第6話 少年魔王と暗愚王(下)
世界を震撼させる(予定)の魔王ネザク・アストライアが第一の騎士、エリック・ヴェスターグは、城内の乱痴気騒ぎを呆れたように見守っていた。すでに事態を収拾させる方法など、すべて頭から追い払っている。いわゆる諦めの境地という奴だ。
「ほら、エリック。何をやっているの? 早く捕まえて!」
「……」
ただ茫然と立ち尽くす。
「きゃー! ス、スカートの中にいいいい!」
「怖い怖い怖い! 悪夢よ、これは悪夢なのよ!」
耳をつんざく悲鳴にも、心動かされることはない。
視界の中を黒い大量の何かが跳ねまわっている。
「ほら! みんな、怖がっている場合じゃないわよ! わたしのごはん!」
「嘘です嘘です嘘ですう~! こんなの絶対食べ物じゃないですう~!」
ゲコゲコゲコ!
足元にぶつかる柔らかいもの。ブヨブヨとした感触と両生類独特の妙な湿り気は、何故か具足の上からでも感じてしまうような気がする。
「この前の商人に詳しい料理方法を訊き出したのよ! 今度はきっと、おいしいはずよ!」
「そういう問題じゃないですう~!」
黒い魔女のうきうきした声に、黒髪のメイド──リラがスカートを押さえて泣き叫ぶ。
「……帰る? 変える? 飼える。……よし、いける」
その脇では、羊の面を被った女性執事がぶつぶつと何事かをつぶやき、胸の前で会心の握り拳をつくっていた。
「違う、これは違う……こんなのが現実のはずがないじゃない。うん、決めた。これは夢ね! あはははは!」
ブラウンの髪を三つ編みにしたメイド──ルカが壊れたように笑っている。
「現実に帰る? 我に返る?」
「いやあああ! 帰らないったら、返らないいいい!」
エリックは、足元からゲコゲコと鳴く黒い生き物を拾い上げ、目を合わせるようにしてぼやく。
「俺……早まったかなあ?」
そして、大きく息をついた。
──事の発端は、カグヤが城に招いた行商人の一言だった。
「世界で食べられている、珍しくておいしいものはないか?」との質問に、彼はこう答えたのだ。
「美味しいモノなら多々ありますが、珍しいとなるとそうですねえ……あっしが昔、南方の部族クエルヴィナの集落でご馳走になった、アレでしょうかねえ」
比較的年配のその商人は、謁見の間で微妙に顔を引きつらせていた。魔王を名乗る少年と『一緒に』、玉座に腰かける黒衣黒髪の美女。そんなものを前にして、「あんたが一番珍しい」と言いたかったに違いない。
一方、抱きかかえられたネザクはと言えば、恥ずかしがって散々に抵抗した挙句、無駄だと悟ってぐったりとされるがままになっていた。いくら少年とはいえ、魔法も使わず人ひとりを抑え込んでしまうカグヤは、見かけによらず腕力があるのかもしれない。もっとも、ネザクが貧弱なだけかもしれないが。
問題は、商人が帰った後だ。
商人が言った食材は、このあたりでもよく見かける生き物だったが、恐らくは南部にいるものと種類が違うだろう。だから諦めましょうと誰もがみんな、カグヤの説得に当たった。
特に最近、何故かリゼルアドラの近辺で働くようになった二人のメイド少女などは、半狂乱になって反対した。理由はよく分からないが、「それは同音異義語が多すぎます!」という訳のわからない言葉を口にしていたのも記憶に新しい。というか、この二人の話をこそ、よく聞いておくべきだった──と、エリックは後に述懐する。
「駄目よ。わたしは食の探究者! 美味しいものがあると知れば、その味を確かめずにはいられないの。埋もれた美味しいものを発見することは、世の中のためにもなることでしょう?」
「世のためかどうかはともかく、城のみんながこんなに嫌がっているんだから、やめておこうよ」
ようやくカグヤの手から解放されたネザクが、なんとか彼女を諌めようとする。良心的で常識的な、心優しい少年だ。こんな少年が魔王を名乗るとは、世の中一体どうなっているのだろうか。エリックは悲しくなった。
「お姉ちゃん、どうしても食べたいの! カエル!」
諸悪の根源。
「駄目だ、この人……」
ネザクは早々と諦めたように肩を落とす。彼女との付き合いが長いネザクには、こうなれば絶対に彼女が自分の我がままを引っ込めないことがわかっていたのだろう。
「でも、カグヤ様。実際、どうなさるおつもりです? まさかここからクエルヴィナの集落まで行ってくるわけにはいかないでしょう。往復で一か月はかかる道のりですよ」
エリックは、それでも理を諭して彼女を説得しようとした。彼としても、カエル料理なんて見たくもない上、城の経営を考えても余計な出費は避けたいところだったのだ。
「駄目なんだよ、エリックさん。そんな理由じゃ、カグヤは止まらないんだ。っていうか、止まる理由にならないしね」
「うふふ。さあ! ネザク。あなたの出番よ!」
「ほら、やっぱり」
「いいから早く出しなさいよ」
「はいはい。……おいで、コアルテストラ」
ネザクの呼びかけに答えるように、出現した『魔』。それは四月界の中でも最も多種多様な種族が住まうと言われる幻界に生きる鬼。鉄の身体に稲光を宿らせた彼は、別名『空を渡る鬼』と呼ばれる第七階位の災害級だ。
こともなげにそんなものを召喚するネザクに、あらためて畏怖を感じながらも、エリックは物足りなさを覚える。これだけの力を有しているのなら、さっさとこの国ぐらい支配してしまえばいいものを。
「心配しなくても、もうすぐよ。わたしは時期を待っているだけ。その前に、腹ごしらえをしないとね?」
その言葉に、びくりと身体を震わすエリック。彼の持つ野望に根差した不満は、カグヤにはお見通しだったようだ。
それから、ネザクの指示を受けたコアルテストラは、背中から稲妻で象った翼を生やし、凄まじい速度で南の空へと飛び立っていった。
「うん。これで完璧ね。あの速さなら一日も待てば十分でしょうし、雷で気絶させて持ってくれば、鮮度も抜群よ!」
どんな力の無駄遣いなのかと、エリックは呆れた。あのコアルテストラは、この国の騎士団程度が相手なら、単体で渡り合うことすらできるはずだ。災害級の『魔』とは、それぐらい規格外の力を有している。
「あ、あの、すみません……」
エリックはふと、自分の袖が引っ張られていることに気付く。振り返れば、そこには彼が城勤めに勧誘してきた料理人の男が立っていた。
「ん? どうした?」
「おれ、カエルなんて料理したことないんですけど……」
「……そりゃ、そうだよなあ」
問題は山積みなのに、どれひとつとして解決する気が起きないものばかりだった。
──ネザクにも原因はある。
彼は召喚した『魔』と、いわばフィーリングでやり取りをしている。一桁台の階位なら言葉も通じるが、言葉が通じる場合でもなお、彼は感覚で物を言う。
忠実なる臣下として召喚されたコアルテストラは、ネザクの指示を受け、その命令を完璧に完遂した。
中庭に降り立ち、どこかで調達したらしい袋に入れた大量のカエルを放った彼は、人間であればいわゆるドヤ顔をしていたのだろう。胸を張って己の成果を報告し、幻界へと帰っていった。
あとに残されたのは、気絶したまま辺りに転がる、数十匹のカエルカエルカエルカエル。
「きゅう……」
泡を吹いて倒れるリラ。
「ああ! リラ! 卑怯よ! わたしを置いて逝くなんて! 起きなさい!」
ルカは倒れた少女をガクガクと揺さぶるが、目を覚ます気配はない。
「どうしよう……」
遅れて中庭に現れたカグヤは、困惑気味につぶやく。
エリックはそれを見て、現物を前にようやく我に返ってくれたのかと胸を撫で下ろしたが、そうではなかった。
「こんなの一人じゃ食べきれないわ。うーん、そうね。お城の皆で食べましょう!」
「絶対嫌ですう~!」
がばっと起き上って叫んだのは、気絶したはずのリラだった。
だが、この時点まではまだよかった。なぜ自分がと理不尽を嘆きながらも、エリックは半泣き気味の料理人を時に叱咤し、時に慰めながらカエル料理を研究させて、城内の人間に振る舞うところまでこぎつけた。
この点に関しては、彼は褒められるべきだっただろう。
事実を知る少数の人間を除き、提供された料理がカエルであることを知る者はいない。それもまた、彼なりの配慮だったのだろう。実際、調理されてしまえば、鶏肉にも似たその味は、それなりに美味だった。
「うーん、まあまあね」
とはいえ、カグヤにその一言で済まされてしまった時ばかりは、料理人と二人、彼女の暗殺計画を密かに立案してしまったものだが。
だが、エリックは致命的なミスを犯した。それは、カエルの在庫(?)を確認しなかったことだ。この城には、全部で三十名弱の人間が勤めている。捕まえられたカエルの数は八十五匹。一匹当たりのサイズが大きく、一人一匹から二匹もあれば十分なそれが、たった一度の晩さん会を終えた時点でほぼ一掃されていたことに、気付くべきだったのだ。
それから一週間を待たずして、悲劇は起こった。
その日の午後、エリックが部下の騎士たちと領内での徴税方法について協議を終えた頃のことだった。会議室を出て廊下を歩いていると、見慣れた少女が二人、口論しながら歩いてくる。
「ど、どうするのよ、あれ!」
「仕方ないよう。リゼル様の目、きらきらしてたし……」
「目って……羊の目? あれって造り物でしょ?」
「そう見えたの。っていうか、わたしのせいじゃないもん。お師匠さまはルカちゃんでしょう?」
「うう……カエルが来た時点で、予想はついてたけど、まさかあそこまでするなんて」
『カエル』。そのフレーズが出た瞬間、エリックの胸中にものすごく嫌な予感が走る。というか、この時点でようやく、在庫(?)の件を思い出したのだ。
「なあ、その話、詳しく聞かせてもらえないか?」
エリックが掛けた声に、メイド姿の少女二人は、救いの主が現れたとばかりに飛びついてきたのだった。
──そして、場面は冒頭に戻る。
「……結局、どうしてこんなことに?」
「はあ! はあ! はあ! ぜい、ぜえ、ぜえ……」
ようやく逃げてきたリラの襟首を捕まえ、あらためて問いただす。
「は、はい……。あの、池です」
指差した先にあったのは、中庭に設けられた池。城外まで水路で繋がっていて、城内の至る所にも繋がっている、洗濯その他の生活用水としても利用可能なものだ。
「それはわかる。あの池から溢れ出してきている連中を見ればな」
問題は、なぜそんなことが起こったかだ。エリックは自分の無精髭をさすりながら、首をひねる。
「そ、その……リゼル様が……」
言いにくそうにするリラ。エリックは、中庭でつぶやき続けるリゼルを見た。
暗愚王リゼルアドラ。悪夢と言うなら、あの存在こそ悪夢の象徴と語られてしかるべき化け物だ。何故かリゼルに懐くように付いて回る二人の少女を見て、知らないとは恐ろしいことだと思っていたエリックだったが、ここでようやく真実を知らされることになる。
「その、カエルが孵るって……」
「なに?」
「その、ですから……ダ、ダジャレなんです」
意味が分からない。だが、彼はリラから説明を受ける。
リゼルアドラの城内における意味不明な行動。そして、そのすべての意味が明らかとなった時、彼は絶句した。絶句するしかなかった。
冗談なのか?
悪夢なのか?
それよりなにより……馬鹿なのか? ──いや、羊だ。
そんなふうに嘆いても、目の前の現実は消えてくれない。どんな手段を用いてかは知らないが、暗愚王は在庫(?)から攫ったカエルに大量の卵を産ませ、池の中で孵化させたのだ。
城内の人間が『生活用水』に使う水路の中で。
パニックは一気に伝染した。それとともに、城中の人間に伝わった情報。あの日、彼らが口にした料理の正体。口外無用と言われても、こんな非常事態で人の口に戸は立てられない。中庭には城内に勤めるほぼ全員が、憎しみと呪詛の声を上げながら押し掛けてきていた。
だというのに、当のカグヤはどこ吹く風だ。
「あ! ほら、みんなも手伝って! 今度こそみんなにおいしく食べてもらうんだから!」
腕力はそれなりらしい彼女も、運動神経はあまりよくないらしい。カエルを捕まえようと走り回りながら、時々転んでは悔しそうな顔をしている。
城内に勤める人間にとって、ネザクとカグヤの二人は、『新しい城主』以上の意味はないはずだった。人外の力でもって城を占拠した二人だが、どんな手段で主が変わろうと彼らには関係ない。だが、ここまで変わり者の主には、そうそう巡り会えるものではないことも確かだった。
「えっと、カグヤ様?」
「大丈夫ですか?」
目の前で転び、涙目のまま四つん這いで起き上がろうとする黒髪の美女に、拍子抜けした顔で使用人が声をかける。
「ええ、ありがとう。っていうか、ほら、あなたたちも手伝って?」
「は、はい!」
美しい笑顔を向けられて、顔を赤くしながらも彼女を助け起こす使用人。
「魔女め……」
呆れたようにつぶやくエリック。天性の魔女というべきだろうか。彼女のそんな姿に、人々は今回の騒ぎを徐々に笑い話として受け入れつつあった。
と、そこへひときわ大きな笑い声が響く。
「あははは! カエルだカエル! どうしたのこれ?」
ネザクだった。中庭を見下ろす二階テラスの欄干に腰を掛け、楽しそうに笑っている。いったい、いつから見ていたのだろうか。少年はこの騒動が本当におかしいらしく、けらけらと笑い続けている。
「おい、危ないぞ!」
「わ、わ!」
危なっかしい子供を見る思いでエリックが声をかけるが、案の定、身体を揺らせ過ぎたネザクは、バランスを崩して落ちてきた。
「きゃ! ネザク様!」
ようやく正気を取り戻したらしいルカが叫ぶ。だが、彼の身体は地面に激突する寸前で、ふわりと抱きとめられる。少年を両腕に抱えるのは執事服の羊……否、リゼルアドラ。
「ふう、危なかったあ。ありがとう。リゼル」
「どういたしまして、ネザク」
優しく気遣うように、ネザクを地面に降ろすリゼル。
「楽しかったですか。ネザク?」
「うん! さいこう!」
満面の笑みを浮かべるネザクに、造り物であるはずの羊の面が、慈愛の表情を見せた。そんなはずはないのだが、なぜかその時、エリックの目にはそう見えたのだった。
次回「第7話 英雄少女とはじめてのダンジョン(上)」