第53話 英雄少女と星心克月(上)
エドガー・バーミリオンは、『修羅の演武場』での修業を終え、学院へと帰ってきた。凶悪な『月獣』が無限に溢れかえる、世界でも最悪の遺跡のひとつ。そんな場所で彼は、累計にして十日以上もの間、戦い続けてきた。
さすがに父のように、いきなり三日三晩戦い続けるというわけにはいかなかったが、それでも学院を出発する時とは比べ物にならないくらい、己が強くなったという実感はある。演武場の中にしか出現しないような、最初は歯が立たなかったレベルの『月獣』が相手でも、問題なく勝利できるだけの力を得たのだ。
これで胸を張って、英雄を目指すことができる。そう思っていた彼は、学院に戻るなり、いつの間にか特殊クラスの『特別講師』となっている黒霊賢者アズラルから、こんな言葉を投げかけられた。
「残念だけど、君には『星心克月』を会得することはできないよ」
何を言っているのかわからなかった。なぜなら彼は、とっくに『それ』を会得しているはずなのだ。あの地獄のような修業を経て、彼は父と同じ──少なくともそれに迫るだけの強さを手に入れたはずだった。
「確かに強くはなったみたいだけどね。それは『星心克月』によるものなんかじゃなく、単に成長期の君が、極端に負荷の高い修業をした結果でしかない。つまり、当たり前の成長だよ」
嫌な、予感がした。それは、アズラルの言葉ではなく、彼が浮かべている表情のせいだ。『気の毒にね』、『可哀そうにね』、『残念でしたね』……そう言いたげな顔のせいだ。
「『星心克月』を会得したなら、君はもっと飛躍的に強くなっているはずだし、なにより『自覚』があるはずなんだ。……まあ、そんなことは別にしても、僕には見ればわかるのさ。君に『そんな才能は無い』という事実がね」
アズラルが講師として学院内に割り当てられた部屋は、もともと相談室として使われていた部屋であり、彼は特殊クラスの授業が無い時には、カウンセラーの真似もしているらしい。(ただし、女生徒一人での相談だけは、断固としてアルフレッドが許可しなかったが)
「……才能が無い? そんな、嘘でしょう? だって俺は……」
「君が誰の息子かなんて、関係ないのさ。単純な強さとは違う。あれは遺伝するようなものじゃない。持って生まれた魂そのものなんだからね」
相談室に、無情に響く賢者の声。少年はなおも、認めたくないとばかりに首を振る。
「じゃ、じゃあ、他の皆はどうなんです?」
アズラルは溜め息をつく。残酷に残酷を重ねる言葉を、口にしなければならないことが憂鬱だった。
「彼らには才能がある。資格がある。まだ、特訓を始めて数日だけどね。早くも何かを掴みかけているみたいだよ」
「そ、そんな……」
それでは、自分が血のにじむような努力で修業してきた、地獄のような十日間はなんだったのか? 何度か生死の境をさまよい、それでも傷が癒えれば直ちに『演武場』へと挑み続けたあの日々には、何の意味があったのか?
「ああ、この言い方は正確じゃないね。エリザに関して言えば、違う」
「え? それこそ嘘でしょう?」
言いながらも、エドガーはわずかに安心したような表情を見せた。そんな彼に、アズラルは昔の自分を見るような思いをしつつ、さらに残酷な言葉を続ける。
「彼女には『星心克月』は必要ないんだ。あれは『四術』に『星辰』を用いることで、『真月』に極力頼らず魔法を使うための境地だからね。でも、彼女は最初から『真月』など微塵も使っていない。そんな人間がいるなんて、僕だって驚きだけど……でも、彼女はあの特訓で、皆とは別の『何か』を掴むだろう」
「……なんで、俺だけなんですか。どうして、俺には、才能が無いんですか? そんなの、そんなこと……」
苦悩に満ちた顔で言うエドガー。でも、どれだけ残酷でも、誰かが言ってやらなければならない。そうしなければ、『そこから先』には進めないのだから。
「そんなの、さっき言っただろう。そういう風に生まれてこなかったのが悪いんだ。生まれた時点で、君には才能が無いことが決まっていたのさ」
突き放すようにそう言うと、エドガーはアズラルを睨むように、俯いていた顔を上げる。
「あんたたち五英雄やエリザたちは選ばれた人間で、俺はそれ以外の凡人。そう言いたいのか? だから、諦めろと、そう言うのかよ!」
机が壊れかねない勢いで、拳を叩きつけるエドガー。現に机にはひびが入っているようだ。アズラルは軽く肩をすくめ、それから静かに言った。
「そうは言ってない。それは違うよ、エドガーくん」
「違わないだろ! 何が、そういう風に生まれてこなかったのが悪い、だよ! たまたま生まれ持ったものがあることが、そんなに偉いのかよ! 努力は全部、無駄なのか? 才能ある奴だけが勝ち組で、他は全部、地に這いつくばって、惨めに生きなきゃだめだって言うのかよ!」
激情のあまり、相手が五英雄、それも一国の王弟であることも忘れ、エドガーは怒鳴り続ける。だが、アズラルは静かに首を振った。
「君は勘違いをしているよ。五英雄は、全員が全員、『星心克月』を会得しているわけじゃない」
「え?」
呆けたように固まるエドガー。
「アルフレッド、アリアノート、イデオン。会得しているのは、その三人だけだ」
「そんな、そ、それじゃあ……」
「まあ、ミリアナの場合は事情が違う。彼女はもともと、四術じゃなく、月召術の才能に秀でているからね。あれはあれで、持って生まれたものがあるといっていい」
目を丸くしたエドガーが、息を飲むのがわかる。アズラルはそんな彼を見て、ますます過去の自分を重ねてしまう。
「そう。つまり、五英雄の中では唯一、僕だけが君と同じ、『凡人』なのさ」
「…………」
エドガーは驚きのあまり、言葉を失う。
「まあ、信じられないのも無理はないけどね。とにかく、そういうことだから、僕には君の気持ちがよく分かる。己の才能のなさに絶望し、他者の才能を羨望してしまう、その気持ちがね」
「で、でも、あなたは五英雄で、黒霊賢者……」
「そう、『戦場の悪魔』と恐れられた黒霊賢者さ。覇者でもなければ最強でもない。ましてや最高なんかではあり得ない。……でも、『最悪』と呼ばれたのは、この僕を置いて他にはいない」
不名誉極まりない称号を誇らしげに語るアズラル。
「そして、エドガーくん。君のもう一つの勘違いを正してあげよう。……努力は決して、無駄なんかじゃない。世の中には、無駄な努力なんて山ほどあるけれど、僕に言わせればそんなもの、そいつの頭が悪いだけの話さ。それを『努力そのものの無意味さ』として履き違えるだなんて、それこそ馬鹿もいいところだ」
「アズラルさん……」
「アズラル先生と呼びたまえ。エドガーくん。僕が君に、清く正しく美しく、そして何よりも、ずる賢い──真の努力って奴を教えてやるよ」
──アルフレッドたちが王都から帰還してすぐ、アズラルはエリザたちの特別講師として、授業を受け持つことを彼に提案した。それに対しアルフレッドは、もはや迷いを振り切ったのか、何も言わずに、彼の申し出を受け入れた。
そのことで、アズラルはますます、身動きが取れなくなっていく。疑惑に満ちた自分を全面的に信頼してくる、かつての戦友。何の疑いも持たずに自分に接してくる、最愛の妻。息子を任せると言って帰国していった、犬猿の仲ともいうべき大柄な獣人族の戦士。
そしてなにより──
「アズラル先生! 今日もよろしくお願いします!」
声を揃えて自分に頭を下げてくる、生徒たち。
「……君たちも、よく頑張るね。僕もこの特訓を誰かに施すのは初めてじゃない。でも、そのほとんど全員が『星心克月』を会得する前に、音を上げてるんだよ?」
「でも、先生。これで強くなれると思えば、全然問題なく頑張れるよ!」
寝台の上で、エリザが声を張り上げる。
「問題なくって言うけどね、エリザ。君の場合、無理矢理自発的に黒魔術を受け入れなければならない分、他の皆よりかえって精神力が必要なはずなんだけど……」
アズラルは呆れたように首を振る。
「わたくしたちは、あの戦いで己の無力を痛感しました。だから、強くなれるのならば、なんでもいたしますわ」
リリアも負けじと、そんな言葉を口にする。
「いやいや、何が無力なものかよ。あの戦争、はっきり言って君らのおかげでどうにかなったようなものだぜ?」
アズラルは、国境線での彼らの戦いぶりを思い出しながら言う。
「わたしも、二人には負けていられないわ。先輩としての意地があるもの」
ルヴィナが言えば、
「それなら、俺もだな。こんな訓練で抜け駆けなどされて、勝手に強くなられては先輩面もしていられなくなる」
ルーファスも、そんな彼女に同調するような口ぶりで頷く。
ただ一人、何も言わずに黙っているのはエドガーだった。
「とにかく、今日もいつもと同じだよ。まず、リラックスすることだ。君らは術への抵抗力があるからね。逆らわないように注意してほしい」
言いながら、彼は今日も準備を始める。
そもそも、『星心克月』と呼ばれる境地に至るのに、肉体的な修業は必要ない。イデオンが『修羅の演武場』でこれを会得できたのは、肉体が追いつめられる以上に精神が追いつめられていたからだ。
素養のある者が限界を超える負荷を心に受けた場合、または、限界を超える強い思いを心に抱いた場合に、星界の民が本来持つはずの力──『星辰』を四術に用いることができるようになる。
借り物の器に『真月』を溜めて色を付けただけの『月の力』だけでなく、自身が本来持っている『星の力』をも含めて使えるようになるのだ。それまでとは比較にならない強さが得られるのも道理というものだった。
だから、そんな『星心克月』を会得するならば、精神に負荷を与えるのが手っ取り早い。これから始まるのは、そのための黒魔術だ。
「さて、今日は前回より、さらにきつめので行くからね。発動、《立ち塞がる絶望》」
そう言って術を発動させるアズラル。五人は五人とも、訓練用の部屋に置かれたベッドの上で横になり、彼の用意した『悪夢の中』で訓練を開始する。ただし、その直後、エドガーだけはゆっくりと起き上った。
「すみません、アズラル先生」
申し訳なさそうな顔をするエドガーに、アズラルは首を振る。
「いいさ。この中で君だけが違うだなんて話になれば、気まずい雰囲気にはなるだろうしね」
エドガーは『修羅の演武場』での訓練を終え、あと一歩で何かを掴めそうな段階まで来ている。他の四人にはそう説明し、今回の訓練にも一緒に参加するふりをさせたのだった。
「さて、エドガーくん。早速最初の授業だ。才能のない奴が、才能のある奴に勝利するためには、どうすればいいと思う?」
「え?」
いきなりの問いに、目を丸くするエドガー。
「なんでもいいよ。正解する必要もない。思ったことを言ってみなさい」
「は、はい。それは、まあ、努力するしかないんじゃないでしょうか」
「努力しても埋まらないほどの才能の差があるとしたら?」
「そ、それは……で、でも、他に方法なんてないでしょう?」
「うん。君はそういうとこ、父親に似て真っ直ぐだよね」
「う……」
エドガーは呻き声をもらすと、明らかに不正解を告げてきたアズラルに、問いかけるような視線を向ける
「じゃあ、どうすればいいんです?」
「決まってるさ。才能なんて、失くしてしまえばいい」
「え?」
「力の差なんて、無意味なものにしてしまえばいい。いつかイデオンの奴が『つまらない小細工など、圧倒的な力の前には無力だ』とか、そんな言葉を言っていたっけ? ……でも、僕に言わせれば『楽しい小細工の前には、圧倒的な力なんてお笑いぐさだ』ってところだね」
だからこそ、僕と彼は犬猿の仲なんだけどね、と彼は続けた。
「幸い君には、一定程度の実力がある。それだって一般的な生徒から見れば、飛び抜けた才能だよ。それだけの素地があれば、どんなインチキだって、本格的なものに仕上がるさ」
「イ、インチキって……」
あまりの物言いに絶句するエドガーに向かって、アズラルは人差し指を振って笑う。
「言い方が気に入らなければ、『手品』と言い換えてもいい。種も仕掛けもあるけれど、それだけにそれさえ知られなければ、君は最強にだって手が届く。……いや、やっぱり『最悪』かな?」
「最悪……」
エドガーは小さくつぶやく。
「それでも良ければ、僕の授業を受けなさい。ま、いやなら無理強いはしないけどね」
「……お願いします」
エドガーは力強く断言する。
「今の俺には、力が必要なんです。最強だろうが最悪だろうが、俺が俺であるために、どうしても皆に後れを取るわけにはいかないんです」
「そうかい。じゃあ、さっそく始めようか……」
思えばこの時、エドガーに己を重ねてしまったことが、アズラルにとっての真の決定打だったのかもしれない。
次回「第54話 英雄少女と星心克月(下)」




