第73話 少年少女と歓迎会
「あが、あががが……」
平和な日々。学院の敷地内が大荒れに荒れ、その修復工事に追われる日々は忙しかった。だがそんな日々も、今この時になってみれば、波風のない穏やかな時間だったのだと悟らされる。
学院長室にて、応接のソファに腰かける一人の少年。その隣に腰かける黒衣黒髪の美女。学院に中途編入を申し出てきた子供とその保護者といった風情である。少年の方はどこか緊張した面持ちでこちらを見上げ、女性の方はそんな彼を励ますように背中をさすってあげている。
学院長であるはずのアルフレッドはと言えば、申し訳なさそうに部屋の隅に控え、何故か自分がこの二人の応対をさせられている。
「あが……が、ぎ……。はあ……」
どうにか外れかけた顎を戻し、一息ついた彼の名は、エルムンド・ギエナビク。このルーヴェル英雄養成学院の大黒柱ともいうべき、副院長だ。
「え、えっと……も、もう一回、自己紹介した方がいいですか?」
目の前に座る少年は、可愛らしい水色の瞳で自分を見上げてくる。不安げに揺れる瞳を見ていると、思わず孫に対する庇護欲のようなものをかき立てられかねないが、問題は彼の素性だ。
『魔王ネザク・アストライア』
西方の大国クレセント王国を陥落させ、かつてはこのエレンタード王国にも攻め入ったことのある魔王軍。その総大将たる人物だ。最近では、この学院にも攻め込んできているうえ、彼がここ数週間復旧作業に忙殺された学院の惨状は、ほぼすべてが彼の召喚した『魔』によって引き起こされている。
よりにもよって、そんな危険人物が学院に入学したいというのだ。あり得ない。あり得ないが、アルフレッドは彼の入学を認めたいと言う。確かに彼自身、魔王の部下だというメンバーと共に復旧工事に当たってはいたが、それは戦後処理のようなものであり、一時的な処置に過ぎないと思っていた。
しかし、入学させるとなれば話は別だ。
「……もし、あなたがクレセント王国との軋轢を心配しているのなら、それは杞憂と言うものよ」
驚愕から立ち直り、どうにか思考をまとめようとしたところに、カグヤと名乗る女性からそんな言葉が投げかけられる。
「……と、言いますと?」
「文句を言ってきても、力尽くで捻じ伏せればいいだけですもの」
「……………」
絶句するエルムンド。一見して落ち着いた雰囲気に見える女性から飛び出した正気を疑うような発言に、さすがに言葉も出ない。
「駄目だよ、カグヤ。ちゃんと話し合いで納得してもらうんでしょ?」
「え? ああ、そうだったわね。あなたが『みんなに愛されまくりな魔王様』になるためにも、過激なことは控えなくっちゃね」
エルムンドには、二人が何を言っているのか、まるで理解できない。
「ア、アルフレッド様……」
「あ、いや、あはは……。まあ、俺の一存だけじゃ悪いからさ。君の意見も聞きたかったんだけど……」
意見など言えるはずもない。あまりにも常識外の話だ。普通に考えたら絶対に駄目だが、もはや普通に考えられる話ではないのだろう。だから彼は、ぐったりとうなだれつつも、こう言うしかなかった。
「わ、わたしには……異論はありません」
「本当? やった! ありがとう、エルムンドさん!」
飛び上がらんばかりに喜びの声を上げるネザク。
「こら、駄目でしょう。ネザク。ちゃんとエルムンド先生ってお呼びなさい」
「あ、そうだった。うん。よろしくお願いします! エルムンド先生」
「あ、ああ……。よろしく……」
エリザがこの学院に入学して以来、彼の常識は次々と破壊されてきた。だが、これこそがその最たるものではないだろうか? よりにもよって、『魔王』から先生と呼ばれる日が来ようとは。
「……心中お察し申し上げます。エルムンドさん」
同じく部屋の隅でそんな彼らの様子を見守っていたエリックは、ますます彼に親近感と同情の念を抱いてしまうのだった。
──その後、人手不足により遅れていた学院の復旧工事は、わずか二日でその大半が完成してしまった。エリックに助けられながら復旧工事全体を取り仕切っていたエルムンドは、今や着脱自在(?)となった顎を押さえたまま、つぶやくようにこう言った。
「ええ、もう……どんと来いと言ったところですよ。これまでも色々と、アルフレッド様のなさることには付き合ってきましたからな」
工事完成の打ち上げも兼ねたネザクの歓迎会の席上で、彼は今や『同志』となったエリックから酒を注いでもらっている。アルコールが入ったためか、普段温厚な彼にしては少々言葉遣いが乱れているようだ。
「いやあ、お互いに非常識な上司を持つと苦労しますなあ」
「はい。まったく、あの方ときたら穏やかな口調のままで、とんでもなく過激なことを平然と口になさるんです。最初の頃は冗談かと思うほどでしたね」
「ええ、ええ、わかります。わかりますとも! 俺もあの魔女には何度煮え湯を飲まされたことか。今では俺も、アレが『面白いことを思いついた』みたいな顔をしたのに気付いただけで、ギリギリと胃が痛くなってくるぐらいですからね」
意気投合して酒杯を酌み交わす二人。アルフレッドは同じテーブルで苦笑しながら、会場の一角を指差した。
「ははは。……まあ、あの二人は、俺以上に非常識だと思うけどね」
「…………」
だったらどうして入学させたのか? そう言いたげな顔で、エルムンドは気楽そうに笑うアルフレッドを見る。しかし、やがて諦めたように肩を落とした。その傍らには、彼の肩を慰めるように叩くエリックがいた。
一方、酒の代わりにジュースで乾杯をした少年少女たちは、ネザクを中心に輪になってテーブル席を囲んでいた。歳が近いせいか、改めての自己紹介に始まった会話は、それなりに打ち解けた雰囲気となっているようだ。
「……た、助かった。後三日もあんな日々が続いていたら、俺が死んでるところだったぜ」
急ピッチで進んだ工事にもっとも恩恵を受けた人物はと言えば、間違いなくエドガーだろう。彼は己の救世主ともいうべき人物の手を取って、涙ながらにお礼の言葉を繰り返している。
「あ、あはは……。そんな、泣くほどのことかな?」
隣の席から手を掴んでくる銀狼族の少年のあまりの迫力に、ネザクは引きつった顔で笑う。階位なしの鬼たち数百体を召喚して工事を手伝わせることぐらい、今のネザクには呼吸するのと同じくらい容易いことだ。だが、ネザクがそう言うと、エドガーは激しく首を振った。
「いやいや、まじだって! 思い返すだけでも恐ろしいぜ。はっきり言ってこの二週間は、『修羅の演武場』を超える地獄だったな……」
しみじみと頷くエドガー。
「……ルヴィナ」
「わ、わかってます。……何も言わないでください。ルーファス先輩」
料理が並ぶテーブル席の反対側から、何か言いたげな視線を送ってくるルーファスに、ルヴィナはばつが悪そうに顔を赤らめ、明後日の方向を向いていた。
「ルヴィナ姉様……流石にアレはなかったにゃん……。普通なら死んでもおかしくなかったかも……」
「だから、言わないでってば……」
恐ろしいものを思い出したかのようなシュリの声に、耳を塞ぐルヴィナ。彼女自身、後から思い返せばさすがにやり過ぎだったと反省している。それはもう、滂沱の涙を流し続けるエドガーを見れば、さすがに胸も痛もうというものだった。
「こんなくらい、大したことじゃないよ。それより、僕の方こそ今までごめんね? 随分と酷いことをやっちゃったから……これくらいで許してくれなんて、虫のいいことも言えないけど……」
悲しげな顔でうつむくネザク。霧の中の戦いでは、いくら腹が立っていたとはいえ、エドガーに対しては酷い言葉も吐いたのだ。そんな自分が同じ学院で共に学びたいなどと言ったところで、果たして受け入れてもらえるものなのだろうか?
ネザクは真剣に悩んでいた。だが、当のエドガーはと言えば……
「う、うおお……なんだ? この可愛さは? 駄目だろこれ。これで男とか反則だ!」
声にこそ出さなかったが、内心ではそんな叫び声をあげていた。自分の苦境を救ってくれただけでなく、同性であるのがもったいないような美しい少年である。この単純な獣人族の少年が、そんな彼に悪感情など持てるはずもないのだった。
「おいおい。過ぎたことは水に流そうぜ。俺たちは今日から友人だ。いや、むしろ親友と言ってもいいかもな!」
だからこの言葉も、気を使ったわけではない。ただただ高まっていくテンションに任せて口にしただけのものだ。だが、言われた側のネザクの方は、当然そうは受け取らない。
「親友? 僕がエドガーさんと?」
目を丸くしてそう言った。
「お、おう。……っつーか、俺のことはエドガーでいいぜ」
「う、うん! ……エドガーって、優しいんだね」
嬉しそうに微笑むネザクを見て、エドガーは心臓を撃ち抜かれた気分になる。
「う、うおお……か、可愛すぎる。これはまずいぞ、俺。危ない道に進んでしまいそうだ。いやいや、ちょっと待て! 俺にはルヴィナ先輩やエリザがいるんだ……。ここで惑わされてどうする!」
ネザクはもちろん、学院の男子用の制服を着ている。だがそのうえで、男装の美少女にしか見えないのだから始末に困る。今後この学院では、エドガーに限らず、『その道』に足を踏み込みかける者が続出し、『ネザクファンクラブ』なるものが設立された挙句、男女を問わず加入者が急増することになるのだった。
「あはは! ネザクもみんなと仲良くできそうで良かったね」
ネザクの隣、エドガーとは反対側に座るエリザは、目の前に並ぶ料理にぱくつきながら、嬉しそうに笑う。
「うん! なんだか、こういうの初めてだから嬉しいな」
「初めてって何が?」
「えっと、こんな風に同じくらいの歳の皆と過ごすのが」
言いながら、ネザクはわいわいと語らい続ける生徒たちを見渡す。学院の食堂を借り切って行われているこのパーティーには、特殊クラスの面々の他にも、多くの生徒たちが参加していた。
学院内でも一目置かれる特殊クラスのメンバーがいる場所だけに、積極的に近づいてくる者はいないようだが、それでもネザクやシュリのような新顔が珍しいのだろう。興味津々と言った様子で遠巻きにこちらを見つめている。
なかでも少女たちはネザクと目が合うと、黄色い歓声を上げて手を振ってくる。ネザクは照れながらも彼女たちに手を振り返していたが、ふと、傍らの少女の顔が不機嫌なものになっていることに気付く。
「あれ? えっと、どうしたの。エリザ?」
「……別に。早くも人気者になれそうで良かったじゃんって、思っただけだよ」
別にと言いながらも、エリザは何故かネザクの方を見ようともしない。むくれたようにそっぽを向いている。
「うふふ、ネザク君。そこは察してあげないと駄目ですわよ」
「わわ!」
いつの間にか、二人が座る椅子の間に白金の髪の少女が立っている。
「あら、驚かせてしまったみたいですわね。自己紹介は済ませたはずですけど?」
「あ、うん。リリアさんだよね。リゼルがリリアさんのことを凄く褒めてたから、印象に残ってるんだ」
「……そうですの。あの魔人も、よくわかりませんわね」
リリアは、複雑な表情で会場の一角に視線を向ける。そこには、カグヤに付き添うように歩きまわる、美貌の魔人の姿があった。どうやらカグヤは、学院関係者にネザクのことを受け入れてもらうべく、早速根回しを始めているらしいのだが、自身の美貌も含め、リゼルの姿までもを最大限に利用するつもりのようだ。
「それより、……さっきの『察してあげないと』って、どういう意味なのかな?」
「え? ああ、ごめんなさいね。それはもちろん、エリザのことですわ」
「え? あたしの?」
二人の会話に自分の名前が出てきたことで、それまで気のない振りを続けていたエリザは、思わず聞き返してしまった。
「さっきからネザク君が他の女の子にばかり気を取られているから、エリザってば、やきもちを焼いているのですわ」
「んな!? なななな!」
「え? エリザがやきもち?」
顔を真っ赤にして立ち上がるエリザと目を丸くして首をかしげるネザク。
「ななな! 何をわけのわかんないこと言ってるんだよ!」
半ば錯乱状態でリリアに掴みかかろうとするが、リリアはそれをひらりと避ける。
「うわ!」
普段ならあり得ないことだが、動揺しまくりのエリザはそのままバランスを崩し、転倒してしまった。
「い、いたた……」
尻餅をついたような姿勢で腰をさするエリザ。するとそこに騒ぎを聞きつけてか、それまで会場内で飲み物や料理を配膳して回っていたリラとルカが駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか? エリザ様」
「う、うん。大丈夫。……それよか、その、『様』はやめてくれないかな? あたしはそんなに偉くないしさ」
心配そうに見下ろしてくるルカに笑いながらそう言ったエリザだったが、ルカは軽く首を振る。
「いいえ、エリザ様。わたしはネザク様のメイドです。将来の奥方様に敬語を使うのは当然です」
そう言ってにっこり笑うルカ。気の利いた言葉を言ったつもりだった。しかし、エリザはきょとんとした顔で首をかしげる。
「おくがたさま?」
どうやら婉曲な言い回しが理解できていなかったらしい。この手の冗談は、解説すると白けてしまう以上、ここは諦めるしかないルカだった。
「い、意外に難敵ね……」
ネザクを猫可愛がりしない少女は珍しい。そういう意味では、ルカは彼女に大いに期待していたのだが、これはこれで前途多難と言ったところだった。
「ネザクさま! 何をやってらっしゃるんです?」
「え? ど、どうしたの。リラさん」
一方、ネザクに近づいていったリラはと言えば、なぜかたしなめるような顔で彼に詰め寄っている。だが、その顔はすぐに崩れた笑みに変わった。
「駄目ですよお。ほら、エリザ様が倒れてるんですから、ちゃんと男の子として助け起こしてあげなくては。『女の子には優しく』が意中の女性の心を射止める秘訣なんですからね」
「え? ええ?」
突然のリラの言葉に顔を赤くしたネザクは、ちらりとエリザを見る。だが、何故か恨めしそうに自分を見上げる赤銅色の瞳と視線がぶつかり、慌てて下を向いた。
「ナイスですわ! リラさん!」
リリアはでかしたとばかりに、リラの肩を抱きよせて快哉の声を上げた。
「リリア様に褒められちゃいました!」
嬉しそうに笑うリラ。そしてメイドの少女と吸血の姫の二人は、そろってにやにやとネザクを見つめる。
「ほら、早く早く! 男の見せ所ですよう」
「うふふ、さあ、騎士のようにスマートにエスコートするのですわ」
「う、うう……」
目を輝かせる二人の迫力に、たじろぐばかりのネザク。
「くそう……みんなして、あたしのことをからかってくれて……」
そう言いながらエリザは、顔を真っ赤にしたまま勢いよく立ち上がる。
「あら、残念……。仕方ありませんねえ、ネザク様。次は頑張ってくださいね」
ネザクに咎めるような視線を向けるリラ。
「い、いや、今のは僕、何も悪くないと思うんだけど……」
ネザクはリラの視線から逃げるように顔を背ける。するとちょうどその先には、
「こ、こうなったら、やけ食いしてやるー!」
猛烈な勢いで料理に手を付け始めるエリザがいた。
「あら、まあ、大変! リラ! すぐに追加の料理を持ってくるわよ」
「う、うん!」
慌てて厨房に向かう二人のメイド。
「エリザさんも、すっかり拗ねちゃったわね。駄目よ、リリアさん。こういうのは、もう少し温かく見守ってあげないと」
「……そんなつもりじゃありませんでしたのに」
ルヴィナに言われ、落ち込んだ顔になるリリア。
「まあ、エリザの場合、このまま美味い物を食べてりゃ、すぐに機嫌も直るだろうけどな」
エドガーのつぶやきに、ルーファスが無言で頷く。
それはそれで、なんとも色気のない話ではあった。
次回「第74話 魔王一味と英雄の学院」




