第85話 少年魔王とレジスタンス
──学院に帰還したネザクたちを出迎えてくれたのは、学院長のアルフレッドだった。だが、執務机の前に立つ彼の顔は憔悴しきっており、ぐったりと疲れたようにうなだれていた。
「ふふん。その分だと、随分お灸が効いたみたいね?」
カグヤが意地悪く笑う。するとアルフレッドは、すがるような目を彼女に向けた。
「……カグヤ、頼むからもう二度と、こんな真似は止めてくれ。お願いだよ」
「何よ。あんたが悪いんでしょ?」
「……そうかもしれないけど。そうかもしれないけど! そうかもしれないけどさ……あれは、あんまりだ。あんまりだよ」
彼は頭を抱え、唸るように繰り返す。さすがにその様子を不審に思ったカグヤは、彼の隣に立つエリックへと問いかけの視線を向ける。
「……言うことは何もない。黙って体育館に行って来い」
エリックはげっそりと痩せ細ったような顔で、カグヤに向かって力無くつぶやく。
「な、なに? どうしたのよ。いったい……」
「うーん。よくわからないけど、とりあえず行ってみようか?」
ネザクの言葉に、一同は頷きを返し、学院長室を後にする。
「長かった。長かったなあ……この二日間」
カグヤたちの後姿を見送った後、アルフレッドは柄にもなく応接のソファにどっかりと腰を下ろし、背もたれに身体を投げ出して息をつく。そんな彼に、エリックは呆れたような目を向ける。
「ひとつ、聞いてもいいか?」
「なんだい、エリック」
気安く言葉を交わし合う二人。
「ネザクを入学させたこと、後悔してるんじゃないか?」
「……いや、間違ったことをしたとは思っていないよ」
「それは否定の言葉じゃないけどな」
「はは……。君こそ、日々これ後悔ばかりって顔をしてるよ?」
「ほっといてくれ」
どうやらここ二日間の苦難を共にした二人は、お互いに親近感を覚えたらしく、友人にも近い関係を構築しているようだった。
一方、エリックに言われた通り、体育館へと向かうカグヤたち。施設の名称は『体育館』だが、その建物は学院内で最も巨大なものである。主に全校集会などが開かれるときに使われることが多い。
「そう言えば、帰ってきてから全然他の生徒たちを見かけないわね」
ルヴィナは周囲を見渡しながら、今さらながらにそんな事実を口にする。
「……わたくし、なんだか嫌な予感がしますわ」
リリアの索敵能力をもってしても、この学院内すべてが把握できるわけではないが、それでもこの人の少なさは異常だった。
「…………」
「えっと、どうしたの? カグヤ先生。なんだか顔色が悪いみたいだけど……」
一同の先頭を歩くカグヤの前に回り込み、その顔を覗き見るエリザ。だが、カグヤは無言で首を振るばかりだ。
そのまま学院の本校舎から外に出て、渡り廊下を歩いていると、見覚えのある顔に出くわした。
「あ! アズラル先生」
エドガーが真っ先に声をかける。
「やあ、みんな。お帰り。……リゼルも無事に目覚めたみたいで何よりだ」
アズラルはいつもの飄々とした雰囲気を崩すことなく、笑って言った。その言葉に、ネザクの隣を歩いていたリゼルがぺこりと頭を下げる。
「なんだか、不思議な気分だねえ。伝説の暗愚王に頭を下げられるなんてさ」
「……アズラル。お前なら知っているんじゃないのか? いったい今、この学院では何が起きている?」
「やあ、ハニー。挨拶が遅れてごめんね。お帰り。無事でいてくれて嬉しいよ」
「……む。まあ、それはともかく、どうなんだ?」
にこやかな顔のアズラルに、アリアノートはわずかに頬を赤くして問いかけを繰り返す。
「あはは。まあ、何と言うか、面白いことが起きてるよ。エリックもエルムンドも頑張って説得はしていたみたいだけどねえ。肝心の君たちの姿が学院内に無いんだ。難しいよね」
「や、やっぱり……」
「おや? どうしたんだい?」
にやにやと笑うアズラルは、不安げな顔のカグヤに意地悪な視線を向けた。そんな二人の様子に、アリアノートはますます訳が分からず、目を瞬かせている。
「なんだ? なんなのだ、いったい?」
「まあまあ、ハニー。行ってみればわかるさ」
アズラルはそれだけ言うと、アリアノートの後ろに回り込み、その背中をぐいぐいと押すようにして歩き始めた。
「こ、こら、押すな!」
やがて、彼らは辿り着く。
学院の体育館──もとい、『レジスタンス軍作戦本部』に。
「な、なにこれ?」
エリザがぽかんとした顔でそれを見上げていると、
「大したものだな。看板までお手製だぞ」
ルーファスが感心したような声で言う。
施設の入口上部には、ここが作戦本部であることを示す看板が掛けられている。そして、その入り口では今もなお、濃い紫の魔術師用ローブを身に着けたエルムンドが『交渉』を続けていた。
「もういい加減にしてくれないか? 彼らなら、もうすぐ帰ってくる。き、君たち一部の生徒たちのせいで、通常授業さえままならない状況が、もう二日は続いているのだぞ?」
「一部の? 何を言ってるんです、副院長先生。いまや我らが『レジスタンス』の規模は、学院生全体のおよそ八割を超えているんですよ? となればこれはもう、学院の総意です。一刻も早くネザクくんたちを呼び戻してください」
「だ、だからと言って、アルフレッド様の所有物でもある学院の施設を不当に占拠していいと思っているのかね? これはれっきとした犯罪だぞ?」
「であれば、官憲でもお呼びになったらどうですか?」
「ぬぐぐぐ……」
がっくりと肩を落とすエルムンド。全校生徒の八割の逮捕者を出した学院など、存続自体が危ぶまれるに決まっている。生徒たちはそれがわかっていて、そんなことを言っているのだ。実のところ、八割の生徒の中には、単に面白がってイベントのつもりで参加している者たちも多数いる。だが、面白半分だとしても仲間意識による連帯感は本物だ。
この二日間、エルムンドとエリックは交代で説得に当たっていたものの、まったくと言っていいほど進展はなかった。
「……凄いことになってるね」
「う、うん。……どうしよう」
エリザとネザクは思わず顔を見合わせた。一方カグヤは、顔に手を当てながら喚き散らしている。
「いくらなんでも、こんなのわたしだって予想できなかったわよ。まさか、ネザクの人気がここまで凄いものだったなんて……って、じゃなくって! これ、おかしいでしょ? 何でレジスタンス? どうして籠城するわけ? ここの生徒たち、絶対馬鹿でしょ!?」
とはいえ、いつまでも唖然としてばかりはいられない。すぐにエルムンドの元に駆け寄り、状況を説明する。作戦本部の門番を務めていた生徒たちは、ネザクたちの姿を見つけると歓喜の声を上げ、すぐに中へと案内してくれた。
エルムンドは心身に限界をきたしたのか、へたりこむように腰を落としている。さすがに放置するわけにもいかず、年長組のルヴィナとルーファスが彼に付き添う。そして、残りのメンバーが体育館に入った、その時だった。
「うおおおお!」
大歓声が響き渡る。ハチマキに横断幕、立札にゼッケン。色々と趣旨を履き違えたお祭り騒ぎにも近い状態の彼らが、一斉に入口に詰めかけてきた。
「わわ! ちょ、ちょっと待ってよ!」
戸惑うネザクに真っ先に駆け寄ってきたのは、ファンクラブの会長及び副会長の二人だ。
「ネザクくん! 退学になったなんて、嘘だよね?」
「戻ってきてくれたんだよね?」
二人の問いかけに、それまで大騒ぎだった体育館内が、しんと静まり返る。自然とネザクに集まる視線。ネザクはそんな雰囲気に狼狽えながらも、どうにか頷く。
「う、うん。大丈夫。退学になったりはしてないよ。だから、これからもよろしくね」
次の瞬間。割れんばかりの歓声が、再びあたりを包み込む。
「やった! やったぞ! この闘争は、我らの勝利だ!」
「ばんざーい! ばんざーい!」
異様な雰囲気に包まれる会場を見て、エリザは呆れたように頭を振った。
「……ネザク。世界征服の日は近いんじゃない?」
「あはは……。う、嬉しいことは嬉しいけど、ちょっと怖いような……」
頬を掻いて引きつった笑みを浮かべるネザク。すると、そんな彼の元に会場内から駆け寄ってくる人影があった。
「お帰りなさいませ! ネザク様」
「お帰りなさいです! ネザク様!」
ルカとリラ、二人のメイド少女だった。彼女たちはいつもと同じメイド服に身を包んでいるのだが、何故か頭には『ネザクファンクラブ』の鉢巻きを着けていた。
「え? 二人とも、どうしてここにいるの?」
と訊けば、ルカがにこやかに笑って答える。
「決まっています。ここは、ネザク様を退学にさせないための作戦本部なんですよ? 当然、ネザク様のメイドであるわたしたちは、ここで給仕をさせていただいていました」
「籠城戦ですから、補給係も必要だったんです」
隣ではリラも胸を張って答えている。
「これはアルフレッドたちも攻めあぐねるわけね」
二日間の籠城戦。
とはいっても、生徒たちの出入りは自由だった。しかし、作戦本部にいれば、可愛らしい二人のメイドが甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるのだ。そんな噂は瞬く間に学院内に広まり、それを聞きつけた生徒たちが、自主的に『籠城』を希望することも多かったらしい。
「で、でも、二人がここに詰めてたんじゃ、エレナはどうしたの?」
リールベルタ王国のお姫様。御年三歳の幼女の面倒は、ルカとリラ、二人の少女が交代で見ていることが多かったはずだ。
「ああ、エレナ様ならイリナさんとキリナさんに預けてあります」
「二人とも立場上参加できないとは言ってましたけど、その分、裏では色々と協力してくれたんですよ」
どうやらこの籠城戦の裏には、色々と協力者がいたようだ。
「だ、だったら、わたしだけのせいじゃないわよね」
自分に言い聞かせるように言うカグヤ。するとそこへ──
「それでも、カグヤ姉様が主犯格には違いないにゃん……」
「シュ、シュリ? あなた、どうしたの?」
遅れて入口から入ってきたシュリの姿に、驚くカグヤ。
「……エリックおじさまのために、昼夜を問わず作戦本部周辺の人払いを続けてたの」
「……ご、ごめんなさい」
さすがに謝るカグヤだった。
目の下にクマをつくったシュリは、眠そうにあくびを繰り返している。実際、こうして生徒たちが騒ぎを起こしていることが外部に伝われば、それだけで学院の信用問題に繋がりかねない。人の口に戸は建てられないにしても、目撃者を増やさないことが必要だった。
「でも、シュリとしては、久しぶりにおじさまの役に立てたから良かったにゃん。これで任務完了だし、褒められに行ってくる!」
眠気を吹き飛ばすように笑い、シュリは元気よく駆け出して行った。
「さて、カグヤ。帰ってきてばかりで悪いけど、君にはこの事態の収拾に、もう少し力を貸してもらうよ?」
そう言って笑うアズラルの後ろには、ルヴィナとルーファスに助け起こされたエルムンドの姿がある。
「……わ、わかったわよ。やればいいんでしょ、やれば!」
カグヤは、不貞腐れたように言った。
──ネザク達が帰還したことにより、その闘争に幕を下ろした『レジスタンス軍』。
だが、一度燃え上がった火種はそう簡単に消えはしない。奇妙な籠城生活を通じて生徒たちは連帯感を高め合い、共通の目的に向けて行動を共にすることの楽しさを知ったのだ。
元々が危険な入学試験を乗り越えてまで英雄にならんとする、血気盛んな少年少女の集団である。ありあまる若さと情熱を持て余した彼らは、次なる目的を求めた。
求めたと言っても、そもそも『それ』はすぐ目の前、それも簡単に手の届くところにあった。なぜなら、彼らが集まった目的は、『それ』に端を発するものであり、『それ』こそがこの集団の中核をなしていたからだ。
結果、それまで一部のコアなファンのみで構成されていた集団『ネザクファンクラブ』は、その構成員を学院全体のおよそ半数近くにまで増大させ、学内の最大勢力と化してしまったのだった。
ネザクが校内を歩くだけで、ファンクラブの大半を占める女生徒たちが指を差して黄色い声を上げ、一部の男子生徒までもが彼の姿を目で追いかける。
そんな異様な雰囲気と化した学院内を、一組の男女が歩いていた。
「で? アズラル。お前は結局、この騒ぎの中で何をやっていたんだ?」
「やだなあ、ハニー。決まってるじゃないか。僕は僕で事態の収拾に全力で当たっていたんだよ。決してアルフレッドがミリアナに虐められたり、エリックやエルムンド副院長があたふたしたりしているのを見て楽しんでいたわけじゃあないさ」
「……楽しんでいたのはいいとして、わたしが聞きたいのはその先の話だ」
アズラルの軽口に、アリアノートは表情一つ変えずに応じている。
「つれないなあ。……ま、さすがに君は誤魔化せないか。僕のハニーだもんね」
「いい加減にしろ。さっさと話せ」
声の調子も表情も先ほどまでとは変化がないが、アリアノートの頬は若干赤みが増したようだ。
「今回の霊賢王の狙いについて、少し調べてみた。まあ、アクティラージャへの事情聴取が大半だったけどね」
「で? 何がわかったのだ?」
「まあ、その件に関しては、大したことじゃないよ。霊賢王の影が星界に『投影』された原因は僕や兄上が造った『亡霊船』だったのだとか、その霊賢王は兄上に宿った状態でリリアに子供を孕ませて星界に『生まれ』ようとしていたのだとか、……そんな話はささいなことさ」
「……いや、全然ささいなことじゃないぞ。それでは諸悪の根源がお前であるようにしか聞こえないし、リリアの件に至っては、耳を塞ぎたくなるようなおぞましい話じゃないか」
呆れたように首を振るアリアノート。二人が廊下を歩いていると、いまだ『英雄』に幻想を抱く少年少女たちが憧れの眼差しを向けてくる。
「そうでもないさ。……まあ、アクティラージャが僕らに協力的で良かったよ。色々と重要な話が聞けた。その点については、ネザクには感謝しないといけないね」
「つまり、まだ話には続きがあると?」
「……大禁月日」
アズラルはそれだけつぶやく。
「なんだって?」
「禁月日を超える『災厄』の日だそうだよ。アクティラージャの話によれば、それが訪れた時、月界の『魔』は、自由自在にこの星界に顕現できるようになるらしい。想像してごらんよ。……災害級を初めとする無数の『魔』が一斉に星界に自然顕現して、暴れまわる様をさ。……ほら、さっきの話なんて、ささいなことだろう?」
それこそまるで、世界の終わりみたいじゃないか──アズラルは肩をすくめてそう言った。
「……そうだな」
さすがのアリアノートの顔にも、暗い影が差す。だがそれも、一瞬のことだ。二人は顔を見合わせ、異口同音に呟く。
「『あの子たち』がいなければ──」
災害級をまとめて圧倒する化け物じみた少年と少女。彼らの存在は、『大禁月日』という未曽有の事態でさえ、冗談に変えてしまいかねない。
「けれど、『大禁月日』の発生には、条件がある。……その条件とは、ほぼ一定の周期でこの星界に現れる『星辰の御子』の魂を月の神に捧げることだ。そしてその『星辰の御子』というのが……」
「エリザのこと、か?」
「さすがは、ハニー。『星辰の御子』という言葉だけでよく連想したね」
「いや、禁月日にアクティラージャと戦った時、あいつが彼女を意識していたことを思い出しただけだ。……だとすれば、今後はリリアではなく、エリザが狙われる恐れがあるわけだな?」
「まあ、エリザを見ればわかるけど、御子は『魔』にとっての天敵だ。ましてやアクティラージャによれば、彼女は歴代の『星辰の御子』の中でも破格の力の持ち主なんだそうだ。心配はないさ。実際、過去に『星辰の御子』の魂を神に捧げることができたのは一度だけらしい」
「……だが、一度でもそんなことがあれば、この星界は終わっていたはずだろう?」
「そこがまた面白いところでね。数百年前、『星辰の御子』の魂が捧げられたのは、『白月』の神だ。だからこの星界は、幻界の『魔』に蹂躙されて、真っ白に『漂白』されて、それこそ滅びてもおかしくなかった。だが、それを止めたのが……君たちが命懸けで助けてきた相手だったのさ」
「助けてきた相手……? まさか、リゼルアドラ?」
驚きで目を丸くするアリアノート。
「もちろん、暗界の『魔』として、ライバルを排除することが目的ではあったんだろう。実際、彼女自身の力によって星界にもたらされた被害も並大抵のものじゃない。でも……それでも結果として見れば、彼女はこの星界の『救世主』だったのかもしれないねえ」
アズラルが学院のカウンセラーとして使用している相談室。二人がその扉を開くと、中には闇色の髪の少女、リゼルの姿があった。
次回「第86話 英雄少女と暗愚王」




