第72話 少年魔王と進路相談
エリザとネザク、そしてその保護者ともいうべき三人は、慌ただしく王都エレンタードを後にした。叙勲式を滅茶苦茶にしてしまったということもさることながら、一番の問題は王女のロザリーだった。
「……なんていうか、ネザクって、もてるんだな」
学園都市エッダへの帰還の道中、リンドブルムの背の上でエリザが言う。
「え? い、いや、そ、そんなことないよ……」
ネザクは焦ったように言葉を返すが、エリザはご機嫌斜めのままだ。隣に座るネザクの顔に白い目を向けている。
「叙勲式の時の『妻にしてください』にも驚いたけど、まさかその後まで押しかけてくるとは思わなかったもん。よっぽど好かれてるんだよね」
「い、いや、あれはさ。ほら、危ないところを救ってあげたから、僕に幻想を抱いちゃってるだけなんだと思うよ」
「ふーん。よっぽどかっこよく助けてあげたんだろうね」
エリザは赤銅色の瞳を細めつつ、納得のいかない様子で相槌を打っている。
「うう……」
言い訳しながら、ネザクは内心で首をひねる。そもそも、王女に求婚されたことについて、どうして自分がエリザからこんな風に責められなければならないのだろうか。いや、エリザの言葉の内容自体は、責めているわけではないはずだ。なのに、後ろ暗いような気持ちにさせられるのは、彼女のジットリとした視線のせいだろう。
「ど、どうしてこんなことに……」
いつも快活な少女には不似合いな、でも、一方で『少女』らしいともいえる感情。ネザクがもう少し経験豊富なら、それが何なのかわかったのかもしれないが、如何せん、良くも悪くも彼は経験不足の『少年』だった。
「ふふふ。エリザったら、やきもち妬いちゃって。ああいうところを見ると、彼女もネザクのことは、まんざらじゃないみたいね」
カグヤは別の飛行型の『魔』に乗ったまま、その様子を微笑ましげに見つめている。
「うん。どうせなら二人には、仲良くしてもらいたいものだよね」
だが、そんな声が自分の背後から聞こえてくるなり、彼女は表情を険しくする。
「……ちょっと。もう少し離れなさいよ」
「え? いや、マイアドロンはリンドブルムほど大きくないし、これ以上離れるのは無理だよ」
本来なら一番安定した場所に座るカグヤの身体に掴まっていたいところなのだが、それを許してもらえないアルフレッドは、どうにか翼竜の背の上にバランスを取りながら腰かけている状態だった。
「相変わらずだねえ。君らは」
隣を飛ぶ黒鳥の上には、にやにやと笑う黒霊賢者がいた。
「いや、アズラルさん。だいたい、あなたが俺をそっちに乗せてくれていれば……」
「おや? 彼女に密着できる状況ができて、心の中では僕に感謝していたくせに」
意地悪そうにアズラルは笑う。
「な! 何を言ってるんです!」
慌てて叫ぶも、手遅れだった。
「え? あなたがこっちに乗ったのって、そんなやらしい意図があったの?」
「や、やらしいって、俺はそんな……」
「そう言えば、皆が心配しているから空路で帰ろうって言い出したのは、あなただったわよね?」
「ち、違うって! 別にそういう意味じゃ……」
冷たい声で詰問を続けるカグヤに、しどろもどろの弁解を始めるアルフレッド。
「……く! アズラルさん。恨みますよ」
「恨む? さっきから君が風になびく彼女の黒髪に見惚れながら、臭いを嗅ぐような仕草をしていたことを黙っていてあげた、この僕のことを?」
「そんな変態はアンタだけです!」
思わず叫ぶアルフレッド。そして叫んだ後、恐る恐るカグヤを見る。だが、彼女は無言のまま、自分の長い髪が後ろになびかないように《闇》で創った紐でくくっているところだった。
「あ、うう……」
その無言の動作が何よりも彼女の心境を物語っているようで、アルフレッドは絶望的な顔で溜め息をつく。
「やれやれ、魔王と英雄の連合軍も、前途多難と言ったところかな?」
アズラルは二組の男女を呆れたように眺めつつ、肩をすくめてつぶやいた。
「……と、ところでアズラルさん。アリアノートのことは、本当にいいんですか?」
アルフレッドはそんなアズラルに、思い出したように尋ねる。どうにかこの険悪な雰囲気を変えたいらしい。アズラルとしても、さすがに意地悪をし過ぎたとは思ったので、話に乗ってやることにした。
「彼女なら心配ないさ。『森』での戦いなら、ハイエルフである彼女に敵はいない。たとえ『亡霊船』二隻が相手でもね。……それに君も知っているだろう? 僕はあの森には入れないんだ」
「まあ、入ったら殺されますもんね」
アズラルの言葉に、アルフレッドは納得したように頷きを返す。
「殺される? どういう意味?」
話の内容に興味をそそられたのか、それまで黙っていたカグヤが口を挟んできた。たったそれだけのことで、アルフレッドの顔が輝くのを見て、アズラルは思わず苦笑を漏らす。
「ああ、僕は森のエルフたちには恨まれているんだよ。戦争の時のこともあるけど、それよりなにより、彼らの崇拝する女性をかすめ取っていった間男みたいなものだからねえ」
「……エルフも意外と俗っぽいのね」
呆れたようなカグヤの声。
「何を言ってるんですか。あなたが散々、彼らを挑発したんじゃないですか」
「いやいや、君。あれは挑発じゃなくて自慢と言うのだよ。彼女が『僕のもの』だってことを、わかってもらう必要もあったしね」
「………」
胸を張るアズラルに、アルフレッドも言葉を失う。代わりに問いかけの言葉を発したのは、カグヤだった。
「でも、あなたたちは結婚しているんでしょう? どこで生活をしてるわけ?」
「うん。これは秘密なんだけど、エクリプスとファンスヴァールの間にある、小さな国の集落にいるのさ。戦争でも起きない限り、常に国にいる必要もないしね」
「じゃあ、この後はそこに戻るんじゃないの?」
「いいや、彼女には伝令の《影法師》を送っておいた。実際、今となっては僕もエクリプスに未練はないし、それならいっそエッダにでも住もうかと思うんだ」
アズラルがそう言うと、それまでネザクと話し込んでいたエリザが弾んだ声で割り込んでくる。
「本当? じゃあ、これからも先生になってくれる?」
「あはは。まあ、今となっては君に教えられることなんて、あまりないとは思うけどね。とはいえ、あそこには僕の愛弟子もいることだし、アルフレッドさえ許してくれるようなら、教鞭を取らせてもらいたいものだね」
「アルフレッド先生!」
エリザは赤銅色の目を輝かせてアルフレッドを見る。そんな彼女にアルフレッドは苦笑して、頷きを返した。
「うん。いいんじゃないかな。性格面はともかく、知識面では彼ほど教師に向いている人もいないだろう。君たちが強くなれたのも、結局は彼のおかげだしね」
「いやいや、僕なんてちょっと手伝いをしただけさ」
「……エドガーに関しては、完璧に貴方の差し金でしょうが」
まだ根に持っているのか、カグヤが低い声でつぶやく。と、そこにそれまでとは別の声が割り込んできた。
「……あ、あのさ、カグヤ」
「ん? どうしたの? ネザク」
躊躇いがちに声をかけてきたネザクに、カグヤは気遣うような目を向ける。
「う、うん。その……実は……」
口ごもりながら、ネザクはエリザとアルフレッドの顔を交互に見ている。そんな彼を見て、カグヤにはぴんと来るものがあった。
「……ねえ、アルフレッド。あなたにお願いがあるのだけれど」
「え? ええ!?」
アルフレッドは驚愕の叫び声を上げる。
「何よ、うるさいわね」
「い、いや、カグヤが俺にお願いだなんて……」
カグヤから罵声と命令以外の言葉、それも『お願い』などという単語が自分に向かって発せられたこと自体、アルフレッドには驚きだったようだ。
「……し、仕方ないでしょ。可愛い弟のためなんだもの」
カグヤは振り向きもせずに言葉を続ける。
「あんな風に攻撃まで仕掛けておいて……厚かましいお願いかも知れないけど……」
「うん。いいよ」
「え?」
カグヤは思わず振り返り、アルフレッドを見た。彼は胸を張り、にこやかに笑いながら断言する。
「俺は君のお願いなら、何でも聞くさ」
「……気持ち悪いわね」
「うう……酷い」
うなだれるアルフレッド。だから彼は、カグヤの頬がわずかに紅潮しているのを見逃していた。
「ま、まあ、聞いてくれるならありがたいわ。お願いって言うのはね。……ネザクを、あなたの学院に入れてほしいのよ」
「……あ!」
カグヤの発言に、ネザクは驚きの声を上げる。
「ふふ。あなたのことなんて、お姉ちゃんにはお見通しよ」
「そ、そっか。ありがとう……お、お姉ちゃん」
「うん、そうだよ! ネザクも同じ学校なら、きっと楽しいもんね!」
ネザクの手を取り、嬉しそうにはしゃぐエリザ。
「先生、いいよね?」
「ああ。もちろんさ。彼なら実力的には申し分ないしね。まあ、エルムンドには俺からどうにか話してみるよ」
アルフレッドは、ほとんど悩んだ様子もなく頷きを返す。だが、政治的な問題その他を考えれば、必ずしも簡単な話ではないだろう。だからこそ、カグヤも『お願い』と言ったのだ。
「やった! 良かったなあ! ネザク! これであたしたち、一緒の学校だよ!」
「う、うん! ……まあ、魔王が英雄の学校に通うって言うのもなんだけどね」
笑いあうエリザとネザク。アルフレッドはそんな二人を見つめながら、満足そうに頷いている。
アズラルは、やれやれと内心で首を振る。この度量の広さこそが、アルフレッドをして、最高の英雄とならしめているものではあるだろうが、付き合う方は大変だ。いつもの通り、自分がフォロー役になるしかあるまい。アズラルはそう思いながらも、年甲斐もなく心を弾ませていた。
星界を揺るがした英雄少女と少年魔王が通う『英雄養成学院』。
そこに自分が携われることに、喜びを感じずにはいられないのだった。
──学園都市エッダ。
その中心街にて、少女たちは楽しげに会話を続けながら、買い物をしている。とはいえ、洋服やアクセサリを買いに来たわけではない。今の彼女たちには、そこまでの経済的余裕はないし、そもそも活動拠点である学院の復旧工事はなおも続いているのだ。
当然、買い出しの品は資材や食料の類が中心だった。とはいえ、年頃の若い少女たちが集まれば、自然とウインドウショッピングが始まるのも当然の流れと言えた。
「うわあ、綺麗な服ね! こんなの誰が着るのかしら……」
うっとりと店頭に飾られた衣装に見惚れているのは、メイド姿の少女二人。
「うふふ。さすがにこれは一般向けじゃありませんわね。街中を着て歩くより、舞踏会などで着ることを想定されたドレスですもの。それなりに経済力のある商家の娘でもなければ、着る場所もないでしょうね」
彼女たちの後ろから、軽やかな少女の声がかけられる。ルカとリラは、その言葉に驚いたように勢いよく振り返った。
「ええ!? 商家の娘って……そうなんですか? てっきり、貴族のお姫様が着るんじゃないかって思ってました」
「やっぱり都会は違いますね」
言いながら二人のメイドは、振り向いた先にいた少女の姿に、店頭の衣装を見ていた時以上に見惚れてしまった。彼女──リリアは、学院指定の制服を身に着けている。それ自体は何の変哲もない服だ。
だが、輝くようなプラチナブロンドを左右に垂らし、気品あふれる佇まいを持つ美少女の姿は、彼女たち二人にとって、どんなきらびやかな衣装にも勝るものがあった。
「さあ、次に行きましょう?」
すっかりお上りさん状態の二人は、リリアの案内で街中を練り歩いていた。道行く人々は、すれ違いざまに好奇と感心の眼差しを三人に送っている。
一方のリリアはと言えば、年上であるにも関わらず、純粋に自分を慕ってくれるメイド二人を妹のように可愛いと感じ始めている。何よりこうしてメイドを連れ歩いていると、自分が高貴な身分の『姫』であることを思い出せるようで嬉しい気持ちになれるのだ。
出会って一週間と経たないうちに、リリアはルカとリラ、二人の少女のことをいたく気に入っていたのだった。
「あ! この衣装……ネザク様に着せたら似合うかもですう……」
「え?」
とある店の商品を見て、リラが漏らしたその言葉。リリアは最初、その意味が理解できなかった。だが、すかさずそこにルカが耳打ちをする。
聞かされた言葉の内容に、リリアの心は大きく揺り動かされていた。蒼い瞳は驚愕に見開かれ、信じられないとばかりに頭を振る。
「ま、まさか……そんな……」
「あれ? リリア様? どうかしたんですか?」
驚愕に身体を震わせるリリアを見て、きょとんとした顔で尋ねるリラ。しかし、リリアはそんな彼女の身体をがっしりと掴むと、目を輝かせて満面の笑みを浮かべる。
「……うわあ、きれい」
目と鼻の先に、花も恥じらう美少女の笑顔。そんな状況に、思わず感嘆の言葉を口走ってしまうリラだったが、それには構わず、リリアはおもむろに口を開いた。
「リ、リラさん!」
「は、はいです!」
リリアの鬼気迫る声音を受けて、反射的に背筋を伸ばし、同じように声を張り上げて返事をしてしまうリラ。
「あなた、ネザク君に女の子の衣装を着せ替えさせているって本当ですの?」
「え? あ、はい」
あまりの勢いに訳もわからず答えを返すと、リリアの身体が小刻みに揺れ始めた。
「うふふふふ! 素晴らしいですわ! なんて、なんて、素敵なことを! 確かに、あんなに可愛い子なんですもの。女の子の服を着せたりしたら、とっても可愛らしくなるに決まっていますわ!」
英雄少女の陣営にも、『可愛いもの大好き』な少女がいた。
このことが英雄養成学院への入学が決まって喜ぶネザクにとって、どのような意味を持つのか。それはまさに、火を見るより明らかだった。
次回「第73話 少年少女と歓迎会」




