第89話 少年少女と授業参観(下)
結局、特殊クラスの面々の異常さを隠しきることなどできなかった。
エリザにしろ、その他のメンバーにしろ、少し戦えばその実力が他の生徒たちと桁違いであることくらい、素人目にも見てとれる。
むしろ、最初に災害級の『魔』を呼び出してみせたネザクの方こそ、その後の会場の混乱のせいもあり、保護者たちにはその異常さが伝わりきらなかったかもしれない。
そのため、アルフレッドやその他の教師たちは、保護者に対する説明に追われた。とにもかくにも、彼らは『特殊』であり、他の生徒たちが弱いわけではないのだと言い聞かせ、そもそも特殊クラスの面々は対魔王戦にも参加した英雄でもあるのだという、純然たる事実を伝えた。
それを聞いて大部分の保護者達は状況をようやく理解し、事態は収まったかに見えた。だが、それだけでは終わらない者もいる。それはもちろん、当の特殊クラスの生徒たちの保護者だ。
とはいえ、エドガーの母親は問題ない。彼女はイデオンの妻であり、息子の能力も活躍ぶりも事前の情報として知っていたからだ。同じくミリアナも、彼女と一緒にいたルヴィナの母も問題はない。
つまり、問題だったのは──
「エ、エリザが……救国の英雄、ですか?」
アルフレッドの学院長室に招かれたグレッグは、驚愕に声を震わせている。エリザの故郷の街は、エレンタード王国の中でも比較的辺境に位置している。そのためか、王都奪還の経緯については、未だに正確な情報を知り得ていなかったようだ。
「そうです。そして、正直申し上げれば……彼女はすでに、俺より強いです」
追い打ちをかけるようなアルフレッドの発言は、そのまま金づちで殴りつけたような衝撃を伴ってグレッグを襲う。
「ちょ、ちょっと、待ってください! い、いや、意味がわからない。確かにあの子は、うちの近所でも飛びぬけて力の強い子でしたが……五英雄のアルフレッド様より強い? ははは! そんな馬鹿なことがあるわけがありません。いやいや、冗談がお上手でらっしゃる!」
動揺のあまり、グレッグは相手の身分も忘れて言葉をまくし立てている。もちろん当のアルフレッドは、そんなことで気分を害するはずもなく、彼に対して同情的な視線を向けていた。
「駄目ですよ。グレッグ。アルフレッド様にそんな口を利いては」
一方のエリザの母は、いたって落ち着いた口調で夫の慌て振りをたしなめていた。
「お母様は驚かれないんですね」
「あら、まあ、そんなことはありませんわ。そんなに強くなってしまうなんて、あの子の将来が心配ですもの」
「……え?」
にこやかに言うマーサの言葉が理解できず、アルフレッドの目が点になる。
「あの子には、女の子なのだからもう少しお淑やかにしなさいと、昔から言っているのですけどねえ。いつもお転婆をやらかしてばかりなものですから、お嫁の貰い手が心配で心配で……」
困ったものだと言った顔で、頬に手を当て、ため息をつくマーサ。
「あ、ああ……そうですか」
アルフレッドから見たマーサは、穏やかな陽だまりのような女性だった。燃え盛る火の玉のようなエリザとは、まるで印象が違うとも思っていた。しかし、彼女のこうした『大物』ぶりを見るにつけ、やはり『この母にして、あの娘あり』ということなのかもしれないと思い直させられるのだった。
「……でも、相変わらず学業は苦手のようですわねえ」
手元に渡された資料を確認しながら、マーサがつぶやく。そこでようやく気を取り直したグレッグも隣からそれを覗き込み、うんうんと頷く。
「うん。まあ、あいつは昔から算数が苦手だったからなあ。うちの店番なんかも、普段からあいつじゃなくて弟のレオに任せてたぐらいだ。そういうところは、まだまだ変わってないってわけか」
自分の娘が自分の知らない存在になってしまったことを認めたくない。そんな心情が見え隠れするような言葉だった。だが一方、再びマーサが心配そうに口を開く。
「大丈夫かしら? この成績だと少し心配だわ」
独り言のようなつぶやき。そこでアルフレッドはようやく、自分の本分を思い出す。ここは一人の教師として、子供の成績を心配する親を安心させるための言葉をかけてやるべき場面だろう。
「心配いりませんよ。お母様。エリザには仲の良い友達もいますし、よく図書館で彼女に勉強を教えてくれてもいるようですから」
だが、そんなアルフレッドの気遣いに満ちた言葉がもたらしたものはと言えば──
「あら、まあ! あの子にそんなに仲の良いお友達が? 嬉しいわ! 早速紹介してもらわなくっちゃ!」
「うん、良かったじゃないか。それでこそ、入学試験費用を工面してやった甲斐があったってものだ。是非、会ってみたいものだな」
二人は顔を見合わせ、嬉しそうな笑みを浮かべて頷きあう。最後にアルフレッドに丁重礼を述べて、学院長室を辞していった。
しかし、娘の『友達』の紹介──それがエリザの父、グレッグの精神に更なる負荷をかけることになろうとは、この場の誰もが思いもしなかったことだろう。
──授業参観の後には、生徒とその保護者とが面会できる機会が設けられていた。と言っても、面談室のような場所で会うわけではなく、一定の自由時間に各自が好きな場所で会って話ができるというものだった。
そのため、多くの生徒たちは寮の自室などに親を迎え入れ、同室の友人と共にお互いの親とも言葉を交わし、そのまま流れで学院内の案内をするという形を取ることが多い。
しかし、エリザたちの場合、彼女の母マーサの「エリザのお友達なら、みんなを紹介してほしいわ」の一言もあり、クラスの全員の家族も交えて一か所に集まることとなった。
特殊クラスの面々が連絡を取り合って決めた集合場所は、学院校舎の教室のひとつ。授業もないということで、ルヴィナが学院側に掛け合い、特別に面談場所として使用許可を受けていた。
すでに教室には、全員が揃っている。特殊クラスのメンバーの他には、イリナとキリナ(二人は特別上級クラスに編入されている)のほか、なぜかリゼルも加わっていた。
「お久しぶりね。レイファ。元気そうで何よりだわ」
ミリアナは久しぶりに再会した旧知の相手に、親しげな声をかけていた。
「あはは! まあね。それより、うちのバカ息子が大分世話になったみたいだね?」
エドガーの母親、レイファ・バーミリオンは銀の獣耳をぴんと立てたまま、けらけらと笑う。ちなみに、彼女の手は現在、エドガーの耳を持ち上げ、引っ張り上げていた。
「いたたっ! 痛えって! 何しやがる!」
「ほら、それが母親に対する口の利き方かい? ……まったく、近くに女の子がいるからって、かっこつけようとしてんじゃないわよ。そんなんだから逆にモテないのよ、あんたは」
「う、うるさいなあ! ……って、いてて!」
「それに比べて、あんたの父さんはホント、かっこいいんだから。粗野で武骨で不器用で、口下手なのに、優しくって真心があって、何より上辺だけじゃない漢気ってものにあふれてる……あれこそ理想の男だわあ……」
うっとりと頬を染め、自分の夫に対する最大限の賛辞を口にするレイファ。
「うわあ……らぶらぶだねえ」
エリザが感心したように言う。
「く、恥ずかしいからやめろって言ってんのに……」
エドガーもこの母親には頭が上がらないらしい。顔を赤くしたまま項垂れている。
そんなやり取りを見つめ、グレッグは顔色を青くしていた。エドガーと言えば、英雄王イデオン・バーミリオンの子息である。そんな彼と親しげに言葉を交わす娘の姿が、いまだ信じられない。
そもそもこの場のメンバー自体、グレッグにしてみれば、一生縁がないだろうと思われる相手ばかりなのだ。バーミリオンの王族が二人、五英雄であるミリアナとその娘(及び『息子?』)、加えて同じくクレセントの支配者階級であろう月影一族の親子がもう一組。ルーファスにしても、外見からして希少な種族であるダークエルフなのは明らかだ。
「ところで、君がエリザちゃん?」
エリザの声を聞いて、レイファは興味津々と言った顔を彼女に向ける。
「え? エリザちゃんって……あはは。エリザでいいよ。レイファさん」
屈託のない笑みを浮かべ、敬語も使わず返事するエリザ。仮にも国王の妻であるレイファに対する娘の無礼な振る舞いに、グレッグの顔面がますます蒼白になっていく。しかし、レイファは、むしろ面白そうに笑みを深め、ついで息子の頭をがっちりと捕まえると、その頭に拳をぐりぐりと押し当てた。
「へえ……父さんから聞いてた通り、随分可愛い子じゃない。うりうり! エドガー、あんたもなかなかやるわねえ」
「な、何がだよ!」
母親の手からどうにか逃れ、息を荒くして叫ぶエドガー。
「え? だって彼女、アンタの恋人なんでしょ?」
きょとんとした顔でレイファ。一瞬の静寂の後、複数の悲鳴が上がる。
「ええ!?」
声の主は、エリザ、エドガー、そして……ネザクだった。
「あれ? なんだ、まだ違ったのか」
「な、なんでそんな話になってんだよ……」
「だって父さんがあんたがその子に気があるって言うし……いい加減、恋仲に発展してんじゃないかと思ってさ。でも、あたしの早とちりだったかな? うん。しっぱいしっぱい。あははは!」
「しっぱいしっぱい、じゃねえええ!」
同じく声を上げたエリザはと言えば、両親に目を向け、温かいまなざしを向けてくる母親に必死で首を振ってアピールをしている。視線による親子の無言の会話。瞬きを挟みながら続くやり取りで、どうにか母親を納得させたエリザだったが、ふと父親を見れば……虚ろな目で教室の窓を眺めているのが分かった。
「え、えっと……」
「いいのよ。エリザ。そっとしておいてあげて。いつものことだわ」
「え? あ、ああ! うん。わかった」
母親に言い諭されて、納得したように頷くエリザ。娘の非常識に現実逃避をする父親の姿は、エリザの家庭では『いつものこと』らしかった。
一方、思わずあげてしまった声を誤魔化すように、口元に手を当てたネザク。彼の背後に、いつの間にか忍び寄る影がある。
「うふふ……ネザクくん? 今の声、一体どうしたのかしら?」
「え? あ、リ、リリアさん……」
まずい相手に捕まった。ネザクの思いはそれに尽きる。リリアは彼の肩に優しく手を置く。そして、にんまりと笑う。人形のような可憐な少女の微笑みは、ネザクの背筋に悪寒を走らせた。
「二人が恋人同士だと、ネザクくんが困る?」
「あ、あう……」
蛇に睨まれたカエルのように、固まるネザク。
「うふふ。まあ、今日は許してあげますわ。せっかくの授業参観日ですもの。詳しい話は……あ・と・で・ね?」
「はうう……」
近い未来の『弄られ地獄』を想い、呻き声をもらすネザクだった。
一方、そんな少年を複雑そうな顔で見つめる少女が二人。イリナとキリナの双子姫である。彼女たちは、ネザクの母親であるミリアナの娘だという縁で、この場に参加している。クラスが別であるため、普段は特殊クラスのメンバーと行動が一緒になることも少なく、それゆえにエリザとの関わりも少ない。
「やっぱり、ネザクってば、あの子のことが……」
ぼそりとつぶやくイリナ。
「ああ、今の反応から見ると、そうなのだろうな……」
低い声で相槌を打つキリナ。
「……あ、あなたたち、早まらないでね?」
ミリアナは鬼気迫る娘二人の様子に、なだめるような言葉をかける。普段の二人のネザクに対する執着ぶりを見ているだけに心配だった。
「え? 何がですか。お母様」
しかし、異口同音に言う二人の顔は、普段と変わったところはない。だが、その直後。二人は揃って、先ほどのリリアのような、にんまりとした笑みを浮かべた。
「ああ……あんなに真っ赤になっちゃって。可愛いわ。うふふ! これからお姉さんが手取り足取り、しっかり恋愛の手ほどきをしてあげなくっちゃ!」
「ちょっと待って? イリナ、あなたいつからそんなに恋愛経験豊富になったの?」
「嫌ですわ、お母様。わたくしだって女の子です。恋の一つや二つ、頭の中で何万回とシミュレーションしているに、決まってるじゃありませんか」
──人それを、『妄想』と言う。
何を教えるつもりなのか? ミリアナは、背筋に走る悪寒に身震いする。
「くくく。これは是非、エリザさんとも仲良くさせてもらわなくてはなあ」
「キリナ? 彼女に何をするつもり!?」
「嫌だなあ、お母様。これからきっと、彼女が一番ネザクにくっつくだろう存在なんですよ? だったらわたしが、彼女とお近づきになれば……うふふ。そ、それに……子供だって……」
「やめて! なんだかわからないけど、お願いだから、それだけはやめて!」
ミリアナ・ファルハウト。月影の巫女の異名と共に、戦場で名を馳せてきた彼女は、このときはじめて、母親としての己の無力さを知ったのだった。
「ごめんなさい、ネザク。本当にごめんなさい……」
それはさておき、もう一人の母親の方は、皆の前に進み出て、ぺこりと軽く頭を下げていた。
「みなさん。エリザのお友達になってくれて、ありがとう。こうしてお話を聞いているだけで、すごく仲良くしてくださっているのが伝わってきて、本当に嬉しいわ」
ふわりと場の空気を包み込むような、穏やかな声。礼を言われた特殊クラスの面々は、気恥ずかしそうな顔をしている。
「いいえ、こちらこそエリザさんには色々、お世話になってます。それに……先輩との仲違いも仲裁してくれましたし、彼女の人柄には本当に助けられているんですよ」
「ええ。先輩でありながら情けない限りですが、彼女には教えられることが多いです」
ルヴィナとルーファスは流石に年長組らしく、礼儀正しく謙遜の言葉を返していた。
「良いお友達に、良い先輩方……エリザ。あなたって本当に幸せものね」
「うん! 母さんと父さんが、あたしをこの学院に入学させてくれたおかげだよ。ありがとう!」
マーサに優しく微笑みかけられ、エリザは嬉しそうに声を弾ませている。もう十五歳だとはいえ、それまでずっと家元で過ごしてきた少女にとって、肉親との久しぶりの再会は嬉しいものに違いない。
「ほら、あなた?」
「あ、ああ……。エリザ。俺は、その……魔法のことも剣術のこともわからないが……、ただ、これだけはわかる。友達って奴は、お前の人生の中で掛け替えのない財産になる。だから、大事にするんだぞ」
呆けたように現実逃避を続けていたグレッグも、さすがにここでは父親らしい顔をして見せた。
「うん!」
「よし、いい返事だ。……と、ところで、そちらのお嬢さんもお前の友達なのかな?」
久しぶりに会った娘との会話に戸惑うところも、男親らしいと言えばらしいのだろう。彼はなんとか間を持たせようと、先ほどからエリザの後ろに立っている黒髪の美少女に視線を向け、問いかけた。
先ほどから一言も言葉を発していない点が気になったということもあるが、何より、彼女だけは少々美しすぎることを除けば、『一般人』に見えなくもなかったからだ。
「あ、そうそう! あたしの一番新しい友達なんだ。だからどうしても紹介したくってさ。ここに来てもらったんだ。えっと、紹介するね」
エリザはそう言って、自分の斜め後ろに立つリゼルの背中に手を回し、前に押しやりながら両親に指し示す。するとリゼルは、『紹介する』の言葉に反応したのか、エリザが紹介するより早く、自己紹介の言葉を口にする。
「はじめまして。わたくしはリゼルアドラ」
「ええ、初めまして。わたしはエリザの母のマーサよ。よろしくね。リゼルアドラさん」
「……エリザの『母様』か」
にこやかに返事をするマーサに対し、何故かリゼルは目を丸くしている。一方、グレッグは妙な顔をした。
「リゼルアドラ? 随分と……その、変わった名前を付ける親御さんもいたものだな。確かそれって暗愚王の……」
伝説に名を残す、暗界第二階位の『魔』。それは星界において、多少なりとも教養がある人間なら、誰もが知っている存在だ。
「そう。わたくしは、暗愚王」
リゼルは淡々と、自分の正体を口にする。しかし、当然、そんな言葉をグレッグが信じるはずもない。面白い冗談を言う子だと思った。
「あはは。いやいや、君みたいな面白い子がエリザの友達で良かったよ。で? 本当のお名前は?」
「本当の名前? ……わたくしは、リゼルアドラ」
「へ? い、いや、でも、それは冗談なんじゃ……」
そこまで口にしたところで、周囲に流れる奇妙な空気を察したグレッグ。恐る恐る、エリザを見る。
「冗談じゃなくて、ほんとだよ」
からかわれているのだろうと思った。そこで彼は、大人であり、かつ事情を知っていそうなミリアナに目を向けた。すると彼女は、実に申し訳なさそうな、同情の視線を自分に向けてくる。
五英雄がそんな嘘を吐く理由もないだろう。それはつまり……
「ほ、ほんもの?」
自分の娘に、伝説級の『魔』の友達ができました。
衝撃の事実に、グレッグの視界が暗転する。
「わわ! 父さん! 大丈夫?」
娘の力強い腕に支えられながら、英雄少女の父は意識を手放したのだった。
──この後、目覚めた彼は、ミリアナの息子だというエリザの友達の少年が、かつて星界を震撼させた『魔王ネザク・アストライア』だと知り、同じ日のうちに再び気絶をさせられる羽目になるのだった。
次回「『ネメシス』~星の抱きし心の闇を」




