第66話 星霊剣士と黒霊賢者
エクリプス王国の『亡霊船団』によって、王都エレンタードが陥落してから二週間が経とうとしていたこの日、王都奪還に向けて動き出した二人の英雄は、王都にほど近い商業都市ミディアで潜伏を続けていた。
王都が貴族や軍人が集う厳粛な雰囲気に包まれた街であるのに対し、ここミディアは、それとは対照的に商人や観光客でにぎわう繁華街だ。人や物、それに何より情報が多く集う街であり、アルフレッドとアズラルがここに訪れたのは、王都の現状を確認するためでもある。
──丸テーブルが並ぶ店内にて、少女が一人、困ったような顔をしていた。
「お、お客様……」
「いやあ、お嬢さん。僕は今、すごく感激しているんだ。何故かって? 決まってるさ。これは運命だ。たまたま立ち寄ったお店に、こんなにも素敵な女の子がいるんだぜ? これを運命と呼ばずして、何て言うんだい?」
彼らが人の多い飲食店に入った目的も情報収集を兼ねたものであり、目立つことのないよう、二人は偽名を使い、ちょっとした変装までしている。
そう、目立ってはダメなのだ。五英雄の二人がこんなところにいると知られれば、エクリプスの国王エルスレイは、軍を大挙してこの街に攻め入るだろう。
「あっはっは! いやいや、本気だよ。なんなら今度ぜひ、素敵な君に良く似合う、素敵なドレスでも贈らせてもらおうか」
当然のことながら、こんな風に給仕に来てくれた年端もいかない少女を捕まえて、歯の浮くような口説き文句を連発していれば、間違いなく目立つ。
変装のため、いつものような黒一色の服装でこそないものの、優男風の容貌に不似合いな嫌らしい目で少女を見つめるアズラルは、この店の中でダントツに異彩を放っていると言えよう。
「…………」
それまで我慢を続けていたアルフレッドのこめかみが、ピクピクと震えている。
「お、お客様……困ります……」
小柄で可愛らしい給仕の少女は、困惑顔で応対を続けていたが、そこに大柄な一人の男性が現れる。それまでカウンターの向こうで黙々と調理を続けていた彼は、恐らくこの店のマスターだろうと思われた。
「ん? なんだい? 僕はむさい男には興味は……」
アズラルは蠅でも追い払うように手を振り、相手の顔を見ようともしない。だが、そんな彼の余裕も、その男性がドスの利いた声を出すまでのことだった。
「おい、うちの娘に手を出そうなんざ、いい度胸してるじゃねえか。ああ?」
「……え? お、お父様で……らっしゃいます?」
顔をひきつらせるアズラル。
やはり、こうなった。アルフレッドは他人の振りをして早々と席を立ち、会計を済ませると一足先に外に出る。
時間帯としては、ちょうど昼過ぎと言ったところか。徐々に日が短くなりつつある『蒼季』ではあるが、流石にこの時間は外も明るく、太陽は街のにぎわいを眩しく照らし出している。
「なんだか、十年前を思い出すなあ……」
道行く人々をぼんやりと眺めつつ、遠い目をしてつぶやくアルフレッド。すると、そのすぐ足元に、店から叩き出されるように這いつくばった男が一人。
「いてて……。まったく、冗談も通じないんだからねえ」
服に付いた埃を払うようにして立ち上がるアズラルを、アルフレッドは横目で見つめ、改めて深々とため息を吐く。
「どうしたんだい? 悩み事かな? 僕が聞いてあげようか?」
しれっと言ってくるアズラルに、ますます肩を落としてしまうアルフレッド。
「……いえ。確か、十年前に二人で諸国を回った時も、似たようなことがあったかなと思っただけですよ」
「おやおや、その歳で昔を懐かしむなんて、少し早いんじゃないかい?」
「……もういいです。それより、エクリプスの方は思った以上に動きがありませんね」
話題を変えるようにアルフレッドが言うと、アズラルはにやりと笑う。
「まあ、そうだね。兄上のことだから、僕らの動きを待っているんだろうさ。つまり、先手を打つ権利だけは保障されているってわけだ」
「その打つ手については、考えがあるんですか?」
「確実なのは、『亡霊船団』の駐留場所に奇襲を仕掛けて起動前に破壊してしまうことだ。駐留場所については、これまでの情報であらかた目途はついたんだけど………」
「何が問題なんです?」
「『亡霊船団』を操縦する人員は、おそらく全員が腕利きの霊戦術師だ。僕らがどんなに息を潜めて近づいても、彼らの索敵に引っかからないわけがない」
加えてアズラルの兄、国王エルスレイは『星心克月』を会得した霊戦術師である。その索敵術は並大抵のものではないだろう。アズラルがそう付け加えると、流石にアルフレッドも難しい顔になった。
「……でも、他に方法はないでしょうね」
「ああ。できれば戦力を整えて挑みたいところだけど……生半可なメンバーじゃ、かえって足手まといになるだろうしね。それに、あまり時間を置けば、兄上がエッダに攻撃を始めないとも限らない」
「……覚悟を決めますか」
アルフレッドがぽつりと言えば、その考えを読んだようにアズラルが頷きを返した。
「ああ。気づかれることを覚悟で速攻をしかける。一隻でも多く破壊できれば、その後の戦況も有利にはなるだろう。船より操縦者を殲滅することに重点を置いてもいいかもしれないね」
何だかんだと言いはしても、長年の盟友でもある二人は、息の合ったやりとりを続けながら、王都奪還作戦の詳細を詰めていく。
──そして、翌日の早朝。
二人の英雄は、王都エレンタードの傍を流れる運河を遠くに見つめていた。
「……まったく、兄上も抜け目ないね。空を飛ぶ船だって言うのに、こんなに広い運河の中央に停泊されちゃ、攻撃もしづらい。せめて陸地に接岸していてくれればよかったんだけど」
「どうしますか?」
「まあ、どんなにやりづらかろうが、僕らの採るべき作戦は一つだよ」
「……でしょうね」
「最初に一隻でも多く破壊する。とにかく、停泊中の奴を一気呵成に攻撃しよう」
「わかりました」
アルフレッドは返事と同時に、星霊剣レーヴァと星霊楯ラルヴァを出現させる。黄金に輝く剣を手に持ち、身体の周囲に菱形の光を展開させたその出で立ちは、かつての戦争で多くの敵を畏怖させ、それ以上に多くの仲間の士気を鼓舞した凛々しい英雄の姿だ。
「僕は『黒霊術』で可能な限り、乗組員たちを無力化する。君は船本体を叩いてくれ」
「はい」
見た限り、運河に停泊する『亡霊船』の数は全部で七隻。断片的な情報からの推測ではあるが、恐らくエクリプスが今回の遠征に持ち出してきた船の数は全部で十隻強だ。
つまり、この七隻さえ落とせれば、状況は相当有利になるはずだった。彼ら二人は、沖合に停泊する黒々とした船体を見据えながら、大きく息を吐く。
「作戦開始!」
異口同音の号令にあわせ、二人の英雄は一直線に運河のほとりへと駆け寄っていく。この瞬間には、敵の索敵術の範囲に侵入したはずだが、構わず駆ける。
「発動! 《永久氷河の衝角剣》」
アルフレッドは、ただでさえ強力無比な自身の白霊術を、星霊剣で増幅し、運河の水面を薙ぐように振り抜いた。すると、パキパキと小気味良い音を立てながら、沖合に停泊する『亡霊船』に向け、一直線に運河の表面が凍りついていく。さらには凍りついた水面から無数の尖った氷柱が突き出され、それは『亡霊船』の真下からも突き上げられる。
激しい音と共に串刺しに貫かれ、破壊されていく『亡霊船』。
「よし! まずは一隻!」
アルフレッドは歩みを止めず、運河にできた氷の道を駆け抜けていく。
一方のアズラルは、いつの間にか出現させた鳥のような影に乗って、宙を滑空していた。
「おやおや、ようやく迎撃の準備かい? 遅すぎるね。……発動《影の騎士団》」
アズラルの術は、もっとも近くに停泊していた船の乗組員たちを対象にして発動する。彼らは一様に、己の影から立ち上がる不気味な黒い騎士の姿に混乱に陥った。ある者はそのまま討ち取られ、またある者は恐怖のあまり運河へと飛び込んで溺れていく。
騎士としての戦闘能力のみでなく、見る者に恐怖を与えるアズラルの『黒霊術』のひとつだ。禍々しい黒鳥に乗るアズラルは、『戦場の悪魔』という二つ名の面目躍如だと言わんばかりに、『亡霊船』の乗組員たちを蹂躙していた。
「……おかしいな。呆気なさすぎる」
術の発動を続けながら、アズラルは心のどこかに引っ掛かりを覚える。ちらりとアルフレッドに目を向ければ、彼は巨大な雷を別の船に叩き落とし、中央から真っ二つに叩き割っているところだった。
「兄上にしては、あまりにも警戒の仕方がずさんだな……ん? なんだ?」
気配を感じ、アズラルは上空に目を向けた。そこに浮かんでいたのは、これまで戦っていた船とは装いの異なる『蒼い船』だった。濃い群青色ともいうべきその色は、夜陰に紛れれば黒にも見えるだろうが、この白日の下では見間違えようはない。
「まさか……。アルフレッド! これは罠だ! くそ! この黒い船はダミーだぞ!」
「なんだって!?」
アズラルの声に船団への攻撃を中断したアルフレッドは、自分が半壊させた黒船の甲板上で信じられないものを見た。
──空に浮かぶ、禍々しい船。死霊を周囲に漂わせるその姿は、紛れもなく『亡霊船』。
しかし、アルフレッドが『信じられない』と思ったのは、その姿ではない。その船に備えつけられた大きな筒のような物。それが『こちら』に向けられ、その中に凄まじい魔力が集束していくのが見えたからだ。
「馬鹿な! 味方だっているのに!」
「……相変わらず、清々しいぐらいに外道だね。兄上」
驚愕の声を上げて見上げる二人に向け、蒼い船から純白にして極太の魔力光が射出される。
「くそ!」
「なんて魔力だよ……」
とっさに回避行動に出る二人。だが、降り注ぐ光の束はそこに停泊する船団をまとめて飲み込み、運河の水を蒸発させながら、猛烈な爆風をあたりにまき散らした。穏やかな運河の中に、突如として引き起こされる大津波。
何もかもを根こそぎ吹き飛ばすような砲撃は、ただ一撃で運河の地形そのものを大きく変化させてしまったのだった。
「ぐ、う……」
「ぶ、無事かい?」
王都から運河を挟んで反対側の岸辺。アルフレッドとアズラルは爆風に吹き飛ばされながらも、どうにか難を逃れていた。痛む体を押さえながら、どうにか身体を起こすアルフレッド。だが、圧倒的な脅威にさらされながら、その顔は恐怖ではなく、怒りに満ちている。
「……くそ! あれじゃ、あそこにいた人たちは全滅だ。囮にして、最後から殺す気だったのか?」
「……だろうね。道理で、なかなか僕らの接近に気付かないわけだ。兄上にとって、『無能』と判断された部下たちなんだろう」
身内の所業を語るアズラルの口調も、苦々しいものになっている。
「どうやら、あの蒼い奴が本物のようだけど……さすがに数十万の民の十年分の魔力だけのことはある。それに多分、あれ一隻ってことはないだろうね」
「いつまでも、ここにいるわけにもいかないでしょうね」
「ああ、まんまと引っかかったネズミを逃してくれるほど、兄上はお人好しじゃない」
見上げれば、先ほどの蒼い船がこちらに向かって移動を開始しているのがわかる。
「どうします?」
「まあ、決まってるさ。ここは戦略的撤退だ」
「逃げるんですね?」
「それを言ったらおしまいだよ」
アズラルはおどけたように首をすくめると、再び黒鳥を出現させる。
「さあ、乗って。移動するなら空の方がいいだろう」
十年前に世界を救った五英雄。世界最強の戦力であるはずの二人は、そろって戦場から逃げ出す羽目となってしまったのだった。
──それから、半日近くが経過したものの、依然として二人は『亡霊船』の追撃を振り切れないでいた。
「まったく、あの図体でなんて速度だよ。兄上がいるかどうかはともかく、索敵範囲もたいしたものだし……」
「挙句、物陰に隠れても障害物ごと吹き飛ばされたんじゃ、どうしようもありませんね」
二人の口調は気楽そのものだが、実のところ、かなり追い詰められていた。何しろ敵の攻撃が強力過ぎるのだ。直撃を回避しても、その余波を防ぐだけで相当な防御魔法が必要となる。
国民を巻き込むわけにもいかない以上、市街地のある方へは逃げることもできず、平原地帯の多いエレンタードでは隠れる場所を見つけるにも苦労する有り様だった。
「……このまま逃げていてもジリ貧だね」
「なら、戦うしかないでしょう」
二人は飛翔を続ける黒鳥の上で頷きあう。
「まあ、敵をかっこよく打ち倒す英雄の役回りは君に任せるよ。僕はめくらましと時間稼ぎ、それから『射撃位置』の確保と敵の攻撃の回避、さらには……」
「それ以上は嫌味に聞こえますよ。……わかってます。俺はあなたを信頼してますから、攻撃以外のことは全部お任せします」
指折り数えるアズラルに苦笑気味に言葉を返すアルフレッド。
「ははは。じゃあ、作戦開始だね」
どんなに困難にあっても諦めることなく、状況を打開するために全力を尽くす不屈の英雄。先の戦いの中でリリアが語った英雄像を、この二人は自然と体現しているようだった。
「まずは僕の番だ。……発動!《万華鏡の影法師》」
アズラルの術が発動すると、黒鳥で宙を舞う二人の姿がぶれはじめ、万華鏡に映る鏡像のように無数に分かれる。これは、ただの幻ではない。アズラルが『黒霊術』によって生み出した、実体のある分身体である。そのため、たとえ霊戦術師といえど、本体を見抜くのは至難の業だった
無数の幻影で敵の狙いを撹乱し、アズラルは徐々に『射撃位置』へと移動していく。射撃を行うのはもちろん、アルフレッドだ。
「もう少し、右に寄ってください」
細かい指示を出しながら、アルフレッドは敵の船体と己の位置、それから『太陽』の位置を確認する。
「こうかい?」
「ええ、これで十分です」
アルフレッドは手にした星霊剣レーヴァを頭上に掲げる。その切っ先には、先ほどまで彼の身体を護っていたはずの菱形の光、星霊楯ラルヴァがある。だが、その形状は大きく変化しており、まるで円形のガラスのように輝きを帯びていた。
「……発動、《天元日輪の星霊剣》!」
太陽の光をレンズと化した星霊楯で収束しながら魔力に変換。そのまま星霊剣に宿らせることにより、白霊術の増幅率を飛躍的に高める術。彼の用いる最強の白霊術。かつて邪竜にとどめを刺すのにも使われたその技を、アルフレッドは眼下の『亡霊船』目がけて発動する。
天より降り注ぐ閃光は、『亡霊船』の砲撃に勝るとも劣らない威力で、寸分たがわず船体の中央に突き刺さった。そしてそのまま、周囲に展開する『死霊の障壁』をあっさりと突き破り、船体を引き裂くように爆散する。
「よし、やったか!」
「ふう……やれやれだね」
爆炎を上げて墜落していく船を見おろし、安堵の息を吐く二人。
だが、その時だった。
「危ない!」
アズラルはとっさに黒鳥を操作する。その直後、彼らがそれまで浮かんでいた空域を、無数の蒼い光弾が貫いていく。アズラルは光弾が飛来した方へ目を向けると、呆れたように息を吐いた。
「……ははは。こりゃ、まいったね。これってきっと、君の日頃の行いが悪いからじゃないかい?」
「……あなたこそ、何をやったんです? 随分とお兄さんに嫌われてるんですね」
軽口を叩きあう二人。彼らの視界の中には、十隻を超える蒼黒い船体の『亡霊船団』が浮かんでいる。
次回「第67話 非道の王と非常識の二人」




