第55話 少年魔王と繊月の器(上)
月影一族について。
彼ら月影の一族は、星界に満ちた『真月』と呼ばれる力を吸収し、ため込んでおくことができる体質の持ち主だ。
『真月』自体は、星界の住人すべてが有しているが、通常は魂そのものと結びつき、その大半が白、紅、蒼、黒のいずれかの色に染まることで、四術の力の源にもなっている。
ネザクの『ルナティックドレイン』は、魂に密接に結びついたその色ごと、『真月』を吸収する。それはつまり、無理矢理搾り上げているようなものであり、対象となった側は当然、魂に強い負荷を受けることになる。
だが一方、月影の一族の持つ『真月』は、いわば無色の力だ。四月界の『魔』にとっては、非常に使い勝手の良い貴重なエネルギー源ともなるその力は、彼ら一族が月召術を使用するのを容易にしている理由でもあった。
「うふふ、だから、わたくしが『繊月の器』から力を吸収すると言っても、それが無色である以上、器に害を及ぼすようなことはないのよ?」
城内の離宮へつながる渡り廊下。隣を歩くネザクにしなだれかかるのは、蒼髪の美女だ。蠱惑的な身体に布を巻きつけただけの身体をくねらせ、アクティは耳元で囁くように彼に語りかけている。
「う、うーん。それは聞いたけど……自分の力の実例があると、どうしても不安なんだよね……」
「イリナとキリナだったかしら? 羨ましいわねえ。可愛いネザクに、そんなに心配してもらえるなんて」
「あはは……。そ、その、それはいいんだけど、そろそろ離れてもらってもいいかな? すごく歩きづらいんだけど……」
「ええー? いいじゃない。わたくしの身体の感触、なんだかんだ言って、楽しんでるんでしょう? ほらほら、やーらかいわよ?」
「うわわ!」
顔を赤くして叫び、アクティから身を離すネザク。だが、離れたせいで視界に入りやすくなったためか、彼の目には、彼女の豊満な身体つきがはっきりと映り込む。
「うう……頼むからもう少し服を着ようよ……」
「うふふ……、ああ、何て可愛いのかしら。何度でも何度でも、わたくしの色に染めてあげてしまいたくなるわあ……」
うっとりとネザクを見つめるアクティ。
「い、いや、アクティさん。もう少しで部屋に着くんだけど……」
「アクティちゃん」
「え? い、いや、その……」
「アクティちゃんでしょう?」
「うう、ア、アクティ……ちゃん」
「はい。よくできました。ご褒美は何がいいかしら? 何でもしてあげるわよ?」
「ああ、もう。カグヤはどうしてこんな……」
ネザクは頭を抱えながら、部屋の扉をノックする。
「イリナさん、キリナさん、いる? 僕だよ」
ミリアナと双子の姉妹が生活するこの離宮の部屋に訪れるのも、もう何度目のことか。勝手知ったるとばかりに開けて入っても構わない仲ではあるはずだが、ネザクはこういうところで真面目だった。
「ネザク? ああ、どうぞ。お入りなさい」
中から聞こえてきたのは、ミリアナの声だった。ネザクはいつもの調子でドアノブに手を掛け、それを押し回すように扉を開く。
「まだ、夕食の時間には早いけど……どうしたのかしら? あの子たちもまだ来ていないわよ」
「え? ああ、そうなんだ。いや、ちょっと別の用事があったんだけど……」
「あら、そう。まあ、そのうち戻ってくるでしょうから、中で待っていたらどうかしら」
「うん。ありがとう。そうさせてもらうね」
ほぼ2か月余りの間、ネザクは頻繁にミリアナの部屋を訪れている。そのせいか、二人の会話は慣れたものであり、また、相当な親密さを感じさせるものとなっていた。
だが、この日ばかりは、それでは済まない。ネザクの背後には、目の覚めるような蒼い髪をした人外の美女が立っていたのだから。
「……ふーん。なかなかじゃない。こんなにきれいな『器』なんて、滅多にお目にかかれないわ。話に出てた双子の少女がどの程度のものか知らないけど、いっそのこと、こっちのおばさんでも悪くないわね」
じろじろと不躾にミリアナを眺めまわし、そんな言葉を口にするアクティ。もし、この場にエドガーがいたら、あまりの失言に目を覆いたくなるところだろう。
「…………」
それまで朗らかな笑みを浮かべていたミリアナから、波が引くように表情が消える。続いて彼女の手は、大きな胸の前でこれ見よがしに組まれていたアクティの腕を掴む。
「え? ちょ、ちょっと?」
「……あなたには、少しばかり躾が必要みたいね。お嬢さん?」
ミリアナは、完全に据わりきった目でアクティを睨みつけ、そのまま彼女の腕を引っ張って室内へと強引に入らせる。
「何を無礼な! わたくしは死霊の……きゃあ!」
反射的に腕を引いて抵抗しようとしたアクティだが、逆に重心を崩され、ふわりと身体が浮き上がったかと思うと、そのまま床へと叩きつけられる。
「ぎあ! 何をする!」
痛みに顔をしかめつつ、ミリアナを見上げるアクティ。いくら力を失っているとはいえ、こうも簡単に自分が捻じ伏せられたことに、驚いているようだ。
仮にも有事の際には最前線に出陣する身である以上、ミリアナにはそれなりに武術の心得があった。
「まったく、最近の若い娘は躾がなっていないわね。そもそも何? その服は? はしたないにもほどがあるでしょう。恥ずかしいとは思わないの?」
「な、何を言って……?」
アクティは、まくしたてるようなミリアナの言葉に目を白黒させている。
「そうやって性的な魅力で男性を惹きつけているつもり? 残念だけど、それじゃむしろ、恥じらいのない下品な女にしか見えないわよ」
「げ、下品って!」
痴女と呼ばれ、変態と呼ばれ、下品とまで呼ばれてしまう死霊の女王。今回の自然顕現は、彼女にとって災難以外の何物でもなかったようだ。
「これもいい機会です。わたくしが、あるべき淑女の在り方というものを教えてあげましょう。さあ、立ちなさい」
「え? い、いや、わたくしは死霊のじょお……」
己の誇り高き肩書き。それを口にしようにも──
「なあに?」
眼光一閃。精一杯の自己主張も、最後まで言い切らないうちに砕かれる。
「あ、そ、その、いえ……」
銀の瞳から鋭い視線を突き刺すように向けられて、アクティは言葉を失う。
「ほら、こっちに来なさい! そんな裸同然の恰好で歩かれたんじゃ、ネザクの教育にだってよくないわ」
そして、引きずられるように奥の部屋へと連行されたアクティは、生まれて初めての経験をさせられることになる。
「うう、どうしてこんな……」
今にも泣き出しそうな顔で、アクティは自身の身体を見下ろしている。
「まあ、こんなものかしらね。娘たちの服だとサイズが合わなかったけれど、わたしの若い頃の服があってよかったわ」
式典用のフォーマルドレス。首元から手首までの上半身をしっかりと布地が覆い、下半身のスカートも足全体を覆い隠す長さがある。薄紅色を基調にしたそのドレスは、本人の蒼い髪によく映えて美しくはあったが、着用者の何とも情けない顔がすべてを台無しにしている。
「わ、わたくしは……死霊の女王?」
自分の存在に、自分で疑問を投げかけるアクティ。
今でこそ力の大半を失っているとはいえ、自分は霊界第五階位、泣く子も黙る災害級と称されるほど高位の『魔』だ。こんな扱いを受けるいわれはない。
「……ごめんね。アクティちゃん。最初に『禁句』について忠告しておくべきだったよ。この前もシュリさんがうっかり口を滑らして、酷い目にあったばかりだったんだ……」
心底気の毒そうな声で言うネザクではあったが、アクティの肌の露出が減ったことに安心しているようでもある。
「ところでネザク。こちらの方はどなたかしら?」
「……その質問も、いまさら過ぎるよね」
何事もなかったかのように笑いかけてくるミリアナに、怯えを含んだ目を向けるネザク。
「えっとね……」
ネザクはここで、ようやくアクティの素性について説明する機会を得た。
「……自然顕現の『魔』に『真月』を補充する? 危険すぎます!」
ネザクの説明を受けた第一声。ミリアナは激しく反対の言葉を口にする。
「うん。カグヤもきっと、ミリアナさんなら反対するだろうって言ってた」
「当たり前です。『禁月日』に暴走した『魔』だって危険なのです。ましてや自然顕現など……。むしろ、一刻も早く送還すべきでしょう」
「うーん、でもさ。あれがそんなに危険に見える?」
ネザクが指し示した先には、部屋の隅でしくしくと泣きながら座り込む『死霊の女王』の姿があった。
「う……。で、でも、あれは力を失っているからではありませんか?」
『おばさん』の一言に我を忘れて説教をかました挙句、無理矢理着せ替えまでさせた相手が災害級の『魔』であったという事実。それを改めて認識したためか、ミリアナはばつの悪そうな顔になる。
「それだけじゃないよ。どんなに力を失っていようと、『普通』なら自然顕現した『魔』が、人間に対してこんなに馴れ馴れしく振る舞うことなんてない。彼らは星界の民を『人』とは思っていないんだからね」
「……では、どういうことなの?」
「普通じゃない奴が、ここにいるから心配ないってこと」
「アクティラージャは特別だとでも?」
「そうじゃないよ。特別なのは……ううん、異常なのは、『僕』だよ。わかるでしょう? ミリアナさんだって」
「……ネザク」
感情のこもらない声で自らを『異常』だと評するネザクに、ミリアナは悲しげな眼を向ける。
「月界の『魔』は、必ず僕に味方してくれる。僕の力になってくれる。それはもう、本能みたいなものなんだ。打算でも感情でもない、『本能』。だから、彼女たちが僕を裏切ることだけは絶対にない。下手な人間より信用できるよ」
「……確かに、あの堅物のリンドブルムでさえ、あなたのことは随分と甘やかしているようですものね」
ミリアナは肩の力を抜くように息をつくと、今さらながらに立ち話を続けていたことに気づき、ネザクとアクティを応接のソファへと案内する。
「……危険がないとしても、わたくしがそれに協力する理由はありませんよ?」
「うん。だからカグヤも、イリナさんとキリナさんにお願いしろって言ってるんだと思うけど……」
ネザクがそう言った途端、ミリアナは目を細めて彼を見た。
「……あの子たちの好意を利用しようと言うのですか?」
彼女の口調は特に変わったところのない、平坦なものだった。だが、娘の気持ちを良からぬことに利用するつもりなら、絶対に許さない──そう言いたげでもある。
しかし、銀の刃さながらに鋭く輝く双眸に睨まれながら、ネザクは平然とした顔で言葉を返す。
「好意? それは違うよ。あの二人は、そんな感情に流されたりはしない。たとえ僕が泣いて土下座をしたって、高圧的にふんぞり返って命令したって、この国に暮らすみんなのためにならないことなら、二人は絶対に首を縦には振らないよ」
イリナとキリナとは、知名度向上を図る領内巡りのため、約半月もの間行動を共にしてきたネザクである。その間、彼女たち二人のそうした性格については、なんとなく感じるものがあった。
「……親であるわたくしより、あの子たちに詳しいような口ぶりね」
「あ、ごめんなさい。気に障ったかな?」
「いいえ。そういうことなら、あの子たちの決断を待ちましょう。わたくしも、あの子たちが自分で考えて決めたことなら、親として反対はしないつもりよ」
諦めたように息を吐くミリアナ。とはいえ、二人が騙されていないかどうかは確認を取るつもりではある。結局のところ、彼女は、娘二人とネザクの会話に自分を同席させることを条件に、ようやく今回の件を了承したのだった。
「……アクティさん、だったかしら? いつまでそんな隅の方で丸まっているつもり? お茶でも出しますから、こっちにいらっしゃいな」
「え? で、でも……」
ミリアナの呼びかけにびくりと身を震わせ、オドオドとした目で彼女の顔を見上げるアクティ。誇り高き死霊の女王の面影は、既にない。
台所に向かうミリアナの後姿を見送りながら、アクティは素早くネザクに身を寄せてきた。
「な、なんなの? どうして、わたし、こんな目に?」
動揺のためか、言葉遣いが若干おかしくなっている。
「……多くは語れないけど、とにかくミリアナさんに向かって『おばさん』とか言っちゃ駄目だよ。これ、禁句。ここでの絶対的なルールだからね?」
「うう……まさか星界にそんなルールがあったなんて……」
二人は小声で会話を交わしていた。少なくとも、隣室の台所にまで声が届くことなどあり得ないはずだった。だが、しかし──
「ナニか言ったかしら……?」
「う、ひいい!」
恐怖に引きつった声を上げるアクティ。ネザクの身体に縋りつき、ガタガタと身体を震わせている。
「ミリアナさんって、この件に関してだけは、何故か常識が通じなくなるよね……」
ネザクも顔を引きつらせて、つぶやく。クレセント王国侵略の際も、もしネザクが『おばさん』などと口を滑らせていたとしたら、敗北は必至だったかもしれない。そんな風にさえ思えてしまう。
「さ、気を落ち着かせられるよう、ハーブティーにしたわ。冷めないうちにどうぞ」
言いながら、ミリアナはテーブルに茶器を並べていく
「ただいま、母様」
「戻ったぞ、母様」
ちょうどそこに、二人の少女が帰宅した。
次回「少年魔王と繊月の器(下)」




