第74話 魔王一味と英雄の学院
ちなみに、ルーヴェル英雄養成学院始まって以来の中途編入生、ネザク・アストライアは特殊クラスに所属することになった。歳こそ入学時の規定年齢に達していないとはいえ、彼の実力からすれば当然ともいえる措置だ。しかし、なによりの問題は、『魔王』が英雄養成学院に入学したという話題性にあった。
アルフレッドはネザクが魔王であることを隠すことなく公表したため、一時は大変な騒ぎとなった。ルーファスのおかげもあって生徒たちに被害こそ出なかったものの、学院を半ば崩壊寸前まで追い込んだ恐ろしい魔王が編入してくるというのだ。恐れられないはずはない。
だが、ネザクに対する印象は、学院の復旧工事を自発的に手伝っていた生徒たちを中心に、徐々に変化を見せ始める。最初こそ遠巻きに見ていた生徒たちではあったが、彼が驚くほど可愛らしい少年であることがわかると、今度は彼が『魔王』であることを疑うものが出始めたのだ。
やがて勇気ある数人の生徒たちが、廊下を歩く少年に恐る恐る話しかけることとなる。それは復旧工事が終わり、学院で通常授業が始まってから一週間後のことであった。
「ね、ねえ、君。君ってネザク君だよね?」
びくびくとした声。だが、声を掛けられた当の本人は、そんな生徒たち以上に緊張した様子で答えた。
「う、うん……。そ、そうだよ。その……よろしくね」
「…………」
もじもじと身体を揺すり、頬を染める少年。学院指定の制服を男女間違えて着用しまっているのではないかと疑いたくなるような、可憐で可愛らしい立ち姿。声をかけたその生徒は、相手が自分と同じ男であることも忘れ、思わず見惚れてしまう。
「あ、あの……僕、なにか変なこと言ったかな?」
「へ? あ、いやいや! こちらこそ、よろしくな」
「うん!」
「か、可愛い……って、いたた!」
嬉しそうに笑う少年を見て、ますます頬を緩ませていたその男子生徒は、隣にいた女子生徒からひじ打ちを喰らい、脇腹を押さえてうめく。
「ちょっと、クリス。何を見惚れてるのよ……。え、えっと、ネザクくん? ちょっと聞きたいんだけど、いいかな?」
だが、そんな言葉を口にする当の女子生徒自身、うっとりとした顔で甘く囁きかけるような声を出していた。
「う、うん」
緊張の面持ちで頷くネザク。
「多分、私たちが聞いた噂が何かの間違いなんだと思うんだけど……ネザクくんって、魔王なの?」
「そうだよ」
軽く頷く少年。女子生徒は目を丸くするが、すぐに気を取り直して質問を続ける。
「で、でも、それってその……クレセント王国を占領したり、国境線で五英雄と互角の戦いをしたりした、あの『魔王』とは違うんだよね?」
「ううん。違わないよ」
「う……。じゃ、じゃあ……この学院を襲撃したのも……?」
女子生徒が念押しのようにそう訊くと、一気にネザクの顔が曇る。
「……ごめんなさい。僕のせいで皆の学校が壊れちゃって……。それに僕、皆のことを危うく傷つけるところだったんだ……。本当に、ごめんなさい」
今にも涙を浮かべそうな顔で謝るネザク。声をかけた生徒二人も、そんな少年の姿に、彼が魔王本人であるという確信を持たざるを得なかった。とはいえ、目の前の少年の『破壊力』は、そんな事実など軽く吹き飛ばすだけのものがあった。
「ほ、ほら、レナ。駄目じゃないか。ネザク君が可哀そうだろ?」
「う、うん。ご、ごめんね、ネザクくん。わ、わたしたち、そんなこと全然気にしてないから。ね? だから、そんな顔しないで」
動揺も露わにネザクを慰めはじめるこの二人は、かつて『禁月日』に外出して、死霊の女王に拷問されかけたところをアリアノートに救われた、例の二人組だった。
「ほ、本当?」
「ええ、本当よ」
「じゃ、じゃあ、これからも僕と仲良くしてくれる?」
「あ、当たり前だろ? 君はもう、この学院の仲間なんだぜ」
「仲間……か。うん! ありがとう!」
天使のような笑みを浮かべるネザク。レナとクリス、二人の生徒は別れの際、ぶんぶんと大きく手を振ってくれた少年を夢見心地で見送った
かつて、自分たちの無謀さゆえに危うい目にあったこともある二人の少年少女。だが二人はこの瞬間、自分たちの勇気の報酬として、ルーヴェル英雄養成学院の『ネザクファンクラブ』会員番号1番と2番という、栄えある称号を手に入れることになったのだった。
──改めて言うまでもないが、ルーヴェル英雄養成学院は『学校』である。つまり、どんなに桁外れな実力を持つ子供であれ、勉学に勤しまねばならない身には変わりない。
「……理不尽だ」
「なんですの? 藪から棒に」
例のごとく、放課後の時間を使って図書館にたむろするエリザとリリア。だが、今日の目的はリリアがエリザに勉強を教えるためではない。リリアいわく、それは『無駄なことで残酷なこと』なのだそうだ。
受付を見下ろすことのできる中二階に置かれた閲覧机。その上に突っ伏すように頭を乗せているのは、エリザである。彼女は納得がいかないと言った顔で、ぶつぶつと何かをつぶやいている。一方のリリアは、そんな彼女に呆れたような視線を送っていた。
「リリアさんって、すごく頭がいいんだね。教え方も上手だし」
「うふふ、どういたしまして」
横合いからかけられた声に、にこやかな笑みで応じるリリア。
「言っておきますけど、エリザ。わたくしは貴女の時と教え方を変えたりはしていませんわよ?」
「……そうかもしんないけどさ。でも、熱心さは違うよね?」
ネザクの隣に付き添い、彼の手元のノートに手を添えるようにして、練習問題の解き方を次々と指南しているリリアの姿に、非難するような目を向けるエリザ。
「当然です。ネザクくんって、すごく吸収力があるんですもの。教え甲斐もあるってものですわ」
そう、今日はネザクのための勉強会である。
ネザクはこの学院に来るまで、カグヤから最低限の教養を教えられてきた。とはいえ、学校で習うような体系的な学問の形ではなかったため、彼が授業についていけないことを心配したカグヤは、エリザたちに勉強を教えてくれるよう頼んだのだった。
「なんだよ。それじゃあ、あたしが悪いみたいじゃん」
「いいえ、あなたは悪くありませんわ。悪いのは、あなたの頭ですもの」
「リリアって、相変わらず酷いこと言うよな……」
「あははは!」
リリアの毒舌に笑い声をあげるネザク。
「あ、こら、ネザク。あんまり大声を出すと追い出されるぞ」
エリザが珍しく、たしなめる側に回る。だが、案の定、そこにいつもの司書の先生が姿を現す。一階受付から中二階への階段を上がってくる彼女を見て、エリザは身を固くした。
「ほら、言わんこっちゃない。どうする? このままじゃ、出禁になるぞ」
眼鏡をかけた目つきの鋭い女性の司書は、ある意味、エリザの天敵にも近い人物だった。図書館で静かにすることの必要性を延々と理詰めで諭された時の記憶を思い出し、身震いするエリザ。
が、しかし──
「そこの君。図書館では大声を上げてはいけませんよ。ほら、お菓子をあげるから、静かにしてね?」
エリザに対しては鬼のように厳しい形相を見せていた彼女は、ネザク少年にとろけるような笑みで話しかけ、手にした飴玉を彼の手の中に押し込むように渡してきた。
「ご、ごめんなさい。そ、その、ありがとうございます」
「いいえ。どういたしまして。いい子で勉強するのよ?」
「は、はい」
司書の先生は、ネザクの金髪の頭を一撫ですると、そのまま何事もなかったかのように歩き去っていく。
「…………」
「…………」
後に残されたのは、渡された飴玉を手に呆然としたままのネザクと、無言のまま彼を見つめる二人の少女。
「え、えっと、やっぱり、図書館では静かにしないとね?」
静まり返った場の雰囲気を変えようと、ネザクが言う。
「やっぱ理不尽だあああ!」
「……『魔王』恐るべし、ですわね」
叫ぶ少女とつぶやく少女。
本来なら、再び司書の先生に注意されそうな場面ではある。しかし、机を囲む『四人』のうちの最後の一人がネザクからの目配せを受け、音を吸収する闇を周囲に広げていた。
「……ありがと。助かったよ」
「どういたしまして、ネザク」
学院の制服に身を包み、癖のない黒髪を肩のあたりまで伸ばした紫紺の瞳の美少女。凛とした佇まいにクールで知的な顔立ちをした彼女は、学院内ではすでに注目の的だった。
実際、制服に身を包む彼女の姿を見て、恋に落ちた男子生徒たちが彼女の所属するクラスを探して回ったりもしたが、見つけることができないでいる。それもそのはず、彼女は制服を着ているだけで、正式にはこの学院の生徒ですらない。
そんな少女の名は、リゼルアドラ。
暗界第二階位にして、『暗く愚かな絶望の王』の名で知られる伝説級の『魔』だ。
彼女はネザクたちの傍に自然にいられる方法をカグヤに尋ね、結果としてこの姿になることを選んでいた。何故かネザクだけでなく、『この三人』の傍から離れようとしない彼女の行動には、カグヤも訝しく思ったものの、もともと意図など読めないのが彼女、暗愚王である。
「……それにしても、あなたも良く分かりませんわね。ここまでついて来て……別に勉強がしたいわけではないのでしょう?」
リリアがそう訊けば、彼女は軽く小首をかしげる。
「心配ない。わたくしも同じ」
「え?」
返答さえ意味不明だ。だが、リゼルはエリザを見て、頷くようにこう言った。
「彼女と同じで、わたくしには『勉強』というものが何なのか、わからない」
「え? ああ、なるほど。確かに、それならエリザがここにいることだって、不思議ですものね。よくわかりましたわ」
納得したように頷くリリア。
「いや、そこ納得する場面じゃないよね!? あたしだって、そこまでのレベルじゃないよ!?」
叫ぶエリザの声は、またしてもリゼルの闇に吸い込まれていくのだった。
──魔王陣営の面々は、学院内に様々な立場で留まることになった。
まずは、ルカとリラである。ネザクのメイドという立ち位置こそ残してはいるものの、彼女たち二人は現在、学院内の食堂や学生寮などでアルバイトのような形で働いていた。
今やトレードマークと化したメイド服姿は学院の生徒たちには大変な人気となっており、彼女たちが敷地内を歩いていると、男女を問わず、気さくに声をかけてもらうことも多くなっている。
彼女たちとしても、これだけ多くの同年代の少年少女が集う場所は珍しいらしく、良い友人を見つけようと積極的に彼らとの交流を深めてはいたが、それでも特に仲が良いのはリリアだった。二人は年下であるはずの彼女を姉のように慕い、休日には良く行動を共にしている。おかげで学院内でも比較的恐れられる立場であったリリア自身にも、特殊クラス以外の友人たちが増えてきたほどだった。
エリックはと言えば、復旧工事の際に見せた手腕を買われ、それ以上に意気投合した結果もあって、学院経営を取り仕切るエルムンドを補佐する立場となっている。カグヤいわく、彼は『何でも屋体質』だからちょうどいいのだとか。
そんな心無い魔女の言葉を本人がどう思うかは別として、今日も今日とて、彼は学院の事務室の一角に陣取り、魔王を入学させたことに伴う諸々の問題を解決するべく奮闘していた。
そしてシュリは、そんな彼の手伝いを続けていたが、事務仕事となれば大して手伝えることがあるわけでもない。結局、エリックの勧めもあって、研修生のような扱いで学院の授業を見学したり、参加したりすることを許されていた。
時々、特殊クラスのメンバーであるエドガーに喧嘩を吹っ掛けたりもしているせいか、シュリの存在は、『怖いモノ知らずのちょっと変わった可愛い子』として、生徒たちの間では有名となりつつあった。
ただ、問題はエレナだった。そもそもリールベルタ王国の王女である彼女は、人質……というより、ネザクの印象をあの国に根強く残すという目的のために同行させてきていたのだ。国では父親であるダライア二世が彼女の帰りを待っているはずであり、もはや意味を失くしたその目的を思えば、彼女の帰国は考えてしかるべき選択肢である。
エリックもカグヤもその点では考えが一致し、彼女を祖国に帰そうとした。だが、なぜか当の本人がそれを激しく拒絶したのだった。
「いや! わたしはネザクお兄ちゃんと一緒にいたい!」
「で、でも、お父さんはどうするの? 帰らなくちゃ、心配してるわよ?」
カグヤが困ったように言い諭すも、エレナは激しく首を振る。
「ネザクお兄ちゃんと一緒じゃなきゃ、帰らない!」
彼女にしては珍しく、目に涙まで溜めて抵抗を続けた。ついには、そんな彼女の姿に同情したルカやリラ、さらにはネザクと言った面々がエリックとカグヤを説得し、ダライア二世には事情を説明した手紙を送ることとしたうえで、エレナの帰国は後日ネザクにリールベルタへ訪問する余裕ができてから、ということで落ち着いたのだった。
そして、カグヤである。
彼女はその日、自分の目の前に居並ぶ生徒たち見つめ、大きく溜め息をついた。黒衣黒髪の美女が物思いに沈むように息を吐く様子に、生徒たちがうっとりと見惚れるような視線を送っているが、彼女にはそれに気づく余裕もない。
「く、うう……ネザクの入学を許してもらった借りがある手前、断れなかったわ」
教壇の上に立ち、黒魔術に関する講義を続けるカグヤ。はっきり言って柄ではないし、慣れない仕事に彼女自身、珍しく緊張していた。
「カグヤ先生、どうしたんですか?」
「え? ううん。何でもないわ。大丈夫よ」
先頭に座る生徒から心配そうに声を掛けられ、にこやかに笑いかけるカグヤ。彼女はそのまま黒板に目を向け、手にしたチョークで黒魔術対策の基礎についての板書を続ける。その後ろで、彼女に笑いかけられた生徒は、顔を赤らめてうつむいていた。
「……だいたい、どうかしてるわよ。世間から忌み嫌われる黒魔術師を講師にするだなんて、何を考えてるのかしら」
内心で呟き続ける彼女は、教室の後方でにやにやと自分を見ている黒衣の賢者に憎々しげな視線を返す。黒霊賢者アズラルは、すでにこの学院の教師として何度か教鞭をとっている。そのため、今回もいわば教育実習における先輩教師役のような役回りを買って出たらしいのだが、カグヤにしてみれば嫌がらせ以外の何物でもなかった。
「カ、カグヤ先生、質問があるんですが……」
「え? ごめんなさいね。なにかしら?」
嫌々ながらに講義を続けるカグヤ。だが、一見して妖艶な雰囲気を漂わせた妙齢の美女が講師となり、今まで受けたこともないような新鮮な内容の授業をしてくれるというのだ。選択科目として導入された彼女の講義は、始まってわずか一週間で教室を大講義室に変更しなければならないほどの大盛況となるのだった。
「……アイツ、何が『君のお願いなら何でも聞く』よ。人の足元を見てくれて……!」
憤慨しながら職員室へと歩くカグヤの隣では、アズラルがへらへらと笑っている。
「いやあ、君の先生っぷりも大したもんだよ。とても初めてとは思えなかったね」
「…………」
「なんだい、冷たいなあ。無視しなくってもいいだろうに。君も彼の思惑くらいわかるだろう?」
「……思惑?」
そこでようやく、アズラルの言葉に反応するカグヤ。
「ああ。まあ、僕だって黒魔術師でもあるわけだし、その辺の事情は同じかもしれないけどさ。……彼は世にはびこる黒魔術師への偏見をなくしたいのさ」
「馬鹿みたい。この程度でそんなことができるとでも? まったく本当に、アイツって昔から……馬鹿なんだから……」
彼女は吐き捨てるように言う。その声には、複雑な感情が含まれているようだったが、さすがにその内容まではアズラルにもわからない。
「まあね。でも馬鹿みたいなことでも、何もしないよりはましさ。それに……くくく、君に対する生徒たちの憧れの視線を見たかい? 少なくとも彼らには、効果てきめんだったと思うよ」
「……からかわないでほしいわね」
むすっとした顔で言うカグヤ。だが、アズラルは心外だとばかりに肩をすくめる。
「いやいや、からかうのはこれからさ。アルフレッドが君に講義を依頼した理由だけどね。本当のところは、こういうことだと思う。──君が自分と同じ『教師』という立場になれば、その分、君と一緒にいられる時間が増えるだろう?」
その言葉を聞いた瞬間、カグヤの頬が朱に染まる。しかし、それは一瞬のこと。すぐに冷静さを取り戻した彼女は、アズラルに向けて手を伸ばした。
「あはは。なんだ。その様子を見るとやっぱり君もまんざらじゃ……って、え?」
いつのまにか、カグヤの姿が筋骨隆々の大男のものに変わっている。上半身は裸。何故か顎には中途半端な長さの髭が生えている。
「あれ? こ、これってまさか……」
「この学院じゃ、わたしの先輩なんでしょう? 先輩なら先輩らしく、この程度の術式はあっさり解除してみせることね!」
「ちょ、ま! カグヤさん? こんなトラウマ狙い撃ちの攻撃、卑怯じゃないですか? ひい! く、来るなああ! き、筋肉、ヒゲ、気持ち悪いいいいい!」
泡を吹くように叫ぶアズラルを置いたまま、カグヤは肩をいからせて歩いていく。向かう先は職員室ではなく、学院長室だ。だが、彼女が荒々しく開いた扉の向こうでは、アルフレッドがエルムンドと難しい顔で向き合っていた。
「ああ、カグヤ。ちょうどいいところに来てくれたね」
「……なにかしら?」
室内に漂う緊張した雰囲気に気勢を削がれたカグヤは、静かに問い返す。
「うん。実は、ネザクをこの学校に入学させたことについて、正式にクレセント王国から抗議の使者が来ることになったんだ」
侵略者としての魔王。心を入れ替えたような顔をして、平和な学校生活を送ってみたところで、そんな過去がなくなるわけではないということだろうか。カグヤは、やれやれと息を吐いた。
「……ふうん。そう。じゃあ、力尽くで捻じ伏せないとね」
次回「第75話 少年魔王と抗議の使者」




