第52話 少年魔王と死霊の女王(下)
男は、恋をしていた。
それが道ならぬものだということは、重々承知している。クレセント王国の騎士の家系に生まれ、若いながらも国王の親衛隊に配属された自分の目の前には、今後も歩んでいくべき輝かしい道が、はっきりと見えていたはずだった。
だが、許されぬ相手に恋心を抱いた自分には、もはやその道を歩む資格などないのだろう。彼女と自分の間には、数々の壁があり、それはどうやっても乗り越えられそうにない。
それでも、彼女を見るたびに高鳴るこの胸の鼓動は、彼女を想うたび走るこの胸の痛みは、自分に『諦める』ということを許さない。
最も許されざるものは、そんな自分の心の弱さなのかもしれない。
敵味方の壁、種族の壁、──そして何より、憎むべき『年齢』の壁が、彼を苦しめる。
だが、そんな彼に救いの手が差し伸べられた。救い主の名は、黒の魔女カグヤ・ネメシス。本来なら敵であるはずの彼女は、彼にこう囁きかけてきた。
「じゃあ、お友達から始めたらいいんじゃない? あの子はわたしの知り合いだし、今度、紹介してあげるわよ? うふふ、年齢なんて何年か経てば、すぐに結婚適齢期よ」
目の前に、一筋の光明が射した気がした。
紛うことなき明日への希望──道標を示された彼は、迷うことなくその手を取った。
さらに彼女は、悪魔のささやきを繰り返す。
「うふふ。親しくなれればそのうち、『お友達』から、『お兄ちゃん』にランクアップするかもしれないわよ? ……呼ばれてみたくない? あの子から、『お兄ちゃん』って」
男は、狂喜乱舞して彼女の手に縋りつく。
──こうしてまた、一人の青年が道を踏み外したのだった。
魔女はほくそ笑みながら、冥府魔道に足を踏み入れた彼をいざない、やがては完全な従僕へと仕立て上げていくことだろう。その手の人心掌握術には事欠かないのが、カグヤという魔女なのだから。
「……趣味が悪いなんてもんじゃないし、やめさせた方がいいかとも思ってはいた。でもまさか、それがこんな展開になるなんて、いったい誰に予測できたっていうんだ?」
どんな形であれ、自分たちの仲間が増えるのなら悪いことではないと、そんな風に問題を看過し続けてきた自分を弁護するように、エリックはつぶやく。
彼は今、赤い絨毯の敷かれた謁見の間にいる。玉座にネザクを座らせて、その脇に控えつつ、入口から赤絨毯の中央まで進み出てきたソレをぼんやりと見つめる。
「きゃああああ! すごい、すごい! 素敵、ステキ! なにあれ? 最高! はあ、はあ、はあ!」
本来なら厳粛な空気に包まれるべき謁見の間に、場違いな嬌声が響き渡っている。声の主は、今なお城内に『大きいお友達』を量産し続ける猫耳少女のリゼルアドラ──に押さえつけられた蒼髪の美女だった。
リゼルに押さえられていなければ、すぐにでも駆け出しかねない勢いで髪を振り乱し、目を血走らせている。涎を流さんばかりに荒く息をつく女性の姿は、なんとも心臓に悪いくらいに艶めかしい。
「こ、怖いんだけど……」
その視線を一身に受け続けているネザクが怯えてしまうのも、無理からぬことと言えた。
「……リゼル。もう一回、言ってくれる?」
カグヤは、彼女にしては珍しく、頭痛をこらえるように手で頭を押さえている。
「彼女はわたくしと仲良くしたいそうだ。つまり、『友達』だ。だから、カグヤに紹介してもらいたい」
自分で連れてきておいて、紹介してもらいたいも何もない。だが、カグヤは息をつくだけで反論しない。いや、できない。
これまで、国内の人間を一人でも多く陣営に取り込むため、カグヤはあらゆる手段を行使していた。『大きいお友達』作戦もその一環であり、リゼルに対しては、自分が『紹介』した人物のことは『お友達』と呼び、『仲良く』してあげるようにと言いつけてあったのだ。
だが、だからといって、いったいどうして、明らかにこの『蒼季』に自然顕現したとしか思えない『魔』──それも間違いなく『災害級』であろう相手を友達として連れてくるという結果に繋がるのか? さすがのカグヤも、頭を抱えたくなっていた。
「ふうー! ふうー! ふしゅるるる!」
蒼髪の美女は、興奮して訳の分からない奇声を上げている。
「……な、なあ、何なんだ、あれ?」
エリックはカグヤに小声で問いかける。するとカグヤは、肩を落としたまま、答えてくれた。
「まあ、ネザクって『魔』にとっては、最高のご馳走みたいなものだからね」
「ご、ご馳走って! 食うつもりなのか?」
「いえ、比喩で言っただけよ。……『魔』にとっては、『自分の色』に染めやすいものほど魅力的なものはないの。だから、どんな色にも自由自在に染まってくれるあの子は、『魔』にとっては愛おしくて仕方のない存在なのよ」
言われてみれば、蒼髪の美女の眼は熱情に潤み、恍惚の光が宿っているようだ。ようやく気を落ち着けたらしく、暴れるのをやめたところで、リゼルは彼女の拘束を緩めたらしい。腕は掴まれたままだが、どうにか居住まいを正して身を起こす。
「まず、確認するけれど、あなた……霊界の『魔』よね?」
カグヤが問いかけると、蒼髪の美女は偉そうに胸を張り、尊大な口調で答えを返す。
「うふふ、下賤な星界の民ごときが『死霊の女王』たるこのわたくし、アクティラージャと言葉を交わすなど、恐れ多いことですわよ? まあ、特別に許してあげるけど、光栄に思いなさいな」
「……さっきまで目を血走らせて、はあはあ喘いでいた変態女なんかに、偉そうに言われる筋合いはないわね」
半眼で呟くカグヤ。
「んな!? ……う、くうう」
カグヤの皮肉に、アクティラージャは悔しそうに唸るばかりだ。
「カグヤ、紹介を」
「……ちょっと、待っててね。リゼル。あなたには後でしっかり、『友達』の定義を教えてあげるから」
カグヤはため息を吐きつつ、再びアクティラージャに視線を戻す
「自然顕現のあなたには、ネザクは刺激が強すぎたみたいね」
「その子、ネザクって言うの? そう……可愛らしくて素敵な名前ねえ……ネザク」
うっとりとした視線で、ネザク少年を見つめるアクティラージャ。
「う、あ……ありがと。アクティラージャさん」
彼女から放たれる秋波のようなものにたじろぎつつも、ネザクは礼の言葉を口にする。
「やあねえ、そんな他人行儀な呼び方しないで。なんなら、『お姉ちゃん』って呼んでもいいのよ?」
「駄目に決まってんでしょーが!」
いつになく激しい口調で割り込むカグヤ。
「じゃ、じゃあ……アクティラージャさんだから……アクティさんでいい?」
その間にもネザクは、律儀にも彼女の呼び方を考えていたようだ。どこまでも人のいい少年だった。
「うふふ、じゃあ、『アクティちゃん』でいいわ」
「ちゃん付けは無理だよ……」
ネザクは、ぶんぶんと首を振る。どう見ても自分よりずっと年上な美女に向かって、そんな呼び方をする勇気など、彼にはない。
「そんなことはどうでもいいの! とにかく送還されたくなければ、わたしの質問に答えなさい。どうして貴女は、月影一族の『真月』を求めているの?」
カグヤが話題を元に戻すべくそう言うと、アクティは苦い顔で唸る。
「確か……アリアノートとか言ったわね。あの女……」
アクティは学園都市エッダ郊外で行われた死闘について、エリザの存在を隠しつつ、語り始める。
「なに? アリアノートって、まさか五英雄のことか?」
話の中に意外な名前が出たこともあり、エリックは思わず口を挟んでしまった。すると、話の腰を折られたのが気に食わなかったのか、アクティは露骨に顔をしかめて彼を睨む。だが結局、特に文句も言わずに言葉を続けた。
「そんなもの、わたくしが知るはずもないでしょう? ただ、あの強力な白霊術を見る限り、『星心克月』を会得しているのは間違いないわね。おかげで随分と力を使ってしまったわ。もっとも、他人の胸の大きさを妬むような奴が、『英雄』かどうかは疑わしいけれど……」
そんなアクティの言葉に、エリックは首を傾げる。確かにアリアノートと言えば強力な白霊術を使いこなす「最強の魔法使い」として有名な人物だが、『他人の胸の大きさを妬む』という部分は意味不明である。
──というより、『そんな英雄がいてたまるか』という話だった。だが、意外にもカグヤは納得したように頷いた。
「……じゃあ、間違いないわね」
「他人の胸を妬む奴が、英雄で間違いないのかよ!?」
「なわけがないでしょうが。どこまで『胸』って単語に食いついてくるのよ。嫌らしいわね」
「い、いや、そういうわけじゃ……」
蔑んだ目で自分を見つめるカグヤに、エリックは力無く言葉を返す。
「……『星心克月』を会得しているような奴が、そうそういるはずもないって話よ。まず、本人で間違いないでしょうね」
「なんだ、その『星心克月』って?」
「え? ああ、古い文献にある概念よ。星界に生まれながら、月界の『魔』を超える術を扱うための『境地』。説明が難しいから今は省くけど、五英雄みたいな化け物になるには、欠かせない力よ。……まあ、力というのも正しい表現ではないけれど」
「ふん。克月だなんて、忌々しいにもほどがあるわ。星界の民なら、わたくしたちの色に大人しく染まっていればいいものを」
「わたくしたちの色……ね」
吐き捨てるように言うアクティに対し、カグヤは先ほどエリックに向けた時よりさらに蔑んだような目を向けている。
「まあ、大体の事情は分かったわ。つまり、思わぬ強敵との戦いで『真月』の消費が大きかったから、ここで一度、補充しておきたい。そういうことね?」
「ええ。じゃ、じゃあ、そろそろ解放してもらえると有難いのだけれど……」
アクティは、依然としてリゼルに掴まれている腕を指し示しながら言う。
「解放したらどうするつもり?」
「もちろん! 可愛いネザクに色々と……」
「却下」
皆まで言わせぬカグヤの一言。
「うう……でも、このままじゃ……」
「あなたが弱った事情は分かったけど、あなたがそうまでして送還されたくない理由がわからないわね」
「え!?」
唐突に一番聞かれたくない質問を受け、アクティの顔色が変わる。
「……やっぱりね。何かあると思ったのよ」
「い、いや、『魔』なら誰だって少しでも長い間、顕現したいと思うのは当然だし……」
「ますます墓穴を掘っているわよ?」
「え?」
わけがわからないという顔をしたアクティに対し、カグヤは淡々と話を続ける。
「……星界に顕現した『魔』は、己の『本能』に基づいた行動をとる。だから、彼らにとっての死を意味しない『送還』を恐れる『魔』もいない。……つまり、あなたには、明確な目的があるということよ。あえてこのクレセント王国までやってきて、『繊月の器』を使って回復しようとしているのも、そのためでしょう?」
「い、いや、それは……」
「今の話からすれば、あなたがエッダでアリアノートと戦ったのは『禁月日』。蒼季の第13日のこと。でも今日は蒼季の第37日。その間、実に24日。移動だけでかかる時間じゃないわ。それって要は、ほとんど送還寸前にまで追い詰められて、それでも無理矢理この星界に留まるために、回復の日数を要したからじゃない? 挙句、いかにもプライドの高そうなあなたが、送還されることを恐れてこんな境遇に甘んじている。なら、よほどの理由があるはずよ」
「…………」
アクティは黙り込んで答えない。流暢に分析の言葉を口にするカグヤに対し、下手な言い訳は逆効果だと悟ったのだろう。彼女の目的である『星辰の御子』の存在を、傍らの魔人リゼルアドラに知られるわけにはいかないのだ。
「だんまりなの? ……まあ、いいわ。月影一族なら、ちょうどいい子たちがいるし、あなたに貸してあげる」
「え? カグヤ……まさかイリナさんたちを?」
ネザクが驚いてカグヤを見る。
「心配しなくても大丈夫よ。『魔』は、むやみに『繊月の器』を壊したりはしないわ。自分が『真月』を吸収しようというのなら、なおさら、その相手は大事にするでしょうし」
「ど、どういうつもり?」
あまりに都合がよすぎる展開は、かえってアクティに警戒心を抱かせたらしい。だが、カグヤはこともなげに答える。
「簡単なことよ。自然顕現した『魔』なら、貴重な戦力になってくれそうだもの」
「な!? こ、このわたくしを、死霊の女王を……『戦力』ですって!?」
屈辱に身をわななかせながら、憤りの声を上げるアクティ。
「ネザクのために、力を貸してくれない?」
殺し文句その一。
「う!」
アクティには、迷いの色が見えた。金色の瞳は、玉座に座る少年へと向けられている。
「ほら、ネザクからもお願いしなさい」
「え? う、うん。あ、あの、アクティさん。よかったら、僕たちの仲間になってよ。僕を助けてほしいんだ」
殺し文句その二。
「うう……!」
酷く狼狽した顔でうめくアクティ。
「駄目かな? ……駄目だよね。急にこんなこと言われても困るよね。無理を言ってごめんね……」
控えめな言葉。だが、それだけに心をえぐる。少なくとも今、アクティラージャの心の中には、ネザク少年を助けてあげたい、力になってあげたいという思いが渦を巻いていた。
「ぐ、うう……じょ、条件があるわ」
「なに?」
小首を傾げてネザク。
「……わたくしのことは、『アクティちゃん』とお呼びなさい」
「ええー!?」
死霊の女王の申し出に、ネザクは目を丸くして大声を上げたのだった。
次回「第53話 英雄少女と星心克月(上)」




