第51話 少年魔王と死霊の女王(上)
「おかしいわね」
「なんだ? 藪から棒に」
例によっていつものごとく、クレセント城の一室にて、カグヤはソファにだらしなく腰掛けており、エリックは書類仕事の雑務に追われて執務机にかじりついている。
エレナ(3歳)はと言えば、今日のところはルカとリラの二人のメイド、それからミリアナの娘であるイリナとキリナの二人が遊び相手となってくれているため、ここにはいなかった。どうやらネザク達が戦争のために留守にしている間、留守番組だった彼女たちの間には、不思議な絆ができたようだ。
「もうそろそろ、アズラルから連絡があっても良さそうなものなんだけどね」
「……ああ、その話か。そもそも判断を間違ったんじゃないのか? みすみすあいつを解放しちまうなんて」
エリックが非難めいた言葉を口にすると、カグヤはそれまでだらけた姿勢で寄り掛かっていたソファの背から身体を起こし、人の悪そうな笑みを浮かべた。
「あら? アズラエルちゃんがいなくなって寂しいの?」
「それを言うな! くそ! いいか? 改めて言うが、二度と俺に、ああいう猫がらみのことで性質の悪い悪戯をするんじゃないぞ? さすがの俺の我慢にも、限度ってもんがある!」
「はいはい。……でも、意外だったわ。まさかあなたが、今や城内で大人気の猫耳ロリ美少女に見向きもしないなんてね」
短めの黒髪から覗く、わずかに白い毛の混じった黒い猫耳。フリル付の黒を基調としたドレスの腰から伸びる黒いしっぽ。愛らしい緑の瞳は、あどけない純真無垢な少女の眼差しそのもの。──リゼルアドラは、今やクレセント城内の新たなアイドルとなりつつあった。
「……あれの正体が伝説級の『魔』だと知られたら、城内は大パニックだぞ」
「うーん、それも面白そうだけど」
「面白くねえよ! 頼むから冗談でも、そういうことは言わないでくれ。あんたが言うと冗談に聞こえないんだよ!」
「その台詞、良く言われるのよねえ。なんでかしら?」
日頃の自分の言動に、自覚など欠片も持たないカグヤだった。
「で? 話が脱線しちまったが、アズラルのことだろ? あんたは、放っておいても彼は自分からこっちに寝返るみたいなことを言ってたけど、何の根拠があるんだか、いい加減教えろよ」
だが、そんなエリックの問いには答えず、カグヤは物思いにふけりながら、紅茶のカップを手に取った。
「まさか、アイツ……わたしから聞いた話をアズラルにしていないのかしら? でも、だとしてもアズラルだって……。まあ、いいわ。それならそれで、彼らに『アレ』が止められるものなのか、お手並み拝見と行こうじゃない。でも、その隙は最大限に活用させてもらうわよ?」
ぶつぶつと独り言を続けるカグヤ。
「くそ、ナチュラルに無視しやがって……」
悪態をつきつつ、エリックは手元の書類仕事に戻る。すると、部屋の扉が控えめにノックされる音がした。当たり前のことのようだが、彼の部屋には傍若無人を絵にかいたような人間(現在ソファでくつろいでいる女性もその一人だ)が訪れることが多く、そんなノックは珍しいものだった。
「入っていいぜ」
声をかけると、音も立てずに扉が開く。その向こうから姿を現したのは、金虎族の少女、シュリだった。
「エリックおじさま。頼まれてた資料、回収してきたにゃん」
「おう、サンキュー。じゃあ、そっちに置いておいてくれ」
以前なら執務机の上に座り込み、小遣いを催促しながらエリックの邪魔をしてきたシュリだったが、ここ最近では積極的にエリックの仕事を手伝うようになっている。
「はい。……他にやることはある?」
「いや、大丈夫だ。……にしてもなんだな。有難いことは有難いんだが、どういう風の吹き回しなんだ? カグヤと一緒に何か企んでるんじゃないだろうな?」
疑い深いエリックの言葉に、シュリはむくれたような顔をする。
「むー! 信用ないなあ。シュリはただ、エリックおじさまの役に立ちたいだけなのに」
「……そ、そうか。まあ、なんだ。ありがとな」
「うん!!」
満面の笑みで返事するシュリ。金の獣耳をぴんと立て、嬉しそうに尾を振っている。
「あらあら、仲が良くてうらやましいわね」
「…………」
茶化すように言うカグヤの声にも、エリックは反論の言葉を返せない。あまりにも真っ直ぐに自分を慕うシュリを前にしては、彼女の気持ちを否定することにもなる言葉は言えなかった。そんな彼は、お人好しというべきかもしれない。
──クレセント城内の『大きいお友達』の間で、猫耳少女姿のリゼルアドラと人気を二分する存在と言えばやはり、西方の辺境国家リールベルタ王国の王女であるエレナ(3歳)だった。
物静かなリゼルとは対照的に、彼女は朗らかで自由闊達な少女だ。父親から引き離され、遠い異国に一人きりで連れられてきているにもかかわらず、心細いとか、寂しいとか、そういった弱音もはかず、たくましく日々を過ごしている。
要するに人々は、そんな幼女の健気さに心打たれてしまうのだった。
「ち、違うんだ。イリナさんとはただの友達で……」
ネザクは必死に言い募る。
「いいえ、すごくなかがよさそうだもの。うわきだわ」
だが、彼女は聞く耳を持たない。
「浮気じゃなくて、本気よね? ほら、これがネザクがわたしにプレゼントしてくれた首輪なのよ?」
イリナは白い顎をあげ、首元の首輪──もといチョーカーを誇らしげに示して見せる。
「い、いや、それはたまたま町に出かけた時にイリナさんが欲しいって言うから……」
「うふふ。これでわたしは、一生、ネザクに縄で繋いでもらえる準備ができたのよ」
「つ、繋ぐって! そんなことしないよ!」
怖いことを言うイリナに、思わず声を大きくするネザク。だが、しかし──
「むー、ネザクお兄ちゃん。ちがうでしょ?」
エレナは、年相応に幼い顔で不満をあらわにしながら言う。
「……うう、エレナ。その……おままごとで『浮気』の場面はやめようよ……」
やっていることは、年相応どころではなかったようだ。
「イリナさんからも、言ってやってよ。どこで覚えたのか知らないけど、こんなに小さいうちから、どうして『浮気』のことなんか……」
「いやいや、ネザク。王族たる者、男女の機微を学ぶに早すぎると言うことはないのだぞ。結婚だって、庶民よりはるかに早いはずなのだからな」
そう言って口を挟んできたのは、それまでにやにや笑いながら『おままごと』を眺めていたキリナだ。彼女はなぜか、ネザクとエレナの娘役を割り当てられていたが、さすがに『浮気』の場面では出番がなかったらしい。
「まさか、キリナさんが教えたの?」
「まさか。わたしは王族ではないからな。そんな素養は無い。……それより、ネザク。イリナにはチョーカーなんか買ってあげているくせに、どうしてわたしからのプレゼントは受け取ってくれないんだ?」
キリナは不満げに鼻を鳴らしながら、手にしたモノを掲げて見せる。
「いや! だってそれ、どう考えても本物の犬の首輪じゃないか!」
目に見えて顔を青褪めさせたまま、ネザクが叫ぶ。
「大丈夫だ。君は犬じゃない。これは人間用の首輪だよ。ふふふ、これから一生君の首に着けるものだ。良く似合うものを選んだつもりだぞ?」
「に、人間用の首輪って……その発想が既に怖いよ!?」
恐怖に打ち震える少年の目には、涙が滲んでいるようだった。
「うう、……と、とにかく、じゃ、じゃあ、一体誰がエレナにこんなことを……」
身の危険を感じたのか、ネザクは強引に話題を戻す。するとその時、彼の服の袖を引っ張る者がいた。
「リ、リラさん?」
「残念ながら、答えは一つしかないと思いますよ?」
「……ああ、そっか。カグヤだね」
改めて問うまでもない。そもそも、『残念ながら』の言葉が必要な状況というもの自体、その大半は『黒の魔女』によって生み出されているのが定番なのだから。
「ネザクお兄ちゃん。なにやってるの? こんどはエレナがうわきするんだから、ちゃんとせりふを覚えてくれなくちゃ」
「え? 台詞?」
「うん。うーんとね……」
言いながら、懐からメモのようなものを取り出すエレナ。
「『今のは見なかったことにする。今まで通りの生活を続けよう。だから、だから、僕の元からいなくならないでくれ。別れたくないんだ』……うーん、これって、どういう意味かなあ?」
「カ、カグヤ……」
絶句するネザク。三歳の幼女に、なんて生々しい『おままごと』をさせるつもりなのだろうか、あの姉は。メモに書かれた筆跡が間違いなく彼女のものであることを確認し、ネザクは盛大に息をついた。
一方、五人が『おままごと』に興じている部屋の外では、ルカがせわしなく動き回っている。
「みなさーん! 順番に、順番に。チケットはお持ちですか? 中庭は狭いんですから、制限時間は守って、係員の指示に従って入れ替わってくださいね」
いったい彼女は、何をしているのか? その答えは、彼女が手に持つ『エレナ様とネザク様の「おままごと(浮気編)」、第一回公演』と書かれた立札が物語っている。
あえて中庭に面した部屋でネザクとエレナをあそばせ、その様子を中庭への入場料を取りつつ、窓から覗かせているのだった。
城内の雑事を取り仕切るエリックとしては、頭を抱えたくなるような話だが、彼女たちはリゼルの場合も同じことをやっており、その際はリラが『係員』だったりするのだから、始末に負えない。メイドたちもまた、日々たくましく成長しているのかもしれなかった。
──ところ変わって。
街道を歩く一人の女性がいる。天下の往来を歩くには、肌の露出が激しい女性だ。
すれ違う人間が、ぎょっとして彼女の姿を振り返って見ている。特徴的な蒼い髪を長く伸ばし、抜群のプロポーションを維持する彼女は、絶世の美女と呼んで差し支えない美貌の持ち主でもあったが、その顔には疲労の色が見て取れた。
「く、うう……このわたくしが、こんな無様な姿をさらすなんて……。あの女、アリアノートとか言ったかしら? うう、覚えていなさいよ」
もう何度目になるかわからない愚痴をこぼし、ひたすら歩く彼女の名は、アクティラージャ。蒼い月の霊界において、第五の階位にある『死霊の女王』だ。だが、その足取りは覚束ないものであり、とても災害級の『魔』とは思えない。
「……かろうじて送還は免れたけど、この様では『星辰の御子』には手が届かないわ。なんとかして、『真月』を補充しないと……」
彼女が目指す先には、クレセント王国の王都がある。
「月影一族──『繊月の器』の、誰か一人にでも接触できれば……」
ぶつぶつと独り言を呟きながら、ついに彼女は街の門までたどり着く。エリート階級である月影一族は、その大半がこの王都に居を構えているはずだった。
「うふふふ、気配を感じるわ。『真月』を溜めこんだ器の一族。力さえ戻れば、あんな奴ら……」
だが、考え事ばかりを続けていたせいか、はたまた、彼女自身の力が低下していることによるものかは不明だが、彼女は己に迫る脅威の存在に気づくのが遅れた。
「何をしに来た、蒼の者」
「え……?」
突然の声に、とっさに振り返るアクティラージャ。だが、目の前には誰もいない。否、そうではない。視線の位置が高すぎただけで、少し目を下に向ければ、そこには愛らしい少女の姿がある。
だが、クレセント城内の『大きいお友達』を魅了してやまないその姿も、アクティラージャにとっては悪夢にしか見えなかった。
「うわ! ひいいいい! な、なななな! なんで、あなたがここに?」
驚き、慌てふためいて尻餅をつくアクティラージャ。例によって身体に布を巻きつけただけのあられもない恰好でそんなふうに倒れれば、周囲の、特に男性の注目を集めるのは必至のはずだったが、そうはならなかった。
「周囲の認識を外してある。ゆっくり話そう」
「うう……」
話すも何もない。『魔』は上位になればなるほど、一階位の差も大きくなると言ってよい。第五階位のアクティラージャから見て、第二階位の『伝説級』とも呼ばれるリゼルアドラの存在は、まさしく雲の上のものだった。
階位的には本来なら、無条件で這いつくばってでも言うことを聞くべき相手だが、如何せん『月の色』が違う。色が異なる以上、それはつまり、この星界においては『ライバル同士』であることを意味している。
「繰り返す。何をしに来た?」
だが、質問には答えざるを得ない。問答無用で送還されてしまえば、せっかく顕現した意味がない。『星辰の御子』の存在を隠しつつ、アクティラージャはどうにか答える。するとリゼルは、軽く首を傾げた
「……繊月の器。ああ、あの辛気臭い顔の連中か」
「し、辛気臭いかどうかは知らないけれど、顕現した以上、より多くの力を求めるのは当然でしょう?」
「なるほど」
考えてみれば、今のアクティラージャの台詞は、聞かれてもいないのに『真月』を求める理由に言及しているという点で、かえって怪しさがにじみ出ていた。リゼルがそれに気づかなかったのは、リゼルの頭の悪さゆえのことだろう。
「わ、わたくしとしては、適当にその辺の月影一族さえ見つかればいいの」
「そうか」
「そ、それだけだからさ……ここはひとつ、見逃してくれない?」
妖艶な美女が、あどけない少女に向かって、縋りつくように謝っている。
「ふむ」
アクティラージャとしては、相手の反応がこうも一本調子だと、次の展開をどうしてよいかわからない。そのまま黙ってしまうわけにもいかず、適当な言葉を続けた。
「い、色は違えど、ここは同じ『魔』同士、仲良くしましょう?」
だが、苦し紛れのこの一言がまずかった。
「仲良く? それはつまり、『友達』か?」
「え? え、ええ……」
リゼルの唐突な言葉に、ついていけなくなったアクティラージャは、生返事をしてしまう。
「そうか。わたくしには、城に『大きなお友達』が何人もいる。蒼の者も友達だと言うのなら、城に連れて行く。カグヤに紹介してもらう必要がある」
「え? え?」
尻餅をついていた体勢から、手を掴まれ、立ち上がらせられるアクティラージャ。
城へ連れて行く──この時この瞬間、それは決定事項となっていた。『紹介してもらう』の意味が分からなかったが、それはともかく、ただでさえ弱っていた彼女には、抵抗する術などないのだった。
次回「第52話 少年魔王と死霊の女王(下)」




