第71話 少年少女と叙勲式
エリザとネザクによって、王都エレンタードはエクリプスの支配から解放された。
とはいえ、エルスレイを初めとする敵国の主だった武将を捕縛し、城内の残敵を掃討するなど、ごたごた続きだったこともあって、最初の数日はその労をねぎらう催しもなかった。
そのため、解放から一週間が経とうとするこの日は、あらためて二人の小さな『英雄』が公の席に姿を現す機会となった。
王城の中でも本丸とは別棟となっている式典会場は、数百人の人員が収容可能であるが、新たな英雄の姿を一目見ようと、さらにその外の敷地にも大勢の人々が詰めかけていた。
玉座に腰かけたベルモント二世は、地下牢から脱して一週間で身だしなみを整え、王としての威厳を取り戻しており、広大な謁見の間に招き入れる予定の二人を今か今かと待っている。
「今日は本当に素晴らしい日だ。あの凶悪な『亡霊船』すら歯牙にもかけなかったと言う新たな二人の英雄が、我が旗下に入ろうというのだからな!」
国王はいつになく上機嫌に笑いながら、周囲の臣下に声をかけている。壁際に設けられた王族用の座席には、王子二人と末娘のロザリー王女が並んで腰掛けており、皆一様に笑顔だった。
何といっても王の言うとおり、新たな二人の『英雄』の力は、かつての五英雄さえ凌ぐのではないかと噂されている。それがエレンタード王国の戦力となれば、星界最強の国家の称号も夢ではない。現にネザク・アストライアは、クレセント王国をほぼ独力で支配下に置いていたほどの人物なのだ。
だが、そんな中、ロザリーだけは違った意味で頬を染め、微笑を浮かべている。彼女はあの日、ネザク少年に助けられた時以来、ずっと彼に懸想していた。城内のゴタゴタが片付くまで中々顔を合わせられないでいたが、自分を救ってくれた白馬の王子様が国の救世主として謁見の間に迎えられるのだ。待ち遠しい気持ちは、父親以上に持っていたことだろう。
「救国の英雄、エリザ・ルナルフレア並びにネザク・アストライア。両名が参りました!」
先触れの使者が現れ、室内にどよめきが走る。すでに部屋の外からは激しい歓声が上がっていた。
そして、ついに謁見の間の扉が開かれ、先導する従者に導かれるように二人の少年と少女が現れた。厳粛な雰囲気の中、国王により叙勲されることになる二人の少年と少女は、さぞかし緊張に身体を固くしていることだろう。
彼らのことを可憐な容姿の少年と少女であると聞かされていた臣下の者たちは、そんな暖かい気持ちで二人を迎え入れるつもりだった。
が、しかし──
「うっわあ! なにこれ! これが謁見の間? ただ王様に会うためだけなのに、随分無駄に広いんだね!」
サイズを合わせたらしい儀礼式典用の軍服を身に着け、腰に黄金の柄ごしらえの優美な剣を差して歩く赤毛の少女。凛々しくも美しい少女の口からは、間違ってもこんな場所で飛び出してはいけない言葉が発せられる。
「……へ?」
間の抜けた声は、謁見の間のあちこちから漏れ聞こえた。だが、続いて現れた少年はと言えば……。
「だ、駄目だよ、エリザ! そんな失礼なこと言っちゃ! 王様って体面が大事なんだよ? 威厳なんてこうでもしないと出ないんだから、仕方ないじゃないか!」
魔導師風の衣装を身にまとい、背中に古ぼけた錫杖を括り付けて歩く金髪の美少年。彼の発言は無論、ベルモント二世のことを指したものではない。自分自身が魔王として人々と面会したときのことを思い出してのことだ。だが、この時この場でそれを口にすることが、どれだけ痛烈な皮肉になってしまっているのか、彼は気付いていなかった
「あ、あがが……」
あんぐりと口を開け、絶句したまま固まるのは、本日この場をセッティングした式部官僚の面々だ。彼らはもちろん、あらかじめアルフレッドやアズラルに了解を取り、衣装合わせを行い、王の面前に出てきた時に述べるべき口上まで二人にレクチャーしたうえで、今回の面会にこぎつけたのだ。だが、結果は惨憺たるものだった。
彼らはどうにか気を落ち着けると、恐る恐る玉座の方へと目を向けた。そして一瞬で青褪め、弾かれたように顔を背ける。彼らが目にしたものはもちろん、額に青筋を浮かべ、ぴくぴくと唇を震わせているベルモント二世の顔だった。すでに式部官僚たちの中には、田舎に帰るための算段を頭の中で立てはじめる者さえいた。
「だから、止めた方がいいと言ったんですけどね」
そんな彼らの顔を気の毒そうに眺めつつ、アルフレッドは二人の少年少女の後ろから姿を現す。
「おお! アルフレッド様だ!」
そんな声が詰めかけた人々から上がる。先ほどの二人の声は聞こえなかったものとして、気を取り直そうというのかもしれない。アルフレッドは仕方なく、人々の歓声に手を挙げて応えつつ、二人の少年と少女に声をかけ、ひとまず無事に所定の位置まで辿り着かせた。
「……こ、こほん! そ、それでは、このたび、我が国をエクリプス王国の魔の手から救った英雄二人に対し、陛下御自らの手による叙勲式を執り行う! 両名は前に進み出よ!」
二人は事前に言われていた通り、ゆっくりと前に進み出ると、揃って床に片膝を着く。それを見て、ようやく安堵の息を吐く式部官僚たち。この時点で先ほどの発言は、年若い少年たちが緊張のあまりやってしまった失敗だとみなされており、ベルモント二世も落ち着きを取り戻して玉座から立ち上がる。
「面を上げよ」
王は、厳かな声で命じる。その声に、二人はゆっくりと顔を上げた。ネザク少年と目が合う。国王自身、彼には一度、命を救われている。あの時は突然のことにその顔を良く見ている暇もなかったが、なるほど、確かに女性と見紛うほどに美しい少年だ。
「さて、よくぞ来た。新たなる英雄たちよ。余は汝らを歓迎しよう。そして、改めて礼を言おう。汝ら新たなる英雄の力により、我が国は救われ……」
「あ、あの、ごめんなさい」
少年の声は、それほど大きかったわけではない。だが、国王の発言を遮っての言葉は不敬の極みだ。何事かと思い、唖然とする観衆たち。そして、再び顔を青褪めさせ、今にも口から泡を吹きそうな官僚たち。そんな彼らを尻目に、ネザク少年は言葉を続ける。
「そ、その……僕は英雄じゃないんです」
彼はそう言った。それは、聞きようによっては謙遜の言葉だ。そのため、この瞬間に限って言えば、国王もその他の観衆たちも、一様に納得のいく表情を見せた。
「何を言うか。謙遜など必要ないぞ。少年よ。汝はこの国を救った英雄だ。余と余の娘、ロザリーの命をも救ってくれた汝が英雄でなければ、この世に英雄なぞおらんことになる。……そうであろう、ロザリー?」
ベルモント二世は言葉を遮られた不快感をおくびにも出さず、度量の広いところを見せようとしているようだ。
「は、はい! お父様。ネザク様は……間違いなく、真の英雄ですわ!」
うっとりと頬を染め、熱情に潤んだ瞳で言う王女。さすがの国王も、娘のあまりの豹変ぶりに戸惑いはしたものの、気を取り直してネザクに声をかける。
「このとおり、娘もこう申しておる。気兼ねなく叙勲を受けるがよい」
言い聞かせるように優しく言葉をかけた国王に対し、ネザクはまったく臆することなく首を振る。実際、彼は会場の人の多さにこそ圧倒されていたが、王の威厳に対しては、先ほどの発言どおり、何も感じてはいなかった。
「いえ、そうではなくて」
「なに?」
「僕は、『英雄』じゃなくて、『魔王』なんです。ほら、クレセント王国にいた時から僕の名前、聞いてませんでしたか? 魔王ネザク・アストライアって」
「な……」
石のように固まる国王。無論、彼とてそれは聞いていた。だが、そんな彼が今回のエレンタードの危機に『馳せ参じた』ことで、それはあくまで一種の『売名行為』なのだと思っていた。
インパクトのある言葉で名を売り、自分の存在を印象付けてから大国に自分を売り込もうという作戦。そもそもクレセント王国を実質的に支配していた彼に、そんな必要があるのかは疑問だったが、旧態然としたあの国よりエレンタード王国の将来性に賭けたということかもしれない。そう思っていた国王ではあったが、もし、そうでないとするならば……
「ならばなぜ、我が国を救った? ……ま、まさか、クレセント同様に我が国を魔王の名のもとに支配するためなのか?」
思いつくままに言葉を口にしたベルモント二世だが、自分の発言が真実なら、これは致命的な状況だ。よりにもよって、侵略者たる『魔王』を自分の懐に呼び込んでしまったことになるのだ。
「違うよ。馬鹿だなあ。それだったら、あの時、王様のことを見殺しにしてるってば。僕はね。皆に好かれる新しい『魔王』になりたいんだ。だから、僕のことは『英雄』じゃなくて、『魔王』って呼んでもらわないと困るんだよ」
「な! あ、が……」
意味不明にして常識はずれな物言いに、国王は言葉もない。
「ネザク様! わたくしは、英雄でも魔王でも構いませんわ!」
そう叫んだのは、ロザリーだ。彼女は頬を赤く染めたまま立ち上がり、どよめく会場の声を意にも介さず、少年の元まで歩み寄り、彼の手を取った。これにはさすがにネザクも、それから隣で成り行きを面白そうに見守っていたエリザも、驚いて立ち上がる。
「え、えっと、ロザリーさん? どうしたの?」
「はい、ネザク様! わたくしを、あなたの妻にしてください!」
爆弾発言だった。
「ええ!?」
途端に顔を赤くして叫ぶネザク。
謁見の間は一気にヒートアップし、悲鳴とも怒号とも聞き分けのつかない声が上がる。
「ちょ、ちょっと待て!」
エリザはわけがわからないながらも、どうにかそこに割って入る。
「なんですの、あなたは? わたくしはネザク様とお話ししているのです。下がりなさい」
恋は女を強くする──のだろうか? 臆病で引っ込み思案だったはずの少女が、仮にも英雄の称号を冠する少女相手に一歩も引かない気迫を見せている。
「い、いや、その……いくらなんでもいきなり結婚とか、ちょっと落ち着いた方が……」
さすがのエリザも雰囲気にのまれてしまったのか、常識的な言葉を繰り返すのみだ。
「いいえ。王族ならば早すぎることはありません。……そうですわ! わたくしが王女で、ネザク様が魔王なら、二人の間に身分の差など……って、ちょっと離してください!」
「ロザリー! ちょっと落ち着けってば!」
ようやく事態の収拾を図るべく、二人の王子が飛び出してきた。ロザリーは二人の兄に羽交い絞めにされるように、ずるずると自分の席まで戻されていく。
「……あ、あはは。ま、まあ、とにかく、そういうことだから。英雄としての叙勲ならいらないよ。でも、僕は正義の味方や英雄にはなれないけれど、悪い奴にとっての敵、『魔王』だ。そのつもりで、今後もどうかよろしくね」
突然の王女の求婚には、さすがの彼も動揺を隠せないらしく、それだけ言い残すと足早に会場を後にする。
「あ! おい、ネザク!」
エリザはそんなネザクの後を追うべきか迷い、後ろを振り返ったところで保護者役のアルフレッドと目が合った。
「……だから、止めておいた方がいいって、言ったんだ。……言ったんだ。あのカグヤが、『面白そうだから行ってきなさい』だなんて言った時点で、こうなるのは目に見えてたんだから……」
虚ろな目でぶつぶつとつぶやくアルフレッド。彼らの保護者役である彼は、ある意味、式部官僚より大きな責任がある。むろん、英雄である彼をこの程度のことで国王が処断することはありえないが、責任感が強く、真面目な彼に甚大な精神的ダメージがあったことは想像に難くない。
「こ、ここで、あたしまでいなくなったら、先生、死んじゃうかな……」
目を合わせたのにこちらに焦点を合わせようとしない彼を見て、エリザはその場にとどまることを決めた。だが、果たしてそれが正しい選択だったのかどうか。それは、この後すぐに示されることになる。
「…………と、ところで、エリザ・ルナルフレア。君の方は確か、この国の出身でもあり、アルフレッドの弟子でもあるのだろう?」
気を取り直して、というか、式典に際してはいささか砕けてしまった口調で、どうにか体裁を保っただけの言葉を口にするベルモント二世。この時点で式部官僚の大半は、式典会場から脱兎のごとく逃げ出している。
「え、えっと、そう……ですけど」
どうにか敬語を使うエリザ。そのことに気を良くしたベルモント二世は、続けて彼女に問いかける。
「ならば、君の方は問題あるまい。我が国において、アルフレッドと並ぶ英雄として叙勲しよう。彼と同じく、どこぞに領地を与えてやってもよいぞ」
そう言われて、彼女は反射的に首を振る。
「ううん。いらない」
あっという間に敬語も忘れてしまったようだ。
「な、なぜだ……? ま、まさか君も……」
「え? あたしはネザクとは違うよ。『英雄』だもん」
「な、ならば!」
「でもさあ、王様。あたしはね。……『救国の英雄』だなんて、ちっぽけなものになりたいわけじゃないんだ」
「ち、ちっぽけ?」
国王には、もはや自分への不敬な言葉遣いのことなど気にする余裕もないようだ。ただひたすら、エリザの言った信じがたい言葉をおうむ返しに繰り返す。
「あたしがなりたいのはさ。先生を超えるような、『世界最高の英雄』なんだ。だから、国を救ったぐらいでいちいち叙勲とか、必要ないよ。めんどくさいもん」
「……………」
この日、最大級の非常識発言が飛び出したところで、王は白目を剥いて倒れることとなった。
「陛下……申し訳ございません。……いえ、ごめんなさい、ごめんなさい」
アルフレッドは、今度こそ大騒ぎとなった会場の様子を他人事のように見つめつつ、心の中で自分の主君に謝罪の言葉を繰り返していた。
──そんな華やかで騒々しい式典の裏側で。
「……俺を笑いに来たか? 弟よ」
薄暗い地下牢に、冷ややかな男の声が響く。
「いいえ。兄上。同情しに来ました」
「ぐっ!」
飄々とした男の声に、牢の主は怒りに満ちた呻き声を上げる。
「皮肉じゃありませんよ。僕だって驚きなんです。まさか、あの二人があそこまでのものだとは思わなかった。あの二人さえいなければ、兄上の野望は確実に成就していたはずだ。それを思えば、同情のひとつくらい、したくなります」
「いったい、何者なのだ? あの二人は……」
「少女の方は、わかりません。僕が『知っている』のは、少年の方です」
「なに?」
「兄上に対する劣等感から、僕が禁術も含むありとあらゆる研究を繰り返していたのは、兄上もご存じでしょう?」
「…………」
エルスレイは答えない。だが、そこに別の声が響く。
「あなたは弟の研究施設を盗賊が焼き討ちしたように見せかけて、そこから資料を持ち出し、『黒の教団』に研究の続きをさせた。……もうネタは上がっているのよ?」
「……貴様は?」
闇からにじみ出るように姿を現した黒の魔女に、いぶかしげな目を向けるエルスレイ。
「あなたが影ながらに操っていた『黒の教団』。かつてはわたしも、そこの一員だった。だから、研究の内容は、あなたよりもよく知っている。……『亡霊船団』のことも『新月の邪竜』のこともね」
「ククク、なるほど。あの教団の壊滅は不可解だったが、やはりお前の仕業だったのだな? アズラル」
「さあ? 僕は知りませんよ」
アズラルはとぼける。もっとも、本当に知らなかったのだから当然だ。
「あの子もまた、『教団』の狂気の実験で生まれたモノよ。黒霊賢者が『吸血の姫』や『繊月の器』、『新月の邪竜』といった諸々の存在を研究し続けた結果、辿り着いた一つの『仮説』にして『到達点』ともいうべきもの。それを現実のモノとした存在」
「……まあ、僕としては机上の空論も甚だしい、荒唐無稽な絵空事のつもりだったんだけどね。それを実現させちゃうんだから、世を妬む連中の執念って侮れないよねえ」
交互に言葉を続けるアズラルとカグヤ。
「で? どうするつもりだ? 今のうちに俺を殺すか? だが、捕虜となった俺が牢で死ねば、今もなお国に残る俺の信奉者たちが黙ってはいないぞ。それこそ全面戦争が始まるだろうな」
彼らの言葉を無視するように、そんなことを言い出すエルスレイ。
「ははは。兄上は相変わらずですね。それなら心配いりませんよ。ご存じでしょう? 『人心』なんて、それこそ、その気になれば僕と彼女の黒魔術でどうとでもなる。そう……兄上だって例外じゃありません」
「な、ば、馬鹿な……待て! や、止めろ!」
彼は必死に己の懐をまさぐるが、霊戦術の媒介となるものはすべて没収されている。
「皮肉ですね。もし兄上が、御自身が言うところの『中途半端な狭間の子』だったなら、この状況でも打つ手はあったのでしょうに」
「……今さらわたしは、あなたを恨むも何もないけれど、これは『けじめ』なの。覚悟してもらうわよ」
二人の操る闇が、若き天才国王に迫る。
次回「第72話 少年魔王と進路相談」




