第62話 悪魔の弟子と黒の魔女
「……なるほど、ようやく読めたわ。嫌らしいまでにこちらの心理を突いてきたり、わたしの苦手とする戦い方をしてきたりしたのも、全部アズラル譲りの作戦ってわけね」
カグヤは、自分の周囲にゆっくりと闇を広げながら言う。もう一切の油断はしない。自分の持てる力全てを持って、目の前の相手に対処する。──うごめく闇は、そんな彼女の想いを代弁するかのように濃密さを増していく。
「おっと、黒魔術を使う隙なんてやらないぜ!」
エドガーは構えをとると、そのままカグヤとシュリ、二人めがけて走り寄る。彼の周囲では、子供のような黒い人形たちが、彼と全く同じ動きを起こしていた。
「……やっぱり、霊戦術で動いているわけではないのね」
あらゆる魔法を吸収するはずのカグヤの操る闇に触れても、その動きを止めることなく接近してくる黒人形たち。霊戦術で動いているのであれば、闇に触れた瞬間に魔法の効果が切れて止まるはずなのだが、何故かそうはならない。
エドガーに向かって精神干渉魔法をかける選択肢も考えられなくはなかったが、精神集中が必要なその手の魔法を黒人形たちの襲撃を受けながら使うのは困難だった。
「後の反動が怖いけど……発動、《記憶の暴虐》!」
結局カグヤは、己の肉体に敵が思い描く『最強の敵』の身体能力と動きを再現する黒魔術を発動する。
とはいえこの魔法、自分の元々の身体能力とあまりにかけ離れた力を再現した場合、後になって筋肉痛の強化版のような苦痛に苛まれることになるという副作用もある。
迫りくる黒い人形を裏拳で殴り砕き、蹴り足で踏み砕く。あたかも『銀牙の獣王』のような戦いぶりで、カグヤは人形たちを破壊する。敵の動きはエドガーの動きをトレースするのが基本のようであり、パターンが読めれば対応は難しくなかった。
だが、しかし──
「後ろがお留守だぜ!」
いつの間にか背後に回り込むエドガー。人形たちは動きを止めて倒れている。動きのリンクは自由に解除できるものらしい。カグヤは振り返ろうとするが、エドガーの突進の方が速い。
「く! 小賢しいわね!」
「カグヤ姉様! シュリも戦う!」
手足を折られた恐怖に身体がすくみ、頼みの月獣までもを倒されながら、シュリはカグヤを護るべく、再び勇気を奮い立たせる。
彼女にとってカグヤは、初めて自分を認めてくれた人だった。彼女の魔法を役に立つと褒めてくれて、大活躍だと称えてくれて、信頼して仕事を与えてくれる人だった。
だから彼女は、カグヤのためにもう一度立ち上がる。
「ちっ! まだ動けたのかよ。半端者の割には根性あるじゃねえか!」
エドガーは真横から叩き込まれた《金色の爪》をとっさに硬化させた外皮でガードするものの、勢いに押されて弾き飛ばされた。
「シュリは……シュリは半端者じゃないにゃん!」
彼女の故郷、バーミリオンでは、魔闘術こそ、至上の魔法とされている。そんな文化のなか、同時に霊戦術を使いこなす彼女はむしろ、半端者としての誹りを受けた。
「発動、《獅子双爪》!」
《金色の爪》を上回る長さの光の爪。両手のみならず足にも生えたそれを駆使し、シュリは身体を回転させて、踊るように連続攻撃を繰り出していく。
「うわ! たっ! くそ! すばしっこい奴め!」
彼女がもっと要領よく立ち回れたなら、故郷での生活も長く続けられたのかもしれない。しかし、彼女は良くも悪くも正直者で、自分の衝動に真っ直ぐな少女だった。周囲との軋轢はますます大きくなっていき、ついに彼女は家出を決意するに至る。
「でも、甘いんだよ! 『修羅の演武場』に出てきた連中は! こんなもんじゃなかったぜ!」
十日以上もの間、死地を潜り抜けてきたエドガーの魔闘術は、『星心克月』を会得していないとは言っても、かなりのレベルに成長していた。
「発動、《乱舞の咆哮》!」
指向性のない衝撃波。回避は極めて困難であり、至近距離からであれば高い威力を発揮する超近距離広範囲攻撃魔法。エドガーが無限に湧き出る月獣に追い詰められた際、とっさに編み出した魔法の1つだ。
「うきゃああ!」
たまらず後方に弾き飛ばされるシュリ。
「くそ、やばいな。まさかこいつがここまでやるなんて……」
どうにか体勢を立て直したエドガーの目に映るのは、恐らく今の攻防の隙に黒魔術を構築し終えたであろう、カグヤの姿だった。こちらに向かって白くしなやかな手をかざし、凄絶な笑みを向けてくる。
「発動、《永遠の停止》。……ありがとう、シュリ。あなた、本当にすごい子ね。後でご褒美をたくさんあげなくっちゃいけないわ」
掌から暗黒の波動を放ちつつ、シュリを褒め称えるカグヤ。
「えへへ、カグヤ姉様から褒められちゃった」
全身を襲う痛みと痺れに身動きが取れず、倒れ伏したままのシュリは、それでも彼女の言葉に嬉しそうに笑う。
「ぐあ、がががが……」
一方のエドガーはと言えば、カグヤの黒魔術に絡めとられ、苦悶の顔でうめいていた。
「抵抗しても無駄よ。クレセントでのお遊びとは違うんだから。エリザならまだしも、あなたごときの力でわたしの魔法に抗し切れると思わないことね」
冷たい声音で告げるカグヤ。実際、カグヤはここまでのエドガーのやり口が、完全に腹に据えかねていた。
「ぐ、ぎぎぎ……くくく。エリザなら、まだしも、か。はは……そうだよなあ」
エドガーは術に抵抗しながらも、己の非力さを自嘲するかのように笑う。
「……諦めなさい。まあ、苦しまないようにしてあげるわ」
「嫌だね。俺は弱い。あんたは強い。才能の差かもしれないけどさ。……でも、だからと言って諦める理由にはならないんだぜ」
「まるでお子様ね。まあ、見たままなんだろうけど。絶対的な力の差は、何をもってしても埋められないのよ。……たとえ当人にとって、それが欲しくもなかった力だったとしてもね」
カグヤは吐き捨てるように言う。まるで己にまとわりつく《闇》が、呪いででもあるかのように。
「あっはっは。やっぱり、アズラル先生の言うとおりだ」
「……なんなのよ。どうしてこの状況で、そんなに余裕でいられるわけ?」
「知りたいか?」
「いいえ。別に。どの道、あなたの身体はもうすぐ動かなくなる。今でこそ、喋ったり、指を動かしたり位はできるみたいだけど、最後には心臓だって止まるのよ」
相手の身体に永遠の停止を呼びかける魔法。黒魔術の超高位魔法の1つだった。
だが、エドガーは、アズラル譲りのニヒルな笑みで笑って続ける。
「まあ、そう言わず、聞いとけよ。俺が余裕なのはさ…………指先が、まだ動くからだよ!」
叫んだ次の瞬間だった。それまで『糸の切れた操り人形』のように倒れていた黒い人形たちが一斉に起き上がり、カグヤめがけて襲いかかった。
「え? きゃあああ!」
思いもよらぬ攻撃に、たまらずカグヤは押し倒される。
「こ、これって、まさか……!」
「ネタばらしをしてやるよ。この人形はさ、俺が魔闘術で動かしてるんだよ。……俺の血を染み込ませた糸を介してな」
「な! でも、あなた、そいつらはあなたと同じ動きをトレースするものだって……」
「ははは! そんなの、嘘に決まってるだろう?」
「な、ななな!」
カグヤは黒い人形に手足を押さえつけられ、身動きの取れない状態で声を震わせる。
カグヤの《闇》に触れても魔法の効果を失わず、動きを止めない人形。だが、ここまでくれば、その秘密は明らかだった。血を染み込ませた糸を介して──ということはつまり、人形はエドガーの身体の一部として、魔闘術により動かされ『続けて』いるのだ。すなわち、《闇》に触れたところで、糸は切れず、効果も切れない。
「そんな顔するなよ。そうそう、俺が先生から教わった言葉を教えてやる」
「………」
沈黙したまま、エドガーを睨みつけるカグヤ。
「……『騙される方が悪いのさ』ってね」
馬鹿にしたような顔で笑うエドガー。カグヤでなくても憎たらしいと思うに違いない、皮肉に満ちた語り口。何から何まで『悪魔の弟子』だ。
「く! 調子に乗って! まだわたしの魔法は……!」
「先生が言うには、黒魔術にはかなりの集中力がいるらしいな。だから、こんな風にされると、とっても弱いらしいぜ?」
と、エドガーが言った次の瞬間だった。
「ふえ? え? え? ちょ、ちょっと、待って! いや! きゃあ! あは、きゃははははははは!」
突然、抑えられていた体をよじり、笑い声を上げるカグヤ。見れば、彼女の周囲に集まった黒人形のうち、数体が彼女の脇腹をくすぐっていた。
「こ、こんなの、ひ、ひひひ! ひきょう、よ! あはははは!」
涙目になりながら叫ぶカグヤ。
「ふう、ようやく術が解けたか。今のは流石にやばかったな」
カグヤの集中力が切れたためか、身体の自由を取り戻したエドガーは、軋む関節をほぐすように曲げ伸ばししながらつぶやく。
「俺の勝ちだな。うーん、最高の気分だ。自分より強い奴を罠にはめて勝つのが、こんなに楽しいなんてなあ」
「うう、くう……こっちは最悪の気分よ」
ようやく、くすぐり攻撃がひと段落したカグヤは、憎々しげにエドガーを睨む。
「アズラル先生の敵討ちみたいなところもあったからな。そう言えば、伝言があったんだ。聞きたいか?」
「……な、何よ」
「『僕の弟子に負けているようじゃ、僕に勝とうなんて百年早いよ。まあ、その無駄な胸の肉をダイエットしてからなら、再戦も考えてあげるけどね』だったかな?」
「あんの、変態男が!」
ぬけぬけと、とはこのことだ。だが、カグヤは同時に反省もする。いくら自分が優位にあったからと言って、黒霊賢者とも呼ばれる相手に対して、自分の手の内を見せすぎたのかもしれない。
「……それより、あなた。わたしたちを皆殺しにするんじゃなかったの?」
最初の頃の剣呑な雰囲気から比べると、あまりにも呑気な言葉を話し続けるエドガーに、カグヤは怪訝な顔でそう尋ねた。
「え? あのなあ。いくら俺が悪魔の弟子でも、身動き取れない女子を殺すほど、人間やめてないぜ」
「あの子の手足はためらいなく折ったくせに?」
「ためらいなくってことはねえよ。あんなの、俺だって気分が悪かったに決まってるだろうが。ふざけやがって。誰が女の子の手足を折って喜ぶ奴だよ。そんなわけがあるか」
「……ふーん」
彼のことを少し誤解していたようだ。などと思いつつも、カグヤは黒魔術をこっそり準備している。
ところが──エドガーは、にやりと笑う。
「あ、言い忘れたけど。俺ってアズラル先生から黒魔術発動時の魔力を感知する方法を習ってたんだった」
「え? うそ?」
「うん。嘘。やっぱり図星だったか」
「あ! だ、騙したわね!」
焦ったカグヤは術を中断しようとするも、手遅れだった。
「ちょ、やめ! そこはだめえ! いや! きゃははははは!」
再び始まるくすぐり攻撃。カグヤは身をよじって笑い転げる。
「ひ、ひひ! あはは! きゃはは! だめだめ、そこはだめだってばあ!」
黒い髪を振り乱し、その美貌に苦悶の表情を浮かべ、息も絶え絶えと言った有り様で、やたらと艶めかしい声を上げるカグヤ。
「うお……」
そんな彼女の姿に、エドガーは思わず目を釘付けにする。
「きゃははは! はひ! だめ、もう、だめ……」
スケベ心満載のままのエドガーが、くすぐり攻撃を止めるのも忘れてカグヤの姿に魅入っていると、さらに大きな変化が起きた。彼女の身体を覆う黒いローブ。それが徐々に色を失い、透けるように消え始めたのだ。
「ええ!? おいおい、まじか!」
ますます目を皿のように丸くするエドガー。カグヤの衣服は、《闇》を操作してその形状を自由に変えられるようになっている。しかし、激しく精神を乱されたことで、その機能が失われつつあるようだった。
消えていくローブの下からは、薄手の白い下着を纏うだけのあられもない姿が露わになり、カグヤの豊かな胸のふくらみが揺れる様子や紅潮した肌にじんわりと汗がにじむ様子などが、エドガーの眼に飛び込んでくる。
「うおおお! これはなんて役得な! は! ま、まさか、アズラル先生! ここまでわかっていて、俺にこの作戦を? いやあ、すごい! 凄すぎる! 俺、先生に一生ついて……ぎあ!」
ぐらりと身体を揺らし、白目を剥いて倒れるエドガー。その後ろには、鉄のように固くなった握り拳を構えて立つ、シュリの姿があった。
「獣人族の恥さらしの変態は、お前だにゃ!」
憤慨した声を上げた後、くすぐり攻撃から解放されたカグヤの元に駆け寄るシュリ。
「カグヤ姉様! 大丈夫?」
「え、ええ……まったく、酷い目に遭わされたわ。変態の弟子は変態だったってわけね」
荒くなっていた息をどうにか整え、身体を起こすカグヤ。
「あいつ、どうする? 今のうちにぶっ殺しちゃう?」
シュリが物騒なことを聞いて来るが、カグヤは首を振った。
「いいえ、さっきまではわたしたちの完全な負けだった。情けをかけられた挙句、この状況で止めを刺そうと思うほど、わたしも人間やめてないわ」
「そっか……」
何故か残念そうにうつむくシュリ。
「でも、そうねえ。この人形たちは壊してもらうとして……。それ以外にも、あの変態には、色々とお仕置きしちゃっていいわよ」
茶目っ気たっぷりにそう言うと、シュリは一気に顔を輝かせた。
「ほんと! やったあ!」
──その後、しばらくして気絶から目を覚ましたエドガーは、己の身に降りかかっていた悪夢に、それはそれは絶望的な声を上げたのだった。
次回「第63話 暗愚王と不屈の英雄」