第46話 英雄少女と禁月日(下)
街外れの平原で、半裸の女性が立ち尽くしている。
苦しそうに顔をしかめ、下腹部を押さえる彼女の髪は、目の覚めるような蒼い色。金色の瞳はいまいましげに、自分が飛ばされてきた街の方角に向けられている。
〈油断……ではない。あの娘……大した実力者だわね〉
つぶやきを漏らす彼女の口調は、先ほどまでの人を食ったようなものとは異なり、低く真剣な響きを含んだものだった。だが、次の瞬間──
〈フフフ! アハハハハ! やった! やりましたわ! マハ様! わたくし、ついに見つけましてよ。星辰の御子。ウフフ……あの小娘。間違いない。あの小娘さえマハ様に捧げることができれば、この星界は蒼く染まる。我らの『蒼月』こそが『真月』へと還る! その日はもう、間もなくよ!〉
彼女は狂ったように笑いはじめる。そうしてひとしきり笑った後、彼女はようやく笑いを収めると、金の瞳を細めるようにして息をつく。
〈とはいえ、あの娘と二人同時に相手取るのは大変そうね。そもそも、逃げられては元も子もない。……ファイ、いるんでしょう?〉
彼女──アクティラージャがそんな言葉をつぶやいた直後のこと。彼女の背後に気配が生まれる。
〈お呼びでしょうか。アクティラージャ様〉
〈今回顕現できたのは、あなたとわたくしの二名のみ。わたくしはあの緑髪の娘を殺す。だからあなたは、赤毛の小娘の方を殺しなさい〉
〈いいのですか? 殺しても〉
〈ウフフ、あれが本当に星辰の御子なら、不死だけが取り柄のあなたには殺せないわ。まあ、足止め役をやってくれれば十分よ。もっとも、必要なのは御子の『魂』だから、殺せるものなら殺していいけど〉
〈承知しました。……我が名に誓って、必ずや殺してみせましょう〉
あくまで従順に答える声ではあったが、声の主は不満げな響きを隠そうともしていない。明らかな殺気さえ漂わせているが、それはこれからやってくる赤毛の少女に向けられたものだ。
〈さあ、来るわよ……〉
アクティラージャは敵の接近を霊戦術で感知し、そちらへと視線を向けた。金の瞳に映るのは、遥か上空を舞うように飛翔し、こちらに向かって矢をつがえるハイエルフの姿。
〈……って、嘘でしょう!? ば、馬鹿な! なんなのよ、あれ!〉
アクティラージャには、さっきの二人が自分を追ってくるだろうことはわかっていた。アリアノートが『場所を変える』と言っていたからだ。だが、彼女が口にしたもう一つの言葉──『周囲に被害が出る』──が示す意味は理解できていなかった。
斜め上空から飛来するもの。最初は小さな光点のように見えたそれは、距離が近づくにつれ、すさまじく巨大な光球となって視界を覆い尽くしていく。
〈なんて、でたらめな魔法を……! は、発動《屍山の金剛壁》!〉
周囲の死霊を大量にかき集め、大地そのものを『憑代』にした無数のアンデッドを生み出すことで屍の山を造るアクティラージャ。直後、すさまじい爆風と共に、あたり一帯に白光がまき散らされる。
〈ぐ、ぎぎぎ! な、なんなの? 『真月』に侵された星界の民ごときに、こんな力があるわけが……まさか、『星心克月』?〉
どうにか障壁で耐えたアクティラージャは、周囲の大地がかなりの広範囲にわたって抉れ、巨大なクレーターと化した景色に目を丸くする。
「ふむ。月界の『魔』がその言葉を知っていようとはな」
爆心地に立つアクティラージャに向かって、ゆっくりとクレーター状の坂を下りてくるハイエルフの姿があった。彼女はこちらを見下ろし、再び矢をつがえている。直後、その後ろから赤髪の少女がひょっこりと顔を出す。
「うわあ! ほんとに凄い! あたしにも今の技……《白霊彗星》だっけ? 使えるようになれないかな?」
「どうかな。君は『白季』の生まれだそうだが、白霊術は使えないんだろう?」
「うーん、そうなんだよね。不便を感じたことはないけど、でも、今のを見ちゃうと使いたくなっちゃうなあ」
そんな緊張感のない会話まで交わしている。アクティラージャは、そのことに酷い屈辱を覚えたが、今の会話を聞いて確信した。間違いない。あの赤髪の少女こそ、彼女の求める存在だ。
〈……さあ、あの子の相手は任せたわよ。ファイ〉
〈承知しました〉
声の主はアクティラージャと違い、防御魔法さえ展開する暇もなく、先ほどの一撃で身体を粉々に吹き飛ばされたはずだった。だが、黒装束に包まれた彼の身体は、細身ながらも五体満足のままだった。頭髪はおろか全身に一切の毛が生えていないのが異様だが、これも怪我のせいと言うわけでもなさそうだ。
霊界第十階位の『不死者』ファイ。彼もれっきとした災害級の『魔』である。二つ名の由来はもちろん、驚異的な再生能力を誇る彼の肉体だった。
ファイは手練れの暗殺者のような足取りで、地を這うようにクレーターを駆け上がる。
「二体目の『魔』だと? エリザ、気をつけろ!」
〈ウフフ、あなたの相手はわたくしよ〉
アクティラージャの手が一振りされると、周囲の地面から大量の骸骨兵が出現し、アリアノートめがけて駆け寄っていく。対するアリアノートは、そんなアンデッドの存在など目にも止めず、ぎろりと鋭い視線を蒼髪の妖女へと向けた。
「……邪魔だ! 発動、《のたうつ雷光の蛇》」
かざした掌から生み出された細長い雷撃は、蛇のようにうねりながら群がるアンデッドに直撃し、その仮初の肉体を消滅させていく。一見、アリアノートはこの魔法を簡単に発動させているように見えるが、実際には高位魔法に分類されるほど強力なものだった。
〈やるじゃない、あなた。今日のわたくしはついてるわあ。久しぶりに全力で戦える相手に会えたのだもの〉
アクティラージャは声を弾ませながら、アンデッドの群れに紛れるように坂を駆け上がっていく。
「悪いが、わたしはお前みたいな奴が大っ嫌いだ」
アリアノートは吐き捨てるように言いながら、星具『白星弓シャリア』を構え、雷撃を固めた矢を連続して撃ち放つ。
〈あらあら、とんだ正義の味方なのね。ちょっとあのボウヤを拷問してあげようとしたことが、そんなに気に入らなかったかしら?〉
アクティラージャは、周囲の骸骨兵が粉々に打ち砕かれていくのを横目に、次々と飛来する雷撃の矢を回避する。そして、いつの間にか手の中に出現させた大鎌を使い、アリアノートへと斬りつけた。だが、彼女はその一撃を避けるようにふわりと後方に飛びさがる。
再び距離を置いて対峙する二人。
「勘違いしてもらっては困るな。わたしがお前を嫌いなのは、そんな理由ではない」
〈え?〉
「……わたしはな、お前みたいに大きな胸をこれ見よがしに揺すっている奴が、心の底から大嫌いなんだ!」
〈……ええ!?〉
霊界でも第五階位という高位に位置し、死霊の女王として恐れられるほどの『魔』が、ぽかんと口を開けたまま固まっている。
〈……あ、あなた、それ本気で言ってるの?〉
「全力で本気だ! ふざけるなよ? 胸が大きいことが正義なのか? ……いいや! むしろ、わたしはあえて言おう……『悪』であると!」
握る拳に渾身の力を込めて、大げさに腕を振るい、アリアノートは力説する。
「だいたい、そんなもの……ただの脂肪の塊ではないか! 腐れ! しおれろ! 干乾びろ!」
〈く、腐れって……〉
彼女の尋常ならざる気迫を前に、アクティラージャは圧倒されていた。
「ちなみにわたしは、同じ五英雄のミリアナも密かに嫌いだ。ふっふっふ。今日のわたしはついてるぞ。嫌いな奴にめいっぱい全力で矢を撃ちこめるんだからな!」
深緑の瞳に壮絶な光をたたえて、アクティラージャを睨みつけるアリアノート。齢二十四にして、いまだ少女のような外見のアリアノートには、彼女の言う『脂肪の塊』がない。いや、あることはあるが、実にささやかなものだった。
「発動、《七色の追跡弾頭》」
放たれたのは文字どおり、七色の光。炎や雷撃、氷や風などあらゆる種類の力を帯びた光の矢が、アクティラージャに迫る。ちなみにこの矢には、たとえ回避したとしても命中するまで軌道を変えて飛びつづける追跡機能まで備わっていた。
が、しかし──
〈ば、馬鹿にしてくれてえ!〉
両の掌に禍々しい蒼い光を集約させたアクティラージャは、迫りくる光弾を立て続けに弾き飛ばした。軌道を逸らされた七つの光は彼女の周囲に着弾し、地を揺るがす轟音とともにすさまじい爆風を巻き起こす。
並みの者なら余波だけでも消し飛びかねない次元の攻防を繰り広げ、なおも余裕の表情を見せる両者は、再び構えをとって対峙する。
〈さあ、ここからはわたくしの番よ〉
両掌に集まっていた光は、大小二本の鎌に姿を変えている。
「武器を生み出しただと? 星喚術のようなものか?」
〈本当に無知ねえ。……月界の『魔』に『星辰』が使えるわけがないでしょう? これは霊戦術よ。星界に漂う死者の思念を支配して、無理矢理形を与え、『武器化』する。わたくしだけの特異能力──《屍斬血牙》〉
「ご丁寧に解説をどうも。……さすがは第五階位。それも自然顕現だ。技を出し惜しみして勝てる相手でもなさそうだな」
〈ハッタリはよしなさいな。わたくしの真の力、見せてあげるわよ。……貧乳さん?〉
「貴様! ……くっくっく! あっはっは! いい度胸だ。胸のでかい女は態度もでかいな。──よし、拷問だ! 八つ裂きだ! わたしの『星心克月』にかけて、今日一日が貴様にとってのトラウマになるまで、月界には帰さないから覚悟しろ!」
アリアノートは物騒極まりない言葉を吐く。これではどっちが『魔』だかわからない。
両手の鎌を交差させ、悠然と構えをとるアクティラージャ。
白星弓を構え、弦を引き絞って狙いを定めるアリアノート。
災害級の『魔』と五英雄でも最強の魔法使い。今まさに、そんな規格外の二人による、力と力のぶつかり合いが始まろうとしていた。
──その頃、エリザとファイの間で始まった戦闘はと言えば
「聞こえなかった! あたしは何も聞いてない!」
エリザは、巨大な楯を出現させながら叫ぶ。だが、いかに『目の前の英雄は憧れの対象ではなく、超えるべき目標』をモットーとする彼女と言えど、先ほどのアリアノートの発言には内心で頭を抱えていた。
エリザにとって、比較的年の近い同性の英雄である分だけ、強い憧れの対象でもあった新緑の髪のハイエルフ。しかし、当の彼女は災害級の『魔』と対峙する緊迫の場面において、相手の胸の大きさを妬み、呪詛の言葉まで吐き散らしていたのだ。
「ああ、もう! あの夫婦のせいで、あたしの英雄像は滅茶苦茶じゃないか!」
未発達な少女に尋常ならざる執着を持つアズラルに、自身の未発達な胸の大きさに尋常ならざるコンプレックスを持つアリアノート。
〈随分と余裕だな小娘。だが、それが貴様の命取りだ〉
一瞬で間合いを詰め、両拳を立て続けにエリザの『楯』へと叩きつけるファイ。
「うわ! くそ! なかなかやるじゃん!」
激しい連撃を打ち込まれ、楯を持つエリザの腕にも痺れが走る。
だが、逆に言えばそれだけだ。災害級の『魔』は、単なる身体能力でも人間を遥かに凌駕する。その拳の一撃は、岩どころか鋼鉄でさえ砕くだろう。にも関わらず──
〈……そんな馬鹿な〉
ファイは『己の拳が砕ける音』を聞きながら、呻き声を漏らした。『不死者』であるファイの特異能力により、砕けた拳は即座に再生を繰り返している。そのため攻撃の手こそ緩むことはなかったが、驚愕のあまり集中力の方が先に切れてしまったようだ。
「隙あり!」
風を切る音と共に、ファイの側頭部に向かって鎖つきの分銅が迫る。楯を迂回するような軌道を描くその分銅は、とっさにのけぞったファイの鼻先をかすめるように通過していく。
〈うあああ!〉
『魔』にあるまじき悲鳴を上げ、大きく跳びさがるファイ。
「あ! こら、逃げるなんて卑怯だぞ!」
エリザが憤慨したように叫ぶが、ファイの耳には届かない。彼の心の中は、生まれて始めて感じる『恐怖』という名の感情で埋め尽くされていた。
〈な、なんだ、この娘は! い、今のはいったい……〉
防御のための楯ではなく、攻撃のための分銅。接触こそしなかったが、至近距離でそれを目の当たりにして、ファイはエリザという少女を包む、自分とは相容れない力の存在を感じ取っていた。どんな色にも染めることのできない強烈な想い。染まることを是としない意識。月界の『魔』にとって、それは最も忌避すべきものだ。
「なに? 来ないんなら、今度はこっちから行くよ!」
エリザは両手に大剣を具現化させつつ、一気にファイへと走り寄る。
〈おのれ……舐めるなあ!〉
内心の恐怖を振り払い、己の右拳を頭上に振り下ろされる大剣めがけて叩きつける。
「おわっと!?」
軌道を逸らされ、虚しく空を切るエリザの大剣。さすがの彼女もこれには大きく体勢を崩したものの、ファイからの追撃はない。見れば彼の右腕は、根元から粉々に吹き飛ばされていた。どうにか再生は始まっているが、回復速度はこれまでよりも格段に遅い。
〈……貴様とは距離を置いてやりあうべきなのだろう。我とは、相性が悪すぎる〉
霊界の『魔』にしては珍しい肉弾戦タイプの彼にとって、接触そのものがダメージになるエリザの存在は、天敵のようなものだった。
「あれ? 随分脆いんだね。まさか腕ごと吹っ飛んじゃうとは思わなかった」
だが、自覚がないのか、エリザは驚いた顔をしている。
〈……まあいい。もともと我の役目は、アクティラージャ様の相手が片付くまでの時間稼ぎだ。貴様には勝てないとしても、月界に送還される前に、せめて手傷を負わせてくれる!〉
彼は『不死者』だ。圧倒的な再生能力を持つ彼にとって、『死』はもっとも縁遠いものだった。だが、そんな彼でも再生力には限界がある。特に先ほどのアリアノートが放った『白霊彗星』に全身を粉々に吹き飛ばされたこともあり、その限界は早くも迫りつつあった。
とはいえ、もともと星界に顕現した『魔』には、『死』という概念はない。少なくとも星界で致命傷を負わされても、彼らは月界に送還されるだけで済む。
それゆえに、彼はわかっていなかった。
先ほど自分が感じた恐怖が、何に起因するものなのかを。
そしてなにより、『死』を知らない彼による、『死』を覚悟しない捨て身の特攻──それが彼にもたらす結末を。
自身の肉体に魔力をまとわせるのではなく、肉体そのものを『器物』と見なすことによって、魔力を『憑依』させる特殊技能。彼の不死性の源である特異能力──《霊戦舞踏》。
彼はその力を使って、右腕を巨大な刃物に変化させる。それは、身体の大きさとは明らかにつりあいのとれない、禍々しく歪な大剣だった。
「おお! 剣と剣との勝負だな! よし、いっくぞー!」
エリザはそんな不気味な敵の姿に嬉々として目を輝かせ、手にした大剣を振りかざす。
激突は一瞬。粉々に砕けた右腕の大剣を、ファイは驚愕の目で見つめる。身体の半分が消失し始めて、始めて彼は気付いた。
〈そんな! そんな馬鹿な! 月界に送還されるのではないのか? う、嘘だ! どうしてこんなことに!〉
『不死者』の自分に、紛れもない『死』が訪れようとしていることに。
「……あたしの勝ちだね」
小さくつぶやくエリザの前で、『不死者』の二つ名を持つ『魔』、ファイの身体が消滅していく。そして、この瞬間──霊界における第十の階位は、空位となったのだった。
「……驚いたな。まさか本当にたった一人で『災害級』を倒すなんて」
声を掛けられて振り返れば、そこにはアリアノートの姿があった。若干衣服が破けているように見えるが、特に目立った外傷はない。
「アリアノートさんもあの痴女のこと、やっつけたの?」
「どうかな。逃げられた可能性もあるが、あれだけのダメージだ。逃げたとしても、送還は時間の問題だろうな。……久々に際どい戦いだったよ」
どうやら彼女が戦闘で負った傷そのものは、自身の白霊術で癒した後のようだった。
「ん? どうした? そんな顔をして」
アリアノートはエリザから何とも言えない微妙な視線を向けられて、不思議そうに問いかける。
「いや、さっき戦闘中に胸がどうとか、叫んでたよね? だからミリアナさんが嫌いだとか……。どういう意味かと思ってさ」
結局、真っ直ぐな性格のエリザには、あの台詞を『聞かなかったこと』にはできなかった。
「む? ああ、あれか。心配するな。いくらわたしでも敵味方見境なく、胸の大きい女を攻撃したりはしないぞ?」
そんなことは心配していない。そう言いたいエリザだが、そこはどうにかこらえた。するとアリアノートは、エリザの胸元に目を向けてくる。
「その点、君は非常に好感が持てるな」
「ええ!?」
顔を真っ赤にして叫び、胸元を隠すエリザ。
「できればその調子で、将来もわたしを裏切らないでほしいものだ」
そんなことまで言い出すアリアノートに、エリザはあらためてぐったりと肩を落とすのだった。
次回「第47話 少年魔王と宣戦布告(上)」




