第44話 少年魔王と双子の姉妹(下)
月影の巫女ミリアナ・ファルハウトの娘、双子の姉妹のイリナとキリナ。彼女たちはまだ、ネザクの能力である『ルナティックドレイン』の存在を知らない。少なくとも知っていれば、こうまで彼にべたべたと纏わりつくことなどできなかっただろう。
滅多にないこととはいえ、ネザクの封印は感情の高ぶりで解けることもあるのだ。彼を猫可愛がりするリラでさえ、それを知っているせいか、長時間抱きついたままでいるような真似はしない。
「うう、これはちょっと歩きづらいかも……」
ネザクは両脇に少女二人を引きつれながら、小さくつぶやく。三人が歩いているのは、クレセント王国でも最大の商業都市、シルヴァリアの大通りだった。
ネザク達が銀翼竜王で街中に舞い降りた当初は、街行く人々も彼らを畏怖するかのように遠巻きに見つめていた。王都から発せられた情報は紛れもない真実だったのだと、悲嘆に暮れる者さえいた。
だが、しばらく街を歩き続けるうちに、そうした人々の視線は違ったものになりつつあった。問題なのはもちろん、この国のアイドルともいうべき双子の姉妹、イリナとキリナの存在だ。青と黄色の色違いのリボンで長い白髪を結い上げ、少年の両脇にぴったりと寄り添って歩く二人は、当然ながら注目の的である。時折、通りのあちこちから、悲鳴とも怒号とも言える声が上がっていた。
「二人って、すごい人気なんだね。僕、視線だけで殺されそうなんだけど……」
自分に向けられる強い感情は、ネザクにとっても優秀な『吸収源』を確保できたという意味では喜ばしいはずなのだが、ここまでのものとなれば戸惑いを覚えないわけでもない。
一方、イリナとキリナの二人は、複雑そうな顔をしている。
「……結局みんな、お母様にしてもわたしたちにしても、月影の一族の優秀な術者であるからこそ、敬ってくれるだけなのよ」
「超常的な力で自分たちの国を豊かにしてくれて、護ってくれる。便利で都合のいい存在。それがわたしたち、月影の一族」
悔しそうに歯を食いしばって自分たちを見つめる民衆に、あえて笑顔で手を振りながら、少女たちは吐き捨てるように言う。ネザクも鈍い少年ではない。彼女たちの様子がいつもと違う──というより、普段自分に見せている態度の裏にある、葛藤や悩みのようなものが垣間見えたような気がしていた。
「なんだか、大変そうだね。……よくわからないけどさ。僕で良かったら力になるよ。何でも言ってね」
だから彼は、そんな風に申し出た。それが少女二人に、どれだけの衝撃を与えるかも知らずに。
「…………」
驚いたように銀の瞳を丸くして、ネザクを見つめる双子の姉妹。
「ん? どうしたの?」
「……いいえ。やっぱり、わたしたちの目に狂いはなかったのかなって思っただけよ」
「ネザクはいい子だな。わたしたちはこの際、魔王でもなんでもかまわないと思っていた。だが、それでも君がいい子でいてくれるのは有難いことだな」
意味深な言葉が理解できず、目をぱちくりと瞬かせるネザク。と、その時だった。
「待ちやがれ! てめえ!」
野太い男の声がする。振り向けばそこには、白い布のようなもので顔を隠し、金釘を打って殺傷力を増した棍棒のようなものを持つ、数人の男たちがいた。
「何か用?」
ネザクはいたって平坦な声で問いかける。するとマスクの男たちは途端に声を荒げた。
「何か用、だと!? この下賤なゴミが! どうやってイリナ様とキリナ様をたぶらかしたかしらんが、すぐにお二人から離れろ!」
「そうだ! ふざけやがって! 何か怪しげな術でお二人を洗脳してやがるな! 許せねえ!」
口々に叫ぶ男たち。キリナは顔をしかめ、憎々しげに彼らを見つめながら口を開こうとした。が、しかし──
「駄目だよ。キリナさん。僕に任せてくれなくちゃ」
そう言って二人の手を振り解き、ゆっくりと男たちに歩み寄るネザク。
「よくわかんないけどさ。君たち、何者なの?」
「俺たちはな、……『月の使者団』だ!」
リーダー格らしい男が叫ぶ。だが、ネザクにはわからない。首を傾げていると、周囲の野次馬から次々に声がかけられる。
「いいぞ! いけ! やっちまえ!」
「俺たちの麗しき『双子姫』を取り返すんだ! がんばれ、『月の使者団』!」
耳を疑うような、幼稚な声援だった。
「僕、頭痛くなってきたかも……」
やれやれと首を振るネザク。
「ネザク! 気をつけろ! 彼らは月影の一族の狂信的な信奉者たちだ! 彼らが自分で月影の一族に『有害』だと判断した者を、無差別に闇討ちにしているような連中だぞ!」
キリナが警告の声を発するも時すでに遅く、少年の小馬鹿にしたような態度に激昂した彼らは、一斉に少年に向かって釘付き棍棒を振り下ろしてきた。
「きゃあ! 危ない!」
思わず目を伏せるイリナ。だが、その直後のことだった。彼女の耳には、男たちの呻くような声が聞こえてくる。彼女は、恐る恐る顔を上げた。するとそこには……
「とりあえず説明するとね。これは獄界第二十階位の『魔』、二十匹で一体の黄泉の蝙蝠『ムルアロア』。ちなみに、ここには『十体』ぐらいいるかな?」
都合二百匹もの『魔』による羽音。ネザクに振り下ろされたすべての攻撃は、彼の周囲を舞う無数のコウモリたちに阻まれていた。
「……し、信じられない。戦術級を十体ですって?」
「それも、召喚の呼びかけさえないまま一瞬でか。……母様が敗北するわけだ」
戦術級以上は召喚による消費魔力も大きい。十体連続で召喚するとなれば、それだけだけで常人なら魔力が枯渇する。ましてやそれを十体同時に維持し続けるとなれば、どれほどの難事であるか、考えるまでもない。
驚きに目をみはる姉妹二人の目の前で、コウモリたちは一斉に『月の使者団』に襲い掛かった。
「悪いけど、生かしておいてはあげられないよ。先に手を出してきたのはそっちだしね。魔王が舐められちゃうと、僕と一緒にいる他の皆だって危険なんだ。……徹底的に、周りの人たちに見せつけながら死んでもらうからね」
ネザクは酷く落ち着いた声で言いながら、コウモリの群れに飲み込まれていく男たちを見つめている。
双子の姉妹は呆気にとられて、その様子を見守っていた。彼女たちが出会ったばかりの頃は、ネザクは実に頼りなさそうな、『魔王』らしくない少年だった。それが今や、自分を殺そうとした人間を冷静に処断している。周囲への影響まで考えながら行動する姿には、不思議と頼もしさまで感じられるほどだった。
断末魔の叫び声。コウモリが去った後には、干からびたような数人の男たちの死体が残されていた。
「これでよし、と。じゃあ、二人とも。このまま行こうよ。僕、お腹すいちゃったし、どこかの食堂でご飯が食べたいな」
振り返ったネザクは、どことなく不安そうな顔だ。不審に思って問い詰めると、彼は小さな声で答えた。
「そ、その……僕、自分ひとりで飲食店とか入ったことないんだ。でも、今回は僕が二人を引きつれていく役目でしょ? だから……」
店の利用方法からして、どうしてよいかがわからないらしい。カグヤに甘やかされて育った結果だった。
「……仕方がないわね。それじゃ、あらかじめ教えておいてあげるから、その通りにするのよ?」
言い聞かせるようにイリナが言えば、
「魔王たるもの、堂々としていないとな。なに、わからない部分はわたしたちがさりげなくフォローするさ」
安心させるようにキリナが彼の肩を叩く。
「う、うん……。よろしくお願いするね」
ネザクが真の魔王となる日は、まだ遠いのかもしれない。
一方、クレセント城でのこと。双子の姉妹の母であるミリアナとしては、娘二人が不在となると料理を作る張りあいもない。だからその日も、ただぼんやりとテーブルに活けた花を見つめて過ごす、そんな日になるはずだった。
しかし、そうはならないのが現実である。
「エレナちゃん? ほら、尻尾を引っ張ったりしちゃ駄目よ」
「え? 駄目なの? はーい」
ミリアナに注意され、黒い尻尾から手を離すエレナ。この素直で人懐っこい性格の幼女のことを、ミリアナも酷く気に入っている。何と言っても時折見せる子供らしい仕草の数々は、彼女の母性本能をくすぐるのに十分なほど愛らしかった。
それはさておき、ここ最近のミリアナにはもうひとつ、気になることがあった。それは頻繁にこの部屋に訪れてくるようになった、黒い子猫のことだ。名を確か、『アズラエル』といっただろうか?
彼(または彼女なのか、性別が判別できない不思議な猫だ)は時折、自分と目が合うと何かを訴えかけるように猫の鳴き声で呼びかけてくる。最初はただ可愛らしいと思い、撫でてやったり、食事を用意してやったりしていたが、どうもこの子の求めているものは違うらしい。
そう思ったミリアナは、エレナを寝かしつけた後、『アズラエル』を呼んでみた。すると、部屋の隅で控えていたのか、すぐに目の前に現れる。
「にゃあ!」
「……ねえ、あなた。もしかして、人の言葉がわかるの?」
周りに誰もいないことを確認したうえで、ミリアナは尋ねた。正気を疑われそうな真似だったが、案の定、その子猫は激しく頷きを繰り返す。
「……そう、でも話せないのよね。じゃあ、筆談……は無理としても、そうね……文字の書かれた物でも指差しながらなら、どうかしら?」
またも『アズラエル』が激しく同意して見せたので、ミリアナは早速文字を書いた紙を彼の正面に置いた。
「にゃーん」
始めるぞと言わんばかりに一声鳴くと、黒い子猫は紙の上を歩きながら、ひとつひとつ丁寧に文字を指し示していく。そして、出来上がった言葉は──
「ぼ・く・は・ア・ズ・ラ・ル……って、まさか《影法師》の分身体?」
ミリアナの顔が希望に輝いた。だが、その後に続く文字を介しての会話により、彼女の表情は徐々に落胆の色を濃くしていく。
「まさか、そんなことになっているなんてね。でも、そう……。エリザたちがね。彼女のことだから、アルフレッドに無理を言ったのでしょうけど、……ふふ、困った子ね」
そんなことを言いながらも、ミリアナの声には笑いが含まれている。わずか一日とはいえ、かつて教導した少女のことを誇らしく思っているような響きさえあった。
〈君の娘は?〉
「無事よ。今ごろ、ネザクと一緒に国内の街を巡っている頃でしょうね。何が目的かはわからないけど、彼らはネザクの『知名度』をあげることに、躍起になっているようね」
〈いいのかい?〉
「……ええ。あの子たちにはあの子たちなりに、考えがあるみたいだし……」
ミリアナは、かつてこの部屋で娘二人と話をしたときのことを思い出す。
──その日は、ネザクもエレナも訪れない、完全に親子水入らずの日だった。ミリアナはそこで、彼女たちに以前から聞いてみたかったことを問いただした。
「あなたたち、本気であの子の味方をするつもりなの?」
「ええ、本気よ」
「うん、本気だ」
髪の分け目が左右に異なる以外、見分けのつきにくい二人の姉妹。迷いなく断言した声までもが、そっくり同じだった。
「……まさか、本当にリラさんが言うとおり、あの子の魅力に籠絡されたってわけじゃないんでしょう?」
ミリアナも二人の母親だ。それぐらいは見ればわかる。案の定、二人の少女は笑って答えた。
「ふふふ、母様もあの子に魅力があることは認めているのね」
「まあ、あの子が可愛いことは確かだ。でも、味方をする理由はそれだけじゃない」
「じゃあ、なぜ?」
重ねての問いに、二人は顔を見合わせる。そして、口を開いたのはイリナだった。
「母様は、この国の現状をどう思いますか? 月影の一族が支配階級として君臨し、エルフや獣人族を虐げ、追随する人間たちの中には盲目的な狂信者まで存在するような、この国の現状を」
「…………」
ミリアナは答えない。今の言葉は、誰かに聞かれれば大変な問題になるものだ。もちろん、それがわからないイリナではないだろうが、ミリアナの立場では軽々しく反応できる言葉ではなかった。
母の反応を見て口を閉ざしたイリナに代わり、キリナが言葉を続ける。
「わたしは嫌だ。一族が権威を保つために国内に流布している排他的な思想も、その尻馬に乗って利益を貪る一部の人間たちも、みんな嫌いだ」
「………」
それはミリアナも常々思っていたことだ。だが、だからどうだと言うのか? 支配階級が安定した力を維持することは、国の繁栄にはどうしても必要なことだ。
「そんなものは、繁栄とは呼べませんわ。お母様」
「そういうのは、堕落と呼ぶのだと思う。お母様」
二人の少女の言葉は過激だ。自分には、とてもそこまで思うことはできない。国を護るため、自分のできることをするだけだ。だが、彼女たちが続けた言葉は、さらに過激だった。
「この国の現状を正すには、一度壊してしまうべきなんです。この狂った体制を」
「たとえそれで、わたしたちの地位が失われることになっても構わない」
「……あなたたち」
思わず絶句しかけたミリアナだが、ひとつだけ、どうしても確認するべきことがあった。
「でも、どうしてネザクなの?」
そんなミリアナの問いに、双子の姉妹は異口同音に答える。
「あの子の力は、『月影の一族』の存在をまるで無意味にしてしまうから」
──娘たちとのそんなやり取りについてミリアナが語り終えると、黙って聞いていたアズラルは、ため息を吐くような仕草を見せた。
〈……君にそっくりなお子さんだね〉
文字で指し示されたアズラルの言葉に、ミリアナは首を振る。
「まさか。わたしは自分のことを保守的な人間だと思ってるわ。あんな過激な真似、やりたくてもできないわよ」
そう言うと、アズラルは肩を震わせ、猫の声で笑うという器用な真似をした。
「にゃにゃにゃ!」
そして、文字を指し示す。
〈どの口が言うかな? 君はかつて、目前に迫った戦争の勝利を放り出してまで、敵国の人間と協力して邪竜と戦ったじゃないか。この国に、君ほど過激な人間はいないさ〉
「…………」
そう言われては、口をつぐむしかないミリアナだった。
次回「第45話 英雄少女と禁月日(上)」




