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紅葉鬼~鬼に嫁いだ姫~  作者: ariya
【2】鬼の里でのひととき
12/68

2.鬼と人

 町を出てからずいぶんと歩いた。伴をしてくれる鬼は編笠で額の角を隠し、ぱっと見普通の僧侶のように化けている。

 あの夜、魑魅に唆された床屋の主人から逃げ出した朱音はこの鬼とともに故郷へ帰る途中である。

 伴をしてくれる鬼の名は理柏りはくという。

 角以外なら見た目普通の黒髪黒目の人である。昨夜出会った紅葉髪の鬼・須洛とは随分対照的な物静かな雰囲気を持つ男である。

 口数はかなり少ない方なのか、ここまで歩いた道のり全く何も語ろうとしなかった。はじめはいろいろと喋っていた朱音もついに歩き疲れ何も言わなくなった。

 そうしているうちにしばらくして、適等なところで休むことになった。

 理柏は朱音に包みを差し出す。中にはにぎりめしが入っている。

「食べろ」

 朱音はおずおずとそのにぎりめしをひとつつまみ口に運ぶ。

「お前は、いくつだ?」

 改めて理柏の問いに朱音は首を傾げながら応える。

「十だけど」

「そうか」

 その表情はどこかしみじみとしていた。その表情はひどく柔らかく、鬼だということをうっかり忘れてしまいそうである。

「痩せすぎではないか?」

 理柏はそっと朱音の口端についた米粒を取る。それに朱音はかぁっと顔を赤くした。

「これでも、前よりはましになったよ」

 以前は食べるものに困っていたが、髪結屋で奉公に出てから一応人らしい食事ができるようになった。がりがりに痩せていたが、少しだけ肉のつきがよくなったと思う。たまに粗相をしては店の道具を壊してしまったりした日は食事抜きになったが、それでも村にいたときよりは食べられている。

「そうか」

 理柏はそれだけ言い、朱音がにぎりめしを食い終わったのを見てまた歩きはじめた。朱音は慌てて立ちあがり理柏の後を追う。

 もうじき朱音の故郷の村である。小さな村で土地柄作物が実りにくい。おまけに日照りがひどく毎年不作が続き、村の者たちは出稼ぎをしたり内職をしたりと食いつないでる村である。

「あそこがあたしの家」

 朱音は村外れの小さな小屋を指差した。そして改めて我が家の荒み具合に息を吐く。元からぼろぼろであったが、朱音が去る前よりもずっとひどい。

「お父さん、お母さん、開けて。あたしだよ」

 朱音がとんとんと戸を叩くと中から慌てて女が出て来た。朱音の母親である。やつれた母の顔を見て朱音はほっと安堵した。

 しかし、同時に顔を顰める。扉が開かれると同時にむわっと鼻につく異臭がしたからだ。一体中で何があったのだろうか。

 母は朱音の姿に茫然とする。

 奉公に出した娘がどうしてここに戻ってきたのだろうか。

 そんな表情である。


「久しぶりだな。理燈りとう

「あんたは……っ」


 理柏の顔を見て母はさぁっと顔を青ざめた。そしてふいっと顔を背ける。

「ずいぶん捜した。角を折って力を捨てることで、巫女たちの目を曇らせていたようだが」

 理柏の言うことに朱音は首を傾げた。角とは何のことを言っているのだろうか。

 わかるのは理柏と母はお互いのことを知っているということだ。

「どうしてここが……」

「偶然、棟梁がお前の娘を助けてな」

「っ……朱音、あんた、棟梁に、須洛様にあったのかい?」

「うん、とても綺麗な紅葉色の髪をしていた人でしょ」

 動揺する母に朱音はこくりと頷いた。それに母はさらに顔を青くする。

「それで、棟梁はなんと」

「すぐに里に戻るようにと」

 それを聞き母はぎっと理柏を睨む。それは拒絶を意味していた。母に鋭く睨まれた理柏は平然としていた。朱音はとても怖いと感じたのに。

「いやよ。私はここであの人と生きるの」

「理燈。お前の体は今限りない疼痛に苦しんでいるはずだ。その痛みを少しでも和らげる為に過去の罪を許し、里に戻るようにと言う棟梁の気持ちをわかってあげられないのか」

「恩義がましい」

 母はつんとそっぽ向く。それに理柏は溜息をついた。

「やれやれ、完全にあの男に毒されて」

「違う!」

 母は理柏の言葉を強く否定する。

「私は毒されてなんかいない。私はあの人と一緒にいてとても幸せなのよ。私をあの人から引き離さないで」

「………とてもそうは見えないが」

 理柏はちらりと家の周辺を見る。荒れ果ててとても人の棲家とは思えない。母の身につけてるものを改めてみるとぼろぼろで寒々しい格好をしている。肌は痩せこけており、かつては美人だった顔も今は影すらも感じられない。

 くぼんだ目は幽霊のようにも思える。

「ただでさえ角を失い、人よりもずっと短い寿命となったのに、こんな状態ではますます悪化する一方だ」

「余計なお世話よっ! 出てって」

 理燈は朱音の手を引っ張り家の中へ放りいれる。そして戸を閉じようとすると理柏はそれを止めた。

「しかも、少しでも生活が楽になる為に娘を奉公に出したというのに、このありさまか」

「放っておいて」

「奉公に出された娘は酷い目に遭ったんだぞ。下手をすれば魑魅に喰われていたやもしれない」

「……………、………っ」

 母は突然苦しみ出し、その場に屈んでしまった。

「お母さん、どうしたの!」

 朱音は急いで母に駈けよった。理柏はそっと朱音の肩に手を添える。

「発作だ。角を折った鬼は人以下の耐性能力しか持てない。理燈にとってこの外の空気すらも毒のようなものとなっているんだ」

「? どういうこと? お母さんには角はないはずよ」

 意味がわからないと朱音は首を傾げた。

「朱音、お前の母と私は双子だったんだ。私と同じ角があったんだ」

 角というものは鬼にとって大事なものである。

 角を持つ鬼は人よりも強靭な肉体を持ち、火の中や水の中にもある程度の耐性を持つ。傷や病も人よりもずっと治りが早い。

 だが角を失えば、鬼は人よりもずっと弱い生き物と化す。

 何でもない空気ですら息をすれば肺臓が過剰反応を引き起こし、呼吸困難に陥る。肌も荒れやすく、病にも感染しやすくなる。

 人よりもずっと長い寿命が、逆転して人よりも短い寿命と化してしまう。

 ある意味では角は心の臓よりも大事な器官なのだ。

 鬼によれば片方の角が折れてもすぐに再生させるものもいる。昔は角を失っても少し体が弱った程度のものもいた。

 だが、理燈・理柏並の鬼は角は一度折ってしまえば再生は不可能である。

 全ての角を同時に折るのは自殺行為に等しい。

 今現に角を失った理燈は肺臓をやられ、時折発作に苦しむようになった。

 それでも、十年生きられたのはかなりのものである。

 それを聞き、朱音は驚きを隠せなかった。まさか自分の母親が鬼だったとは。

 だが、今はそんなことどうでもいい。

 今朱音にとって重要なのは母のこの苦しみをどうにかしてあげたいということだ。

「お願い。どうしたらお母さんの苦しみは消えるの?」

「理燈、里へ戻るぞ」

 里に戻り、空閑御に診せるしかない。里の中で特に清められている場所でなら何とか苦しみを感じないで過ごせるだろう。

 そう言う理柏の言葉に理燈は頑として拒んだ。

「私はここにいるの。ここで、あの人の傍に……」

 あの人というのは理燈の夫で、朱音の父親のことだ。

「お父さんはどこ?」

 そう言うと理燈は家の中の一角を指差した。そこに藁と布団にくるまっているものがいた。こんな騒ぎだというのに、微動だにしない。

「……心労で倒れてしまってね。私がいなくなったらあの人の面倒をみる人がいなくなってしまう」

 朱音はおそるおそるその布団の方へ近づいた。娘が戻ってきたというのに、全く動かない。

 頭から足まですっぽりとくるまわれているものに手を触れようとするが、それを理柏が止める。 

「朱音、こちらへ来い。それに触れるな」

 厳しい口調である。それに理燈はきっと睨みつけた。

「それって何よ。私の夫に何てことを言うんだ。でてって」

「理燈、里へ戻るぞ」

「嫌よ。放して! 放さないと……」


 バシン


 鈍い音とともに理燈は身を崩す。

 それを理柏は支える。

「朱音、こちらへ」

 そう言いながら朱音を布団から離す。外の木の影に理柏を運び、そこで横にさせた。母親の傍で待っているようにと理柏が言い、建物の中に入って行った。

 どたどたと中で物音がする。

 決して中を覗くなと理柏に言われているので、朱音は不安になりながら外で待つ。ちらりと母の方を見ると、やはりずいぶんと痩せこけており、かなりの疲労が見てとれた。そして同時に彼女の首筋に黒い小さな影が見え隠れする。

 それに朱音は眉を顰めた。

 これは朱音にとって嫌いなものだ。

 それが何故母の首筋に隠れているのだろう。

 朱音は母の首筋の髪の中に手を突っ込んで、中から引きずり出した。それは黒い小さな影、そこに人の口だけが見えてけたけたと笑っている。

「お前、お母さんに何をした?」

 厳しく尋ねると影はけたけたと笑うのみである。

「言わないと、絞め殺してやるぞ」

 どこが首なのかわからないが、朱音は力強く影を握りしめた。すると影はようやく笑いながら応えた。


「別に何も、ただ棲み心地の良い場所だったから棲家にしていただけだ」


「今すぐ出てけ!」

 そう叫び朱音に影はけたけたと笑う。


「家の中に入らないの?」


 その言葉に朱音はぐっと唇を噛む。力を加えていた手が震え始める。それに影は面白そうに笑った。

「入ればいいじゃないか? お前の家だろう?」

「うるさい」

「何を怯えている? 何を怯えている?」

「うるさい!!」


 バシ


 手に激痛が走り朱音は影を離してしまう。ひりひりした手を撫で上を見ると理柏が怖い顔で影を睨んでいた。

「去ね」

 そう言うと影はささっと走って逃げて行った。

「魑魅と話すのはやめろ。お前のように弱い奴はすぐに付け込まれる」

 そう言いながら理柏は理燈を抱き上げる。

「行くぞ」

 突然そう言われて朱音は首を傾げた。

「行くてどこへ?」

「俺の里だ。お前の母親の故郷でもある」

 だから何も心配することはないと理柏は言った。

「このまま理燈をこのままにさせては苦しみながら死ぬしかない。せめて苦しみを和らげ、静かに過ごさせるのが一番だろう」

 それでも朱音は不安そうに家の方を見た。

「お、とうさんは?」

「……中には誰もいなかった」

 それを聞き朱音はぐっと唇を噛んだ。

 朱音はまだ幼い。だが、無知な子ではなかった。

 家の扉が開いた時に鼻についた異臭、すっぽり全身を布団でくるまれていたもの、そして理柏はそれを目に触れさせようとしなかった。

 既に父親はこの世のどこにもいないのだ。

 自分が奉公に行けば少しは生活が楽になるはずだったのに。それでも足りなかったのだ。

 家を守ることができなかった自分が歯がゆい。

 目を閉じると思いだす迎えに行くと言ってくれた父の声が切なく感じる。

 そうしているうちに朱音の瞳から涙が流れて来た。

 悲しさと悔しさが混ざった涙が大粒で落ちて行く。

 それに理柏は何も言わず後ろを向いた。

「今日中に里に行きたい」

 そう言い、理燈を右肩に担ぎ、開いた手を朱音に差し出した。朱音はごしごしと袖で顔を拭きその手を握る。

 するとすぐに理柏は左肩に朱音を担ぐ。

 須洛よりも小さな体躯だというのに、ずいぶんな力持ちである。

 そう朱音が感じる間もなく理柏は土を蹴り、村を駈けだした。風のように早く走る理柏の肩の上で朱音は小さくなっていく家を見つめた。

 誰もいないはずの家にふと人影が現れる。

 大人の男が遠のいていく朱音に苦く笑いかけていた。



 迎えに行ってあげられなくてごめんな。



 そう言っているように感じ、朱音はまた大粒の涙を零す。それがきらきらと風とともに流れ、日の光によって輝いた。


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