第57話 英雄少女と新たな戦乱(上)
己の夢を叶えるため。
ただ純粋に、強くなるため。
さまざまな思いを胸に、少年少女が日々を積み重ねていく中。
大人には大人の事情がある、と言わんばかりに時代は動く。それは当然と言えば当然のことだった。いつの時代も、歴史を動かすのは『大人』の役回りだ。『子供』の想いなど関係なく、彼らの事情で世界は動く。
ただし、彼ら自身もかつては、『少年』であり、『少女』であった。
幾千幾万の夢の跡。彼らが失ったと思い込んでいるもの。あるいは忘れてしまっているもの。今の世界は、そうしたものが積み重なってできている。表面を動かすのが大人の事情だとしても、世界そのものは『夢』でできている。
「──もう一度、言ってくれないか?」
英雄養成学院の学院長室。アルフレッドは耳を疑うように、副院長のエルムンドへと問いかける。
「はい。王都エレンタードは、今から一週間ほど前、陥落いたしました」
エルムンドは二度目だと言うのに、律儀に同じ言葉を繰り返す。
「……まさか、魔王が?」
アルフレッドの声は驚愕に震えている。だが、エルムンドは首を振った。
「いえ、違います。侵略してきたのは北の大国、エクリプス王国です。わたしが収集した情報の範囲では、かの国は宣戦布告と同時、これまででは考えられない方法で国境を侵犯し、たちまちのうちに王都に攻撃を仕掛け、ほとんど一夜のうちに陥落させてしまったと聞いています」
「……その方法というのは?」
「それが……よくわかっていないのです。『空に浮かぶ船』を見たとか、空から降り注ぐ光が王都の城壁を破壊したとか、その手の曖昧な話ばかりが目撃情報としてはあげられるようですが……」
実は、エルムンドはこの情報を二日ほど前に入手していた。だが、あまりに信じがたい話であっただけに、裏付けを取るのに時間を要した。それでも完全とは言い難いが、陥落の事実自体は確実である以上、アルフレッドには報告するべきと考えたらしい。
「……エクリプス王国が、なぜ今頃になって?」
邪竜戦争から十年。大戦からの復興に必要な物資をお互いに融通し合い、あらたな経済交流を図ることで各国は良好な関係を築いてきた。それはエレンタード王国とエクリプス王国の間でも同じことだったはずだ。
この十年でその関係に変化があったということなのかもしれないが、だとしても唐突に過ぎる。
「未確認情報ですが、東の森林国家ファンスヴァールにも同様の攻撃が仕掛けられているとか……。まあ、かの国の場合、強力な『弓張り月の結界』がありますから、そう簡単に陥落することはないでしょうが……」
「そんな馬鹿な……」
エルムンドが口にした情報が事実なら、十年前の邪竜戦争の際には同盟関係にもあった二大大国それぞれに対し、エクリプス王国は二正面作戦を敢行したということになる。大戦前は小国に過ぎなかったあの国に、それほどまでの地力があるとは考えにくい。
アルフレッドが頭を悩ませていると、学院長室のドアが控えめにノックされる音が響いた。
「どうぞ」
反射的に答えたアルフレッドの声に応じるかのように、ゆっくりと扉が開かれる。
「やあ、お取込み中のところ悪いね」
「アズラルさん……」
「いや、皆まで言わなくてもいいよ。事情は分かる。僕としては、自分が未だにこの学園に留まってしまっていることに反省の気持ちはあるけれど、この際それは言いっこなしだ」
わけの分からないことを言いながら、勧められもしないうちに応接のソファへ腰を下ろすアズラル。
「どういうことですか?」
言葉の出ないアルフレッドに代わり、エルムンドが問いかける。
「どうもこうもないさ。宣戦布告の理由だよ。君のお得意の情報網とやらで確認しなかったのかい?」
辛辣な口調で言うアズラル。彼は特に気に入った相手以外には、こうした人を食ったような話し方をするため、たいていの相手からは嫌われている。だが、人格者のエルムンドは大して気を害した様子もなく、淡々と言葉を返す。
「王弟アズラル殿下の御身を害した件につき、その責を問う……でしたかな」
「そのとおり。まあ兄上にしてみれば、厄介者の弟を『死んだこと』にした挙句、他国侵略の口実に使っただけのことだろうけどね」
「では、アズラルさんもこの件は知らないと?」
ようやくアルフレッドは、そんな質問を口にした。
「いや、知ってるよ。彼女に、……カグヤに聞かされていたからね」
「カグヤに?」
「そう、君の幼馴染の彼女だよ。兄上は、彼女がかつて所属していた組織──『黒の教団』の資金提供者でもあった。知ってるかい? 『黒の教団』」
「いえ……でも、『教団』という言葉には……聞き覚えがあります」
アルフレッドは苦い記憶を思い出しながら言う。
「そうかい。世間でも忌み嫌われる黒魔術師たちが寄り集まり、世界の転覆を画策する組織。かの教団の発足は十数年前だけど、当時から彼らは星界各地で活動を繰り返し、黒魔術の素養がある子供たちを誘拐して『入信』させていた。……でもねえ、嫌われ者の集まりに普通、そこまでの力があると思うかい?」
「エルスレイ陛下が裏で資金を提供していたと?」
「ああ、当時の兄上は王太子だったけどね」
「いったい、何のために?」
「決まってるさ。当時は小国に過ぎなかったエクリプスを大国になり上がらせるべく、自国の周囲に都合のいい戦争を引き起こすためだよ」
そこまで言って、アズラルは顎を上げて笑う。
「まったく天才ってのは怖いね。着眼点が常人には真似できないよ。世間で迫害を受けている黒魔術師たちの劣等感を刺激して徒党を組ませ、世にあまり知られていない術を最大限に活用して、戦乱を引き起こすだなんてね」
「じゃ、じゃあ! やっぱりあなたは『邪竜』とは関わりがなかったんじゃ……」
「いいや、『それ』の責任はやっぱり、僕にあるのさ。……まあ、今はその話じゃない。『黒の教団』自体は五年近く前に消滅しているけれど、そこに所属していたカグヤの情報だから、これから僕が語る言葉は間違いのないものだ。そう思って聞いてもらいたいってことさ」
アズラルは「もっとも、僕を信じてくれなければそれまでだけど」と続けた後、意地の悪い目でアルフレッドを見る。だが、アルフレッドは、そんな視線に身じろぎもせず、ほとんど即座に答えを返す。
「決まっています。俺はあなたを信じる」
「……君は本当に変わらないね。いや、ブレないというべきか。それでこそ世界最高の英雄だよ。十年前とまったく同じだ」
ソファの上で伸びをしながら、嬉しそうに破顔するアズラル。どこまでも人を馬鹿にしたような態度だが、その目は真剣そのものだった。
「だから、教えてください。エクリプス王国は、エルスレイ陛下は、いったい何をしたんですか?」
「『亡霊船団』だ」
「え?」
簡潔過ぎる答えに、意味が分からず目を丸くするアルフレッド。
「兄上が『星心克月』を会得した、生粋の霊戦術師だって話はしたよね? そんな彼と『黒霊賢者』たる僕、二人が十年以上前に開発した兵器。それが『亡霊船』なんだよ」
「それは、どういうものなんです?」
「形状とすれば巨大な船かな? でも、ただの船じゃない。材料には、エクリプスで産出される『新月の魔石』をふんだんに使っている。この魔石は『月の力』を溜めこむことができる代物でね。器物に魔力を憑依させる霊戦術とは、すこぶる相性が良い。つまり『亡霊船団』というのは、霊戦術で造り出した兵器なんだよ」
「それが一夜で王都を陥落させたと?」
信じられないと言いたげな顔で問いかけるアルフレッド。いくらエルスレイが『星心克月』を会得していると言っても、王都にはエレンタードの精鋭である魔法騎士団のうち、数千人を超える騎士たちが防衛の任に当たっていたはずなのだ。それを一夜で陥落させるなど、五英雄でさえ不可能だ。
「それが兄上の恐ろしいところさ。造った当初、僕はあれを失敗作だと思っていた。効率が悪すぎるという理由でね。けれどカグヤによれば、兄上はその後もあの船についての研究を続けていたらしい。それこそ『黒の教団』にも手伝わせていたそうだよ」
凡人が不要と判断したものでさえ、そこに有意性を見出し、改良を加えて成果を上げる天才。かつて自分が苛まれ続けていた劣等感を思い返しながら、アズラルは言葉を続ける。
「聞いて驚いてほしいんだけどね。かの船は、今や『船団』を名乗るだけの数があるらしい。それもエクリプス王国の国民全員の魔力──『月の力』を集約した成果なんだそうだ。十年近くをかけて少しずつ、数十万の民からかき集められた力だ。そんなの、想像を絶すると思わないかい?」
「…………」
絶句するアルフレッド。一騎当千どころか、万の軍勢にも匹敵すると評される五英雄ではあるが、数十万人の十年分に匹敵する魔力を有する『兵器』が相手となれば、苦戦するどころの話ではないだろう。
「ちなみに、今だから言うけど……カグヤは僕にこう言ったんだ。『あなたが魔王軍の陣営に来てくれれば、「亡霊船団」は止めてあげる』ってね」
「まさか、そんなことが……」
ここでようやくアルフレッドも、魔王軍から解放されたアズラルの様子がおかしかった原因が腑に落ちた。だが、実際には、カグヤがアズラルに言った言葉には、まだ続きがある。
『あなたが過去の罪を償いたいと思うなら、『この子』を見なさい。わかるでしょう? ほら、『この子』こそが、あなたの罪。でもね、わたし自身は、あなたに感謝しているの。今のわたしの生き甲斐は、『この子』のために、『世界を征服』することなのだから……』
魔女の囁き。臓腑をえぐるような言葉。
黒く塗りつぶされた彼の過去には、『夢』などない。
だがアズラルは、そんなことなどおくびにも出さず、話を続ける。
「これで僕たちは魔王軍を背後に抱え、北の脅威に立ち向かう羽目になったわけだ。結局、これはこれで彼女の思惑通りだろうね。僕としてはこんな事態だけは避けたかったのだけど……まったく、君の生徒たちときたら……」
アズラルは、逆恨みともいうべき目をアルフレッドに向けてつぶやく。
兄に対する劣等感から禁忌ともいうべき様々な研究に手を染めたこと。そのうちの一部が、結果的に兄の野心のために使われることになった、その責任。
そして何より、この世界に『あんなモノ』を生み出してしまった己の罪。
その償いのために魔王軍へと身を投じ、命を懸けてすべてを止めようとした彼の決意は、まっすぐに自分を見上げる少年少女の瞳の前に、あっさりとへし折られてしまった。
彼は黒の魔女の囁きなどではなく、エリザたち五人の可能性──『夢』にすべてをかけてみたくなってしまったのだ。
「……で、でも、『亡霊船団』を止めるなんて、カグヤにそんなことができるんですか?」
「できるらしいよ。そもそも、急激に『亡霊船団』の力を強める方法の開発は、彼女が『黒の教団』で行ったそうだし、対抗策くらいは考えているんじゃないのかな?」
「カグヤ……」
沈痛な面持ちで身体を震わせるアルフレッド。今の話を聞く限り、ここまでの状況はすべてがすべて、カグヤの掌の上のようだ。アズラルが『天才』と呼ぶエルスレイがどこまでカグヤの思惑の内にあるかは未知数だが、彼女には確実な勝算があるのだろう。
「問題なのは、ここからだよ。このまま待てば、王都を掌握した兄上が次に狙うのは、間違いなくこのエッダだ。護りに向かないこの都市で迎撃するより、打って出た方が得策だと思うけど?」
「そう、ですね。でも……」
「ちなみにアリアノートは、ファンスヴァールの防衛に戻ったぜ。イデオンも傷の療養があるから南部から出てこれないし、北と戦える五英雄は君と僕、二人しかいないってわけだ。ふふふ、なんだか昔を思い出すね」
畳み掛けるようなアズラルの言葉の意図は明らかだ。つまり、覚悟を決めろと言うのだろう。かつてアルフレッドは、彼の言葉に従ってエレンタード王国を飛び出し、彼の黒魔術に助けられながら、各国を訪問して『新月の邪竜』の存在を訴えて回ったのだ。
「僕らが王都奪還に向かうとして……この学院、いえ、この学園都市エッダは、『彼ら』に任せるしかない。そういうことですね?」
「ああ、そうだ。まあ、心配するな。君に内緒でかなり過激な修業もつけてやったりしたからね。彼らの……特にエリザとリリアの実力は、僕らに迫るか、すでに超えているかもしれないよ」
「俺に内緒でって……まったく」
悪びれもせず言うアズラルに、呆れたような目を向けるアルフレッド。
「わかりました。でも、俺たちの方は勝算があるんですか?」
「決まってるだろう。そんなの」
「あるんですね?」
「いや、とりあえず頑張ってみようか?」
「………」
アルフレッドは思わず机に突っ伏す。
「馬鹿だなあ、君は。忘れたのかい? あの頃の僕たちには、勝算なんて欠片もなかったじゃないか。いつだって、道を切り拓くのは勝利を信じる気持ちだよ」
「……ですね。いつの間にか、忘れていました。いいでしょう。とりあえず、頑張りましょう」
アルフレッドは院長席から立ち上がると、アズラルへと歩み寄る。アズラルはソファにふんぞり返ったままそれを見つめていたが、やがて彼がすぐ近くまで来ると、そのままの姿勢で手を伸ばした。アルフレッドはその手を力強く掴み、強引に引っ張り上げる。
「おっとっと」
急に引っ張られた肩の痛みに顔をしかめつつ、勢いにつられて立ち上がるアズラル。
邪気のない笑みを浮かべるアルフレッドを見て、アズラルは十年前、駄目元で当時十六歳の少年だった彼の下を訪れ、『邪竜』の話をした直後のことを思い出していた。
そして、奇しくも彼は、その時と同じ言葉を自分に向かって口にする。
「さあ、そうと決まれば、善は急げです!」
次回「第58話 英雄少女と新たな戦乱(下)」




