鬼や人たちは真剣な面持ちで移動していた。結界なしで移動するのだから土蜘蛛にいつ遭遇するかわからない。
洞窟内に重いものが移動する音が時折する。その音がするとみな緊張し息を潜めあっていた。
千紘も恐怖で足が震えそうになる。そんな時は卯月がそっと支えてくれた。
そういえば陽凪にも不安なときはこうして支えてもらっていた。
(やはり血の繋がりがあるからちょっと似ているわ)
千紘はそう思いながらもう大丈夫だと卯月に笑いかけた。
一日中洞窟内を歩きようやく入り口にたどり着いたようである。
「ここが入り口なの?」
千紘は目をぱちぱちとさせた。どこをどうみても入り口らしいものは見当たらない。四方八方いかめしい岩肌しかない。
それに犀輪がとんとんと目の前の岩を叩く。
「これが結界の一種じゃ。内からはこのように岩の壁が塞いでるように見せかけわしらが内から外へ出られないようにしておる。外からはこの島の姿を見ることができないように仕掛けておる」
だから特殊な結界術を持つ椿鬼がいない限り出入りができないのだ。その椿鬼は古いときより幹部から外れこの島の結界のみを任されているという。
術式は主な系統から外れ彼らが独自に編み出した特殊な結界術故に普通の椿鬼では破ることはできない。
だがそれを犀輪はできると言った。かなり形は変わってしまっても基本的なものは同じなのである。それさえわかれば破ることができる。
犀輪は黒い羽と黒髪の青年の姿になり岩を再びとんとんと叩いた。そして皆の方へ向く。
「ではこれより結界を破る。かなり強い術を使うが時間がかかる。その間土蜘蛛にばれぬようにこの周囲を結界で張れ」
そう言われ椿鬼たちは結界を張るため自らの指を切り血を流す。ぼたぼたと岩に血が染み込んできた。
それと同時に犀輪は目を閉じ集中する。結界を破る作業に入ったのだ。
千紘は邪魔をしないように人の間に入った。
「姫様、お疲れでしょう。丁度良い岩があるのでそこで座ってください。ちょっと堅いでしょうが」
「え? でもあなたたちの方が」
自分よりも長くここで幽閉され土蜘蛛との恐怖に戦っていた人たちの方がよほど疲れているだろう。そう思ったが千紘は人々に促されるまま岩に座った。
その隣に蒼江が座る。どうしたのかと尋ねると彼はとても不満そうに言った。
「お前は姫のお守りだって言われたんだ」
つまり結界術の要員に不要と言われたのだ。子供っぽい仕草に千紘はつい笑ってしまう。
「なっ、笑うなよ」
「ごめんなさい」
「ちぇ………なぁ、陽凪姫は無事なのか?」
突然の問いに千紘はこくりと頷く。
「ええ。土蜘蛛と戦って負傷したけど犀輪さんが診てくれたので問題はないと」
「そうか。犀輪様が診てくれたなら大丈夫か」
ほっと蒼江は安心した。本当に陽凪のことを心配しているようである。
「陽凪姫のことが好きなの?」
つい千紘はそう尋ねてしまう。それに蒼江はぼっと顔を赤らめた。何だか悪いことをしたような気分である。千紘はすぐに謝った。
「ごめんなさい。変な意味じゃなくて、純粋に好きとかそういう」
「尊敬している。あんなに強い鬼は今まで椿鬼には出てこなかった。それに、あの人に命救われているし」
「?」
「俺は外の世界に出てみたくて、一度だけ結界の外に出たことがあるんだ。そしたら案の定凶暴な物の怪に襲われて、そこで助けてくださったのが陽凪姫だった」
その後は家に連れ戻されて親に叱られたが。
「今は外に出るにはまだまだ力不足だけど、俺はたくさん修行積んで結界術以外のものも学んでいつか陽凪姫のように外を出てみたい」
それは憧れに近いもののようである。
「そっか。叶うといいね」
「いや。そうするし」
励ましたつもりだったが蒼江には不要のものだったらしい。千紘は苦笑いした。
陽凪もそんな彼を応援しているのか外のことをいろいろと教えているらしい。そして都の人の術者がどんな術を使っているかなど。結界術に特化した椿鬼にとってそれを得るのは難しいことらしいが、蒼江は真剣にそれを学んでいるらしい。外に出る為の力になるというなら何でも貪欲に学ぼうという姿勢は陽凪は微笑ましいと思ったに違いない。
ぺたぺた
洞窟の奥からそんな足音がして千紘は何だと感じた。その音から人が一人現れた。若い男で顔を真っ青にさせきょろきょろとあたりを見渡している。
「まだ生き残りがいたのか」
蒼江がそう呟くよりも早く一人の男がその若い男に近づいた。
「お前、生きていたのか」
どうやら沫村の者らしい。同じくこの地に流された。
「ああ。何とか隠れてあちこちを逃げ回っていた。すると突然お前が今現れた」
「それは鬼さんの結界のおかげさ。さぁ、お前も中に入れ。天狗様が外に出してくれる。もう安心じゃ」
そう言いながら若い男を結界の中へと引っ張りいれた。
「よせ!」
卯月が男を止めようと近づくが遅かった。結界内に入ったのは若い男ではなくおぞましい姿の土蜘蛛であった。その豹変に気づく前に招き入れた男は土蜘蛛の牙に喉をつかれる。土蜘蛛はその男を大きな口でばりばりと音をたて咀嚼した。
人がおそろしい蜘蛛に食われう様はとても恐ろしい地獄のような光景である。千紘は青ざめた。
卯月は後ずさろうにも土蜘蛛の糸で足を絡まれ身動きがとれなくなってしまった。
(いけない)
千紘は卯月を助けようと走った。だが卯月がどんと千紘を押し近づかすまいとした。
「どうして」
「蒼江!」
卯月が叫ぶと同時に蒼江が千紘を結界の奥へと引きずる。
それに安心した卯月は糸で土蜘蛛の口の方へ引っ張られる。そして大きな口が開くと同時に彼女はその中に放り込まれようとした瞬間、土蜘蛛は大きく呻いた。
上を見ると土蜘蛛の頭を犀輪が錫杖で突いたのだ。
その瞬間犀輪が卯月を助け出す。
「やれやれ、まだ途中だというのに」
そう呟きながら犀輪は卯月を見て言う。
「おおまかなところは解いた。あとは村の結界の要領で頼む」
そういい残し土蜘蛛に対峙した。卯月は他の二名の椿鬼たちを率いて結界を破る作業にとりかかる。
「た、確かにこれなら我らも破ることができる」
椿鬼の壮年の男がそう呟いた。犀輪の言うとおりだいたいおおまかな特殊な仕組みは崩してくれたようである。あとは普段の要領で解けば良い。だがそれでも時間がかかる。
千紘は土蜘蛛と戦う犀輪と結界を破る作業に入る鬼たちを交互に見て何もできない自分が歯がゆく思えた。
「卯月、お前は休め。先ほど土蜘蛛にあんなに近づいたのだから瘴気に中てられている」
壮年の椿鬼がそういうが卯月は首を横に振った。
「三人でようやくこの程度なのです。私がかけてはもっと時間がかかるでしょう」
別の土蜘蛛が来るともしれない。一刻も早くこの牢獄を出る方を優先すべきである。
卯月はそう言いながら頑として譲れなかった。
今回の水面の造反は自分の甘さゆえに起きたこと。だからこそここで自分が楽をするなど卯月には許しがたかった。
「けほっ」
途中卯月が咳き込むその瞬間彼女の口から血が出た。それに椿鬼たちは動揺した。もちろん千紘もである。
「卯月さん」
千紘はよろめく彼女を支える。
「もう休んでください」
「私は大丈夫です。ご安心ください」
そう笑う卯月に千紘は首を横に振った。彼女を休ませたい。
そういうと他の二名は同意を示した。
千紘は彼女を無理やりにでも休ませようと担ぐ。体勢を整えるために結界の岩の方に手をつく。
その瞬間千紘の体が大きく揺れた。
(え? 何?)
あたりが岩肌でなく波打つ光景が広がる。それは海ではない。星空でもない。だがそれらに似た流れる光景である。
千紘はその中にぽつんと立っていた。
「あれ?」
あたりを見ると岩肌などないし先ほどまで傍にいた椿鬼たちもいない。担いでいた卯月もいない。
自分は一体どうしたのだろうか。
何だか頭がとても重い。先ほどまであんなに軽く感じたのに。そう重い頭を触れると髪が切る以前のような長さであった。いや、それよりもずっと長いかもしれない。
確かに椋木から逃げ出すとき身軽になるためにとばっさりと切ったはずである。
いやそれ以上に千紘は自分の髪の色の驚いた。
銀色だったのだ。
真っ黒な髪が銀色に輝く髪になっていた。
「なに………し、白髪? 私、おばあちゃんになったの?」
突然のことに動揺する。
「おやおや。騒々しい姫じゃ」
そう囁く老人の声に千紘ははっとした。目の前の小さな老人の影に千紘はほっと安心した。
「犀輪さんっ!」
「犀輪? わしはあの天狗ではない」
真っ白な長い髭と白髪で顔がほとんど見えない。老人、というより仙人に近い容姿に千紘はなんといえばいいかわからなかった。
「犀輪なら」
ほれと老人はひとつ指差した。その先に波打つ水面のような鏡に犀輪が土蜘蛛と戦っているのがみえる。
「全く。わしの土地に勝手に土蜘蛛を放り出しおって。あの愚かな姫は」
「わしの土地てええっと」
この阿輪島のことを言っているのだろうか。
「如何にも。じゃが阿輪島だけじゃない。沫村全土がわしの領域よ」
老人は威張った仕草でそういう。
ますますわからない。
「ふむ、わしがわからぬか。名無姫よ。わしが現役だったときはもっと聡明な姫であったが」
「何を言っているかわかりません。それに私は名無ではありません。私は千紘です」
と言って千紘ははっとした。いくらなんでも正体不明のものに自分の名を教えるなど。無用心なことである。
だが老人はそんなこと気にしていない様子である。
「そうか。千紘か。そうかそうか………」
老人は指でその字をかく。それがきらきらと星のように輝く。
一体なんの術だろうか。
少し千紘はその美しい光にどきどきした。
その光は千紘という二文字を示す。
「大陸の方じゃ紘は宇宙を支える綱という意味。それが数多あり………なかなかよい名を得たな。名無姫よ」
「ですから私は名無ではありません」
相変わらず自分をそう呼ぶ老人に千紘はむすりとした。そしてはっと思い出す。
「そうだ! こうしてはいられなかった。ええと私が元の場所に戻る方法を教えてください」
「それだけか? 結界を破ってほしいのではないのか?」
思いもよらない老人の言葉に千紘は驚いた。
「え? それができるの?」
「ふん。椿鬼に結界術を教えたのはわしだ。どんな形に変わろうとわしの術なのだからどうということはない。まだまだあの椿鬼たちでは時間がかかるだろうし、あの土蜘蛛もなかなかの強力のものじゃ」
果たしてこの老人が言っていることがどこまで本当なのか不明である。だが結界を破ってくれるというのなら頼みたい。
「では、お願いします」
「よかろう。その代わり頼みがある」
一体なんだろうか。
「私にできることならば」
「主の旦那に言うが良い。土蜘蛛をわしの土地からすべて追い出せ。うるさくて眠れぬ」
そういい残し千紘の返事を待たないうちに不思議な光景は真っ白になり消えてしまった。
◇ ◇ ◇
目を開けると空は暗くそれを灯すように多くの星が輝いていた。身は揺れ、それとともに波の音が聞こえる。
はっと起き上がった千紘は周りを見渡す。自分は舟の上で眠っていた。
「おお。目が覚めたか」
ひょこりと小さな老人が千紘の顔を覗き込んだ。
「え、と………私は一体。土蜘蛛は」
「何とか退治できた。結界も破れたことだし長いは無用と今陸の方へ向かっておる」
一体舟はどうやって調達してきたのだろうか。
千紘は海の方をみるとにゅっと水面から人の顔をした何かが現れ驚いた。
「きゃっ!」
千紘はあわてて犀輪の袖を掴む。
「安心せよ。あれはざんという人魚の一種じゃ」
「人魚?」
ちらりと水面のほうをみると再び人の顔が浮かび上がる。よく見れば大きなつるりとした体をもつ魚の顔が穏やかな人の顔にみえるのだ。
ざんと呼ばれるそれは千紘の方に話しかける。
「姫、ご無事でしたか。陽凪様がたいへん心配しております」
「え? 陽凪姫が………」
「こやつは陽凪に忠誠を誓う物の怪でな。人に害はない」
「そうだったの。陽凪姫には迷惑をかけてしまったわ………ごめんなさい」
そう謝るとざんはつんとして言う。
「せめて姫を助けるようにとおおせつかり舟をいくつか村から拝借してきました」
あの結界を破りなんとか洞窟から出たらざんたちが舟を持ってきてくれたのだ。だから今こうして陸へ向かうことができる。
「ありがとう。陽凪姫にもお礼が言いたいわ」
「それはご自身でお伝えください」
そう言いざんは海の底へと潜る。
「私、嫌われているのね?」
そう苦笑いした千紘に犀輪は首を横にふる。
「いや。ただの嫉妬じゃ。陽凪姫が姫を大事に想っているから拗ねておるのじゃよ」
それを聞くとなんだかかわいらしく思える。
「ところで姫よ。突然倒れたのだがどうしたのじゃ。突然結界が破れたし、椿鬼たちは姫の力ではないかと言っている」
「うん」
千紘は先ほど見ていた夢について犀輪に語った。犀輪は深刻そうな面持ちでそれを聞く。
「私のこと名無姫なんてよんでひどいと思わない?」
そういえば夢の中では銀色で長い髪だったが今見ると髪は短く黒いままだった。それにちょっと安心する。
「いや、まぁ………この土地に住む椿鬼の神が姫に力を貸してくれたのだろう。ひょっとしたら姫には呪術の才能があるのやもしれん」
「私に呪術の才能?」
千紘は目をぱちぱちとさせた。
「精霊と言葉を交わすことができるというのは姫に巫女の素質があるということじゃ」
「そうなの。じゃぁ、私………呪術の勉強をしてみようかな」
「まぁ、須洛がそれを許さんじゃろう」
それに千紘はむっとした。
「どうして? 須洛は関係ないでしょう………あ、卯月さん」
隣に並んで漕がれる舟に横になっている女性に千紘は声をかけた。
「卯月さんは大丈夫なの」
「ん………ああ。今はだいぶ落ち着いているが、瘴気に中てられている。陸につきすぐに治療をしよう」
「そう」
千紘はほっとした。
◇ ◇ ◇
甘い香りの中紅葉髪の青年は自分にもたれ掛かる少女に何の躊躇いもなく抱き寄せた。
「ふふ」
水面は嬉しそうに笑い須洛の頬を撫でる。須洛はどうしたと首を傾げた。
「何でもないわ」
思ったよりも時間がかかったが須洛は香の毒に蝕まれ水面を自分の恋人だと疑うこともない。
普通ならこの濃度の毒を身に染み込ませればたいていの人は発狂するのだが、さすが大江山の鬼の棟梁だ。ひょっとするとかつての美しい角を持っていた時代ならばもっと時間と毒の密度を要したかもしれない。
水面はそう考えながら白い腕で須洛の首に絡みついた。それに須洛は水面を寝所に押し倒す。
「水面様」
突然伊山に呼びつけられ水面は現実へ引き戻される。
「何よ」
「その、………参歌からの報せです」
参歌というのは例の阿輪島の結界を任される術者の名である。土蜘蛛と手を組み始めた頃に懐柔し、阿輪島に土蜘蛛を放すことを黙認していた。
「その、阿輪島の結界が破れたそうです」
それを聞き水面は跳ね起きた。
「どうして。参歌の術は特殊で今放り出された椿鬼の誰も彼女の術を破ることなんかできないわ」
「はい。突然気分を悪くして倒れられて、何事か問い詰めると………」
「それで、囚人たちは」
「すでに陸にあがっているようです。浜辺に舟が三艘不自然に停泊したと。参歌殿が倒れたときに気づくべきでした」
それに水面はぎりっと歯軋りした。
「どうした? 何があったんだ」
須洛は水面を優しく抱き囁く。その声にうっとりしながら水面は考えを思いつく。
「私を殺そうとする不届きものが阿輪島から逃げ出したのです」
「ほう、長姫のお前を」
「首謀者は人の娘で色香や小賢しい手を使って椿鬼や数人の村人を手下にして一度死に掛けましたの」
水面は両手で顔を覆い泣く仕草をみせる。それに須洛は髪を撫で慰めた。
「ねぇ、須洛様………私あの娘が怖いの」
水面はつっと唇の端を吊り上げる。そして甘い声で囁いた。
「あなたの手で私を守ってください」
「ああ、いいとも。その娘を引きずり出して苦しませて殺してやろう」