1.鬼の里
連れて来られたのは山奥のさらに奥。
突然視界が真っ暗になり三の姫は狼狽した。
今まで変わらぬ山道の光景だった為、こんなに真っ暗になるとは思わなかった。周囲は真っ暗で何があるのか全くわからない。
暗い世界の中に放り込まれたような気分である。
「…………」
「心配しないでください。我らの里はすぐそこですから」
不安そうにしている三の姫を鬼は気遣ように言った。
「ほら、見て下さい。光が見えますでしょう。あそこを通り抜ければ里ですよ」
示された先から小さな光が差し込んでくる。
その光に向って通り抜けると暗闇は一瞬で消えた。眩しくて三の姫はちかちかとする瞼を閉ざす。
ゆっくりと瞼を開けると、視界に映ったのは村であった。
森の木々に囲まれた場所に田畑が耕され、そこで人や鬼が田畑を耕し汗をかいている。竪穴式の建物が点在しており、奥には大きな館が見える。
そこが棟梁の館であると鬼は説明し、そこへ案内する。
通る途中にもうひとつ大きな建物があるようだが、それは館ではないようである。
(ここが、………鬼の里)
大きな道を通ると、畑作業をしている者たちが三の姫へ視線を送った。遠い都から遥々来た花嫁に好奇心を隠せないようである。
「おお、あれが棟梁の嫁さんか」
「鬼さんたちに担がれてちっこいのお」
聞こえてくる声に三の姫は首を傾げた。
(鬼さんたちに、てあの人たちは鬼じゃないのかな?)
ちらりと見ると田畑で働く人たちはどこからどうみても人である。三の姫の乗る輿を担ぐ者たちに比べると随分と小さく、普通の人の大きさである。
鬼の里にまさか人がいるとは思わなかったので三の姫は少し驚いた。
「到着しました」
里のずっと奥にある木で作られた門を通り抜けると立派な建物が並んでいる。
門に入ると輿は一旦下ろされて、三の姫は立ちあがってみた。
(都の邸とは随分違う)
三の姫は少し古い作りの建物を珍しげに見つめた。
母屋らしき建物の前で二人の男が何か話している。
片方は色鮮やかな紅葉色の髪をしててとても目立つ。
「あちらにおられるのが我らが棟梁です」
そう言われ三の姫ははっと身を整えた。
標的の姿を逃さないようにじっと見つめる。
(あれが大江山の酒呑童子?)
まだ三の姫に気づいていないのか、楽しく歓談していた。
一体何を話しているのだろうか。
じっと見つめているとようやく三の姫に気付いた棟梁が慌てててこちらへと近づいてきた。
「………」
三の姫をここへ案内した鬼たちも大きいから、てっきり目の前の鬼も大きいのだろうと想像していた。だが、三の姫の予想を外れ目の前の棟梁の体躯は思ったよりも普通である。綱よりはがっしりとして大男と呼ぶにふさわしい体躯だと思うが。三の姫をここまで運んできた鬼に比べれば小さい方である。
(もっと屋根よりも大きいのを想像していた)
三の姫は改めて棟梁の鬼を見つめる。
秋の紅葉と同じ色合いの髪を乱雑に後ろに括りつけて、肌の色はやや褐色である。
顔は見上げないとわからない。
見上げて良いものかと悩んでいたら目の前の鬼は三の姫の市女笠を取ろうとする。慌てた三の姫は市女笠を両手で抑え取られまいとした。
「須洛、失礼でしょう?」
くすくすと女が三の姫の後ろから声をかける。いつの間に後ろにいたのだろうかと。
後ろをちらりとみるとそこには棟梁と同じ紅葉色の髪をした女性がいた。
背は随分と高い方だ。髪を綺麗に梳いて手入れされている。艶やかな色合いの襲を身に付け、顔立ちはその衣装に見劣りしない程の美しさである。
三の姫の目には彼女は鬼ではなく天女のように見えた。
「姫」
棟梁の鬼が声をかけてきて、三の姫ははっと我に返った。慌てて棟梁の方へ向き直る。
「遠路はるばるよく来てくれた。その、不躾で悪いが笠を外してくれないか。顔が見たい」
(意外に素直に物を言うのね)
棟梁の顔は見えないが照れているようである。後ろから例の女性がひゅーっと楽しそうに声をあげる。がらにもない棟梁の姿に傍にいた三人の鬼たちもくつくつと笑いを堪えているようでった。
(なんだか、調子が狂うな)
噂の鬼であれば市女笠など乱暴にもぎ取ってしまうだろうに。
もっと乱暴な扱いを受けるかと思えば、思ったよりもまともなものであった。
笠を外せと言われても外すのに少し躊躇いがある。
一応これでも都で育った姫なのだ。裳を済ませた娘は人前で顔を見せないのが普通である。
(でも、ここは普通の場じゃないし、訓練中綱様に顔を何度も見られているし今更よね)
三の姫はそう考え、市女笠を外した。笠を外すと随分と軽い心地になる。風が頬を撫でとても心地いい。
見上げると目の前の棟梁の視線がじっとこちらの方を向いている。
棟梁の瞳は淡い翡翠の色をしていた。とても珍しい色だ。
そして驚いたことに棟梁の顔はかなりの端正な顔立ちだった。鬼というからにとても恐ろしい形相を思い浮かべていたのに、これにはちょっと拍子抜けした。
棟梁が突然こちらに傾いてくる。気づけば三の姫は棟梁の腕の中にすっぽりと収まっていた。
「あ、ちょっと………」
三の姫はこれにすこしどきりとしてしまう。鬼とはいえ、こんな美しい男が自分を抱きしめるのはさすがにときめいてしまう。
「よく来てくれた、俺の元に。ずっと待っていた」
耳元で囁く声はひどく優しいものだ。心拍が早くなるのを三の姫は感じ、どうしていいかわからず体が硬直してしまう。
「須洛、お姫様が困っているよ。それに長旅で疲れているんだから、早く休ませてあげなよ」
「ああ、そうだったな」
赤髪の女性にそう言われ棟梁はようやく三の姫を解放した。解放された三の姫はほうっと息を吐く。
(心臓に悪い)
だが、今一瞬のとき棟梁の首を取る絶好の機会だったのではと思い返して少し後悔してしまった。
(まぁ………今やってしまっても、ここを潜り抜けるのは大変だから仕方ない。まだ好機はある)
もっといかつい人外の大きさの鬼を想像していたが、思っていたよりも普通の人と同じでまず安心する。これなら勝てる気がする。
「じゃぁ、姫、また……社への挨拶の頃に迎えをやるからそれまで休んでいてくれ」
「挨拶?」
「それじゃぁ、行きましょうか?」
首を傾げる三の姫に紅葉髪の女性が声をかける。こっちよと別の場所へ案内した。
建物の中へ入り、連れて来られた奥の部屋。
三の姫の為に用意された部屋らしく、綺麗な調度品が揃えられている。
「ここがあなたの部屋よ。調度品も棟梁が揃えておいたものだから好きに使っていいわ。後であなたの荷物もここに運ばせる」
「ありがとうございます」
三の姫は女性に頭を下げる。その姿勢の中で三の姫は相手を警戒した。
(いくら綺麗な女性でも、鬼だもの。油断はしない方がいいよね。それにしてもちょっと喋りが………)
馴れ馴れしいような。別に気にはしていないのだが、このように声をかけられるのは慣れない。
「かったい!」
女性は三の姫の髪をがしっと掴んでわしゃわしゃとかきなでる。突然の行いに三の姫はどぎまぎとしてしまった。
「別にそんな固くしなくていいのよ。私も姫のことはこの通り普通に話すから、姫も自然体で話してちょうだい」
「………はぁ。あの、あなたは」
「あ、私? 私は朱音よ。これから長いつきあいになるのだから、よろしくね」
ぱちっと朱音は片目をつぶってウィンクをしてみせる。
(軽い………)
三の姫の朱音に対する第二印象である。第一印象は天女のようだったが、今となっては軽いテンションの女性へと急転化してしまった。
「あ、そうだ」
朱音は思い出したように手をぱんぱんとさせた。するととたとたっと音をたて部屋の中に近づく足音がする。
なんだなんだと首を傾げるうちに現れたの小さな生き物たち。一瞬猫かと思ったが、それは二本脚で立っている。
目をぱちくりとさせ、まるい顔の雛人形くらいの大きさの人型である。おまんじゅうのようにふくよかな頬のライン、つぶらな大きな瞳が朱音を見つめる。
「仕事ですか?」
喋ったら小さな口がようやく見れた。小さな口から覗くのは小さな牙。よくみれば小さな人形たちの頭には角が生えている。
「まさか………」
この小さい生き物たちも鬼なのだろうか。
そう考えている間もなく、朱音の指示で小さな生き物たちは一斉に三の姫に飛びかかった。
「きゃっ!」
三の姫の肩に乗る者、腕につかまる者、足にとまるものと様々である。
一体何を始めようとしているのだ。
突然の出来事に三の姫は慌ててしまう。
「な、なんなのっ」
「ああ、気にしないで。ただ寸法を測るだけだから」
(いえ、気にする)
何か変なことをされるかと思いばたばたと足踏みして小さい生き物たちを振り払おうとするができなかった。
小さい生き物たちは懐から出した小さな紐で伸ばしては三の姫の手の長さ足の長さ、と様々な場所を測る。それが終われば、小さい生き物たちはようやく三の姫から離れ部屋の奥に飾られている美しい衣装を取り出し手際よく針作業を始めた。一体どこから針やまち針、糸きりを取り出したのだろうか。
「一体………」
「寸法直しよ。あなたが明日のお披露目に着る衣装の」
「お披露目っ? 明日?」
朱音が言うには飾られている衣装は三の姫の為にわざわざ作らせたものらしい。
「っそ、よく考えてみたら里の外の女の子って小さいのを忘れていたわ。でも、あなた……ちょっと小さすぎるんじゃない? ちゃんと食べているの?」
朱音はそう言いながら三の姫を後ろから抱き締める。あちこちを触っていき、最後に胸のあたりに触れられ三の姫はびくりと跳ねた。
「っひ、何するの!」
三の姫は朱音の手を払い、彼女の腕から逃れる。急いで屏風の後ろへ隠れる。まるで盾のようにその端をぎゅっと掴む。
「あはは、姫はおもしろいね」
「ちょっと私から離れて、いえ……ここから出て行って!」
「そう、まぁいいわ。私も仕事があるからね。後は何かあったらあの子たちに言ってね」
朱音は未だに衣装の寸法直しをしている小さい生き物たちを指差した。
「………あの生き物たちは一体何なの?」
「小鬼よ、私たちはそう呼んでいる」
「小鬼?」
やはり見た目通りあの小さい生き物たちは鬼だったようである。だが、どこか他の鬼たちと違う。あまり怖くないし、どちらかといえば可愛い方である。
「小鬼とか呼んでいるけど、実際はわからない。私たちが鬼と呼ばれているから、彼らは『じゃあ、わたしたちはこおにです!』て勝手に名乗っちゃったのよ。多分、この山に古くから棲んでいる精霊のようなもの。うーんと、私たちの先輩て奴かしら」
「その先輩を顎で使っていいの?」
先ほどの朱音の指示出しは小鬼たちに命令しているようであった。
「いいのいいの。彼ら、好きでやっているのだから。勿論ただで働かせていないわ。後でたっぷり好きなものをあげている」
確かによく見れば小鬼たちはとても楽しそうに作業をしている。つぶらな瞳からまるでお花が飛び出しそうな勢いで。労働って楽しい! という言葉が聞こえてくるようである。
「まぁ、そういうわけだから後は何かあったらその子たちに言うのよ」
そう言って朱音は手をひらひらさせて部屋を出て行った。
朱音がいなくなった後三の姫はじっと小鬼たちの作業を見つめていた。自分よりも何倍も大きな衣装の寸法を直すのはとても大変そうである。だが、彼らは手なれた手つきでそれをこなしていた。
しばらくして作業が終わったのか、彼らは部屋を飛び出して盆を持ってくる。盆の上には白湯が入った椀が載せられている。他には運ぶ盆には食事と菓子類が。
それを三の姫の前にとんと置く。
「姫さま、どうぞ」
どうやら三の姫のために持ってきてくれたようである。
「ありがとう」
「姫さま、とーりょのだいじな人です。だからだいじにしなければならないのです」
「身の回りのお世話は私たちがします。なんなりとおっしゃってください」
小鬼たちはそう言い三の姫を一生懸命お世話をすると宣言してきた。健気な言葉に三の姫は思わず頬が緩んでしまう。ありがたく彼らが持ってきてくれたものをいただこうと思った。
まずは、白湯を一口飲む。そういえば麓の村人たちと別れてから何も飲んでいない。喉が潤っていくのを感じ、ふぅっと一息つく。そして運ばれた食事に箸をつけた。
小鬼たちはじぃっとあるものに視線を向ける。三の姫は首を傾げその視線を見ると、それは小鬼たちが先ほど持ってきたお菓子であった。
「ああ、これ……食べて良いよ」
別にそこまでお腹空いていないし。余るならば食べてくれても構わないと三の姫は菓子の乗った器を小鬼たちの前に置いた。
小鬼たちは嬉しそうに菓子に飛び付く。ばりばりとむしゃむしゃと食べる。
その様子を見つめていて、三の姫はなんだか不思議な世界に迷い込んだ心地であった。これは都では決して見れなかった不思議な光景である。
(っは……)
和んでいた三の姫は自分の今の状況を思い出す。自分は何の為にここに来たのかを。
(忘れていた。私はあの鬼の棟梁を殺しにここに来たのに)
あやうく忘れるところであった。
三の姫は目的をしっかりと思い出すように、懐から小刀を取り出す。ちゃきっと刃を出しそれを見つめた。刃に映る自分の瞳が見える。
(これで今夜、鬼の棟梁を………)
そう思いながら、先ほどの紅葉色の髪の男を思い出す。澄んだ翡翠の瞳がとっても綺麗だったな。その瞳はとても魅力的でじっと見つめると吸い込まれそうな気がした。
少年のようにはにかみ、三の姫を歓迎した。
三の姫に優しく声をかけ、ずいぶんと気にかける素振りを見せていた。
そして突然三の姫を抱きしめた時を思い出しては心臓の高鳴りが一瞬だけ聞こえた。
(あれは心臓に悪い)
だが、今夜は初夜を迎えるからそれ以上のことを迫られるはずだ。
少し不安があるが、三の姫は自分を落ち着かせるように心の中で唱える。
(大丈夫、イメトレは何度もした。どういうタイミングで奴の命を奪えるか何通りも方法を考えた)
今宵の初夜が一番の好機なのだ。これを絶対に逃さない。三の姫はそう強く決め、小刀を懐に収めた。