第8話 英雄少女とはじめてのダンジョン(下)
エリザは、身体をわずかに痙攣させている。だが、意識はあるようだ。
「エリザ!」
とはいえ、リリアからはエリザの状態はわからない。それこそ大型の月獣でさえ、死に至らしめる猛毒の牙なのだ。専用の毒消しでもない限り、小柄な少女が生き残るのは絶望的に思えた。
「あっちゃあ……情けないなあ、あたし。油断しちゃったよ」
「だ、大丈夫ですの?」
「まあね。でも、ちょっと動くのはしんどいかな? 毒でも搾り出せれば回復も早いんだけど……」
「……で、でたらめな体力ですわね」
リリアは大きく安堵の息を吐いた。
「残念だけど、ここはあたしの負けかなあ。あいつに止めを刺したのはリリアだし、あたしはこの様だ。うん。仕方ない。英雄は潔さも大事だもんな。この勝負、リリアの……」
「駄目ですわ! 何をふざけたことを言ってやがりますの?」
「へ?」
いきなり大声を張り上げたリリアに、目を丸くするエリザ。
「い、今のはあなたが前線で戦って、敵を引きつけておいてくれたから勝てたようなものです。こんなので決着なんて、わたくし、絶対に認めませんわ!」
「い、いやでもさ、解毒剤がないんじゃそんなにすぐに、あたしの体調だって回復しないし……」
「わたくしを誰だと思ってやがりますの?」
「さっきから聞いてると、随分言葉遣いが砕けてるよな……」
「うるさいですわ! わたくしは『吸血の姫』。誇り高き百年に一度のブルーブラッド」
「うん、それは前にも聞いたけど……」
「腕を出しなさい!」
パラサイトナーガの牙が掠めたエリザの腕。傷口が紫色に変色しているのは、毒のせいだろう。だが、リリアはその傷に何の躊躇もなく口を付けた。
「うわ! ばか! それ危ないって!」
「ふぁふぁってふぃふぁふぁい!」
黙っていなさい。
「うはは! やめて、それだめ! 傷口に口を付けたまま喋るの反則! くすぐった……!」
くすぐりに弱いことが発覚したエリザだった。
しばらくして、リリアは口を傷口から離す。
「って、ほんとに大丈夫か?」
「誰の心配をしていますの」
口から毒で汚れた血を吐き出しながら、横を向くリリア。
「いや、だって口元押さえてるし、顔色もいつもより赤いみたいだし……」
「ほっときやがれですわ!」
傷口から汚れた血を『選択して』吸いだし、吐き捨てた。口元についた毒液は、彼女の口内に入った瞬間、無毒化されている。どんな対象からでも血を吸えるよう、『吸血の姫』には生まれつき備わる能力の1つだ。
「ん? んん? おお! 身体が軽い! すごいじゃん、リリア! おかげで完全回復、百二十パーセントだぜ!」
「毒を吸いだしただけで、そこまで回復するとか……あなた本当に生き物ですの?」
「おう、もちろん! リリアとは色が違うかもしれないけど、あたしにだってちゃんと血は流れてるぜ」
「……そ、それはわかりましたけど」
二人は地下十階を攻略した。本来なら、卒業生でさえ四人から五人のパーティで挑むところを、たった二人で踏破したのだ。これはもう十分な成果だと言えたが、エリザが回復した以上、二人はこの先に進むつもりだった。
だが、少し考えればわかるだろう。今回エリザが窮地に陥ったのは、敵の情報をほとんど知らなかったからだ。実力的には図抜けていても、それだけでは足りないものがある。それが知識であり、経験だった。
地下十階より下層は、学院での情報収集は全くできなかった領域だ。だが、二人は引き返すという選択肢を選ばなかった。──その『若さ』ゆえに。
地下十一階
地下十二階
地下十三階……
徐々に強力な敵が出現し、罠の難易度が上がっていく中。二人は時に連携し、協力し合いながら、そのことごとくを突破していく。
「……少し休憩しましょう」
リリアがそう提案したのは。地下十六階に差しかかった時だった。
「うん。さすがのあたしもちょっと疲れた」
エリザはそう言って、敵が一掃された後のフロアにどっかりと腰を下ろす。
「……」
リリアには、それが彼女の嘘であることがわかった。エリザは、少なくとも体力に関しては無尽蔵と言っていい。自分に合わせてくれていることは、明らかだった。
「……少し、聞いてもいいかしら?」
「なに?」
エリザの隣に少し距離を置くようにして腰を下ろし、壁に背を預けるリリア。
「あなたは、どうして英雄になりたいんですの?」
「ん? 言ってなかったっけ?」
「たぶん……」
いつもまくしたてるように話す彼女の言葉を、一言一句聞き逃していない自信はない。
「かっこいいからだよ」
「随分とお子様な理由ですのね」
「いいじゃん。子供なんだから。リリアだって、この学院に通っているってことは英雄になりたいんだろ?」
「わたくしをあなたと一緒にしないでほしいですわ。……わたくしには、それが義務なんですもの」
「義務? 英雄になるのが?」
「ええ。わたくしの国──黎明国家プラグマ伯爵領では、国内のどこかに『蒼い血』を持った娘が生まれることがあります。血筋も貴賤も関係なく……計ったように百年おきに誕生する、蒼い血の娘。あの国では、国家繁栄をもたらす宝として尊ばれる存在ですわ」
「ふうん」
聞いているのかいないのか、微妙な返事をするエリザ。
「北の大地で畑を耕し、作物を収穫することで糧を得る貧しい農民の家に生まれたわたくしが、お城の中で何不自由なく生活できるのは、この『蒼い血』のおかげ。だからわたくしは、英雄の資質を身に着け、国のために最高の『吸血の姫』となる必要がありますの」
「大変そうだね」
平凡な言葉だが、エリザの声には純粋な労いの感情が含まれている。
「……まあ、力を持つ者の責務という奴ですわ」
リリアは壁に寄りかかったまま、ぴんと背筋を伸ばし、胸を張ってみせた。蒼いドレスの両脇に、ツインテールに分けた白金の髪が流れる。
「力を持つものの責務か。それなら、あたしも似たようなものかもしれないな……」
「え?」
驚いてエリザを見るリリア。
「小さい頃からあたしは特別だった。……魔法のことだけじゃなくてさ。誰よりも強くて、誰よりも速くて、誰よりも頑丈だった」
元気いっぱいの少女。
「地元じゃ、あたしはヒーローだったよ。でも、まあ、ほら、あれじゃん? 強すぎるってのも考えものでさ。あたしには、対等な友だちだけはできなかったんだ」
「ともだち……」
「うん。だからあたしは思ったんだ。だったら逆に、徹底的にやったろうじゃん! ってね。みんなの憧れ、かっこいい英雄にまで上り詰めれば、見える景色も変わるかな?ってさ」
「……」
少しだけ、リリアはエリザに対する見方を変えようと思った。自分の才能に酔っているだけの、能天気で自信過剰な少女。最悪だったその印象だけは、上方修正してあげてもいいのかもしれない。
「でも、よかったよ」
「なにが?」
「この学院に来てさ、ようやくあたしは対等な友だちに出会えたんだもん」
「……そうですの。それは良かったですわね」
エリザに対等と呼べるような友達がいる。リリアはその事実に悔しいような気持ちを覚えながら、あくまで素っ気ない口調で言う。
が、しかし
「何言ってんだよ、リリアのことに決まってるじゃん」
「な……」
見る間に顔を赤くするリリア。先ほどの悔しさがなくなった代わりに、油断すれば頬が緩んでしまいそうになる。
「な、何を言って……るのよ……」
『素』どころか、地金が見え始めたリリアの口調。
「喧嘩友達だけどさ」
「……そういうことですの」
「それでも友達には違いないだろ?」
「ま、まあ、そういうことにしておいてあげますわ」
二人は休憩を終え、さらに下の階層を目指す。目標は地下二十階。だが、十五階を越えたあたりから、敵が格段に強くなってきているようだ。このあたりはすでに、かつての最強攻略組からでさえ、弱いものから犠牲が出始めていたフロアだ。
それを英雄養成学院に入学したばかりの少女二人が突破していくのだ。副院長のエルムンドあたりが見れば、顎が外れて地についてしまうような光景だった。
「さすがに、しんどいなあ。敵の数にきりがない」
「泣き言を言うんじゃありませんわ」
ますます磨きのかかったコンビネーションで、二人はとうとう、目的となる地下二十階に到達する。
「……さて、慎重に行きますわよ。むやみに突っ込まないこと。いいですわね?」
「りょーかい」
大広間の扉をゆっくりと開く。するとそこには、天井から吊り下げられた人形のようなものがあった。まばらに毛の生えた頭に、眼球が半分飛び出したような顔。血で汚れたぼろきれをまとったヒトガタだ。
「なんですの?」
霊戦術によって周囲の壁や床を通じて収集できた情報は、断片的でわかりづらかった。それでもリリアには、その人形がとてつもなく危険なものであることが分かる。
「……術式用意」
リリアは、腰に着けたポーチから骨の粉を取り出した。そしてそのまま、粉を周囲に振り撒く。
「発動、《死騎兵》」
言葉を紡げば、撒いた粉を『依代』に、骸骨の騎士が姿を現す。霊戦術の真骨頂であるアンデットの召喚と使役。
「まずは様子見ですわ。《死騎兵》かかれ」
部屋の中央に駆けていく骸骨の騎士。直後、天井から雨が降ってきた。
「うわわ! なんだあれ!」
雨ではない。それは、真っ赤な血だった。ザアザアと降り注ぐ真紅の雨の中、骸骨騎士は粘液のようなそれに絡め取られ、身動きができなくなってしまう。そして、べきべきと胸の悪くなる音を立てながら、その骨の身体が砕け散っていく。
「ケタケタケタ!」
天井から首つり状態でぶら下がる人形が笑う。床は一面血の海であり、それは波のように、入口に立つ二人の足元にも押し寄せてくる。
「やばそうだな」
言いながらエリザは足元を護るための楯を造る。大きさは二人分だ。
「あんな化け物、見たことがありませんわ……。やっぱり魔法生物なのかしら?」
このダンジョン内に巣くう魔物の大半は、『魔法生物』だ。ダンジョンの仕掛けに連動し、場に満ちた魔力がある限り、何度でも出現する擬似的な生物。人工的なものが大半だが、中には自然発生的にそうした現象が起きることもある。
「こりゃ、近づけないか。うん。じゃあ、こうしよう」
エリザは自分の手の中に、弓矢を出現させる。
「……発動、《奪う亡者の腕》」
声と共にリリアの周囲から、半透明な腕のようなものが無数に出現し、人形に向かって伸びていく。それは、『吸血の姫』だけの特別な霊戦術。周囲の死霊を無条件に従え、対象の精気を吸収する魔法だった。
「秘技! 流星落とし!」
自分で考えたかっこいい技の名前を叫びながら、手にした弓を限界まで引き絞り、凄まじい速度の矢を放つエリザ。
「ケタケタケタ!」
矢は見事に人形の心臓部分を貫いた。天井に吊り下げられた人形は、強弓に貫かれた勢いで激しく揺れる。だが、それだけだった。人形自体は胸に矢を突き立てたまま、平然と笑い続けている。一方の《奪う亡者の腕》はと言えば、人形そのものに全くダメージを与えることができないでいた。
「生き物ではありませんの?」
「じゃあ、魔動人形?」
魔力で動く人形は、擬似的な生命ですらない。リリアの精気吸収が効かないのも当然だろう。いずれにせよ、これでは迂闊に近づくこともできない。
そして、エリザ達にとっては手詰まりともいうべき状況となった、その時だった。血の海の中で何かが蠢き、人の姿となって立ち上がる。
『赤い人間』は、粘液のような赤黒い液体を滴らせながら、血の海の中を滑るように移動してくる
「うわ、気持ち悪い!」
「……今のわたしたちには、どうにもならない相手ですわね。攻撃手段がわかりませんわ」
手持ちの攻撃手段でも有効打はあるのかもしれない。だが、二人には、それを導き出すだけの経験がなかった。
「うん、ここは逃げるが勝ちだぜ!」
「こんなときくらい、その手の台詞、なんとかなりませんの!」
回れ右をして逃げ出す二人。部屋からは通路まで血が溢れ、人の姿をかたどりながら、逃げる二人を追いかけてくる。
「ちょ、ちょっと待て! ボスが部屋から出てくるとか反則!」
「反則? 何をわけの分からないことを言ってますの!」
二人は必死で逃げる。
「きゃ!」
だが、リリアはエリザほど身体能力に秀でているわけではない。長いドレスのせいもあってか、足をもつれさせ、短い悲鳴と共に転んでしまった。
「リリア!」
「何をやってますの! 早く逃げなさい!」
「お前を置いて逃げられるか!」
転んだリリアの背後に迫る、赤い人影。エリザは全力で盾を展開し、それを防ぎ止めようとする。通路一杯に広がる楯は、どうにか敵の進行を食い止めることができたように見えた。
が、しかし。
「くそ! 端からにじみ出てきやがった!」
楯にかかる圧力も半端ではない。エリザの並外れた腕力でなければ、一瞬で決壊していただろう。
「あなただけでも逃げるのよ! このバカ!」
「何を! 馬鹿とはなんだ! このおてんば姫!」
「な! あなたにだけは言われたくありませんわ!」
そんな場合ではないはずだが、罵声を浴びせあう二人。
と、そこへ──
「何をやってるんだ、二人とも……」
やれやれと首を振る人物が一人。上の階から降りてきたらしいその人は、落ち着いた蒼い眼差しに、癖のある薄茶色の髪を首の後ろで結んだ青年だった。
「あ! 先生!」
「アルフレッド先生……」
「……間に合ってよかった。後で二人ともお仕置きだからね。じゃあ、エリザ。どいてくれるかい?」
「え? でも、一気に押し寄せてくるよ?」
「大丈夫、一瞬で済む」
アルフレッドは、いつの間にか光り輝く剣を持っている。
「それが、星霊剣レーヴァですの?」
「おお、かっこいい!」
「ほら、早くしなさい」
「はーい!」
エリザが盾から手を離し、大きく飛びさがった瞬間だった。すれ違うように飛び出したアルフレッドが、剣を一閃。放たれた光の奔流は、その性質を風へと変化させて赤い人影を吹き飛ばし、通路にあふれる膨大な量の血を元の部屋へと押し戻す。
アルフレッドが星喚術により生み出した、白霊術の増幅・発動媒体ともなる剣。それが星霊剣レーヴァだ。
アルフレッドは軽く息をつくと、転んだままのリリアに手を差し伸べた。
「怪我はないかい? 二人とも」
「うん、平気!」
「だ、大丈夫ですわ……」
「そうか。じゃあ、帰るよ」
実を言えば、通常ではあり得ない深度までダンジョンを攻略した二人に対しては、アルフレッドでさえ舌を巻く思いがあった。だが、下手に褒め言葉など口にすれば、間違いなく調子に乗る二人だ。そのため、アルフレッドは言葉少なに歩き出したのだった。
「本物の英雄って、やっぱすごいな。……でも、負けないぞ。今に見てろよ」
「ええ、わたくしたちも頑張らないと」
リリアは、自分をエリザを含めた複数形で呼称したことに気付いていない。
それに気付いたアルフレッドは、くすりと一人、苦笑していた。
次回「第9話 少年魔王とはじめての戦争(上)」