第69話 少年魔王と正面突破
エリザとアズラルによる奇襲攻撃が開始される直前のこと。ネザクは迷うことなくまっすぐ王城の正門へと歩を進めていた。門番役の兵士たちをカグヤの黒魔術で追い払うと、二人は城門の前に立ち、感慨深げにそれを見上げる。
「……こうしていると、キルシュ城に乗り込んだ時のことを思い出すわね」
「……うん。あの時は旅の途中なのに急に広いベッドで眠りたい、とか言い出すから参ったよ」
目の前にそびえ立つのは、あの時よりも遥かに巨大で頑強な鉄の門だ。当然ながら、門扉は固く閉ざされている。
「じゃあ、どうする? また、ラスキアにでも開けてもらう?」
カグヤが悪戯っぽく問いかけるが、ネザクは軽く首を振った。
「ううん。これくらい、自分で開けるよ」
言いながら、ネザクは『ルナティックドレイン』を発動させる。既に彼は、この能力を完全に自分の制御下に置いていた。
「よいしょっと」
軽い掛け声に反し、重々しく響く扉の音。メキメキと音を立てて巨大な閂が破壊され、城門は小柄な少年の手によって、ゆっくりと押し開かれていく。城門を護るのはエレンタードの守備兵たちだ。彼らは『亡霊船』に城を蹂躙され、王族を人質に取られるという状況の元、やむなく門扉を固く閉ざし、守りを固めてきた。
だが、こんな事態は想定もしていなかっただろう。魔導師風の服をまとう可愛らしい少年は、涼しい顔で重い扉を開き切る。この時点ですでに、守備兵たちは混乱の極みにあった。
「う、嘘だろ?」
「い、いったい何が……」
「ば、化けもの……!」
武器を構えることも忘れ、呆然と少年を見つめる兵士たち。そんな彼らに向かって、ネザク少年は、天使のように無邪気な顔で笑いかける。
「もう安心だよ。僕は敵じゃない。みんなを助けに来たんだ」
不思議とよく通る声。それもそのはず、少年の後ろでは、こっそりカグヤが声を届かせる魔法を発動していた。
「え、えっと、君は何者なんだ?」
あまりにも現実離れした光景に、守備兵たちも中途半端に警戒を解いたようだ。彼らの中でも隊長格らしき人物が声をかけてくる。するとネザクは、さらにその笑みを深くした。
「僕は魔王。魔王ネザク・アストライアだよ。よろしくね」
「なに?」
兵士たちの間に、ざわめきが広がる。悪逆非道な『魔王』という言葉のイメージは、目の前の少年の姿とは、まるで重ならないものだ。だが一方、国境線での戦闘に参加した魔法騎士たちが口々に言っていた言葉は、彼らの記憶にも新しい。
いわく──魔王は、美しい少年の姿をしている。
「……ま、まさか、本当に?」
「くそ! こんな時にどうして魔王まで!」
途端に、表情を厳しくして武器を構える兵士たち。どの顔にも怯えの色がある。
「あらあら、やっぱりそんなに簡単じゃないわよね」
「……う、うん」
カグヤに言われて、しょんぼりとうなだれるネザク。カグヤは、そんなネザクの頭をぽんぽんと軽く叩き、それから自分の隣に厳しい視線を向けた。
「ほら! アンタがぐずぐずしてるから、ネザクが傷ついちゃったじゃない! 早くしなさいよね」
「い、いや、君が黙って見てろって言ったんじゃ……」
「何か言った?」
弱々しく反論を試みた声の主を、ひと睨みで黙らせるカグヤ。睨まれた当の彼は、諦めたように軽く息を吐いた後、周囲の兵士たちに呼びかける。
「みんな、聞いてくれ! 俺はアルフレッド・ルーヴェル! 俺たちは王都奪還のためにここに来た。すでに『亡霊船団』は、その大半を俺と……ここにいる魔王ネザクの手で撃破済みだ。だから、後は俺たちに任せてほしい!」
英雄の号令。その声こそ、カグヤの魔法抜きでも兵士たちの心に広く染み渡る。魔王が仲間だという事実は理解しがたいが、それでもアルフレッドは、世界最高の英雄だった。彼と同じ国の兵士だということだけで、誇らしい気持ちになれる。私利私欲や国家間の利害を超えて人々を束ね、世界の邪悪を討ち果たした真の英雄。
「アルフレッド様! 万歳!」
気づけば、守備兵たちの間からそんな叫び声が上がり始めていた。
「……まったく、大した人気ぶりね」
呆れたように言いながら、カグヤは正面を見据える。その先には、本丸へと続く道があるが、途中には第二城壁が存在しており、そこもまた固く門扉を閉ざしている。
「あの門と城壁は、特殊な結界で封じられているんです。とんでもなく強固な結界なので、誰の手にも負えませんでした」
守備兵たちの中でも隊長格らしき男が、そう教えてくれた。
「……カグヤ、わかるかい?」
「ええ、どうやら『亡霊船団』の『死霊の障壁』を応用して作った結界みたいね。たぶん、生半可な攻撃じゃ破壊できないわよ」
「でも、やるしかない。アズラルさんの考えに従うなら、俺たちがここで躊躇すればするほど、人質を使われる可能性が高くなるんだ。たとえ無理でも、押して通るよ」
力強く断言するアルフレッドに、カグヤは冷めた視線を向ける。
「何かっこつけてるのよ。全然かっこよくないわよ? だいたい、『亡霊船』数隻分の障壁なんて、あなたに破壊できるわけがないでしょう?」
「…………」
すげなく言われて、落ち込むアルフレッド。どちらかと言えば、力不足を指摘されたことより、『かっこよくない』の一言の方が傷ついたらしい。
「まあ、ここは僕に任せてよ。ここは僕らしく、魔王らしく、正面突破で進まなきゃね」
ネザクはそう言うと、立ち止まって自らの胸の前に漆黒の球体を出現させる。
「《絶対禍塵》の凝縮体。あんなに強力な障壁じゃ、この力でも壊せないだろうけど」
暗界第四階位、堕落天王ルシフェルの破壊の力。ネザクは手にした錫杖の先端の輪を左右に振ることで、暗黒球体を輪の中に何度も潜らせた。
すると、輪の中を通るたびごとに、漆黒の球体に変化が起こる。ほぼ真球の形状を維持していた黒い球は、あたかも雷が帯電しているかのような音を立て、その輪郭をぐにゃぐにゃと歪ませていく。
「じゃあ、行くよ。……発動、《無限絶対禍塵》」
ネザクの声に合わせるかのように、暗黒球体は一定の速度で飛んでいく。そして、城門に接触するや否や、大爆発と共にそれを粉々に打ち砕く。地響きが周囲の建物を揺らし、空気を震わす轟音がビリビリと響き渡る。
「ちょ、ちょっと、頼むから城を壊すのはやめてくれよ?」
思わずそう口を差し挟んでしまったアルフレッドを尻目に、ネザクは結界の破壊を確認すると、手にした錫杖を楽しげに振りかざしつつ、ずんずんと歩いていく。
「まあ、あの子だって流石に城を崩壊させたりはしないわよ」
「い、いや……そうじゃなくてさ……」
崩壊させなければいいってものじゃない。カグヤの言葉にそう言い返したくても、何故か言葉にならない。言っても無駄だろう。そう気づいたからだ。もし、この場にエリックがいたなら、アルフレッドの心境に強く共感してくれたかもしれないが、この時点の二人には、いまだ面識すらなかった。
「えーっと、僕の目的は王様たちを助けてあげることだよね。じゃあ、とりあえず情報収集と行こうかな?」
ネザクが錫杖を一振りすると、虚空からキラキラと輝く蝶が出現する。それも、一匹や二匹ではない。数千匹に達していようかという大量の蝶の群れ。光の鱗粉を撒き散らしながら、蝶の大群は城の中へと飛び立っていった。
「あ、あれって?」
「幻界第二十階位の『魔』、幻の霊蝶メメトよ。二十匹で一体の『魔』を数百体ってところかしら?」
「とんでもないな……」
もはや次元が違う。『魔』を従える王。ネザク・アストライア。彼の後姿を見て、あらためてアルフレッドは呆れるしかない。
「ほら、ぐずぐずしてないで、行くわよ。あなたは一応、味方が出てきた時の通行手形なんだから」
「うん……。その扱いに関しては後でじっくり相談したいところだけど」
ますます遣る瀬無い気持ちになりつつ、アルフレッドはカグヤの後に続いていく。
──その頃、突然の奇襲にエルスレイが即断で出撃を決め、謁見の間を後にしたこともあり、エクリプス王国軍は混乱状態にあった。もともとエルスレイは、戦力のほとんどを『亡霊船団』に頼る形を取っており、その他の軍勢は烏合の衆に近いものである。
謁見の間の中も例外ではなく、一部の優秀な部下たちは既に『亡霊船』へと向かっており、現在までこの場に取り残されているのは、エルスレイがベルモント二世への脅しのために用意したガラの悪い兵士たちぐらいのものだ。
「お、おい、どうする? もしかしてこれって、やばいんじゃないのか?」
「ああ、さっきからすげえ揺れてるし……逃げた方がいいんじゃ?」
ロザリー王女の腕を拘束する縄を手にしたまま、兵士たちは顔を見合わせていた。彼らの主君は彼らに対し、「好きにしろ」と言い残していなくなってしまったのだ。
「馬鹿野郎。もう手遅れだよ! 考えてみろ! あの化け物船団が護ってるはずのこの城が、こんな状態なんだ。敵がどんだけの大軍で来てるかわかったもんじゃないぞ。逃げられるもんか!」
「嘘だろ? いやだぜ、俺はこんなところで、死にたかねえ!」
口々に支離滅裂な叫びをあげる兵士たち。
「ひっ!」
血相を変えた彼らの姿に、荒事に慣れていない深窓の姫君は、怯えたような声を上げる。だが、それがまずかった。彼らはその声で、それまでその存在をすっかり忘れていた王女の方へと意識を向けてしまったのだ。
血走った目には、もはや正気の光はない。
「う、あ……い、いや……!」
十代半ばの見目麗しい姫君。だが、歳不相応に発育した身体つき。怯えたような表情は、男たちの獣欲をかきたてるに十分過ぎるものだった。
「へ、へへへ! じゃあよ、どうせ死ぬんだ。だったら死ぬ前に少しくらい、いい思いしても罰は当たんねえよなあ?」
「ああ、そうだ。お高くとまったお姫様がどんなもんだか、是非『味見』させてもらわねえとなあ」
「そ、それによう、こいつを人質に使えば、助かるかもしれねえぜ?」
男たちは口々に勝手なことを言いながら、怯えるロザリーへと迫っていく。
「……い、いや! やめて! こないで……」
「ひひひ!」
目に涙を浮かべ、怯えた声を出すロザリー。それを見て、ますます興奮の度合いを高めていく獣たち。だが、その時。
「き、貴様ら! やめろ! ロザリーに手を出すな!」
謁見の間の床に這いつくばらされていた、国王ベルモント二世の声だ。目の前で愛娘が凌辱されようとしているのを見た彼は、二週間以上にわたる地下牢生活で弱った足腰に鞭うつように立ち上った。
「ああ? なんだよ、おっさん。邪魔すんじゃねえ」
「これから姫さんに気持ちいいことを教えてやろうってんだから、黙って見てろや」
「ははは! 娘の成長を確かめる機会ができて、良かったなあ、ええ?」
口々にからかいの言葉を吐く男たちに怒りを爆発させた国王は、叫び声をあげて彼らの一人に飛びかかる。──直後、鈍い音が響く。殴りかかられた男は、予想外の動きに全く反応できないまま、拳の一撃を頬に喰らって倒れ込んでいた。
腰の入っていない拳には、大した威力はない。だが、痛みはあった。男はすぐに立ち上がると、殺気交じりの声で叫ぶ。
「てめえ! ぶっ殺してやる!」
腰に差した鞘から剣を抜き放ち、腰砕けに倒れてしまった国王の身体を蹴り飛ばして転がすと、彼の真上に逆さまに持った剣を構える。
「ぐっちゃぐちゃにぶっ刺して殺してやるぜ!」
ぎらぎらと憎悪にたぎる目は、足元に無様に横たわる初老の男性を見下ろしている。仮にも国王と名のつく相手をこうして見下ろし、その生殺与奪を好きにできるという状況は、男に得も言われぬ優越感をもたらしていた。
「へへへ! じゃあ、まずは脚からぶっ刺してやろうか!」
「いやあ! やめてえ! お父様ああ!」
ロザリーが半狂乱になって叫ぶも、他の兵士たちが彼女を取り押さえ、その口を塞いでしまう。身動きは愚か、まともに声すら上げられない状況の中、目の前で始まる残虐な処刑の光景に、ロザリーの瞳が絶望に染まる。
「──駄目だよ。弱い者いじめは」
あどけなさが残る、少年の声。
「え? な、なんだ?」
まっすぐに突き下ろした剣。だが、その刀身はそっくり消滅していた。剣があるべき空間には、代わりに真っ黒な蠅の集団が飛び交っている。
「う、うわあああ!」
驚いて尻餅をつく彼の目の前で、蠅たちは一糸乱れぬ統制のとれた動きのまま、謁見の間の入口へと戻っていく。歩いてくるのは、一人の少年。魔導師風の裾の長い衣装をまとい、絹糸のような光沢のある金髪は、少年らしく短めに切りそろえられている。
何より少女と見間違えるほどの美しい容貌には、兵士たちも息を飲むしかない。
「き、きれい……」
こんな状況だと言うのに頬を赤く染め、ロザリーはぽつりとつぶやいた。
「それに、女の子を泣かせるなんて、最低だね」
自分の元に戻ってきた蠅を左手に開いた『口』の中に吸い込みながら、少年は厳しい表情で言う。
「な、なんだ、お前は……何者だ?」
「た、助けて!」
兵士たちの誰何の声と王女の助けを求める叫び。当然ネザクは、後者に向けて返事を返す。
「うん。任せて。僕は君を助けに来たんだ」
「……あ、は、はい」
にっこりと笑うネザクに、ロザリーは熱に浮かされたような顔で頷く。今の彼女には、ネザク少年の姿が白馬の王子に見えていた。
「で? 僕が何者かって質問だけど……魔王だよ」
「へ?」
めんどくさそうに答えたネザクの言葉に、その場の誰もが理解不能という反応を示した。
「魔王ネザク・アストライア。聞いたことない?」
ないわけがない。かの魔王の名は、エレンタード国境戦争の後、爆発的に星界全土に広まったのだ。世界最強の軍事国家クレセントを占領し、五英雄をまとめて相手にしてもなお、敗れることのなかった『魔王』。
だが、そんな化け物の存在と目の前の少年の姿が、どうしても重ならない。
「ば、馬鹿な……どうして、魔王が?」
ようやくここで、倒れていた国王が疑問の声を上げた。それに対し、ネザクはあくまでにこやかに笑う。
「うん。まあ、僕も心を入れ替えたんだよ。エリザのおかげでね。だから、安心していいよ。僕は王様の味方だ。というより、『わるいやつ』の敵になって、僕は皆に好きになってもらいたいのさ」
言葉とは裏腹に、ネザクは特別な『善悪の判断』など、してはいない。誰かを護り、誰かを助けることは、自分が好かれるために必要な条件だ。だからこそ彼は、誰かを傷つける相手を『わるいやつ』だとみなし、敵対する。
「さ、さっきから何を訳のわかんねえことを! ここから出ていけ! 出て行かねえと二人を殺すぞ!」
彼らもようやく、人質を使うことを思いついたらしい。だが、超常的な力を持つ敵の眼前で人質を取ることほど、愚かしい真似はない。エルスレイが決して取ろうとしなかった手段でもある。
「君らが二人を殺すより、僕が君らを殺す方が速いよ」
言い終わった時には既に、ネザクは男たちのうち、二人を錫杖の先で殴り飛ばしている。最後にロザリーの身体を拘束する男の腕を掴み、引っこ抜くように投げ飛ばして壁へと叩きつける。
ただそれだけで、男たちは残らず絶命していた。
「大丈夫? 怪我はなかったかな?」
「……あ、は、はい! あの、ありがとう……ございます」
顔を真っ赤にして礼の言葉を口にするロザリー。元来、彼女は臆病な少女である。しかし、いかに超人的な力を振るう少年ではあっても、この外見を怖がれという方が無理があるのかもしれない。
「どういたしまして。魔王として、当然のことをしたまでだよ」
ネザクは『ルナティックドレイン』を解除すると、王女の腕の縄を解きながら、笑って言った。
次回「第70話 復旧工事と王の密会」




