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紅葉鬼~鬼に嫁いだ姫~  作者: ariya
【2】鬼の里でのひととき
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4.鬼の一族

 相変わらずのうっとうしい雨、夜になり暗いのがさらに暗くなっていた。

「姫、起きているかしら?」

 朱音はひょこりと千紘の部屋を覗きこんだ。部屋の中では写本作業を続けている千紘がいた。

「朱音さん、どうしたんです?」

 その声に反応した千紘の袿の上ですやすや眠っていた小鬼ははっと起きあがる。そして部屋の隅から座敷をとってくる。

「ありがとう」

 朱音はその上に座り、千紘に向きあった。

「うん、ちょっと様子見に」

「様子見?」

 朱音はむにゅっと千紘の頬を引っ張った。

「な、何をするんですっ」

「張りが少し悪いわ。最近、夜更かししている証拠ね」

「えっ、そ、それは……」

 千紘はうぅとばつが悪そうに余所を向く。

「物語を貸した私にも責任があるとはいえ、いい? 夜更かしはよくないことよ。若いのにそんなことしてちゃ、発育も悪くなるし、肌の艶も悪くなっちゃう」

 発育という言葉につっこみをいれたいが、千紘は俯きながら朱音の話を聞いていた。

「で、どのくらい写本したのかしら?」

 説教が終わった朱音に千紘は三冊の写本を見せた。この短期間で三冊も写本を終わらせたのか。それに朱音は少し驚いた。同時に納得した。これでは随分と夜更かしして、部屋の中にじっと閉じこもっていたのだろうと。

「だって、嬉しかったんです。こんなに物語が読めるなんて都じゃ、なかったのに」

「そう。姫が喜んでくれるなら私も嬉しいわ」

 朱音は千紘の頭を撫でる。

 この姫は貴族の娘でありながら、誰にも相手にされずに幼き日を過ごした。

 千紘を守っていた乳母は既に他界し、最低限の食事と衣類しか与えられなかった。姫としての養育も受けられず、姫ならば誰もが経験した貝合わせや物語などといった遊びを全く知らずに過ごしてきた。

「でも、姫。お部屋の中で一人じっと閉じこもるのは体に悪いわ」

「だって、外は雨が……」

「そう、外は雨。でも、もうすぐ雨は止むわ」

 あと一週間経てば梅雨は明ける。

「いつまでも引き籠る姫に私提案してみようと思うの。外へ出て見ない?」

「外?」

 館の外など、何度か散策に出かけたことがあるのに。

「……さる海沿いに私たち一族の縁の者が住んでいるの。姫と齢の近い娘が守っている宿屋がある。温泉もあるわ。そこへ行ってみたくない?」

「海、温泉……っ」

 朱音の言葉を一句ずつ呟き、千紘は目をきらきらさせた。

 京の外はおろか、あの西の対の隅から出たことのない千紘にとって海はまさに別世界である。温泉もあるというではないか。

 行きたくないはずがない。

「い、行きたいです」

 素直な言葉に朱音は満足げに微笑んだ。

「なら一週間後、そこへ出かけられるように須洛に話をつけてあげる。二人でゆっくり楽しんでいらっしゃい」

「あ、ありがとうございます」

「ただし、条件があるわ」

 朱音はびしっと人差し指を示した。条件とは何を求められるのだろうかと千紘は少し首を傾げた。

「この一週間、姫が夜更かしをしないで良い子でいたら須洛と一緒に海へ旅へ出かけられる。どう?」

「わ、わかりました」

 まだまだ写したいものが山程あるが、目の前の海という魅力な単語には勝てなかった。それでもちらりと千紘は文机の上に広がる物語を見つめる。

 朱音は笑って千紘の頭を撫でた。

「大丈夫よ。物語は逃げたりなんかしない。もう何度も読んだものだし、姫の気が済むまで貸してあげるわ」

「あ、ありがとうございます」

 千紘はほっと安堵した。そしてふと朱音の髪を見て首を傾げる。

「朱音さんの髪、濡れている?」

「ああ、ちょっと仕事で外に出ていたのよ」

 拭いておいたが、後で手入れをする必要がある。朱音は苦笑いする。

「少し見苦しいところで悪いわね」

「いいえ、お疲れ様です」

 千紘はあと声をあげて、調度品から櫛を取り出した。

「あ、あの……その髪を梳いて良いでしょうか?」

 千紘はどきどきしながら朱音に言う。

「まぁ、姫にそのようなことさせられないわ」

「私がしたいのです……朱音さんがおいやじゃなければ」

 そう言われると朱音は笑って応じるしかない。

 朱音は千紘に後ろを向く姿勢で座り直す。そしてすぅっとひとつ梳いた。

 髪は思ったよりも柔らかく、よく櫛が通る。

 とても手入れが行きとどいた髪である。

 そう千紘が言うと朱音は嬉しげに笑った。

「うふふ、姫に褒められるなんて手入れする甲斐があるというものだわ」

「染めもののせいで普通よりも手入れがいるとお聞きしました」

「あら、誰から聞いたのかしら?」

 朱音はすでにその者を知っているかのように傍に控える小鬼の頭を小指で軽く弾く。きゃぁと小鬼はころころと転がった。

「どうして朱音さんは、髪を……須洛と同じ色に染めているのです?」

「須洛に憧れてて」

 朱音はうっとりと目をとろりとさせて言う。それに千紘はどう反応していいか迷った。

「あはは。冗談よ。いざという時この髪が便利なのよ。例えば来週から姫と旅に出られる須洛の代わりを務める為に」

「影武者もしていると聞きます」

「本当に姫の情報網はすごいわね。さすがお方様だわ」

 そう言いながら情報網である小鬼の腹をころころと撫でてやる。小鬼は猫のようにごろごろとさせる。

「どうして、そんな危ないことも」

「少しでも恩返しをしたいからかしら。昔、私は須洛に救われたから……百年も昔の話よ」

 その数字に千紘はちょっと驚いてしまう。だが、鬼となれば人の寿命よりも長いしそれくらいの年月の中生きていても不思議はない。

「朱音さんは元は里の外の生まれで河内の出身だと聞きました」

「そうよ。河内のすっごい貧しい百姓の生まれ、髪結屋に奉公に出された貧乏娘だったのよ。本当は姫とこうして話すことなんかできない身分だったのよねぇ」

「髪結屋……だから、髪の手入れが上手なのですね」

「実際、髪の手入れの手法を勉強したのはそのずっと後だけどね」

 朱音が言うにはこの鬼の里に来てから勉強するようになったという。

 千紘は朱音の髪を梳きながら、ふと髪の中にほんの少し突起したものを見つけた。耳の上の両の側頭にひとつずつある。

「朱音さんにもあるんですね。角」

「ああ、私のは未熟なものだけどね」

「未熟?」

「私は百年前までは一応人だったの」

 ぴたりと千紘の手が止まった。予想もしなかった事実に驚いたのだ。その素直な反応に朱音はくすりと笑った。

「といっても微妙かな。父親が鬼じゃなくて人で、母親がこの里出身の鬼だったというだけ」

「人と鬼の……」

「そう。母は父に恋をしてしまい、鬼の角を自分で折ったの。話によればこんな半端な角じゃなくて、立派な美しいものだったそうよ。あんな綺麗な角は何千年も前に生える鬼がいなくなったという」

「どうして? 角を折ったの?」

「父と添い遂げたかったのよ。それには角が邪魔だった。角があると人の世界では暮らせないし。あとは……」

 朱音はすぐに首を横に振った。

 この話は千紘にとってつまらないものだからやめようと思ったのだ。

 角は鬼の力の源で、それにより同族に居場所を教えることができる。里を裏切り、逃げた母は追手を恐れ、父との幸せな生活を邪魔されたくないがために角を折ったのだ。

「でも、角を失った母はとても弱くなった。角は鬼にとって大事な力の源で、身を守る大事な器官だった。角を失えば、鬼はとっても弱くなる。例えば里の清浄な場所以外の空気は瘴気のようなもので、身体を蝕む。最期は母はぼろぼろになって、衰弱死してしまったわ」

「………須洛も、朱音さんも角を失ったらそうなるのですか?」

「そうね。私の場合は半分人だから少し外の空気の耐性はある。仮にも角なしで外で生きて来たしね。須洛は安心していいわ。あいつは特殊だから、あいつの角は折れてもしばらく養生したらまた生えるわ」

「は、生える?」

「そう。実際見たことないけど、一回ぼきっと折れた時生えたそうよ。昔程綺麗なものじゃないものだけど」

 朱音は楽しげに指で角を示した。

「朱音さんの角は昔なかったと言いますが、どうして生えたんです?」

「鬼として生きるてこの山に誓ったら生えたのよ。半分鬼の血を引いているのと山が私を仲間と認めてくれたから可能だったのね」

「痛くなかったんですか?」

 小さいとはいえ、この小さな突起が突然生えるのだ。何か違和感のようなものを感じるのではないか。

「そうねぇ。結構痛かったわ。けど、生えた後は体に馴染んで、元からあったかのように感じた」

 朱音は千紘の左手をとり、自分の角をなでさせた。角は鬼にとって敏感な場所であるが、優しくなでられて少しくすぐったく感じる。

「なんだか、不思議な感触です」

 千紘の素直な感想である。しばらく角に触れながら、千紘は聞いて良いのか迷いながら尋ねて来た。

「何故、鬼になろうとしたんです?」

「………」

 千紘の遠慮がちな問いに朱音はいとしげに微笑んで応えた。別に隠す程のことでもない。

「力が欲しかったの」

 人だった朱音はとても弱い生き物であった。半端に人には見えない魑魅という生き物を見ることができる為、からかわれたり時には害をくわえられることが多かった。その為に酷い目にあったこともある。

 朱音にとって弱い自分は嫌いだった。

 そして憧れた。

 自分があんなに翻弄された魑魅を怯えさせ逃げ出させるほどの力を持つ鬼に。自分にも鬼としての力を持ち得るということを知り、朱音は躊躇わずに鬼になることを選んだ。

 父親もいない、母親も衰弱死してしまった。

 人としての生に未練などなかった。

「須洛に恩を返したかったのですか?」

 その真っすぐな問いに朱音は苦笑いした。

 そうねとだけ呟くが、実際は先の通り。自分の為に強くなりたいという思いから鬼になることを選んだだけであった。

 確かに須洛には恩があって、返したいという思いはあるのだが。

 一番の動機はやはり自分の為というのが事実である。

「朱音さんは、すごいです」

 千紘はぽつりと呟いた。

「須洛の為に戦う力もあるし、いざとなれば身代わりになろうというその姿勢はとてもすごくて……尊敬します」

「姫」

 千紘の様子がおかしいことに朱音は訝しみうしろをむく。千紘は少し暗く俯いていた。

「私、何もしていない。須洛には大事にしてもらっているし、里の人たちにもよくしてもらっている。京に居た頃よりもずっと良い暮らしをさせてもらっている」

 なのに、自分は何もせずにそれに甘んじている。

「私は何も力もない。何かできることをしたいのに、何もしていない」

 須洛に何かできることがないかと一度尋ねたことがある。

 すると彼は笑って何もしなくて良いと応えた。

 ただしたいと思うことをすればいい。それだけで満足なんだと。

「私が何もできないから……」

「姫、須洛はそんなこと思っていないわよ」

 朱音はそっと千紘の肩を抱き、自分の胸に押し付けた。

「須洛はね、ずっとあなたを想い続けていたの。あなたがここへ嫁いでくれた時、彼はとても嬉しそうにはしゃいでいた。あなたがここにいるだけで須洛は嬉しいし、私たちも嬉しいのよ」

「でも……」

「何かしたいのなら、それを今から探せば良いだけよ。大丈夫、姫はまだ若いんだもの。必ず姫にしかできないことがあるわ」

「……朱音さんはとても優しいですね」

 はじめて会った時はふざけた軽々しい女性だと思っていた。だが、今千紘をこのように温かく包み込んでくれる優しい鬼だ。

「まるで姉に抱きしめられているような感じ」

 千紘の知る姉は父の正妻の娘で、千紘を愛人の子として見下し嫌がらせをする女性であった。

 きっと仲のよい姉はこのような存在なのだろうと千紘は感じた。

「あら、私のことをお姉さまと呼んでも良いのよ?」

「いえ、それは遠慮します」

 それも悪くないと思うが何だかとても照れくさい。

 千紘の断りに朱音は残念と笑った。



   ◇   ◇   ◇



「言いたいことはわかった」

 千紘が夜更かししないことを条件に海に連れて行ってやるという案を須洛は応じた。

 しかし、同時に難色を示す。

「何故この時期に、……?」

「丁度良いじゃない。あそこには使者を送る予定だったし、あなたが行った方がてっとりばやいでしょう」

「それはまぁそうだが」

 だが、千紘を連れて行くのにどうも乗り気ではない。

「良いじゃない。折角夫婦になって間もなくなんだから、ここらで夫婦仲良く遠出すれば……」

「朱音、何か企んでいないか?」

「まぁ、ひどい。あんたが姫に構ってくれないと拗ねているから、お膳立てしてあげたのに。おかげで今日から姫は夜は写本しないで大人しく就寝するそうよ」

 さっさと行ってあげたらと朱音に急かされ須洛は言われずともと立ちあがった。



「す、須洛っ」

 まだ起きていた千紘は須洛が部屋にやってきて、起きあがる。

「ああ、そのままでいい」

 そう言いながら須洛は千紘の傍で横になる。久方ぶりの夫婦の同衾である。さすがに千紘は恥ずかしげに顔を袿で隠す。

「眠れないのか?」

「う……」

 時間が過ぎてもなかなか眠る気配のない千紘に須洛は笑いかける。最近まであれだけ夜更かしをすれば昼夜逆転してしまう。

「少し話をしようか」

「で、では……須洛の角について」

「俺の角?」

 そんなものを聞いて何か面白いのだろうかと須洛は首を傾げた。

 千紘は小鬼や朱音から聞いた角の話について語った。

「朱音さんが、須洛は一度角が折れたことがあると言っていました。でも、生えて……普通の鬼は角は折れたら二度と生えないと聞きました。本当ですか?」

「ああ。本当だ。俺の角が再び生えたのは、本筋に一番近い鬼だからな」

「本筋?」

「鬼には色んな種類があって族を形成しているが、元を辿れば同じ祖を持つ。まだどこかに存在している彼らを俺たち鬼は眞鬼まきと呼んでいる」

 眞鬼というのはそのままの意味で眞祖の鬼という意味。

 彼らは元はひとつの一族であったが時が経つにつれ、北と南に別れさらに枝族を形成していった。

「枝のようにいくつも鬼の一族が形成されていき、それを枝族しぞく、眞鬼の一族を大樹の幹と見立てている。眞鬼の鬼を樹と記す一族もいる程だ。大江山の鬼の一族は幾重の旅を経て、この山に辿りついて根を張るようになった。はじめに根をはり里を形成した祖はいずれこの山の主となり、死後は山の神として祀られている」

「この里に来て初めに挨拶をするようにと言われた社の神さま……」

「ああ、あの社は山の神となった俺たちの祖が祀られている。空閑御はその神に仕え、里の安寧を守る巫女。俺はその山の神の直系の子孫として棟梁として持ち上げられている」

「須洛は鬼で随分年とっているのでしょう? 直系の子孫とか祖て……その山の神は須洛より何代前の祖先なの?」

 千紘の純粋な言葉に須洛はぐさりと傷つく。確かに五百は軽く生きている須洛は千紘にとって年とっているといって正しいだろう。本筋の血を持つ鬼たちから見ればかなり若輩に近いが、三百が平均寿命の里の鬼たちに比べると随分長者である。

「何代前って五十三代前だったかな」

 何百年も長く生きている須洛からさらに五十代以上も前の話とは、まさにそれは神話の世界の話ではないか。

 千紘にとって想像できない世界である。

 そんなに長く続いていれば確かに多くの鬼の一族があっても不思議ではない。

「鬼の一族て須洛の一族と……この前の土蜘蛛の一族以外にもたくさんあるのね」

「ああ、今度行く海の村にも古くから鬼が住んでいる。まぁ、昔から俺の一族の傘下に入った一族だけどな」

 鬼の話を続ける須洛の話に耳を傾けながら、千紘は瞼が重くなるのを感じた。少しつらつらと目を泳がせながらも質問する。

「その鬼はどんな鬼なの? 怖い?」

 その瞬間須洛は苦笑いする。

「多分弱い。鬼の中じゃ最弱一族だよ。だから、他の強い鬼の一族の傘下に入って存続を図っていたんだ……。けど、その血筋も段々薄れて行って……姫?」

 千紘はいつの間にか寝息をたててすやすやと眠っていた。

 それに須洛は笑って、千紘の髪を愛しげに梳いた。

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