第63話 暗愚王と不屈の英雄
「納得がいきませんわ」
少女はつぶやく。
「…………」
自分のすぐ耳元で囁かれるそんな声に、少年は答えない。
「なんですの、これ? いくら作戦とはいえ、これはあんまりですわ」
言いながら少女は、少年の肩越しに地上を見下ろし、千体という馬鹿げた数の『魔』に向けて、手にした弓から無数に枝分かれした雷を放つ。
「…………」
少年は戦場全体を俯瞰しつつ、周囲の風を制御し、少女の言葉を黙って聞いている。
「ああ、もう、こんな体勢では射ちづらくてかないませんわ」
少年は少女の腕が自分の首の両側から胸の前に回され、そこに構えられた『弓』から黒い雷撃がほとばしるのを、心臓が止まりそうな思いで見つめている。背中には少女の身体から伝わる、柔らかな感触がある。
だが、しかし──
「……さっきから、どうして黙ってばかりですの?」
「いや、それは君が余計な感想を言ったら丸焼きにすると、俺を脅したからだと思うが……」
「あなた、感想以外のことは言えませんの?」
「口を滑らさない自信はない。俺も命は惜しいからな」
「……そうでしたわね」
どこか納得したように頷きながら、少女はひたすら手にした弓を引き続けている。いや、実際には力で引く必要などない弓だ。
《水鏡兵装:黒雷弓》
吸血の姫リリアの有する特異能力《黒雷破》は、エリザの『星辰』を吸血し続けた結果、弓矢の形に昇華され、その威力も格段に向上していた。
「……つくづく恐ろしいな。暗界第二階位の『魔』にあれだけのダメージを負わせたのもそうだが、明らかに災害級だろう赤い獣人まで一撃で仕留めてしまうとは」
ルーファスは戦場全体を見渡し、時折エドガーと自分に変装したエリザが戦っているだろう場所へ向けて、霧の魔法を発動させる。
「そういえば、リゼルアドラはどうなっていますの? まだ、余裕はありまして?」
リリアが思い出したように問うと、少年はぼそりとつぶやく。
「どうだろうな。確認した限りでは、俺が事前に施した百七十八個の設置型白霊術のうち、百以上は既に発動済みだ。最初に《黒雷弓》で受けたダメージも回復しつつあるらしい。そのせいか、だんだん有効打が無くなってきているな」
「……あなたこそ、やってることが非常識すぎますわ」
リリアは呆れたように、自分を背負う少年に声をかける。
彼、ルーファスは周囲の風を制御して二人分の体重を宙に浮かせながら、カグヤたちの周囲に霧の魔法を発動させ続けている。さらには学内で暴れまわる千体の『クラマ』たちを攻撃魔法で生徒たちの避難場所に近づかぬよう巧みに誘導し、さらにはリリアがエドガーを追う真紅の人狼『クリムゾン』を射抜く際には、その足止めとなる魔法まで行使していた。
ルーファスは「最強の魔法使い」であるアリアノートに憧れを抱き、学院に入学した。だが、彼は己の魔力では彼女に遠く及ばないことを理解しており、だからこそ『白霊剣技』という固有技まで編み出した。
火力に頼った魔法を極めようとしても、憧れには手が届かない。そんな彼が『星心克月』を会得するにあたって辿り着いた答え。それが『並列魔法』だった。
今回の作戦は、エドガーの戦術を盛り込みつつ、ルヴィナを中心に立案されたものだ。だが、戦闘開始以降においては、この戦場を支配しているのは、紛れもなくルーファスだった。数十、数百と言う魔法が、戦場全体で次々に発動し続けている。並列処理の極みともいうべき神業を、彼はこともなげにやってのけていた。
「……大方の敵はどうにかなりそうですわ」
リリアがようやく一息つくように言うと、ルーファスは軽く息をつく。
「そうか。思ったより敵の数が多かったせいか、手間取りすぎたな。……予定とは違う形になりそうだ」
「え?」
ルーファスの意味深な言葉に、リリアは地上を見下ろしていた顔を上げる。するとそこには、宙に浮かぶ一人の女性。
「リゼルアドラ。もう回復しましたの……」
リリアの顔には片眼鏡が装着されている。霊戦術《冥王の瞳》の発動媒体だ。それは、敵の命を司る弱点とも言うべきものを見抜く瞳の魔法。しかし、目の前にたたずむ瀟洒なドレス姿の女性には、弱点らしきものは全く見えない。
彼女の赤紫のドレスには、脇腹に大きな穴が開き、白く滑らかな肌が露出している。開戦直後にリリアが全力で放った《黒雷弓》の矢は、間違いなくその場所を貫いたはずなのだが、そこには何の傷跡も残っていなかった。
「……あなたは星を宿したか。わたしはそれを祝福しよう」
表情一つ変えぬまま、つぶやくリゼル。
「祝福? それは余裕のつもりですの?」
リリアは相変わらず強気の言葉を返す。彼女を背負うルーファスでさえ、魔人から発せられる猛烈なプレッシャーの前には緊張の色が隠せないというのに、彼女は全く動じていない。
「だが、お前たちはネザクを怒らせた。だから…………殺す」
放たれた言葉に乗せられた殺意。それは、暗愚王リゼルアドラの存在の本質。本来、彼女にとって殺戮とは、呼吸も同じ。だからこそ、その意志は、純粋で、絶対で、逃れ得ぬ致命の刃。
「く! 退避するぞ! しっかり掴まっていろ!」
ルーファスが叫ぶ。細かい制御が可能な間はリリアの姿勢にも気を使っていられたが、ことこの状況に至ってはそうはいかない。乱暴に周囲の風をコントロールすると、一気に加速してその場を離脱する。
「逃がさない。……発動、《漆黒の千本魔槍》」
それは、命を刈り取る悪夢の槍だ。殺す槍ではなく、殺されることを強制する槍。黒魔術の超高位魔法のひとつ。放たれた千本の槍は、高速で飛翔するルーファスたちに追いすがる。
「くそ! 数が多い!」
「わたくしが突破口をつくりますわ! 発動、《水鏡兵装:黒雷弓》!」
弓から放たれた黒い雷は、無数に枝分かれしながら一定方向、一定範囲に存在する千本魔槍を消し飛ばす。
「よし!」
ルーファスはすかさず、その空間へと飛び込み、離脱を果たした。そして、学校の広大なグラウンドに目を向け、そこに着地するべく滑空していく。
「遅い」
「な!?」
だが、着地しようとしたその先には、すでにリゼルアドラが待っている。今度は黒魔術を使うのではなく、ドレスの裾をはためかせ、脚線美を誇る足を高く掲げるように、ルーファスめがけて蹴りを放つ。
風圧だけで吹き飛ばされかねない一撃。ルーファスは咄嗟に《金剛の盾》を構築するも、あっさりと砕かれてしまう。『星心克月』を会得した彼の魔法には、『星の力』も宿っていると言うのに、リゼルにはほとんど意味をなさないようだ。
「うあ!」
「させませんわ!」
金剛石の欠片が舞い散る中、純白の炎が周囲を包み、リゼルアドラは後方へと吹き飛ばされる。グランドを転がりながら、それでも最後には倒れることなく着地を決めるリゼル。脚と両腕に燃え盛る白い炎を振り払うように消しながら、遅れて着地した少女へと目を向ける。
「……白炎陣?」
首を傾げ、疑問の声を上げるリゼル。彼女が不思議に思ったのは、着地したリリアの姿を見てのことらしい。
「……いいえ、これは《水鏡兵装:白炎装》ですわ。そうやすやすと、高貴なる姫に手を触れることができると思わないことね」
悠然とグラウンドの中央に立つ少女。白金の髪をツインテールに流し、学院の制服に身を包む彼女の身体には、白く揺らめく炎がもう一枚のドレスのように纏われている。
「……危うく巻き込まれるところだったがな」
ルーファスはかろうじて宙に浮かび直し、難を逃れていた。
「ルーファス。こいつの相手はわたくしがします。だからあなたは……」
「他の敵ならあらかた片付いた。エリザも目当ての相手を捕まえたようだ。ならば俺は……お前のサポートに回ろう」
リリアの言葉を最後まで言わせず、ルーファスは一気呵成にそう言った。
「……今日は、随分と察しがいいじゃありませんの」
「俺も成長したのかもしれんな」
軽口を言いながらルーファスは、周囲に無数のイメージを同時に展開し始めている。それはあくまでイメージであり、目に見える物ではない。見えないものを虚空に描き、そのイメージを維持し続けたまま、新たなイメージをその上に重ね塗りするその技法は、彼以外にはまず不可能な芸当だった。
「……わたくしはネザクのため、お前たちを『殺す』」
暗愚王から不可視の波動が放たれる。それは魔法などではなく、ただの『殺意』だ。しかし、強すぎる殺意は、ただそれだけで、人を死に至らしめる。リリアやルーファスのように『星心克月』を会得したものでなければ、耐えきれないほどの強烈な殺意。
「ふん。御託はいいですわ。さっさとかかってきなさいな!」
リリアは挑発の言葉と同時に、暗愚王めがけて《黒雷弓》を撃ち放つ。命中さえすれば、たとえ暗愚王でもダメージは免れない、リリアの奥義ともいうべき魔法。だが、暗愚王は化け物じみた動きでそれを回避し、土煙を上げながらリリアの側面へと回り込む。
「無駄ですわ」
リリアの纏う《白炎装》は、敵性体の接近に自動的に反応し、それを排除する機能を持つ。しかし、暗愚王はその防御機構の効果範囲ぎりぎりで動きを止め、前方に手を突きだすようにして魔法を発動する。──否、発動しようとした。
しかし、その直前。
「遅延型白霊術、《極彩色の花火》」
頭上からルーファスの声が響き、暗愚王の周囲の空間に突然、炎や風、雷と言った魔法の力が出現する。どれも単発での威力は弱い魔法だが、不意打ちのように叩きつけられたためか、暗愚王はよろよろと後退する。
そこへ放たれる黒い雷の矢。
「発動、《絶望の盾》」
暗愚王の掌に、黒々とした暗黒の盾が出現する。しかし、黒雷の矢はその盾を突き抜けて暗愚王に迫る。
「む!?」
身体を捻り、かすめる黒雷に顔をしかめつつも、跳びさがって回避する暗愚王。だが、再び、暗愚王の着地した地点の周囲に出現する魔法の群れ。
「うるさい」
暗愚王はそれを片手で弾き飛ばし、宙に浮かんでいるはずのルーファスを見上げる。しかし、彼の姿は見えない。光を撹乱する白霊術によって、その姿は隠蔽されていた。
「そのあたりか。……発動、《黒塗りの短剣》」
暗愚王が手を一振りすると、文字どおり黒塗りのナイフが多数、空中に出現し、ルーファスがいると思われるだろう場所へと殺到する。
「発動、《破邪の霊剣》」
ふわりと暗愚王の背後に浮かんだダークエルフの少年は、光り輝く剣を袈裟懸けに振り下ろす。気配を感じて振り向いた暗愚王は、その一撃を闇を集めた右腕で受け止める。
「流石に固いな」
「逃がさない」
暗愚王は半ばまで斬り裂かれた腕のことなど気にした様子もなく、反対の左手で貫手をつくり、ルーファスの胴体目掛けて突き込もうとする。ルーファスはそれを宙を滑るような動きで回避するが、暗愚王はその恐るべき速度で間合いを詰める。
「……発動、《冥王の右腕》」
少女の声と共に、追いすがる暗愚王の直下、足元から突如として出現する巨大な骨の拳。それは暗愚王の身体を真上に跳ね上げ、再び落ちてくるところを大地に叩きつけるように振り下ろされた。
「効かない」
だが、虚空から突き出す骨の拳は、暗愚王の掲げた両手に触れた途端、粉々に砕け散る。破片舞い散る中に立つ暗愚王。彼女のイブニングドレスのような赤紫の衣装は、既にボロボロだった。しかし、ルーファスが右腕に負わせたはずの傷も気付けば治癒しており、肉体的にはほとんどダメージを受けた様子もない。
「まったく、どこまで化け物なんですの、こいつ……」
「苦労して与えたダメージがああも簡単に回復されては、厳しいものがあるな」
暗愚王には『星具』かそれに準ずる攻撃でなければ、まともにダメージを与えることも難しい。二人もアルフレッドからは、そう聞かされていた。
「だが、《黒雷弓》も当たらなければ意味がないか」
「ええ。でも、そこをサポートするのがあなたの役目でなくて?」
「むろん、その通りだ。心配するな。俺の命に代えてでも、奴に隙を作ってやる」
ルーファスが決意を込めてそう言うと、リリアから呆れたような声が漏れた。
「命に代えても、ですって? 何を言ってやがりますの? その手の恰好つけた台詞は、エリザだけでたくさんですわ」
「……むう、そう言われると恥ずかしくなるな」
白い頬をわずかに赤らめるルーファス。そんな二人のやりとりを、離れた場所で見つめたまま、暗愚王は両手を頭上に掲げる。
「らちが明かない。これで終わりにしよう。……発動、《暗く愚かな闇の果て》」
ドクン、と空気が揺れる。圧倒的で絶望的な何かが、暗愚王の掲げた手の中に収束していく。それは、かつての《虐殺の黒月》ほどの大きさはない。せいぜい握り拳程度の大きさの球体に過ぎない。
だが、込められた力は、そんなものではない。何もかもを殺しつくし、絶望の果てに残る闇そのものを具現化したような、どうしようもなく抗い難い力の塊。
「……化け物め。さすがにあれは、きついな。とはいえ、全力を尽くすとしよう」
「……決まってるわ。わたくしたちは『英雄』でしょう? どんな困難な状況にあっても、絶対に諦めない。最後には、必ず勝つのが英雄なのよ」
「……エリザが言いそうな台詞だな」
「……うるさいわよ!」
今度はリリアが頬を赤らめる番だった。
「死ね」
暗愚王は力を解放する。少なくとも現時点における、暗愚王の全力。かつて星界を絶望の淵に追いやった力が、二人の少年と少女に迫る。
「全白霊術発動! 《千変万化の魔術障壁》!」
「……発動、《水鏡兵装:明鏡止水の反射障壁》!」
数十、数百、数千の魔術の盾。ルーファスの最大防御魔法。
すべてを映し、全てを反射する水鏡の盾。リリアの特異能力のうち、『吸血の姫』を最後に護る最強の盾。
「きゃあああ!」
「ぐううう!」
二重の防御壁が迫る黒球とぶつかり合う。凄まじい爆発が巻き起こり、グラウンドは愚か、その周囲にあった立ち木や設備類、はては建造物の一部までもがなぎ倒され、吹き飛ばされていく。
吹き荒れる衝撃波が止んだ後には、深く抉れたクレーターと、その縁に倒れ込む二人の少年と少女の姿。そして、黒々と大穴の開いたグラウンドの真上に浮かぶ暗愚王の姿。
「……いたた」
むくりと身体を起こすリリア。掌に痛みを感じ、顔の前に掲げてみる。地面ですりむいたのか、皮膚が破れてそこから『赤い』血が滲み出ていた。
「……ふふ」
自分の身体に起きた変化に気付いたのは、エリザから吸血を始めて数日後のことだった。だが、今は感傷に浸っている場合ではない。リリアは掌の血を軽く舐めとると、自身の状況を確認した。
彼女の身体の上には、ルーファスの身体が重なっている。爆発の瞬間、彼女のことを庇ったらしい。吹き荒れる爆風に飛ばされてきた瓦礫がかすめたのか、頭から血を流して気絶している。
しかし、問題なのは彼の手の位置だ。もはやお約束のごとく、それはリリアの胸の上に、まるでしっかりと揉みしだくかのように、置かれている。
「…………こ、この男は! くうう……発動《癒しの聖水》」
身体を怒りに震えさせながらその手をどかし、彼の頭から回復魔法の媒体となる水をかけるリリア。自分を庇ってくれたのだから、怒るに怒れない。しかも、気絶しているのだから始末に負えない。
「む? ああ、リリア。無事だったか」
ようやく気が付き、ゆっくりと顔を上げるルーファス。リリアの目前には、秀麗な顔に斜めに走る刀傷。ルーファスはリリアの顔を目の前にして、表情一つ変えず、彼女の無事を確認する。
「……はあ。あなたってホント、性質が悪いわね」
「うむ。よく言われる」
言いながらルーファスは、リリアの手を取り、彼女を助け起こす。
それはさておき、暗愚王はと言えば、先ほどから黙ったまま、二人の姿を見つめていた。満身創痍の二人とは対照的に、その身体には依然として傷ひとつ残っていない。
だが、しかし──
「なんだ?」
「なんですの?」
暗愚王の紫紺の瞳には、戸惑いの光が宿っているように見えた。
「殺せない……」
ぽつりとつぶやく、リゼルアドラ。
「……ふん。当たり前でしょう? わたくしたちは貴女ごときに殺されるほど弱くはなくってよ」
リリアが胸を張って、誇らしげに断言する。それを見て、リゼルはますますその表情を険しくしていく。
「……殺しても殺せない。わたくしには、お前たちを殺すことはできても、お前たちの意志を殺すことができない」
「なに?」
「……今のあなたは、あの時の『あなた』と同じ。そして……カグヤと同じ。美しき星の色。わたくしは、あなたには勝てないようだ」
絶対の力を振るい、他者に絶望を与える存在。そんな彼女にとって、どんな状況でも絶対に絶望しない存在と言うものは、脅威であり、理解不能な存在だった。そして、それはかつて、一人の少女との出会いにより、彼女の中で『憧れ』へと変わっていった。
「えっと……どうしたんですの?」
既にこちらへの攻撃の意志を失ったかのようなリゼルに、リリアが戸惑いの声をかけた時だった。
「きゃ! な、なんですの?」
あたり一帯を激しく揺るがす地響き。はるか遠方で、とてつもない規模の爆発が起きている。
それは、少年魔王と英雄少女。
二人によって繰り広げられる、この世で最も非常識な戦闘の幕開けだった。
次回「第64話 少年魔王と英雄少女(激闘編)」




