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少年魔王の『世界征服』と英雄少女の『魔王退治』  作者: NewWorld
第2部 第1章 愛されまくりの魔王様
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『マハ』~その手の花を輝く蒼に

 砕けたのは、空だった。むろん、『砕けた』と言っても、見渡す限りの空がそうなったわけではない。頭上の空間のうち、ごく一部の景色がまるで鏡のように砕け散った。そうとしか言いようのない、奇妙な現象が起きていた。


「リゼル……いったい何を……」


 カグヤは、状況を理解できないままにつぶやく。しかし、ぞわり──と背筋に悪寒が走る。まるで凍りついたかのように、身体を動かすことができない。

 

「……うう」


 空に生まれた亀裂からは、不気味な闇が見えた。

 深淵の蒼き闇の奥から……ナニかがこちらを覗いている。


〈おやおや……ククク! 愚かな……。何をしようとしたのかは知らぬが、暗界ではなく霊界と星界を結び付けようとはな〉


 だが、カグヤが気付くことのできたものに、霊賢王は気付かない。慣れ親しんだ気配がゆえに、それがいかに特別なものなのか、気付くことができない。


「……嘘でしょう? まさかこれが……第一階位? こんなものが来たら……それこそ世界の終わりだわ」


 存在そのものが世界に匹敵する化け物。

 世界の化身。存在としてあり得ない存在。

 カグヤの脳裏には、そんな言葉ばかりが並ぶ。


〈これこそ渡りに船と言うものだ。これでわたしは余計な手間などかけずとも、この星界に顕現できる……〉


 霊賢王はそう言って、頭上に走る亀裂へと手を伸ばそうとする。

 しかし、その時だった。


「う、あああああ!」


 それまで虚ろな目をして立っていたリリアから、耳をつんざく悲鳴が上がる。見れば、頭を抱える彼女の指先からは、長く伸びていたはずの紅い爪が消えていた。


〈な、なんだと? いったい何が……〉


「く、う……」


 リリアの全身を覆う、蒼い燐光。それは霊賢王の頭上にある蒼い闇とは、似て非なるものだった。


「……懐かしい色」


 リゼルは眩しそうにその光を見つめ、小さくつぶやく。


〈な、何なのだ? この光は……〉


 リリアは、虚ろだった瞳に複雑な感情の色をたたえ、ゆっくりと霊賢王へと向き直る。そして彼女の口からは、彼女のものではない言葉が歌うように紡がれる。


〈ああ、懐かしい。美しく曇りなき月の霊光。其は我が魂を潤す水〉

〈ああ、愛おしい。眩しく輝かしき星の烈光。其は我が魂を焦す炎〉


〈こ、この声は……マハ様? これが……神の声なのか?〉


「花嫁はマハの夢。かの死神は、百年を幾度となく繰り返す。いつの日か、無垢なる魂の『写し身』を、自身の『あこがれ』を……その手に抱かんがため」


 リゼルは両手を掲げて立ち尽くしたまま、平坦な声で霊賢王に告げた。


〈暗愚王。君は何を知っている?〉


 だが、霊賢王の問いに、リゼルは答えない。ぐらりと倒れかけた彼女の身体を、ようやく動けるようになったカグヤが支えた。


「『星心障壁』を破壊するなんて無茶よ。取り返しのつかないことになったら、どうするつもり?」


「わたくしは、亀裂を入れただけ。それでもなお、神の声は彼らに届く……」


 そこまで言って、力を使い果たしたのだろう。リゼルは意識を失った。

 月界と星界を隔てる『星心障壁』を破壊する力。暗愚王だけの特異魔法、《星の抱きし心の闇を覗くモノ》。この世界の在り方を象徴するようなこの魔法は、今のリゼルが使うには、あまりにも強大過ぎるものだった。


「星の心さえ侵食する特異能力──《星心黒月》。霊賢王の束縛から彼女を解放するためだけに、まさか貴女がそこまでするなんて……」


 カグヤは呆れたように息を吐いた。どうやら思った以上にリゼルは、リリアという少女に入れ込んでいるらしい。


〈……わたしが知る限り『第一階位』が……冥府の死神マハ様が顕現されたことなど、霊界においてすら聞いたことがない。なのに、なのに……!〉


〈『花嫁』に、蒼き穢れは不要である〉


〈い、いえ……決して、そんなつもりでは……!〉


 慌てて弁明の言葉を口にしようとする霊賢王。だが、当の相手は虚空を見つめたまま、彼の言葉など耳に入らないかのように続けた。


〈あの日、届かなかった憧れの君。……写し身の乙女よ、その手の花を輝く蒼に。今はただ、我が手に『理想の花』が届く日を待つ……〉


 リリアの口から漏れ出ていた、この世ならざるモノの声。それは、この言葉を最後にぶつりと途切れる。と同時、糸の切れた操り人形のように倒れ込むリリア。気づけば、空に開いた亀裂はすでに閉じていた。


「リリアさん!」


〈……動くな〉


 慌てて駆け出そうとするカグヤを、冷ややかな声が押しとどめる。


「ミナレスハイド……」


〈愚者は我だったようだ。……『魔』の有する『染色本能』の在り処。それが今の神の言葉で理解できた。……だが、だからなんだ。我らは神の被造物だが、操り人形ではない! わたしは『己の意志』で、この星界を支配する。そうだ……『真月』こそが、我らの真の神なのだから!〉


 強烈な支配欲──『支配本能』ともいうべき意志を放つ彼には、すでにエルスレイ・エクリプスという人間の面影は残っていなかった。蒼い短髪に金色の瞳を輝かせた長身痩躯の男。顔立ちこそエルスレイに似ていなくもないが、彼の全身から放たれる威圧感は、まるで別物だ。


「……本体が顕現したの?」


〈あの程度の亀裂では、完全とはいかぬがな。……神の顕現には驚いたが、所詮は暗愚王も力不足だったということだ〉


 彼の言葉ひとつ、身動き一つで、周囲のあらゆる器物がうごめく。木々が草花が大地が空気が、あらゆるものが彼の意に沿い、揺らぎ続ける。


 星をも支配する、霊賢王ミナレスハイドの特異能力──《絶体王星》


〈不完全な神の意など関係なく、『真月』のためにこそ、わたしはこの星界を蒼く染め抜く〉


 霊賢王は、決意に満ちた声で宣言する。それを聞きながら、カグヤは倒れたままの二人の少女に目を向けた。


〈よそ見をしている場合か? それとも、我が力の前に絶望したか? ならば『わたし』を畏れ、『わたし』を敬え。心まで蒼く染まるがよい〉


 世界が歪む。もはやまともには立っていられないほどに地面がうねり、周囲の空気さえ奇妙に淀んだ気配を漂わせている。霊賢王の意志ひとつで、世界そのものが彼女たちに牙を剥くだろう。状況はまさに、絶体絶命と言えた。


「……リゼルは本当に悪い子ね。いつからわたしに無断で、こんなことをするようになっちゃったのかしら」


 そんな危機的状況を無視するように、つぶやくカグヤ。すると霊賢王はそのことに興味を示したように、問いかけの言葉を口にした。


〈考えてみれば不思議なものだな。貴様は何者だ? なぜ暗愚王を従えている?〉


「さあ? 知らないわ。でも、一つだけ言えることは……わたしが今、とっても怯えてるってことくらいかしら?」


〈なに……?〉


 おどけたようなカグヤの言葉は、さすがに鵜呑みにはされなかったようだ。いぶかしげな顔をする霊賢王。


「わたし、あの子があんなに怒っているところを見るの、初めてだもの」


 ちらりと視線を横に向けるカグヤ。

 その視線を追うように、霊賢王はそちらを見る。


「…………ねえ、お前さあ……何やってるの?」


 学院の制服を身にまとい、古びた錫杖を持つ一人の少年が歩いてくる。


〈何者だ? 我が結界を越えて、どうやってこの領域に侵入した?〉


「質問してるのはこっちだよ。お前は、何を、やったんだって、訊いてるんだ」


 先ほどから繰り返される問いかけの声は、酷く冷たく、無感情で無機質なものだった。だが、爛々と紅く輝く眼光の鋭さを見るまでもない。少年は、かつてないほどに怒っていた。


〈……そうか。貴様が第五階位の裏切りを引き起こした原因か。ならばその報い。ここで受けさせてやろう〉


 霊賢王は少年に向かって、右手を一振りする。詠唱の言葉も何もない。ただそれだけで、風に生まれた無数の刃が少年に迫る。


「発動……《天魔法術:無月の強化呪法》」


 低くつぶやくようなネザクの声。響くと同時、彼の姿が搔き消える。


「カグヤ。遅れてごめんね。……そっちの二人は大丈夫?」


〈なに? いつの間に……〉


 だが、霊賢王が気付いた時には、少年はカグヤの傍で心配そうに二人の少女を見下ろしている。


「……ええ、どうにかね。でも、大したタイミングじゃない。よくここがわかったわね」


「うん。アクティちゃんが教えてくれたんだ」


 霊界第五階位の『魔』であるアクティラージャは、学院内に出現した霊賢王の気配を感じ取り、真っ先にネザクにそのことを伝えていた。


「……色々と幸運が重なった結果ってわけね。まあ、わたしの日頃の行いがいいからでしょうけど」


「いや、ないない。それはないから」


 全力で首を振るネザク。だが、今回の件は、偶然イリナとキリナがこの学院に転入してきた後だったからこそ、アクティがこの学院に居合わせることができ、ネザクに知らせることができたのだ。その意味では、運が良かったのだと言えなくもない。


〈……霊賢王たるわたしを侮辱するか。幸運が重なった、だと? 片腹痛い。塵芥ちりあくたに過ぎぬ者どもが、我が《絶体王星》を前に生き残れるとでも思っているのか?〉


 身体をわななかせ、怒りに震える霊賢王。そんな彼の怒りに呼応するかのように、あたりに凄まじい暴風が吹き荒れはじめる。そして、周囲の樹木や岩石を巻き込んだ暴力的な力の渦は、霊賢王の腕の動きに合わせるかのようにネザクへと殺到する。


「……発動、《天魔法術:無月の妨害呪法》」


 ネザクは、手にした錫杖を一振りする。すると、ただそれだけで、ネザクに迫る力の渦は、その軌道を大きく逸らされ、あらぬ場所へと直撃する。地面が激しく抉れた様子を見る限り、単なる岩や樹木の重量によるものとは思えないほどの威力だ。


〈……防いだだと? ……否、我が支配力が阻害されている?〉


 異変を感じ、驚きの声を上げる霊賢王。彼の意のままに動くはずの星界。それが彼の意に反し、周囲の事象を思うままに操ることができなくなりつつある。


「うるさいなあ。僕はお前に、質問に答える以外のことを許したつもりはないよ。いいから答えなよ。彼女たちに何をしたの? 何をしようとしていたの?」


〈許したつもりはないだと? 星界の民ごときが……〉


「よくもリリアさんを……。リゼルやカグヤまで危ない目に遭わせてくれて……」


〈黙れ……〉


 霊賢王の振り上げる腕の動きに合わせ、地面から巨大な岩の蛇が生み出される。大きく開いた口の中には、鋭い鋼鉄の牙が並び、煮えたぎるマグマでできた赤い舌が顔をのぞかせる。


〈万物を意のままに操る我が力、その身で思い知るがいい〉


 高く掲げた腕を霊賢王が振り下ろすと同時、大蛇は恐ろしい勢いでネザクに襲いかかり、その小柄な体躯を丸のみにせんと迫る。


「邪魔」


 ネザクは短くつぶやいて、手にした錫杖を蛇の牙へと叩きつける。霊賢王が生み出した『石の大蛇』には、先ほどの暴風と同様、強力な魔力が込められている。にも関わらず、大して威力があるようにも見えないその一撃は、蛇の身体を粉々に打ち砕き、中に渦巻いていたマグマまでをも霧散させる。


〈……我が『真月』を吸収しているのか。やはり貴様は、この星界における異端児だな〉


 今度は驚くことなく、霊賢王は落ち着いた声音で言う。


「もう、いいや。お前には質問に答える頭もないみたいだしね。……僕の大事な友達を酷い目に遭わせたお前は、僕が徹底的に『磨り潰して』あげるよ」


 小柄で可愛らしい少年の姿。にも関わらず、その声には聞く者の背筋を凍りつかせるような凄まじい迫力が感じられた。


「……ホントに怖いわね。でも、リリアさんも大したものだわ。リゼルだけじゃなく、ネザクにまでこんなに好かれているんだもの」


 もう自分の出る幕は無いとばかりに、呑気な言葉を口にするカグヤ。


〈……忌々しい。いや、禍々しいと言うべきかな。アクティラージャが虜になるのも頷ける。だがそれも、王たるわたしには意味を持たぬ。『魔』の本能をもてあそぶ貴様のような『異端』は、わたしがこの場で滅してくれよう〉


 霊賢王は、ネザクに向かって憎悪の視線を向けている。だが、ネザクの方は、既にそんな言葉など聞いていなかった。


「よいしょっと……」


 霊賢王は、強力な霊戦術ポゼッションの使い手である。星界そのものに魔力を憑依させた彼は、周囲におけるあらゆる事物や現象を手に取るように察知する。それはもはや、予知ともいうべき次元に達した神域の力だ。


 だが、それでも──反応できなければ意味がない。


〈な! ごが!〉


 真正面から頬を殴り飛ばされ、苦痛の叫びと共に吹き飛ぶ霊賢王。


〈馬鹿な……今のが人間の動きなのか?〉


「あのさ……僕、『もう、いいや』って言ったよね? お前、しゃべんなくていいよ」


 その声は、頬を押さえて起き上がった霊賢王の背後に響く。傍で見ていたカグヤにも、目で追いかけきれないほどの高速移動。


〈ぐぎゃ!〉


 後頭部に強烈な回し蹴りを叩き込まれた霊賢王は、地面に顔から突っ伏してしまう。


〈ぐ! こ、こんなことが……まさか、ここまでのものとは……〉


「あれ? まだしゃべるの? 僕、お前の悲鳴以外は聞きたくないなあ」


 酷薄に笑いながら、そんな言葉を吐くネザク。


〈げばああ!〉


 うずくまる身体に、下からすくい上げるような蹴りが入る。華奢で小柄なこの少年の、どこにそんな力があるのかと思えるような一撃だった。常人なら身体が裂けていてもおかしくはないが、さすがにそこは霊界第二階位の『魔』だ。頭上高く浮き上がりこそしたものの、五体は一応の満足を維持している。


 だが、それが彼にとっての幸せだとは、到底言えそうもない。


〈げほ! ぐは! がああ!〉


 宙に浮いたまま、身体をくの字に折り曲げ、海老反りに反らせ、苦痛の叫びを上げ続ける霊賢王。ネザクの手にした錫杖が振るわれるたび、鈍い音が辺りに響く。


「リリアさんはさ……僕に勉強を教えてくれたんだ。ちょっと怖いところもあるけど、すごく優しい人なんだよ。仲の良い友達とああやって騒いだり、一緒に勉強したりするのって、いいよね。僕はそういうの、今までしたことなかったから凄く嬉しかったんだ」


 ネザクは錫杖を振り下ろす。その一撃で霊賢王の身体は大地に叩きつけられ、半ばまでめり込んでしまう。


「リゼルは、いつだって僕の傍にいてくれた。頼れるお姉さんみたいで、でも、なんだか手のかかる妹みたいで……。僕を大事にしてくれて、僕のためになら何でもしてくれた。時々やり過ぎなところもあるけれど、それでも僕は、そんな気持ちが凄く嬉しかったんだ」


 ネザクはぐったりと動かない霊賢王の襟首を掴み、その身体を引き摺りあげて、その顔を覗き込むように紅い瞳を向ける。


〈おのれ、まさかこれほどのものとは……。いったい、どれだけの奇跡が重なれば、貴様のような化け物が生まれるというのか……〉


 脱力しきった身体を引き摺り起こされた体勢のまま、霊賢王は悔しげにネザクを睨む。


「……まだ、そんな顔ができるんだ? じゃあ、いいことを教えてやるよ。僕はね、魔王なんだ。そして、『だからこそ』……僕は僕を愛してくれる人たちのためなら、何でもやる。お前は、この僕が、肉片一つ残さずに、徹底的に磨り潰す」


 気の小さい人間なら、その目を見ただけで、その声を聞いただけで、泡を吹いて気絶するだろう。傍から見ているだけのカグヤですら、そう確信できるほどの圧倒的なプレッシャー。


「……これはちょっと、ルカやリラあたりには見せられないわね」


 思わずそんな言葉をつぶやくカグヤ。


「う、う、うああああ! ひ、ひいいい!」


 そのとき、突然、それまでとは違う声の悲鳴が上がる。


「え? なに?」


 カグヤが驚いて目を凝らすと、いつの間にか霊賢王の姿に変化が起きていた。


「あれは……エルスレイ?」


 ぼろぼろの貴族服を身にまとう黒髪の青年。ネザクに襟首を掴まれ、怯えたように目に涙を浮かべた彼は、それまでとはまるで別人のようだ。


「ん? あれ? 姿が変わった。……えーっと、どういうこと?」


「ひ、ひい……。れ、霊賢王ならもういない! あれはもう、ここから逃げたんだ! だ、だから、俺を離してくれ!」


 首をかしげるネザクに向かって、涙ながらに訴えるエルスレイ。


「……どうやら本当みたいね」


「ねえ、カグヤ。聞いていい?」


「なあに?」


「この人、リリアさんを酷い目に合わせた件とは関係ないのかな?」


 エルスレイの襟首から手を離し、カグヤを振り返るネザク。エルスレイは恐怖のためか、尻餅をついたまま動けないようだ。


 一瞬、カグヤは言葉に詰まる。この返答次第でエルスレイの命運は決まるだろう。仮にも一国の王だ。軽々しく殺すべき相手でもない。だが、前回はアズラルの手前もあって、あえて情けをかけた結果、今回の事態を招いたのだ。


「いいえ、おおありよ。だって、そいつ。自分で霊賢王の影を受け入れた挙句、その口車に乗って自分の意志で彼女をさらいに来たのよ?」


「……ふうん」


 冷たい視線でエルスレイを見下ろすネザク。


「ま、待ってくれ! 違う! 違うんだ!」


「大丈夫。弱い者いじめは趣味じゃないから」


「え? そ、それじゃあ……?」


 エルスレイは、思いがけないネザクの言葉に顔を輝かせる。


「──だから、なるべく苦しまないように、磨り潰してあげるよ。何と言っても僕が目指すのは、『皆に好かれる魔王』なんだからね」


「ひいいい!」


 叫ぶエルスレイ。だが、その声はカグヤの《闇》が吸収する。


「ネザク。彼は王族よ。わかってる?」


「うん。安心して。証拠になるような死体モノなんて、欠片も残さないから」


 可愛らしい少年は、無邪気に笑って言う。


「なら、いいんだけど」


 カグヤはカグヤで、こともなげにそう返事をするのだった。




──ネザクによる『磨り潰し』が終わってから間もなく。


「ん……く、うう」


 地面に寝かされていたリリアがようやく目を覚ます。


「リリアさん! 大丈夫?」


 ゆっくりと身体を起こすリリアに、心配そうな声をかけるネザク。


「あれ? ネザクくん? どうしてあなたがここに?」


 きょとんとした顔をするリリア。脇からカグヤが事情を説明してやると、今度は悔しげな顔で唇を噛む。


「……情けないですわね。カグヤ先生やリゼル、それにネザクくんにまで助けられてしまうなんて……」


「今回は仕方がないよ。リリアさんが悪いわけじゃないんだし、相手が悪かったんだからさ」


「……あ。いえ、それより、ごめんなさい。お礼を言うのが先でしたわね。ネザクくん。わたくしを助けてくれて、ありがとう」


 弱っているためか、普段より儚げに微笑を浮かべるリリア。それでも彼女の笑顔は、輝く月のように美しい。


「あ、う、うん。どういたしまして」


 ネザクは照れたように頬を赤らめ、しどろもどろに返事を返す。


「うふふ! ネザクってば、意外と浮気性なのかしら?」


「ええ? な、何言ってるんだよ!」


 カグヤの意地の悪い言葉に、真っ赤になって抗議の声を上げるネザク。だが、カグヤは口元に手を当てて含み笑いを返す。


「リリアさんの笑顔に見惚れてたくせに。エリザとリリアさんだなんて、両手に花もいいところよねえ?」


「だ、だから違うってば! だ、だいたい、なんでここでエリザの話が出てくるんだよ!」


「あれえ? 今さら何を言っているわけ? あなた、彼女が気絶しているのをいいことにこっそり愛の告白を……」


「わああああ! それは違うんだってばあああ!」


 突然始まった姉弟の漫才めいたやり取りに、思わずぽかんとしてしまったリリアではあったが、次第に笑いがこみあげてきてしまい、最後にはとうとう吹き出してしまった。


「ぷふ! うふふ! あははは!」


「あ! リリアさん! 笑い事じゃないんだってば!」


「うふふ。ごめんなさいね。……それより、ちょうど良かったわ。このままわたくしの部屋に『お着替え』を一緒に取りに行きませんこと?」


「え? ちょ、ちょっと、リリアさん? 何を言ってるんでしょうか?」


 何故か敬語になるネザク。


「何って、最初からそういう予定だったでしょう? ちょうどエリザとわたくしは同じ部屋ですし、彼女にも見てもらいましょうよ」


「い、いや! ちょっと待って? ほ、ほら! 今日はこんなに大変なことがあったわけだし……。だから、ね?」


「うっふっふ。わたくし、ルカさんから良い言葉を教えていただきましたの」


「え?」


 嫌な予感に身を硬直させるネザク。


「『それはそれ、これはこれ』ですわ!」


「……なんか最近、こればっかりだあああ!」


 声を張り上げて叫んだ後、ぐったりと肩を落とすネザク。


 この時の彼らは、気付いていなかった。

 彼らの傍らで横たわるもう一人の少女。暗愚王リゼルアドラが、依然として目を覚まそうとしないという事実に。

第2部第1章最終話です。

次回、登場人物紹介を挟んで第2部第2章となります。

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