第86話 英雄少女と暗愚王
「あ、あはは……お邪魔してます。アズラル様」
部屋に入るなり、アズラルとアリアノートを丁重に招き入れたのは、栗色の髪を三つ編みにした可愛らしいメイドの少女だった。
「……えっと、ルカさん? なんで君らがここに?」
唖然とした顔でルカに問いかけるアズラル。その視線の先には、背筋を伸ばして相談室の椅子に腰かける、リゼルアドラの姿がある。
「は、はい。その、実は、御相談がありまして」
何故か言いにくそうな様子のルカ。
「まあ、立ち話もなんだし、まずは座ろうか」
そう言ってアズラルとルカを促したのは、アリアノートだ。自分はさっさと手近な椅子に腰かけ、興味深そうにリゼルの姿を見つめている。
「……で、相談だっけ? まあ、確かに僕は、ここで生徒相手のカウンセリングみたいなこともしてるけど、君たちは生徒じゃないしなあ」
「アズラル、そんな狭量なことを言うものじゃない。若人に頼られているのだ。人生の先達として相談に乗るのは当然だろう」
アリアノートは、もっともなことを言う。だが、この時点でアズラルには、今のこの状況が彼女の言う『若人』からの相談には当てはまらないだろうことが予測できていた。なぜなら……
「ほら、リゼル様。早く話しましょう」
無表情のまま椅子に腰かけるリゼルの肩を、つつくようにして催促するルカ。
「やっぱり、相談者はリゼルなんだね?」
やれやれと首を振るアズラル。一方、アリアノートは驚きに目を丸くしていた。暗界第二階位の伝説級とも呼ばれる『魔』が、学生よろしく学院の相談室に相談に来ているのだ。驚くなという方が無理な話だった。
「お師匠様。ひとつ、いいだろうか?」
リゼルはなぜか、ルカに向かって問いかける。
「え? なんですか?」
「リリアによれば、彼は『へんたい』なのだそうだ。『へんたい』というのは、死んでも直らない、つまり殺しても死なないものの総称らしいのだが、ならばここで、わたしが殺してみてもいいのだろうか?」
「ぶふ!?」
アズラルは思わず吹き出した。何と言っても『殺戮本能』の塊とも言われる暗愚王の言葉だ。思わず身構えるようにしながら彼女を見る。
「駄目ですよ。もう……リゼル様ってば最近、そういう物騒な冗談が多いですよね。それってあんまり受けませんよ」
「む、そうか……」
ルカは、そんなリゼルの言葉をさらりと冗談で受け流し、たしなめの言葉さえ口にする。
「彼女も中々、大物だな……」
「え? 何か言いましたか?」
「いや、なんでもない。とにかく、相談なら乗らないこともないけど、そもそもどうして僕のところに来たのか、聞かせてもらえるかな?」
気を取り直してそう言うと、ルカはゆっくり頷いた。
「実は、リゼル様の『悩み事』を聞いたカグヤ様が、それならアズラル様に相談するといいとアドバイスしてくださったんです」
「……ああ、そうね。はいはい。まったく、きっちり仕返ししてくるんだから、嫌になるよね、彼女は」
ようやく事態が飲み込めたアズラルは、呆れたように息をつく。
「それじゃ、気を取り直して。リゼル様? ほら、さっさと言っちゃってください」
ルカの敬語もリゼルに対しては、時々乱れることがあるようだった。
「……わたくしは、『少女』になりたい」
「は?」
思わず耳を疑うアズラル。
「わたくしは、『少女』になりたい」
繰り返すリゼル。
「いや、それは聞こえたんだけど……『少女』になりたい? いまいち、意味が掴み兼ねるんだけど……」
アズラルは訳が分からず、リゼルの傍らにいるルカに目を向ける。
「ええっとですね……まあ、要するにこの学院の生徒たちなんです」
「生徒たち?」
「はい。最近、ネザク様のファンクラブが勢いを増しているじゃないですか。特に女生徒たちの間では大人気になっていますし、皆に囲まれることも多いんです。……それでリゼル様……なんだか、その……やきもちを焼いているみたいで……」
自分で言っていて自分の言葉が信じられない。ルカはそう言いたげな顔をしている。
「……で、だから自分も彼女たちと同じ『少女』になりたいってわけかい?」
アズラルの言葉に、リゼルはこくりと頷きを返す。
「ぐふ!? ぶはははは!」
そこでとうとう、こらえきれなくなったアリアノートが吹き出した。
「あははは! これはいい! さあ、アズラル。多感な年ごろの少女から少女になりたいとの御相談だ。カウンセラーとしてはどう応えるつもりだ?」
「……ハニー。他人事だと思って。いや、僕はいまだかつて、これほどまでの難題にぶつかったことは無いよ……」
途方に暮れた顔になるアズラル。
「すみません。今回ばかりは、わたしもお手上げなんです。そもそも『少女』になりたいってなに? と言うところから厳しいですし……」
申し訳なさそうな視線を向けてくるリゼルの『お師匠様』。
「と、とにかく、まずは話を聞こう。リゼル。君は、その……『少女』になってどうしたいんだい?」
戸惑ってはいるものの、アズラルの問いかけは的確だった。そもそもルカのように、リゼルに対して『少女』の意味を問うても無駄なのだ。リゼル自身の望むこと、その要望の本当のところは何なのかを理解することが先決だった。
「ネザクといる時間を増やしたい。ネザクを喜ばせたい。ネザクを楽しませたい」
「なるほど。さすがはネザク……『無月の御子』は伊達じゃないね。いや、まあリゼルに関しては、それだけじゃなさそうだけど……」
感心したように頷くアズラル。
「他には?」
「……ともだち」
「え?」
「ネザクやリリアのともだち。『少女』になれば、それになれる」
「……それがやきもちってわけか。でも、それなら必要ないだろうに。君たちはもう友達だろう?」
「……わたくしは、リゼルアドラ」
「いや、わけがわからないんだけど」
「……わたくしは、暗愚王」
「……うん。わかった」
わかったと言いながらも、アズラルは信じられない気持ちで天を仰いだ。つまり彼女は、自分が『魔』であるがために、他の少女たち以上にネザク達と親しくなれないことを気にしているのだ。恐ろしく直感的な言葉しか言わないため、その気持ちを正確に洞察できるものなど、そうはいないだろう。ネザクやリリアには、少なくとも不可能だ。
だが、アズラルにはそれができる。カグヤが相談相手に指名したのも、意趣返しだけでなく、こうした意図があったのかもしれない。
「まさか、そんな風に思っていらしたなんて……」
アズラルが説明してやると、ルカは驚愕に目を見開いて絶句した。
「……で? 中々に深い悩みのようだが、どうするつもりだ?」
アリアノートがなおも興味深げに問いかけてくる。アズラルはしばらく悩んだ後、おもむろに顔を上げた。
「……ところでリゼル。君はネザクやリリアの名前は出すけど、彼らはエリザと一緒にいることが多いはずだよね? エリザとは友達にならないのかい?」
そう訊くと、リゼルはここで初めて表情を変えた。わずかに戸惑ったような顔だ。
「……彼女は、天敵だ。友達は難しい」
「うん。『星辰の御子』だもんね。……でも、だからこそ、君は彼女と友達になるべきだと思うよ」
「?」
リゼルは首を傾げる。
「『星辰の御子』とさえ友達になれるなら、君はりっぱに『少女』だろうさ」
逆説的な答え。少なくともそれは、単なる『魔』には不可能なことだ。それにエリザなら……とアズラルは考える。意外にも他人に対する鋭い観察眼を持つ彼女なら、きっとリゼルの心の葛藤を見抜き、その上で相応しい友達になってくれるに違いない。
しかし、この後の結果を見る限り、アズラルのその考えはある意味では正しく、またある意味では正しくなかった。
「……わたくしは、わかった」
アズラルの言葉をどう解釈したのか、彼女はこくりと頷きを返したのだった。
──その日は、リリアがルカやリラと共に街中にショッピングへと出かけたこともあり、エリザは一人で暇を持てあましていた。彼女自身、買い物自体は嫌いではないが、欲しいと思ったものなら即断即決、後悔しない。しても潔く受け入れる。そんなエリザの性格では、一般的な少女特有の長い時間をかけてのショッピングには付き合いきれないのだった。
「あーあ、暇だなあ」
学院の授業が休みのこの日、ぶらぶらと歩くエリザには行くあてもない。最近ではルカとリラが出かけるときは、エドガーがエレナのお守り役を任されているらしいのだが、なぜかエレナはエリザのことを異様に怖がるのだ。
昔から小さい子供には怖がられることの多かったエリザだったが、可愛らしい子供になつかれるエドガーを羨ましく思ってもいた。
「なんでかなあ……。あたしだって、優しいお姉さんのはずなんだけどなあ」
しきりに首をひねりながら歩くエリザ。
エレナのような物怖じしない子供までもが、この赤毛の少女を恐れる理由。それは、エリザがその身に秘めた強烈な光が、幼い子供にとっては眩し過ぎることだ。
そしてそれは、月界の『魔』が彼女を苦手とする理由にも、通じるものがある。
「あれ? リゼルじゃん。どうしたの? こんなとこで」
とはいえ、エリザ自身は相手が暗愚王であろうと、まったく気兼ねなく話しかけることができる。だが、話しかけられた当のリゼルは、緊張に身体を固くしているようだった。
「……これを」
いつもと変わらず無表情のまま、手に持ったものを差し出すリゼル。
「ん? これって……ゴミ?」
エリザは、彼女からガラクタのようなものを渡されて、目をぱちくりと瞬かせる
「ゴミではない。……作品番号九千八百八十一番『心を込めたけど、ぐっしゃぐしゃ』だ」
「うーんと……」
エリザは、自分の掌の大きさに収まる大きさのガラクタ──小石や小枝、枯草や泥などを一塊に固めたようなそれを見る。
「……よくわかんないけど、これ、あたしにくれるの?」
こくりと頷く闇色の髪の少女。相変わらず、紫紺の瞳には何の感情も見て取れない。
「……ありがと。でも、なんで?」
「お近づきのしるし」
「お近づき? ……心を込めたって言ってたっけ? じゃあ……」
不思議そうな顔をしていたエリザではあったが、次第にその瞳が輝き出す。
「あたしのために、一生懸命作ってくれたんだ?」
またしても、リゼルは頷く。何故かこの時のエリザには、外見上では自分と同年代の少女であるはずのリゼルが、まるで自分に懐いてくれた小さな子供のように見えていた。そしてそのことは、先ほどまでエリザが考えていたこととあいまって、彼女の心を大きく弾ませる。
「あはは! 改めてありがと。嬉しいよ。でも、今さらお近づきも何も、あたしたち、しょっちゅう一緒にいるじゃん」
そう言いながらも、エリザは自分があまりこの少女と言葉を交わしてこなかったことを思い出す。もっぱらリゼルは、ネザクやリリアと会話することが多かったはずだ。
「一緒にいるだけでは、足りない」
「足りないって、何が?」
「友達には、足りない。だが、同年代の少年少女なら、すぐに打ち解けるものだ。カグヤが言っていた」
言っていることがいまいち掴みきれない。それでもエリザは、彼女を理解すること諦めない。アズラルほどの論理的な洞察力は無くとも、他者に対して正面から向き合うことに掛けては、エリザは誰よりも真摯だった。
「……友達になるのに、年齢なんか関係ないと思うけどなあ。少なくとも見た目は同年代だし、気にすることないと思うし……そもそも、リゼルはもう、あたしたちの大切な仲間で、もちろん友達だよ?」
彼女が考えて得た結論は、リゼルが年齢の違いを気にしているのではないか、ということだった。しかし、それは正解に近くはあれど、正確ではない。リゼルはなおも首を振る。
「わたくしは、暗愚王」
アズラルはこの言葉で、リゼルが気にしているのは自分が他の少年少女と異なる『魔』であることだと看破した。しかし、エリザはと言えば──
「わたくしは、暗愚王? うーん、暗愚王って……暗くて、愚かで……って、愚か?」
このとき、エリザの脳裏に天啓が舞い降りた。
「そっか!」
──ただし、全力で間違った方向に
「…………?」
首を傾げる闇色の髪の少女に対し、エリザは、それはそれは温かく、思いやりのこもった笑みを向ける。自分にはもう、何もかもわかっているぞと言わんばかりに慈愛の目でリゼルを見つめながら、彼女の肩に優しく手を置く。
「……む? なにか?」
さすがに不思議に思ったのか、リゼルが尋ねる。対するエリザは、うんうんと頷きながら、何度もリゼルの肩を叩いてやっていた。
「……大丈夫。大丈夫だよ、リゼル。お前はあたしが護るから! 頭が悪いからって、気にすること無いよ。あたしだって、リリアに散々馬鹿にされてるけど、それでもどうにかやってこれてる。だから……リゼルは一人じゃない。あたしがいる。一緒に、頑張ろうな!」
自分の言葉に自分で感極まったのか、エリザはとうとうリゼルの身体を正面からしっかりと抱きしめてしまっていた。
この時この瞬間、エリザの中でのリゼルの立ち位置は、『自分より頭の出来が悪い可愛い妹分』に確定してしまったのだった。
一方、ふいに抱きしめられたリゼルはと言えば、いきなりの出来事に当惑していた。だが、そんな中で彼女にも理解できたことがある。
自分が渡した『芸術作品』をエリザが喜んでくれたこと。そして、『魔』にとっての天敵であるはずの彼女が、自分を護り、自分と一緒にいると誓ってくれたこと。
「……暗愚王リゼルアドラは、あなたを生涯、敵とせず、友とすることを誓う。この星界にともに在り、染めず染まらず同化せず、けれど『ひとつ』の魂として……」
静かに厳かに宣言するリゼル。自分が暗愚王であることを全く恐れもせず、気にも留めないこの少女に、リゼルができる最大限の感謝の言葉だった。
「おいおい、他人行儀だなあ。あたしのことは『あなた』じゃなくって、エリザって呼んでくれよ。友達だろ?」
だが、そんな彼女の決意に満ちた宣言も、英雄少女はあっさり軽く受け入れる。そしてそれだけにとどまらず、するりと心理的な距離さえも詰めてくる。
「わかった。……エリザ」
「うん。それでよし! じゃあさ、じゃあさ! なんかして遊ぼうよ。あたし、暇してたんだよねえ! 良かったよ、つるめる友達がいてくれてさ」
太陽のような笑みを浮かべる赤毛の少女。
暗界第二階位にして、伝説級の『魔』──暗愚王リゼルアドラは、この時、英雄少女エリザ・ルナルフレアに完膚なきまでの敗北を喫したのだった。
次回「第87話 少年魔王と不良少女」




