第60話 少年魔王と霧中の戦い(下)
「……なるほど、黒霊賢者の置き土産ってわけ。でも、《影法師》ではないみたいね」
目の前の人形を黒魔術 《心探る目》で分析しながら、カグヤはつぶやく。
「あれくらいなら、僕が蹴散らそうか?」
ネザクが強気の言葉を言うも、カグヤはそれに首を振る。
「いえ、エリザがまだ出てきていないわ。魔法攻撃はわたしが防ぐにしても、霧に乗じた遠隔射撃も怖いし、あなたは『グラウルダロス』にその手の攻撃を防ぐよう、命令しておいてもらえる?」
前回の戦争での戦いぶりを聞く限り、エリザに対抗できそうなのは、ネザク自身かリゼルくらいのものだろう。ならば、ここで動かすべきはネザクではない。
シュリに関して言えば、肉体面より精神面を護る意味で、護衛をしっかりつける必要がある。そこが失敗すれば、『月獣』の支配にも影響が出かねない。
「うん。わかった。でも、こいつらは?」
「蹴散らすなら、おあつらえ向きの彼女がいるでしょう? ……リゼル。この人形どもを蹂躙しなさい」
「わたくしは、承知した」
不気味に間合いをとる黒人形たち。背丈は子供と大して変わらないが、ゆらりと動く立ち姿には、武人のような迫力さえ感じられる。その姿が霞むように消えていくのは、あたりに再び霧が生まれてきているからのようだ。
「しつこいわねえ。発動《幽玄の風》」
再度アクティが風の魔法を発動させるが、霧は払われた直後から、その密度を取り戻していく。
「この霧も、魔法なのかしらね。……それにさっきの人形、あれもやっぱり『黒霊術』なのかしら……」
未知の術を前に、カグヤにも若干の焦りがある。だが、どんな小細工も圧倒的な力の前には無意味だ。だからカグヤは、リゼルに人形たちの処理を任せることにした。
「わたくしは、人形たちを殲滅す……」
一歩前へ踏み出したリゼル。だが彼女は、その台詞を最後まで言うことができなかった。
突如として飛来した、漆黒の閃きが彼女の胴体に真横から突き刺さり、そのまま凄まじい速度で彼女の身体を遥か彼方まで弾き飛ばしてしまったからだ。
「リゼル!?」
ネザクが驚いて叫ぶと同時、周囲の黒人形たちが一斉に飛び掛かってきた。
「カグヤはやらせないよ!……我が身に宿れ、レヴィアタン」
ネザクは獄界第四階位の魔、剛燐蛇王の力を身にまとい、カグヤに殺到する人形の攻撃をその身体で受け止める。すると、ただそれだけで、人形の拳の方が音を立てて砕け散った。
鎧袖一触ならぬ、《害袖一触》。それは、イデオンが使用する防御用魔闘術 《剛鱗蛇王の鎧》のように、単に防御力を高めるだけものではない。触れた対象に力を逆流させる鱗。真の意味でのレヴィアタンの特異能力だった。
「面倒ねえ。……って、あれは! ……ふふふ、ついてるわあ。邪魔なリゼルは遠くへ吹き飛んじゃったし、このタイミングでアレが見つかるなんてねえ……《屍斬血牙》」
手に大鎌を生み出しつつ、飛び掛かってくる黒人形たちを一閃で切り裂くアクティラージャ。その視界の端には、赤い髪の少女の影がある。
「このお!」
ネザクは蛇王の鱗状の光で覆われた拳で、群がる人形を殴りつけて撃ち砕いた。
「ありがとう、ネザク」
カグヤは礼を言いながらも、悔しさに歯噛みする思いで周囲を見渡す。実のところ、この敵はカグヤにとって最も苦手とするタイプの相手だ。
彼女の特異魔法《わたしの闇》は、魔法攻撃であれば全てを吸収する。
彼女の精神干渉魔法は、全力で使えば、たとえ相手に耐性があろうと無力化できるだけのレベルに在る。
だが、この黒い『魔動人形』たちには心が無く、攻撃は物理攻撃のみなのだ。
「く! それに……さっきのは何? リゼルが吹き飛ばされるなんて……」
遥か彼方まで吹き飛んだのか、リゼルの姿は全く確認できない。と、その時だった。
「やっと来たにゃん!」
シュリの声。ようやく姿を現したのは、天を衝くほどに巨大な『強化複合月獣』だった。漆黒の身体に悪魔のような翼を生やし、三つ首にはオンテルギウス、ホロウナイトベア、ルキルグフという、『月獣』の中でも特に恐れられる三体の顔が付いている。手首の先には指ではなく、竜の頭のような牙の生えた口が付いており、そこから不気味な青白い炎が噴き出していた。
「いっけえ! キングキマイラちゃん!」
手持ちの『月獣』のほとんどすべてを融合させて生み出した、最強の『強化複合月獣』キングキマイラ。身体が大きい分、ここへの移動にも時間がかかったようだが、その戦闘力は申し分ない。巨大な蛇の尾を一振りするだけで、何体もの黒人形たちをまとめて薙ぎ払っていく。
「よし、これでこっちは大丈夫みたいね。じゃあ、イリナとキリナ。わたくしはさっき、この人形を操っているらしき術者の気配を発見したわ。倒しに行くわよ!」
白々しくもそんなことを言いながら、リゼルが吹き飛ばされた方向とは真逆。先ほどちらりと見えた『赤い影』の方へと走り出すアクティラージャ。
「あ! ちょっと待って、アクティ!」
「む、勝手に動くな!」
イリナとキリナは、やむなく彼女の後を追って走り出す。本来なら勝手な動きをするなと注意すべき場面ではあったが、カグヤにその余裕はなかった。
「散々小細工を弄した挙句、ようやくお出ましってわけ?」
目の前には、二人の少年。顔に刀傷のあるダークエルフと精悍な顔つきの銀狼族。
「でも、エリザの姿が無いわね?」
「先陣を切るのは男の役目でね」
銀髪から生えた獣耳を揺らしながら、少年は不敵に笑う。どこかで見たことのある、……いや、『聞いたこと』のある嫌な笑い方だ。カグヤはそう思った。
「ルーファス先輩は、そっちのでかぶつをお願いします」
「ああ。エドガー、黒魔術には気をつけろよ」
エドガーと呼ばれた少年は、カグヤたちの方へと進み出てくる。
「何が男は先陣を切る、よ。こんな不意打ちを仕掛けてきた挙句、女の子の手足を折って喜ぶような奴が! あなた、エドガーってことは、あのイデオン・バーミリオンの息子でしょう? 恥ずかしくないわけ?」
斬りつけるようなカグヤの痛烈な皮肉にも、エドガーは表情を崩さない。余裕のある、どことなく嫌らしい笑みを浮かべている。
「なんとでも言えよ、黒の魔女。獣人族の誇りも持たない奴の骨なんか、もろいもんだな。目障りだし、これから何度でもへし折ってやるぜ?」
「ううっ!」
残酷そのものの言葉を吐くエドガーに、シュリが『月獣』を操作しながら、引きつったような声を漏らした。
「……ネザク。シュリを護ってあげてくれる?」
「え? う、うん」
ネザクは頷くと、堕剣士グラウルダロスをシュリの周囲に集まらせた。
「ご、ごめんね、ネザク」
申し訳なさそうなシュリ。
「ううん、いいんだよ。僕も今の言いぐさには腹が立ってきた。だから、こうしよう。……おいで、『クラマ』」
ネザクは新たな『魔』を召喚する。暗界第二十階位の『魔』。十人で一体の『暗黒の住人クラマ』。そして、その複製を百体。黒い小人が都合千人、周囲をあっという間に埋め尽くす。それは、一国の大規模な軍隊さえ、殲滅できるだけの戦力だった。
「戦術級の『魔』をこんなに大量に? でも、こんな近接戦の状況で多数の『魔』を召喚したところで、ほとんど役に立たないぞ?」
ルーファスは、キングキマイラの繰り出す攻撃を余裕で回避しながら問いかける。
「あのねえ、僕は魔王だよ。非道さなら、僕に勝るものはないってわけさ。この学院にはたくさん人がいるんでしょ? 皆出口を探して逃げ回ってるみたいだし、だから、僕らへの攻撃をやめないと、そいつら全員殺しちゃうよって、脅そうかと思ってね」
脅そうかと思って、などと言いつつ、既にそれは脅しの言葉だった。周囲に出現した『魔』は、わらわらと四方八方に駆け出していく。
「ち!」
エドガーが焦ったように周囲を駆け抜けようとする何体かの『クラマ』を殴り倒すが、焼け石に水だった。
「一般人を人質にとっての脅迫か。……随分と『魔王らしい』じゃないか」
頭にせまる蛇の尾をしゃがみこんで回避しながら、ルーファスがつぶやく。何か含むところがあるような言い方だ。
「ふざけるなよな。あれだけの口上を抜かしておいて、降参すれば殺さないなんて言い分を信じてもらえると思ってんのか? こうなりゃ一刻も早くあんたらをぶっ殺すしかないだろうが」
「…………」
《恐怖の語り部》による宣戦布告のことを言っているのだろう。そう言われてしまえば、今のネザクの脅しに意味は無くなる。
「ぶっ殺す? 面白いね。君程度の雑魚に、僕が殺せるって? じゃあ、証明してみせてよ。……おいで、『クリムゾン』」
ネザクは酷薄に笑いながら、手を振りかざす。すると、空間に裂け目が生まれ、そこから真っ赤な体毛に覆われた腕が突き出される。
「ハッハッハ! やっと呼んでくれたかよ、ネザク! ぶっ殺してえ奴はどれだあ!」
げらげらと笑いながら姿を現したのは、獄界第六階位の『魔』、『真紅の人狼』の二つ名で知られるクリムゾン。狼のような顎には、ギラギラと輝く鋭い牙が並んでいる。
「あの銀狼族だよ。お願いできる?」
「ああ? お願いだあ? てめえ、舐めてんのか? 俺がてめえのために働かなかったことなんざ、皆無だろうが! 黙って指図すりゃいいんだよ! ハッハッハ!」
野太い声で叫ぶ人狼から放たれる圧力は、同じ獄界の第八階位、剛魔獣ラスキアの比ではない。
「じゃあ、いっちょうぶっ殺しますか!」
「……くそ!」
エドガーが踵を返して走り去る。
「待てや、コラ! 逃げられると思ってんのか?」
恐ろしい速度で追いすがる人狼は、背を向けたエドガーに拳の一撃を放つ。気配を察知したエドガーは、それを間一髪で回避するが、衝撃波で近くの建物の壁が砕けたのを見て身震いする。
「ほんとに災害級ってのは化け物だ!」
繰り出される攻撃を背中に目でもあるかのように回避しながら、エドガーは笑っていた。ここまでは、完璧に作戦通りだった。
エドガーが霧の中へと走り去った後、ネザク達の場所でも再び動きがあった。先ほどからルーファスとキングキマイラは一進一退の攻防を繰り広げているが、突如として霧がその濃さを増し、周囲を覆った。霧を払う風の魔法を使っていたアクティがいなくなったせいもあるが、それにも増して急激な変化だ。
「この霧……何なのかしら? さっきから何度吹き散らしても湧いてくる。まさか、ずっと霧の魔法を使い続けている奴でもいるの?」
カグヤは、特異魔法《わたしの闇》で周囲の霧を吸収しつつ、辺りを見渡す。だが、距離が離れた場所まではどうにもならない。おかげでルーファスとキングキマイラの戦いは、ほとんど見えなくなってしまった。
「シュリさん、調子はどう?」
周囲を油断なくグラウルダロスに護らせたまま、ネザクが心配そうに問いかける。
「うん。だいぶ落ち着いたよ。ごめんね。みっともないとこ見せちゃったにゃ……」
面目なさそうにうつむくシュリ。
「何を言っているのよ。あなたのおかげで随分助かったわ。……それにこれは奴らの作戦よ。わたしとシュリが親しいことを知っているってことは、大方アズラルの考えでしょうね。わたしへの攻撃をあなたに防がせて、手足を折る。そうやってあなたの心を折っておいて、それを材料にわたしたちの行動を制限する……嫌らしいやり方だわ」
「……英雄らしくないね。ううん、エリザらしくない。正直、ガッカリだよ……」
ネザクも苛立ちを隠すことなく、つぶやいた。まったくもって、らしくない。彼の知るエリザなら、真っ先に反対しそうな作戦だ。少なくとも彼女とは、正面から正々堂々戦いたかったのに。
などと胸中に複雑な思いを抱いているうちに、彼は気付いた。
「……あれ? 『クラマ』が送還され始めた? こんなに大量に? それに……、嘘でしょう? ……『クリムゾン』まで?」
愕然とした顔でカグヤを見上げるネザク。カグヤもその言葉に、目を丸くする。
「……エリザかしら?」
てっきり彼女は、リゼルアドラの相手をしていると思っていた。でなければ、リゼルが戻ってこないはずもない。そもそも、エリザ以外にリゼルを押さえておける敵など、いないはずだった。
だが、その時。
「いいや、エリザじゃない。『クリムゾン』? あんな奴、俺にかかれば、ただの雑魚だったな」
霧の中から響くエドガーの声。
「我が背に宿れ、マイアドロン。顕現せよ」
攻撃を警戒したネザクは、そこですかさず己の身体に風を操る『魔』をまとい、周囲の霧を吹き散らす。霧が晴れた先には、無傷のままのエドガーが現れる。そして同じく、傷一つなく立っているルーファスの姿があった。
「あれ? キングキマイラは?」
シュリが驚いて周囲を見渡すも、巨大な悪魔を模した強化複合月獣の姿は、影も形も残っていない。だが、ルーファスの傍にある巨大なクレーターだけが、霧の中で何が起きたのかを物語っていた。
「……まさか、あなたたち、こんな短期間で『星心克月』を?」
そうとしか考えられない。だが、カグヤが黒魔術師としての目で見る限り、少なくともエドガーには、それを会得することは不可能であるように見えるのだが。
「……グラウルダロス。攻撃開始」
ネザクは、それまでシュリの護衛にあたらせていた堕剣士たちを一斉に攻撃へと転じさせる。命令に従い、巨大な刀を一気に振り上げ、地に叩きつけるグラウルダロス。爆発的な衝撃波がその先に立つ二人の少年へと襲いかかる。
周囲の大地が砕け、通りに並ぶいくつかの建物が崩壊する。災害級の『魔』が見せる、圧倒的な破壊力。
「今だ!」
しかし、今度はルーファスが鋭く叫び、衝撃波をかいくぐるようにカグヤに迫る。
「駄目だよ。今度は僕が、カグヤを護るんだから」
するりと、ネザクはルーファスの脇へと身体を寄せ、彼の身体に軽く触れる。
『ルナティックドレイン』が発動しているネザクに直に触れることは、すなわち『死』を意味する。
「え?」
しかし、ルーファスは死なない。いや、それは『ルーファス』ではなかった。
ネザクが腕を掴んだ相手──その姿は、いつの間にか燃える炎のような髪をした少女のものに取って代わられていた。
「エリザ……?」
気づけば、彼女の背後でグラウルダロスたちがぼろぼろと崩れ、消滅していくのが見える。
「い、いったい、何が?」
この場に残るネザク、シュリ、カグヤの三人。そのちょうど中央に割り込むようにエリザの身体は飛び込んできている。
「よう、ネザク。久しぶり」
ほとんど目と鼻の先で顔を合わせ、エリザはネザクににっこりと笑いかけた。
「……エ、エリザ」
「久しぶりで悪いけど、邪魔されない場所で話をしようぜ」
「え? えええ!?」
一同は、あまりのことに悲鳴以外の言葉が出なかった。エリザはネザクの身体をしっかりと抱きしめると、そのまま猛スピードで走り出したのだ。
「ネザク!」
「シュリが追うにゃん!」
あの速度に追いつけそうなのは、この中ではシュリぐらいのものだ。だが、カグヤは首を振る。
「いえ、駄目よ! 追いかけたところで、あの二人の戦いには割り込めないでしょう?」
「あう……」
しゅんとなって、下を向くシュリ。
「さて、あんたたちの相手は俺がしてやるよ」
そう言ったのは、エドガーだった。彼はおどけたように肩をすくめ、皮肉げな笑みを浮かべている。
「……まったく、手品みたいな真似をするわね。あなたたちには黒魔術師はいないはずでしょう? どうやったの?」
「おいおい、手品のタネをばらす手品師がいるかよ。まあ、手品と言うか茶番だよ。エリザとあいつを二人だけで戦わせてやるためのな」
「まあ、いいわ。でもね……こんなやり方をしたのは、失敗だったわね。わたしもネザクも、本気で怒っているのよ?」
シュリを横目で見つつ、言葉を続けるカグヤ。
「今のネザクは、『やると言ったら本気でやる』し、わたしはわたしで、少なくとも『星心克月』の才能すら持たない『出来損ない』になんか負けないわよ」
カグヤは嫌味たっぷりの笑みを浮かべ、見下すような目でエドガーを見た。
「……いいんだよ。あんたたちには、本気でやってもらわなきゃ意味がない。エリザにとっても、俺にとってもな」
「……まさか、これってあなたの差し金?」
周囲に再び姿を現した黒い人形を見回しながら、カグヤが問う。
「ああ、これは俺の小道具だ。よくできてるだろ? 俺とおんなじ動きを真似してくれるんだぜ?」
エドガーが両手を広げると、まったく同じ仕草で手を広げる人形たち。
「呆れたわ。あなた、本当に単細胞で有名なイデオンの息子なの?」
「本当だぜ。でも、今の俺は『英雄王の息子』じゃない」
「じゃあ、なんなの?」
意味が分からないと言った顔で問いかけるカグヤ。するとエドガーは、誰かによく似た笑みを浮かべる。
「悪魔の弟子さ」
第5章最終話です。
次回は登場人物紹介をはさまず、五話編成の「第1部 最終章 それぞれの決着」に入り、その後に第五章及び最終章の登場人物紹介となります。
次回「第61話 双子の姫と混血の忌み子」