1.疲労の中
「お待ちになってください。須洛様」
邸を出ようとする須洛を水面は呼びとめる。
「須洛様は村周辺の見周りと姫と姉の捜索でたいそうお疲れになっています。お休みになられた方がいいです」
「これが休んでいられるか!」
怒鳴られ水面は小さく悲鳴をあげる。それに須洛ははっとした。
「すまない。お前も姉の件があるというのに」
「いえ、やはりお疲れなのです。あとは私たち椿鬼に任せ休んでください」
「………いや。そういうわけにはいかない。こうしている間にも千紘は土蜘蛛に」
沫山を捜索するが血で穢れた気配はなかった。
祠で僅かに血が落ちているのを発見したが、あれは陽凪のものである。
だが、喰われた形跡もない。
陽凪はおそらく生きていて、土蜘蛛に捕えられているのだろう。そしてこうまでして見つからない千紘も土蜘蛛に捕まってしまったと考えるべきだろう。
土蜘蛛が通った道を調べ、どこへ向ったかを今調べている。
おそらくもう沫村の敷地にはいないだろう。すでに外へ、遠くへ移動しているのだろう。
「夜流戸」
須洛は控えていた鬼を呼ぶ。額に鉢巻をつけている巨躯の鬼が須洛の前に出た。
「近くの湊町まで行って調べてきて欲しい。そこに土蜘蛛……いや、土蜘蛛を扱う鬼が女二人連れてやってきた可能性もある」
「はい」
そう言い鬼はすぐに館を飛び出す。彼の足ならばすぐに報告が来るだろう。
その頃にすでに千紘達がもっと遠くへ行っている可能性もあるが。
「夜流戸が戻るまで少し寝ようと思う」
そう言うと水面はほっとしたように頷いた。
「すぐに寝床を用意させましょう」
「そこらでごろ寝でいい。夜流戸が戻ってくるまでの間だ」
彼は縁側にごろんと転がった。
本当に鬼が戻ってきたらすぐにでも湊町へ移動する予定なのだろう。
水面は面白くなさげに拳を握りしめた。
「白湯をお持ちします」
そう言いその場を立ち去る。しゅるしゅるという音と共に自分の部屋へと向った。
「どうでしたか?」
部屋から侍女が現れて水面に声をかける。それに水面は困ったような表情で言う。
「未だに姫の行方も、姉の行方もわからずじまいよ」
そう言い彼女は部屋の中に入った。音ととも妻戸が閉まる。
部屋の中には誰もいない。
水面は文机の傍に座り、どんと文机を叩いた。
「須洛様は姫のことで頭がいっぱい。どうしてあの平凡な娘が良いのかしら!」
理解ができない。
美しさも教養も全て自分の方が勝っている。なのに、須洛は千紘ばかりのことを考え全く水面を見ようとしない。
今日の昼過ぎごろのこともそうだ。
沫村の偵察を終わらせて戻った須洛のひとことは千紘はどこだだ。水面はそれに首を傾げて部屋にいないのかと言い、確認すれば千紘の部屋には誰もいない。
それはそのはず。水面が朝のうちに千紘を椋木とともに沫山へ登らせたのだ。
だが、水面は首を傾げどこに行ったのでしょうと困ったように呟く。須洛は心配になり、あちこちを捜し自分の部下の鬼を集め千紘を捜しに出させた。だいたいは海や田畑、市などに行かせる。自分も別の場所を捜そうと沫山に向おうとした。
それに水面は慌てて自分も行くとついていった。
沫山の道を歩いても須洛は全く水面の方をみない。千紘をたいそう心配している様子である。
いくら土蜘蛛が周辺をうろついているといっても沫村の領域内ならば安全だと須洛は認識しているはず。なのに何故こうまで心配しているのだろうか。
疑問とともに苛立ちを覚える。
だからそれを発散させてしまった。見つかった千紘に、須洛が陽凪を救いに去った後、暴言を吐いたのだ。
その後千紘が須洛に伝えれば水面は須洛の怒りを買うだろう。だが、その心配はなかった。
椋木が千紘を攫いにやってきたのだから。
そのまま水面は千紘と、そして姉の陽凪が攫われて行くのを黙って見ていた。いや、それどころか沫山の村から対側へ行き、村を出る手助けをしたのだ。
そして、今千紘が再びいなくなったので須洛は慌てて再度捜索しているのだ。
「それで今どこまで」
「近くの湊町に鬼をやらせたわ」
「んま」
伊山は少し動揺している。
「大丈夫。もう椋木たちは船で湊を出ている。後手に回って、行き先もわからなくなるわ」
「そうですね。しかし、陽凪姫と三の姫はどうなるのでしょう」
人ごとのように伊山は質問した。それに水面は含み笑いをする。
「何でも贄が必要だとか。二人は土蜘蛛の贄になるのではないかしら?」
「まぁ、おそろしい」
そうはいっても伊山の顔は笑っていた。自分の一族の長姫の危機でもあるというのに。
「これで、水面様はこの椿鬼の真の長姫になられるのですね」
嬉しそうにはしゃいで言う。それを水面は窘めた。
「あまり軽々しく言ってはダメよ。今は御暈一族の鬼がいらしている。あくまで運悪く土蜘蛛に遭遇して捕まってしまったというのを演出するのよ」
そうすれば邪魔な陽凪姫と三の姫は土蜘蛛が勝手に排除してくれる。
残されたのは空になった椿鬼の長姫の座と御暈の棟梁の妻の座。
(その両方を私が手に入れるの)
水面はその時の自分の姿を想像してうっとりとした。
(陽凪、あなたの苦しむ様を見れなかったのは少し残念だけどあの蜘蛛に痛めつけられたところを見ただけで満足しておきましょう)
彼女にとって陽凪は邪魔でしかなかった。
父親が違う姉の陽凪がいるから自分は椿鬼の長姫になれなかったと思っている。自分こそ椿鬼の父と母の血を継ぐ純潔の椿鬼だというのに。
それなのに椿鬼の者たちは陽凪をたいそう大事にした。椿鬼だけではない。沫村の人もまた陽凪を敬愛していた。
椿鬼の中で最も強い力と優れた結界術を会得した長姫。それが陽凪である。
だが、それは水面からしてみれば邪道だ。
彼女が椿鬼の中で強いのは父親が椿鬼ではない、別の鬼の者だから。結界術は白尼僧に直接習い長く修行をしたせいだ。水面も同様にすれば陽凪と同じ、いやそれ以上の結界術を駆使することができるはずだ。
「椿鬼の長姫は私よ」
「はい。純潔の椿鬼の水面様こそ長姫にふさわしい。あんな混血の姫など」
伊山は吐き捨てるように言う。
彼女は水面が生まれた時より水面の傍に仕える侍女である。それ故誰よりも水面を大事に思い育ててきた。内心では余所の血の混じった陽凪を疎ましく思い、純潔の水面こそが白尼僧の嫡女だと信じている。
「必ずや水面様を長姫に」
そして御暈との繋がりを強くする為に須洛と契りを交わせば誰も文句を言わないはずである。
千紘がいなくなり、疲れ果てた須洛をそっと水面が優しく慰めるのだ。
そうすれば美しい水面の方へ振り向き、千紘のことなどすぐに忘れてしまうはずだ。
(時間はかかるけど、私はいくらでも待てるわ)
とはいえ、目の前で千紘千紘という須洛を見ては苛立ちを覚えていた。
◇ ◇ ◇
ぱちりと目を覚ますと須洛は今自分がどこにいるのかと首を傾げる。
確か椿鬼の館でひと眠りしたはずだが。
自分がいる場所は大きな木々が生い茂る自然の中。それは沫山のものとは違うし、大江山のものとも違う。
だがここは知っている。
須洛にとって忘れられない場所である。
木々の中を歩けば思った通りのものがみえた。
それは木で作られた古いつくりの社。周囲には何もない。柵も堀も。ただ囲うのは大きな木々である。それが社を大事に守っているようにみえる。
須洛は躊躇わず社の方へ歩く。
廊の欄干にもたれる少女がいた。この国では珍しい銀色の髪をしている。
純白の巫女の衣装をまとい、銀の髪は綺麗に梳かれている。
簪がしゃりと音をたてて須洛の方を見つめる。
顔は明りと影の関係でよく見えない。
だが彼女が誰か須洛はすぐに分かった。
少女はにこりとほほ笑む。
「海、大きいね」
「ああ」
突然の言葉に動じず須洛は笑って返した。すぐに少女は悲しげに俯いた。
「一緒に見たかったのに」
「悪かった」
須洛はそっと少女の頬に触れる。少女の頬はひんやりとして冷たかった。
「いいの。あなたの都合もあるし、約束通り海まで連れて行ってくれたから満足している」
「そうか」
「あなたは約束を守ってくれたわ。私に色んなものを見せてくれた」
「もっと色んなものを見せてやる」
そう言いながら須洛はぐいっと少女の肩を抱き寄せる。少女は須洛に全て預けるように身を凭れさせた。
「だから教えてくれ。今、お前はどこにいるんだ。千紘」
すると少女は千紘は嬉しげににこりと笑った。その時、銀色の髪は黒く染まった。黒曜石の瞳でじっと須洛を見上げる。
「無事か?」
「うん」
「どこにいるんだ。俺は、もうお前を失いたくない」
そう言うと千紘は須洛の肩に両腕を伸ばし身を乗り上げた。そして須洛の顔に自分の顔を近づけ重ねる。千紘の唇が須洛の唇に触れた。
「……ょう、棟梁」
男の声で須洛ははっと目を覚ました。あたりを見ると椿鬼の館の廊で横になっていた。
湊町までやらせた夜流戸が戻って来たのだ。夜流戸は心配そうに須洛の様子を伺う。
「大丈夫だ。それより湊にて情報はあったか?」
「はい。船が一隻出たとか。そこに若い娘も乗り合わせているという情報があります。特徴はお方様と同じものでした」
「いつ出た」
「夕暮れに、突然の出発故に不審に思いよく覚えている者がいて助かりました」
「行き先までは掴めないか」
「もし陽凪姫が一緒ならばそのうち連絡がくるかも」
部下の意見に須洛は溜息をつく。
「それに頼る他ないか」
須洛は立ち上がる。見れば彼の前には他の御暈の鬼たちが集っていた。
「俺は今から湊へ行く。お前たちは休んでから来い」
彼らには今朝からずっと働かせ通しである。千紘のことが心配で気が動転していたとはいえ休む間も与えず捜索に出させたのは悪いと思った。
「いいえ。私たちもすぐに参ります」
前に出たのは藤依である。
「そもそも私が姫のお目付けの役を任されたというのにそれを全うできなかったのが原因です」
先日は千紘を危険な目に遭わせ今日は彼女が一人でかけるのを見過ごしてしまった。
「過ぎたことを言っても仕方ない。気にするな」
須洛は自身の判断を誤ったのが原因だと思った。
藤依は人柄良く物事を頼まれては断れない性質だ。せめてもう一人鬼をおくべきだった。
「とにかく俺は湊へ行く。お前たちは少し休め。これは命令だ」
そう強く言い須洛は館を出た。残された鬼たちは棟梁に命じられてはついていくことができない。仕方なくしばらく休んでから湊へ急ぐこととした。




