第49話 英雄少女と疑惑の賢者(上)
──星界に突如として出現した、『魔王』の軍勢。
それは、瞬く間に西方の辺境国家リールベルタ、五大国家最強のクレセント王国といった国々を征服し、ついに中央の華たるエレンタード王国に侵攻を開始した。
この未曾有の事態を受け、既に魔王に敗北したと思われるミリアナを除く、五大国家の英雄たち──アルフレッドやイデオン、アリアノートといった面々がエレンタード王国に集結。彼らは力を合わせ、国境付近での激しい戦闘の末、ついにはこれを撃退することに成功する。
表向きに言えばそれだけの事実だが、実際には、これは『魔王』の強大さを改めて世に知らしめる結果となった。なぜなら、英雄たちは魔王を『撃退』しはしたものの、『撃破』はできなかったからだ。
世界最高の戦力を結集しても、倒すことのできない存在。この戦いを経て、『魔王』の脅威は電撃的に星界全土へと広まっていくことになる。
そして同時に、五英雄の危機を救った英雄少女とその仲間たちの活躍も、その場に居合わせた魔法騎士たちによって広められ、称えられることとなった。
──しかし、歴史の大きな境目とも言うべきこの戦いの、あまりにもあっけない今回の幕切れには、黒の魔女の『ある思惑』が秘められていた。
「アズラルを解放してくれるのか?」
黒魔術によるカグヤからの思わぬ申し出を受け、アルフレッドは反射的に問いかけの言葉を口にする。当然、そんな言葉が相手に聞こえるはずもない。しかし、意外にもカグヤの声で返事があった。
「ええ、そうよ。その条件なら、悪くないでしょう? このままやりあっても負けるとは思わないのだけど、ここで引いた方が得策みたいだしね」
しかし、その声は、頭の中に響くものではない。アルフレッドが驚いて振り向けば、リゼルアドラのすぐそばに、黒衣黒髪の女性の姿があった。
「カグヤ!」
「動かないで」
手を前にかざすようにして、駆け寄ろうとするアルフレッドの動きを制するカグヤ。
「やっぱり、生きていてくれたんだね……」
「……あなたの方は相変わらずみたいね。邪竜退治の英雄さん?」
皮肉めいた言い回しをしながら、アルフレッドに笑いかけるカグヤ。しかし、彼女にしては珍しく、その目は笑ってなどいなかった。
「……あの日、俺は君のことを護れなかった。ごめん。本当に、ごめん」
絞り出すような声で、頭を下げるアルフレッド。そんな彼に、カグヤは顔をしかめ、冷ややかな目を向ける。
「……相変わらず、あなたはわかっていないわね。あなたのそういうところが、わたしは嫌いなのよ。……大っ嫌い。そもそも、今のわたしたちは敵同士でしょう?」
「そのことだけど……何故なんだ? どうして君がこんなことを?」
「決まってるわ。『あの子』のためよ。『可愛くて可哀そうな』わたしの弟。──わたしを救ってくれた、たった一人の大事な『弟』。ネザクのために、わたしはわたしのやるべきことをする。勘違いしないでほしいのだけれど、わたしはあなたを恨んでもいないし、憎んでもいない。ただ、『嫌い』なだけよ」
「君が困っていることがあるなら、俺にも協力させてほしい。俺は、君を護るために強くなった。……あの日、君を護れなかったことの悔しさが、俺にとっての『星心克月』なんだ。だから、こんなことは止めるんだ。俺が君を……」
「ふざけないで。あなたに何ができると言うの? あの時と同じよ。甘いだけのあなたになんか、何もできやしないわ。……十年前だって、あなたはあの『黒霊賢者』に、いいように踊らされていたのよ?」
カグヤは酷薄な笑みで笑う。今この時、このタイミングこそが、彼女にとっての『奥の手』を使うべき場面だった。そのためにすべてのお膳立てを整え、状況を作り上げたのだから。
「え?」
呆けたような顔のアルフレッドに対し、カグヤが語った『真実』は──
両軍が自陣に引き上げた後、使者を仲介する形で人質である黒霊賢者──黒猫の『アズラエル』の身柄がエレンタード側に引き渡される運びとなった。
人質の身柄の引き渡しと言っても、実際にはシュリが操る『月獣』によって鳥籠のようなものに入れられた黒猫が運ばれてくるという、何とも奇妙なやりとりとなった。ほとんど奪い取るような勢いでその鳥籠を手にしたのは、アリアノートである。
「アズラル! 無事か? 怪我はないか?」
「うん。まあね。可愛い君の声が聞けて、元気百倍と言ったところさ」
意外にも元気そうに受け答えをする黒猫。アリアノートは破壊せんばかりの勢いで籠の扉を開き、中から引っ張り出した彼をきつく抱きしめる。
「……よかった。本当によかった」
深緑の瞳から涙がこぼれる。アズラルが敵の手に落ちて一か月余りの間、アリアノートは最初こそ彼の身体に付きっきりとなっていたが、やがて通常の生活に戻ったようにも見えた。
──だが、そんなものは、ただのやせ我慢だった。不安はあった。心配もしていた。失うことの恐怖もあった。そして、それらすべてを心の中に押し込めて、誰にも微塵も感じさせないよう振る舞うのは、口で言うほど簡単なことではない。
極端に言えば、彼女は『禁月日』にアクティラージャと戦っていた時も、この日、リゼルアドラと戦っていた時でさえも、そのことを片時も忘れることなく、胸の痛みと戦い続けていた。
普段無表情な彼女が見せる泣き顔に、皆もそのことを感じ取ったのだろう。場を静寂が支配する。
──が、しかし
「う、ああ……」
アズラルは、呻き声をあげた。
「アズラル? どうした? 大丈夫か?」
「う、ふううう……。こ、これだよ、これ、これなんだ」
「え?」
涙にぬれた目を見開くアリアノート。そんな彼女に、黒猫は恍惚とした表情を見せた。
「やっぱり、君は最高だ。この適度な張りと大きさに、何よりもあどけない少女の面影と未成熟なボディーライン。むさい男なんかじゃない! これこそが、ザ・少女! 僕の理想とする最高の……」
「……ぎゅう」
アリアノートは可愛らしい声で、『擬態語』を口にする。それは、何かを締めつけるときに使われる表現だ。彼女の手は、込められた力に比例するかのように大きく震えている。
「わ、わああ! ちょ、ちょっと、アリアノートさん! 死んじゃう! 死んじゃうって!」
首を絞められ、泡を吹き始めた黒猫を見て、慌ててエリザが止めに入る。そこでようやく、アリアノートは手を離した。ぼとりと力無く床に落ちる『アズラエル』。白目を剥いてぴくぴくと痙攣している。
「ちょ! これ、まずいんじゃ? 誰か、誰か治療を!」
「……死ね! 死んでしまえ! この馬鹿! いいか? 次にわたしの胸のことを言ってみろ! 地獄も底の思いを味わわせてやるからな!」
ばたばたと特殊クラスの面々が黒猫の介抱を始めるのを見下ろしながら、アリアノートは肩で荒く息をつく。
「アリアノート様……」
憧れの英雄の豹変ぶりに、驚きを隠せないルーファス。だが、彼が言葉を続ける前に、その袖を引っ張る者がいた。
「……わかっていると思いますけど、下手なことは口にしない方がいいですわよ? あの分では、あなたの性質の悪さなんて、歯牙にもかけずに殺されかねませんわ」
「あ、ああ。心得た」
ルーファスは、物騒極まりないリリアの忠告に、真剣な表情で頷きを返していた。
完全勝利とはいかないにせよ、これまで傍若無人に進軍を続けてきた魔王軍を撃退し、人質の奪還まで成功できたことに、エレンタード陣営にも明るさが戻ってきたようだった。──ただ一人、浮かない顔のアルフレッドを除いては。
念のため、国境に守備隊として魔法騎士団を残したまま、アルフレッドたちは英雄養成学院へと帰還した。しかし、当然のことながら、今回の戦争で軍の指揮官として戦ったアルフレッドのほか、国外協力の形で参戦した英雄たちは、エレンタード国王に戦果の報告やあいさつに出向く必要がある。
だが、アズラルについては、ようやく《影法師》の強制リンクから解放されたばかりということもあり、大事を取って学院で休養を続けることとなった。
そのため、アルフレッドとしては彼に話を聞く機会を得るのに、帰還したその日の夜というタイミングを選ばざるを得なかった。
「……無粋な真似をするね、君も。1か月以上も会えなかった僕らの、久方ぶりの逢瀬を邪魔するなんて、いったいどうしたんだい?」
医務室のベッドから身を起こし、おどけた口調で笑うアズラル。二人だけで話がしたいとの言葉に、アリアノートは不承不承ながらも部屋を出て行ったところだった。
「…………」
何と言って切りだしたものかも、わからない。用件はもちろん、カグヤから聞かされた話についてなのだが、そもそも敵方である彼女からの話について、味方である彼に事の真相を確認しようと言うのだ。そのこと自体が彼に対する背信行為になりかねない。
アルフレッドがうつむいたまま黙っていると、アズラルが軽く息をつく気配があった。
「相変わらず君は、お人好しなんだね。まあ、何も言わなくても君の様子を見れば、用件ぐらいわかるさ。あの黒の魔女に、聞かされたんだろう? 僕の話をさ」
「…………嘘、ですよね?」
そうであってほしい。そんな思いが込められた、絞り出すような一言。だが、アズラルは、その言葉に首を振る。
「まったくどこまでも嫌らしい相手だね、彼女は。『真実』ほど人を効果的に追い詰められるものはない。僕に『あんな話』をして、選択肢まで奪ったうえで、この状況に追い込むっていうんだからな」
「アズラルさん!」
信じられないと言った顔でアズラルを見るアルフレッド。そんな彼に、アズラルは決定的な一言を発する。
「そうだよ。彼女の言うとおりだ。十年前の『邪竜戦争』。あれはね、僕が引き起こしたものなのさ」
「そ、そんな……嘘です。そんなわけが……。だいたい、あなたが邪竜のことを教えてくれたんじゃないですか!」
「そうだよ。でも、考えてもごらんよ。僕が張本人であるからこそ、邪竜の存在も知っていたんじゃないかって思わないかい?」
「で、でも、だとしたら、何故なんです? どうしてそんなことを!」
アルフレッドは激情のあまり、声を荒げる。
「声が大きいよ。今、この事実を公にするのは混乱も大きいだろうし、好ましくないんじゃないかい?」
「……いいから答えてください」
低く唸るようなアルフレッドの声。アズラルはそんな彼に、あざけるような笑みを浮かべて見せる。
「決まってるさ。僕が英雄としての名声を得るためだよ。そのために、僕は『邪竜』を利用した。眠れる化け物を呼び起こし、星界に戦乱を巻き起こした。そして最後には、君ら五大国家の英雄と力を合わせてこれを打倒した」
「……信じられません。あなたは、そんな人じゃないはずだ」
「それは勝手な思い込みという奴だよ。僕は最初からこんな奴だ。自分勝手でわがままで、どうしようもなく変わり者で、どこまでいってもはぐれ者さ」
自嘲気味に肩をすくめるアズラル。
「違う! だって、あなたはあんなにも必死だったじゃないか! 世界を救うため、俺を初めとする五英雄の皆を説得するため、あんなにも悩み、あんなにも苦しんでいたじゃないか!」
なおも頑なに『真実』を認めようとしない彼に、困ったような表情を浮かべる。
「そうだね。その点じゃ君の存在には大いに助けられた。僕のようなはぐれ者の話を信じてくれる奴なんて、そうはいなかったからね。お人好しで騙されやすくて、それでいて人からは信用されやすい君のような人間は、僕にとって実に利用価値が高かった」
「……どうしてです? どうして今、そんなことを言うんです? きっと裏があるはずだ。一言、たった一言。違うと言ってしまえばいいのに。俺が騙されやすいと知っているなら、なおのこと……」
「でも、君はあの黒の魔女に聞かされたはずだ。でなければ、ここまで君が思い悩んだりはしないだろうからね。……世界を混乱に陥れた『新月の邪竜』。あの当時、かの化け物に、人間の精神を狂わせる力──黒魔術の力を注ぎ込むことができたのは、この僕を置いて他にはいないはずだとね」
「…………」
「何せあの『新月の邪竜』は、エクリプス王国の王族しか知らない遺跡に眠っていたんだ。今の王族の中で黒魔術が使えるのが僕だけである以上、誤魔化しようもない事実だろう?」
「…………」
アズラルの声に沈黙を続けるアルフレッド。だが、しばらくして、ゆっくりと息を吐き出すかのように口を開いた。
「……あの戦争では、たくさんの人が死にました」
「うん、そうだね」
「俺も、他の皆も、戦争だから、敵国の人間だから……そんな理由でたくさんの人を殺しました」
「まあ、そうだね」
「あなたが名誉欲のためだけに、あんな悲惨な戦争を起こすような人とは思えない。思いたくないんです。だから、教えてください。本当は、何があったんです?」
「困った奴だね、君も。……まあ、いいさ。そう思ってくれるなら、その方が色々と都合がいい。明日には早速みんなで、お城に向かうんだろう? 僕はここで留守番をしてあげるから、安心して行ってくるといいよ」
あえて不安をかきたてるように、アズラルは言う。アルフレッドには、そんな彼の狙いがますます分からなくなってくる。彼のことを疑いたくないと思う反面、今の話でカグヤから得た情報に信憑性が増してしまった部分がある。
彼は、いまだにカグヤに脅されているのだ──そう思おうともしてみたが、自分の知る彼の性格からして、それはあり得ない。アズラル・エクリプスという人間は、いざとなれば、誰よりも苛烈に己の命を賭けることができるはずなのだから。
「そうそう、これは彼女が教えてくれなかったから訊きたいんだけど、君と彼女ってどういう関係なんだい?」
唐突に、話題を変えてくるアズラル。
もうこれ以上、この件で話すつもりはないということだろう。
「……ただの幼馴染ですよ」
「ふうん。何歳の時からの知り合いなんだい?」
「そうですね、確か……」
かつて仲間であったはずの彼と交わす会話。変わり者ではあれど、豊富な知識と高い知性に裏打ちされたアズラルの話は、アルフレッドにとってはいつも新鮮で、楽しい物であったはずだ。だが今は、それらは全て色あせて、無味乾燥でつまらない、心のこもらない形だけのものと化してしまっているのだった。
次回「第50話 英雄少女と疑惑の賢者(下)」




