第7話 英雄少女とはじめてのダンジョン(上)
『欲望の迷宮』地下一階。
古ぼけた洞窟のような入口を中に進み、行き当たった先の階段を下りてすぐの大広間で、赤毛の少女が大暴れしていた。もう一人、白金の髪をツインテールにまとめた少女はと言えば、広間の隅から黙ってそれを見つめている。
二人の取り決めごとは、次のとおりだ。
この手のダンジョンでは、地下に淀んだ魔力の吹き溜まりから、数多くの魔物が発生している。そこでそうした魔物が出現する区画ごとに、交代で戦闘を行い、どちらがより多く、より強い敵を倒したかで優劣を競い合う。ただし、ダンジョン内のトラップは共同でクリアする。
だが二人は、この方法ではお互いの優劣を計りきれないということに気付いていない。倒した敵の数はともかく、強さの基準は設定が難しい。さらに区画ごとに交代なら、その区画に出現した敵によって差異が生じるうえ、綺麗に区切れよく敵が出現するとは限らないのだ。
いろいろと考えの足りない少女たちだった。
しかし、足りないのは考えだけで、実力は十分。少なくともこの地下一階を制覇する程度のことは、鼻歌混じりでできてしまいそうな勢いだ。
「……はあ、退屈ですわね」
壁に寄りかかり、ぼんやりとつぶやく少女、リリア。
彼女の青い目には、広間に出現した獣型の魔物たちが、まるで虫でも払うように蹂躙されていく様が映し出されていた。
「てやああ!」
赤毛の少女。後に魔王を倒し世界を救う(予定?)のエリザ・ルナルフレアは、広間の中央で竜巻と化している。まさに文字どおり、部屋の中央で回転しているのだ。
「なんですの? あの野蛮な武器は……」
リリアの言葉どおり、エリザが手にした武器は、およそ少女が持つには不似合いな代物だった。
バトルハンマー。それも極めて巨大な一品だ。ごつごつとした突起を備え、物を粉砕することだけに特化した超重量級の武器。どうやってあんな小柄な少女がそれを持ち上げているのか、目を疑いたくなる光景だった。
小鬼型の魔物が何体か、赤毛の少女の暴風域をかい潜ろうと試みるものの、エリザは適当にハンマーを持って回転しているわけではない。敵の動きを先読みし、速度と角度を変え、時にありえない急激な軌道の変化まで加えながら薙ぎ払っているのだ。
「冥土の土産は用意できたか! 死にたい奴だけ、かかってこい! 」
「そして、なんですの? あのセリフは……」
相変わらず無駄な決め台詞を連発するエリザに、リリアは白い目を向けている。と、そのとき、彼女を組みやすしとみたのか、数体の魔物が彼女へと向かってきた。
「うざいですわね。わざわざ蹴散らされに来ましたの?」
丁寧なようでいて、乱暴な言葉遣い。
当然のことながら近づいてきた狼たちは、彼女の言葉など解さない。唸り声をあげつつ、その白い喉笛を噛み千切るべく跳躍してくる。
リリアは、つまらなそうに息をつくと、懐から小さな銀の鎖を取り出した。
「発動、《法の鎖》」
言葉と同時、小さかった鎖は一瞬にして肥大化し、ジャラジャラと音を立てながら狼たちを次々と絡め捕っていく。彼女の得意とする霊戦術は、周囲の器物に魔力を『憑依』させ、支配して意のままに操る魔法だ。専用の道具であれば、こうして形を変化させることもできる。巨大化した銀の鎖はリリアの意志に従って、狼のような魔物たちをぎりぎりと締め上げ、次々と破壊していく。
「あ! リリア! あたしの獲物!」
「あなたが取り逃がしたのが悪いのですわ」
「むー!」
ようやく敵を殲滅した彼女たちは、石の広間を後にした。この階は石壁と石床で構成されたごく一般的なダンジョンのようだが、地下に降りるにつれ、その様相は大きく変化するらしい。単に強い魔物が出没するだけではなく、過酷な環境と危険なトラップこそが、この『欲望の迷宮』の難度を高めていた。
「……話には聞いていましたけど、地下二階でここまで違うものですの?」
リリアの紅い唇から、白い息が吐き出される。目の前には、一面の氷、氷、氷。彼女の身に着けている蒼いドレスには、あらゆる外気の影響から肉体を護る力があり、寒さはほとんど感じない。とはいえ、フロアが一つ違うだけでここまで環境が激変するとは、驚かされた。
「おやあ? まさか、リリア。びびってんの?」
「そ、そんなわけありませんわ!」
一方のエリザはと言えば、普段と同じ学院の制服だ。もちろん、ただの服ではないが、学院の低学年用のそれには、大した防寒性能などない。冬は厚着をするものだ。しかし、彼女は健康的で形の良い脚や腕をむき出しにした服(白季から紅季にかけての暖かい季節用の制服である)を着たまま、まったく寒がる様子を見せない。
「あなた、身体と頭が繋がっていないんじゃありませんこと? よくそんな恰好でいられますわね」
「ん? こんなの全然寒くないぜ?」
嫌味が全く通じない。
「……嘘おっしゃい。そんなわけがないでしょう? あなたも星喚術師の端くれなら、防寒具の1つでも具現化すればよろしいですのに……」
「あれ? もしかして、心配してくれてんの? ふうん、いいとこあるじゃん」
「ち、違いますわ! 何を言ってやがりますの? わ、わたくしはただ、足手まといになられては困るだけで……」
言葉遣いが乱れている。動揺すると素が出るリリアだった。
「まあ、心配はいらないよ。昔っからあたし、寒さにも暑さにも強いんだ。病気とかしたことないし」
「だから、心配なんて……ああ、もう、人の話を聞きなさい!」
そんなやり取りを続けるうち、リリアはピタリと足を止める。
「ん? どしたの?」
「止まりなさい。トラップがありますわ」
「え? まじ? どこどこどこ?」
「その曲がり角の先です。……氷でできたボウガンの矢が大量に飛んでくるようですわ」
リリアは何を見るでもなく、そう言った。
「なんでわかるの?」
「……だから人の話を聞きなさいと言ったでしょうに。ここに入る前にも話したはずですわよ? わたくしは、学院の判定でも最高ランクの霊戦術師。周囲の器物に魔力を『憑依』させて、あらゆる情報を感知する力があるのですわ。恐れ入りまして?」
「へえ、すごいじゃん」
素直に感心するエリザ。
「……全然わかっていませんわね」
リリアは、呆れたように肩を落とした。そもそもの話、二人の勝負は、相手が負けたと思わなければ決着にならない。そうである以上、単にダンジョンを攻略すると言っても術適性の違いで優劣をつけるわけにはいかない。だからこそ、トラップは共同攻略することとなったはずなのに、エリザは既にそんなことさえ忘れているらしい。
「よし、それじゃ、行こうか」
「え? だからそっちにはトラップが!」
リリアが止めるのも聞かず、エリザは曲がり角に足を踏み込む。その直後、おびただしい数の風切音とともに、豪雨のような乱打の音が鳴り響いた。
「エリザ!」
「おお……すごい数の矢だ。こんなの、どうやって毎回用意してるんだ?」
彼女の身体の右半分、全体をすっぽりと覆うような巨大な盾。氷の矢は全てそれに命中し、砕け散ったようだった。
「……相変わらず、でたらめな星喚術ですわね」
星喚術──それは月召術と同じく、生まれる季節に関わらず発現することのある特殊な術適性である。
その特性は、『星の力』を器物として具現化すること。多くの星喚術師は、己の戦闘スタイルに合わせた武器や防具を具現化して戦うものだ。だが、日常的な防寒具程度のものならともかく、戦闘に耐えうるものともなれば、日々イメージと具現化の練習を繰り返すことで、ようやく自分に見合った形のものを使用できるようになるのが一般的である。
個人固有の具現化兵器。星具とも呼ばれるそれは、時に絶大な力を発揮する。
その究極の例をあげるなら、学院長の星霊剣士アルフレッドの星具だ。
『星霊剣レーヴァ』と『星霊楯ラルヴァ』。
最強の剣士が持つ最強の剣と楯。極まった星喚術師が具現化する星具には、強力な魔法の力が付与されていることが多く、彼の武器も例外ではない。
だが、エリザの場合──
「単に頑丈で、自在に形が変わるだけの武器なんですのね……」
「うん。まあね。あたしは便利だからこれでもいいと思ってるけど、院長先生は後でちゃんとした使い方を教えてくれるって言ってたっけ」
「まあ、いいですわ。はやく行きましょう。……ここから先のトラップは、いっそのこと全部あなたを楯にしようかしら?」
「オッケー! 任せとけって!」
「……」
冗談でも皮肉でもなく、本気で盾役を請け負うつもりのエリザに、リリアは段々と身体の力が抜けてくる思いがしていた。
──それから、二人は何の問題もなく快進撃を続けていく。魔物退治こそ交代交代だったが、元々二人の使う術はコンビを組むには相性がいい。
魔闘術を凌駕する物理的戦闘能力を秘めたエリザの星喚術。罠や気配の感知に長け、実体を持たない敵にも有効なリリアの霊戦術。
時々エリザの攻撃が効かない幽霊タイプの敵が出た時だけ、リリアが代わりに戦ったが、今ではリリアもそれを理由に勝ち誇るつもりはなくなっていた。
氷の階層、炎の階層、鉄の罠の階層など、様々な階層を抜けた先で、とうとう二人は地下十階に辿り着く。
「学院で調べても詳しい情報までは確認できませんでしたが、ここには番人ともいうべき強力な魔法生物が出現するそうですわ」
「うーん、どうする? 順番からすればあたしの番だけど」
「あら、珍しいですわね? 怖じ気づいていますの?」
「っていうか、ここであたしがそいつを倒しちゃったら、あたしの勝ちになるのかなって思って」
「あ」
二人は、ようやく気付く。たまたまの順番で勝負が決まっては元も子もない。結局、この階については、共同で魔物と戦うこととなった。
地下十階。降りてすぐの大広間。
待ち構えていたのは、巨大なサーベルを二本構えた巨人だった。頭はなく、筋骨隆々の巨大な体躯にぼろをまとうその姿は、見るものに強烈な威圧感を与える。
「おお、強そう! これは腕が鳴っちゃうぜ!」
嬉しそうに言いながら、手に長大な両手剣を出現させるエリザ。
「首無の化け物とは、趣味が悪いですわね……」
さすがにリリアの方は、そこまで平常心を保てない。こんな化け物を倒すことが学院の卒業試験だと知ったら、故郷の皆はどう思うだろうか? そんなことを考えた。もっとも、入学直後に挑むような馬鹿がいるとは、さすがに学院側も思いもしなかっただろうが。
「あたしの名前はエリザ・ルナルフレア! 後に英雄になる女だ! 名前を覚えておいても損はないぜ」
人語を解するとは思えない化け物に、口上を言い始めたエリザを見ながら、リリアは術の準備を開始する。
「さすがにあれは、《法の鎖》程度の魔法じゃ倒し切れないでしょうね」
リリアは腰の鞘から銀の短剣を抜き放つ。死せるものの無念の魂。残留思念とも呼ばれるものを感じ取り、魔力を使って手にした刃に絡めとっていく。
「さて、時間稼ぎは任せましたわよ?」
つぶやくリリアの声と同時、エリザが特攻を仕掛ける。
小さな体躯にそぐわない巨大な剣を軽々と振り回し、首無巨人と大立ち回りを開始するエリザ。武器の数としては二対一だが、彼女の方が圧倒的に敏捷性でまさっている。
一撃でも受ければ、全身を粉々にされそうな巨人の斬撃。エリザは、そのことごとくを回避する。だが、驚嘆すべきはそれだけにとどまらない。ほとんど真っ向からの力比べでさえ、少女は巨人に負けていないのだ。小柄な少女が巨人の渾身の一撃を難なく受け止め、あまつさえそれを弾き返す様は、思わず目を疑うような光景だった。
やがてエリザは二本の暴風を掻い潜り、巨人の脚へと強烈な斬撃をお見舞いする。足を斬り砕かれた巨人は大きくバランスを崩し、重い音を立てて倒れた。
「よし、とどめだ! あんた、なかなか強かったぜ? あたしじゃなければ、やばかったかもな!」
「おバカ! 油断するなですわ!」
調子に乗ったエリザが倒れた巨人に接近し、その胴体へ斬撃を落とそうとした瞬間だった。巨人の肩の上、本来なら首があるべき場所から何かが伸びた。完全に不意を突かれたエリザは、それでも驚異的な反射神経でそれをかわすが、腕に切り傷を負ってしまう。
「いったあ!」
慌てて飛びさがるエリザは、脱力したようにガクンと膝をつく。
「なんだ? 力が……」
「あ、あれは、『パラサイトナーガ』。だとすると……毒が!」
二人は知らなかった。卒業試験の最後の敵となるこの巨人は、他の魔物の体内に潜んで活動する『毒蛇』の寄生体だということを。
生徒が試験に挑む際には、パーティーメンバー全員が専用の毒消し薬を整えて挑む相手だという事実を。
こうした敵の詳細情報を彼女たちが手に入れられなかったのは、最初から卒業生以外にこのダンジョンへの潜入を許可していない学院側の情報統制のためである。そもそも二人の少女の並外れた行動力が無ければ、入学したての生徒の身では、迷宮の入口に立つこと自体が難しかっただろう。今回は、それが完全に裏目に出た格好だった。
「確か、パラサイトナーガの牙には猛毒があるはず!」
いかに並はずれた生命力を持つ少女でも、体内に直接猛毒を流し込まれれば、ただでは済まない。霊戦術による回復魔法もあるにはあるが、毒の種類を知らないリリアでは解毒そのものは困難だ。
「く! 早くしないと!」
術式の完成が待ち遠しい。エリザは続く蛇の一撃をどうにか飛びさがってかわしたが、次は無理だろう。
「できた!……発動、《死の剣》」
リリアが手にした銀の短剣。その刀身を包み、延長するような形で、青白い光の刃が出現する。あらゆる生物をかすり傷ひとつで絶命させる《死の剣》。霊界第七階位の『魔』、亡霊騎士エトルクが携える死神の象徴。
風切音とは別の、耳に残る不快な音を立てながら振るわれた光の剣。長く伸びた青白い閃光は、『パラサイトナーガ』を一瞬で絶命させた。
「エリザ!」
顔を青ざめさせたまま、リリアはエリザへと駆け寄っていく。
次回「第8話 英雄少女とはじめてのダンジョン(下)」