第42話 英雄少女と銀牙の獣王(下)
「だそうだが、どうするアルフレッド?」
──丸投げだった。
イデオンはすでに、この少女に対して何かを説得するのは無理だという結論に達したらしい。
「はあ……。エリザ。彼との訓練ができれば、『修羅の演武場』は諦めてくれるね?」
「うん! もっちろん!」
嬉しそうにはしゃぐエリザ。彼女にそんな考えがあったはずもないが、こうなると最初からこれを狙っていたのではないかと、疑いたくなる喜びようだった。
「それじゃ、すみませんがイデオン。お願いします」
「ああ。まあ確かに俺も、息子が惚れた女がどれほどのもんだか、確かめてやりたいとは思ってたんだ。ちょうどいい」
「な! なにを馬鹿なこと言ってんだよ、親父! そんなんじゃないって!」
慌てて否定の言葉を叫ぶエドガーは、あらためて弁解するべく周囲に目を向ける。
「何を焦っているんですの? あなた、日ごろから公言していたじゃありませんの。エリザを嫁にするとかなんとか」
リリアがさも当然とばかりに言えば、エリザはきょとんと目を丸くする。
「え? あれって冗談なんでしょ?」
「ふふふ。エリザさんってば、罪作りな女の子だったのね。今までエドガーくんの気持ちを冗談だと思ってたの?」
ルヴィナもまた、まったく動じた様子もないまま、エリザにからかいの言葉をかけている。
「ま、まずい……まずいぞ。うう、ルヴィナ先輩にまで……」
エドガーは、がっくりと肩を落とす。エリザへの憧れの気持ちはあるにしても、身近なところで気になる女性と言えば、エドガーの中では現在、ルヴィナが筆頭に挙げられるのだ。ただし、あくまで『筆頭』というところが、彼の気の多さを表していたりもする。
「と、とにかく! 勝負してくれるんでしょ? おっさん」
エリザは、妙な方向に流れかけた場の雰囲気を元に戻すべく、話を元に戻す。
「おっさんじゃねえ。イデオンさんと呼べ。まったく、威勢のいいところは俺の嫁にも似てなくはないが、とんだお転婆だな。この先エドガーも苦労しそうだぜ」
「じゃあ、イデオンさん。いいからやろうよ」
エリザは急かすように言うが、そこにアルフレッドが待ったをかけた。
「今は君も訓練を終えたばかりだろう? ここは日を改めよう。イデオンの帰国もまだ数日先だしね」
「えー? そんなのないよ」
「ごねるなら、この話はなしだ」
「あ、うそうそ! わかりました! 日を改める!」
ぴしゃりと告げてくるアルフレッドに、縋りつくような目を向けるエリザ。そんな彼女の様子に一同から笑いが起こった。
──その日の夜。
寮の部屋に戻ったリリアとエリザは、各々の寝台の上で思い思いにくつろいだ時間を過ごしていた。だが、同室になって既に数か月。リリアには、エリザの様子がいつもと違うことが分かった。というか、そわそわとこちらを気にしつつ、何かを言いかけて口を閉ざす。そんな仕草を繰り返されれば、誰でもわかろうというものだ。
「どうしましたの? 言いたいことがあるなら、はっきり言ってくださいな」
リリアは彼女にしては珍しく、優しげに声をかける。彼女には、エリザの用件がわかっていたためだ。
「う、うん……。そ、その……昼間の話なんだけどさ。エドガーがあたしのことを好きだって話、本当なのかな?」
「何を今さら言っていますの。あれだけ何度も熱烈にアプローチされておきながら」
「だ、だって、あんなの冗談にしか見えなかったんだもん……」
わずかに頬を赤らめ、うつむきながらつぶやくエリザ。
「……なにかしら。なんだか可愛いですわね、このエリザ」
思わずそんな言葉を口するリリア。
「何か言った?」
「いいえ。何でもありませんわ。それで、どうなんですの? あなたはエドガー先輩のことをどう思ってますの?」
「え? あ、い、いや、最近じゃ中々いい面構えになって来たかなって思うけど、別にそういうのじゃないから……」
はっきりしない言葉だが、恋愛対象に見たことはないという意味だろう。だが、逆に言えば、一見して恋愛に興味がなさそうに見えるこの少女にも、『そういうの』があるかもしれないと思わせる言葉だった。
「で、でも、どうしよう。好きとか言われても、あたし、どうしたらいいかわかんないよ」
困ったように眉根を寄せるエリザ。リリアはそれを見て、そろそろ助け舟を出してあげることにした。
「心配しなくても、今の彼には別に意中の女性がいるみたいですわよ」
リリアは、イデオンの言葉をエドガーが否定したその時、彼がルヴィナに探るような視線を送っていたのを目ざとく見つけていた。もっとも彼の場合、エリザの方も依然として『意中』の一人ではあるようだ。とはいえ、この場では一応、そう言っておいてやる方がエリザの気も楽になるだろう。
「え? そ、そうなの? そっか。よかったあ……」
「その台詞、彼が聞いたら傷つきそうですわね」
「あ、良かったって言っても、そういう意味じゃないよ」
しどろもどろに言うエリザ。リリアとしては、ここはひとつ、確かめてみたいことがあった。
「まあ、彼があなたの好みのタイプじゃないとして、それではあなたは、どんな人が好みなのかしらね?」
「え? ええ!? いきなり何を聞いてるんだよ」
「いいじゃない。ここはひとつ、アズラル様の言う『ガールズトーク』してみない?」
口調を崩して笑うリリア。
「こ、好みのタイプって言われても……そんなのわかんないよ」
乗ってきた。こういうところは人の好いエリザだった。
「うーん、そうねえ。それじゃ最近会った男の人の中で、かっこいいと思った人っているかしら?」
「え? うん、いるけど」
「本当ですの!?」
途端、エリザの手を包み込むように両手で握り、目を輝かせるリリア。つい先程まで別の寝台にいたはずなのに、今の彼女はエリザの寝台に膝を乗せ、押し倒さんばかりの体勢となっている。
「ちょ、ちょっと怖いよ……」
「誰ですの、誰ですの?」
「え、い、いやその、クレセントで会った奴なんだけど……」
エリザはリリアの勢いに圧されつつ、ネザクとの出会いについて語っていく。
「魔王と同じ名前というのは何とも言えませんけど……」
その少年は、シュリのことを『大切な仲間』だと言ったらしい。それを思えば、彼こそが魔王本人であるという結論も導かれそうなものだが、エリザの話に登場する少年は、『魔王』という言葉から連想されるイメージからは大きくかけ離れている。
加えて、人物に対する鋭い観察眼を持つエリザが何も感じていない以上、少なくともその少年が邪悪な『魔王』であるはずがない。リリアはそう判断した。
「まさか、そんなロマンティックな出会いがあったなんて、驚きましたわ」
「べ、別にロマンティックってわけじゃ……。そ、それに言っただろ? かっこいいっていうのは、人のために命を張れる奴だったからそう思っただけで……」
「で? 見た目はどうでしたの? ネザクくん、でしたかしら? その子はどんな少年でしたの?」
「み、見た目? ……うーん、なんというか、女の子みたいだったよ」
「お、女の子?」
「いや、まあ身体つきからすれば男なんだろうけど、顔立ちがすごく整ってて、あたしも一瞬、女の子と間違えたくらいなんだ」
「つまり、美男子ですのね?」
「え? ま、まあ、そうとも言えるかな?」
リリアの目の輝きがますます増していく中、エリザは圧倒されたようにしどろもどろな言葉を返す。
「うっふっふ。そうですの。わたくしの読む小説を散々馬鹿にしておきながら、自分だって美形が好みなんじゃありませんの」
「だ、だから違うってば!」
顔を真っ赤にして声を荒げるエリザ。
「じゃあ、あなた。その子のことをどう思っていますの?」
「ど、どうって……そりゃ、まあ……夢を誓い合った仲だし、なんていうか、健気で真っ直ぐな感じがして、話してて楽しい相手ではあったけど……でも、だからって……って、あれ? リリア、どうしたの?」
「……あ、いえ、なんでもありませんわ」
リリアは驚きに目を丸くしていた。恋愛と言うほど、はっきりした感情はない。けれど、どう見ても、その萌芽に近い感情がエリザの言葉の端々に感じられるような気がする。
「ここは焦らず構えるべきですわね」
「ん? なに?」
「いいえ。それよりエリザ。あなた、その子の居場所とか知っていますの?」
「え? いやそれが、あの町に住んでるのは間違いないみたいだけど、よくわかんない」
「そうですの。でも、旅人でなくてよかったわ。再会の可能性はあるわけだし」
楽しそうに笑うリリアに、エリザは恨めしげな視線を向ける。
「リリアばっかり楽しそうで、ずるい……」
「え?」
「『ガールズトーク』なんでしょ? だったらリリアのことも話してよ」
エリザがそう言って詰め寄ると、またしてもリリアは一瞬で自分の寝台の上に移動していた。
「夜更かしはお肌の敵ですわよ? そろそろ寝ましょう」
「あー! この卑怯者!」
「ちょ、ちょっとこら、きゃ! 寝ているところに飛び乗らないでくださいな!」
バタバタと騒がしく過ぎていく夜だった。
──そして翌日。
カリキュラムの合間を縫って調整された時間に、特殊クラスの一同はグラウンドへと集合していた。同じくその場には、アルフレッドとイデオン、そしてアリアノートも顔を出している。
「わたしも後で、ルーファスと手合わせでもしてあげようかな」
そんな風に言いながら、興味津々にエリザとイデオン、二人が向かい合う様子を見つめるアリアノート。
「万が一にもエリザが大怪我でも負うようなことになったら、治療を頼むよ。俺より君の方が白霊術の治癒魔法は得意だろ?」
「ああ、そうだな。任せておけ」
「俺って随分、信用ないんだな……」
旧友二人の会話にため息を吐くイデオン。彼の目の前には、元気いっぱいに準備運動を続けるエリザがいる。恐らく自分と戦うにあたって考えてきたのだろう星具を身に着けていた。
「妙な装備だな?」
エリザは、先の尖った短い棒のようなものを何本か持っている。それぞれの棒には、きらきらと光る半透明の長い布が取り付けられている。
「あれ? イデオンさんって、コレ知らないんだ?」
「なんか癪に障る言い方だな。まあ、いいか。どんな小細工も圧倒的な強さの前には無意味だってことを、俺は今まで数多くの奴に教えてきた。お前にも、それをわからせてやるよ」
「おお! それは楽しみ!」
皮肉でもなんでもなく、本当に楽しみにしているらしい少女を見て、イデオンの口元に笑みが浮かぶ。少女のこういう性格が、イデオンからすれば非常に好感が持てるところだった。
「よし、じゃあ、準備が良ければ始めるよ」
「うん」
「いいぜ」
アルフレッドの言葉に、二人は同時に頷く。
「では……始め!」
「発動……《剛鱗蛇王の鎧》」
始まった瞬間、イデオンは己の持つ最強の防御魔法を発動させる。才気煥発な少女ではあるが、彼女を長生きさせたいなら、一度は絶対的な力の差というものを思い知らせる必要がある。イデオンはそう考えた。
が、しかし──
「よし、作戦通り!」
「なに?」
イデオンの皮膚を覆うように出現した蛇の鱗の輝きを見て、何故かエリザは快哉を叫ぶ。次の瞬間、エリザは跳躍し、イデオンの頭上を跳び越える。初撃を受ける気でいたイデオンは、その動きに反応できない。
ふわりと自分の周囲を覆う半透明の布。光を浴びて輝くそれは、どこかで見たことがあるような気がした。見ればいつの間にか、先ほどまでエリザが立っていた地点から左右に離れた場所の地面に、短い棒が一本ずつ突き刺さっている。
その棒から伸びる布は同じくイデオンの周囲に存在しており、振り向いた先にいるエリザが持つ棒へも繋がっている。
「まさか、これは……!」
「喰らえ! レヴィアタン殺しの繊維剣!」
かつて百数十年前の『禁月日』に顕現し、世界を脅かした獄界第四階位の剛鱗蛇王レヴィアタン。何物にも貫けない固い鱗を持った蛇王を倒したのは、機織りの乙女が恋人のために織り上げた繊維の剣。細かい鱗の隙間に入り込み、引きはがし、切り刻む武器だ。
エリザはイデオンが最初に《剛鱗蛇王の鎧》を使うことを見越して、あらかじめこの武器を具現化したのだろう。即席でイメージするには、さすがの彼女にも難しすぎる武器だった。
「ぐああ!」
魔法の隙間まで入り込んでくるのは、これが星具だからだろうか。イデオンは最初から思わぬ一撃を受けてしまった。すかさず、ずたずたに裂かれた皮膚や肉を、魔闘術で癒そうとする。
だが、エリザの動きは早かった。一瞬で具現化した弓に矢をつがえ、矢継ぎ早に放ってきたのだ。
「くそ!」
苛立ちの声を上げながら、すさまじい速度で飛来する矢を回避し、よけきれないものは叩き落とす。
「一発一発が、大した威力だ!」
「へへん! まだまだ!」
今度は巨大な刃の付いたブーメランが出現する。エリザの力で投じられたそれを生身で受ければ、さすがにイデオンと言えどダメージは免れえない。回復の暇はない。ひたすら防御魔法に集中する必要があった。
「こ、の! 遠くからチクチクといやらしい攻撃をしやがって!」
ブーメランを弾きながら、悪態をつくイデオン。
「ああ、やっぱり、頭に血が上ってきたね」
アルフレッドが不安そうに言う隣で、アリアノートは感心したように頷いている。
「だが、あれは賢い戦い方だ。イデオンに接近して勝利するのは不可能だ。かつてはわたしも、戦場ではあいつをああやって遠距離から叩いてやったものだ」
「……エリザの場合、それで終わりにはしないだろうけどね」
アルフレッドが意味深に呟いた直後、イデオンが動いた。
「ぐおおお! 俺に遠距離攻撃がないとでも思ったか! 発動《紅蓮烈火の咆哮》」
「うわ、馬鹿親父! あんなの喰らったらエリザが死ぬ!」
叫ぶエドガー。イデオンの正面に凄まじい量の火炎が集束、圧縮されていき、それはそのまま彼の咆哮にまとわりついてエリザへと殺到する。
「来た来た!」
エリザはこれも読んでいたらしい。恐らくは、事前にイデオンの戦い方を誰かに聞いたのだろう。致命攻撃も同然のこの一撃を、難なく回避する。大きく横へ移動して、直後、何かを引っ張るような動きをしたかと思うと、あり得ない角度と速度で急激に方向転換を行い、予想もつかない方向からイデオンに迫る。
「布と地面に刺した棒を使っての方向転換なんて、よく考えたわね」
さすがのルヴィナも、エリザの発想力には感心するばかりだった。
「喰らえ、水平竜巻斬!」
身体を独楽のように一回転させ、手にした半月刀の威力を上げた一撃。ネーミングこそエリザのセンスが現れてしまっているが、これ以上ない角度で放たれた一撃は、よけようのないタイミングでイデオンに迫る。
「ぐがう!」
「ほえ? う、うそ!?」
エリザの渾身の一撃は、銀に輝く獣の牙によってくい止められていた。がっちりと口で刃をくわえた彼の身体は、完全に獣化している。イデオンの本気モードとでも言うべき姿だ。
唖然とするエリザの脇腹に、拳の一撃を叩き込むイデオン。エリザはそれを身を捻って回避するが、掠めただけでも凄まじい衝撃が身体を駆け抜け、思わず息が詰まる。エリザは、続けざまに放たれた蹴りを飛びさがって回避したものの、イデオンは獣じみた動きで少女の動きに喰らいつき、肩を掴んで押し倒す。
「そこまで! 勝負あり!」
「くっそう! 負けちゃったよ!」
心底、悔しそうに叫ぶエリザ。イデオンは獣化を解いて立ち上がりながら、信じられない思いで少女を見下ろしていた。
「……言葉もないな」
イデオンは、自分の『脇腹』を押さえ、治癒の魔法を施しながら立ち上がる。押し倒した瞬間、エリザは膝の部分に鋭い突起物の付いた膝あてを出現させ、それでイデオンの脇腹を突いていた。硬質化させた外皮のおかげで表面的な傷こそ負わなかったものの、一点集中型の打撃となった膝蹴りは、彼の肋骨を損傷させていた。
最初から全力だったわけではないにしろ、この自分が危ういところまで追い込まれたのだ。この少女が『星心克月』などを会得したら、いったいどうなるのか、想像もつかない。
「こりゃ、アルフレッドやアズラルが入れ込むわけだ」
倒れた少女に治癒魔法をかけつつ、立ちあがるのに手を貸しながら、イデオンは感心したように呟いた。
次回「第43話 少年魔王と双子の姉妹(上)」




