第41話 英雄少女と銀牙の獣王(上)
邪竜戦争が勃発したのは、エドガー・バーミリオンが五歳の時だった。当時でも彼の父、イデオンは銀狼族の優れた戦士として高い地位にあったが、国王ではなかった。そもそも獣人国家バーミリオンには、その当時、『国王』という存在自体がなく、複数の部族長による合議制の政治形態により運営されていた。
数多の戦場で並外れた活躍を続け、最後には戦争の元凶たる邪竜を滅ぼしたイデオンが国民の声を受けて王位についたのは、エドガーが六歳の時だ。
国王が英雄になったのではなく、英雄が国王となったのだ。
それ以来、エドガーは『英雄王の息子』だった。だが、その肩書きに相応しい強さなど、自分にはない。だから彼は、英雄養成学院に入学し、『英雄王の息子』を演じ続けた。皆に期待される強さがないことを知られぬよう、周囲に力を誇示し、時には尊大に振る舞った。
「でも、それは違ったんだよな。俺はエリザに、それを思い知らされた。俺より年下なのに、女なのに……血筋も身分も関係なく、あいつは、他の誰よりも『英雄』で、他の誰でもない『英雄』だった」
クレセントの城下町を脱出する際のことを思い返し、エドガーは軽く息を吐いた。
この日、エドガーはイデオンが滞在する学院の一室を訪れていた。親子である以上、珍しくもないことのようだが、実はそうでもない。彼がこの部屋に訪れること自体、二週間以上が経過した今となって初めてのことだった。
「……なるほどな。お前が変わったのは、あの威勢のいいお嬢ちゃんのおかげなのか」
椅子に腰かけたまま、納得したように頷くイデオン。『ガキども』から『お嬢ちゃん』に呼称が変わっているのは、彼なりにエリザの実力を認めてのことだろう。
「いや、まあ、ちょっと刺激を受けたくらいだよ」
「惚れたのか?」
「へ? いやいや……って。えええ!?」
驚愕の声を上げるエドガー。
「何を驚いている?」
「い、いや、その……」
「あの娘なら、腕も立つし、気構えも大したもんだ。お前にはお似合いだと思うけどな。義理の娘に是非、欲しいくらいだ」
エリザたちの帰国後、この日までイデオンは、何度か退屈しのぎと称して特殊クラスの面々と訓練を行っていた。とはいえ、戦いとなると熱が入りすぎるイデオンの性格的な面を心配したアルフレッドが本格的な組手を禁止したため、訓練と言っても軽い遊び程度のものだ。
それでもイデオンは、エリザの持つ潜在能力を高く買っていた。
「そりゃ、無理だよ。あいつと今の俺とじゃ、全然釣り合いが取れない。もちろん俺が『足りない』って意味だけどさ」
「……強くなりたいんじゃねえのかよ? 最初から諦めちまえば、強くはなれない。だからお前は今日、ここに来たんだろ?」
「……何でもお見通しってわけか」
「ふん。お前は俺に似て、単純だからな」
イデオンは太い腕を伸ばし、相向かいに座るエドガーの頭を乱暴に撫でる。
「いてて! 馬鹿力で触るなって!」
銀の髪をボサボサにされながら、エドガーは抗議の声を上げる。そんなエドガーを見て、イデオンは満足そうに頷きを繰り返した。
「後であのお嬢ちゃんには、礼を言わなくちゃな」
「そ、それより、俺は、どうしたら強くなれる? 同じ銀狼族の魔闘術師としての見解でもいいから、何かあるなら教えてくれよ」
照れ隠しのようにまくしたてるエドガーに、イデオンは首を振る。
「一朝一夕に、楽して強くなる方法なんかねえよ」
「なんだよ、それ……」
がっくりと肩を落とすエドガー。だが、イデオンはそのまま言葉を続けた。
「だが、強いて言うならひとつだけだな。……魔闘術の強さは、元となる肉体の強度や生まれつきの魔力の量に左右される──とか、お前は思ってるだろ? でも、それだけじゃない」
「え?」
「魔闘術に限らず、あらゆる術は『想いの強さ』が力の源だ。まあ、『想いの強さ』って言ったって、根性論の話じゃない。極限状態まで自分を追い込んで、初めて得られる『ナニカ』だよ」
「ナニカってなんだよ?」
「ん? いや、俺には難しい話は分からん。確かアズラルの奴は、月を凌駕する星──『星心克月』を心に宿すんだとか言ってたな。とにかく、要はその境地にさえ至れば、術の力は飛躍的に上昇するってわけだ」
「なんだよ、それ……。知らなかった。先生は教えてくれなかったし……」
「ま、自分を追い込むなんて真似、当然危険は伴うし、アルフレッドは教えたがらない話だろうな」
イデオンは笑う。完全に、この後の展開を考えていない笑い方だった。
「で、どうすればいいんだ?」
「やり方は色々だ。要は自分を追い込めればいいんだからな。ちなみに俺の場合は、『修羅の演武場』で三日三晩ぶっ通しで戦い続けた」
「修羅の演武場!? バーミリオンでも立ち入り禁止指定されてる、やばい遺跡じゃないか!」
他では確認できないような強力な月獣や未知なる魔法生物が大量・無限に発生し、常に争いを続けているとされる闘技場の形をした古代遺跡。周囲には結界が張ってあり、中の化け物が出てくることはないが、中に入れば血に飢えた連中が一斉に牙をむく。
財宝の存在が確認されているわけでもない。わざわざそこに入りたがる人間など、皆無な場所だ。
「初日で何度か死にかけた。二日目で駄目だと思った。三日目に辿り着けたのは奇跡で、そこから先は地獄だったな」
「な、なんでそんな……馬鹿な真似を?」
「ん? ああ、実はな。当時の銀狼族の族長には、それはそれは綺麗な娘がいてな。要するに俺は、その娘に惚れたんだ。で、攫って、口説いて、拝み倒して、どうにか妻になってもらった。そしたら部族の連中が大人げなくも激怒しやがってさ。三日三晩、あそこで生き残れたら娘との結婚を認めてやると来たもんだ。事実上の処刑みたいなもんだったな」
懐かしい時代を思い出したかのように、楽しげな笑みで語るイデオン。一方のエドガーは開いた口が塞がらない。
「族長の娘って……まさか母さんのことか?」
「ああ、もちろんだ。俺としては事実上の処刑だろうが何だろうが、惚れた女と生まれてくる息子のためにも、あんなところで死ぬわけにはいかなかった。多分、その『想い』が俺にとっての『星心克月』なんだろうな」
父親の強さの秘密。ようやくそれを知ることができたエドガーだったが、思いは複雑だった。一朝一夕に『楽に』強くなる方法はない。つまり、命がけでさえあれば、一朝一夕で強くなる手段がないわけではなく、むしろその手段でなければ到達できない領域がある。
だとするならば、彼は……
「もうすぐ、親父は国に帰るんだよな?」
「む? ああ、流石に国を空け過ぎると部下どもがうるさいからな」
何と言っても彼は国王だ。一応国内のことは信頼のおける部下に任せてはいるが、国を離れてから既にひと月以上が経過しているのだ。そろそろ潮時だと言えた。
「だったら、俺も連れて行ってくれ。学院には休学届けを出す」
「何を言ってやがる。たった今、強くなりたいとか言ったばかりじゃねえか。学校休んでどうすんだよ」
「だからだよ。それに休学って言ったって、ここから走れば遺跡までは何日もかからないだろ? そこで三日三晩かけたところで……」
「ちょっと待て! まさか、お前……」
イデオンは血相を変えて息子の言葉を遮ろうとした。だが、エドガーの決意に満ちた声は続く。
「親父が悪いんだぜ? そんなことを教えられたら、やらないわけにはいかないじゃないか」
「馬鹿を言うな。俺だってあんな場所、好きで入ったわけじゃない。どう考えても危険すぎる!」
「……後先考えないのは親父もおんなじだな。まさか、俺がこうするだろうことがわからないまま、今の話を教えてくれたのか?」
「うぐ……!」
アルフレッドが『星心克月』についてエリザ達に教えなかった理由を、イデオンは深く考えていなかった。
「と、とにかく駄目なものは駄目だ」
「止めても無駄だよ。俺はエリザと肩を並べたい。先輩にも認められる英雄になりたい。でも、今の俺には力が足りない。想いが足りない。今の話はそれにうってつけなんだ。どんなに危険だろうが退くつもりはないぜ」
父と子の視線がぶつかり合い、火花を散らす。だが、最初に折れたのはイデオンだった。ただし、ただ折れたわけではない。テーブルを勢いよく叩き、椅子を蹴って立ち上がりながら叫ぶ。
「ああ、わかったわかった! なら、こうしよう。これから俺が稽古をつけて、お前にあの遺跡へ挑戦する資格があるか、実力を確かめてやる。本格的な組手だ。アルフレッドはごちゃごちゃ言うだろうが、お前は俺の息子だ。文句は言わせねえ。準備ができたら表に出ろ!」
「よっし! そうこなくっちゃ! さすが親父だぜ!」
声を弾ませ、勢いよく立ちあがるエドガー。
血の気の多い銀狼族の親子。どこまでも血は争えない二人だった。
──イデオンの帰国の日が決まり、エドガーがそれに同行することが明らかになった時のこと。
「……いや、俺が悪いんじゃねえって。このバカ息子がべらべらと余計なことをしゃべるのが悪いんだ」
アルフレッドによる特殊クラスの実技訓練に顔を出したイデオンは、何故かしどろもどろに弁解の言葉を口にしている。
「そもそもエドガーに話したこと自体が間違いだと言っているんです。『修羅の演武場』に三日三晩挑む? 馬鹿ですか、あなたは! そんなもの、自殺行為を通り越してただの自殺でしょうが!」
「いや、まあ、俺だって何とか生き残れたんだしな。慎重にやれば、どうにかなるだろ。俺は息子が決意したことを邪魔するつもりはない」
「……で? こっちはどうするんです?」
アルフレッドは頭を抱えんばかりの表情で、とある方向を指差した。
「ああ! 楽しみだなあ! 三日三晩の壮絶バトルなんて、燃えるぜ! あたし、わくわくしてきちゃった!」
少女特有の甲高く響く声は、身体に装備する星具を具現化させては具合を確かめ、素振りをするように身体を動かし続けるエリザのものだ。
「い、いや、どうするもなにも……なんであの嬢ちゃん、あんなにやる気なんだ?」
さすがのイデオンも呆然とした顔をしている。決意を固めたはずのエドガーでさえ、緊張した面持ちを隠せないというのに、本来関係のないはずの少女の方が気力十分とばかりに嬉々としているのだ。彼女と知り合って日の浅いイデオンには、何が起こっているのか、わかりかねていた。
「エリザ、本気ですの? 三日三晩ということは、食事もとらずに戦い続けるのですわよ? あなたの食欲からして無理な気がしますけど……」
「うう!」
リリアの見当違いな心配を受けて、はじめてエリザの動きが止まる。
「そ、それはそうだけど……。でも、携帯食でも持ってけば、戦いながらでも何とかなるよ!」
戦いながらでも食べることを諦めるつもりはないようだった。そんな彼女の能天気さに、一同は呆れたように肩を落とす。
「と、とにかく、イデオン。ここはあなたが責任を持って彼女を説得してください。いいですね?」
「あ、あれを説得すんのか? 俺が?」
「はい」
「わ、わかったよ。やりゃあいいんだろ!」
イデオンですら、エリザの勢いには少々気圧されるところがあるらしい。
「な、なあ、エリザ。今回はエドガーを連れていくことにしてるんだ。だからお前まではちょっと……」
「ん? ああ、気にしなくていいよ。あたしはあたしで勝手に行くから。そこで三日三晩戦えば、うんと強くなれるんだろ? それなら行かない手はないよね!」
満面の笑みで答えるエリザに、イデオンはたちまち沈黙させられる。
「……確かに、危険はあるにしても、短期間で飛躍的に強くなれるというのは魅力的な話だな」
ぽつりとそう呟いたのは、それまで黙って話を聞いていたルーファスだった。
「でしょでしょ? ルーファスもそう思うよね?」
ここぞとばかりに声を張り上げるエリザ。
「く! 余計なことを……。かえってやる気になっちまったじゃねえか」
ぎろりとルーファスをにらむイデオンだが、ルーファスは何のことだかわからないと言った顔で首を傾げた。
「……エリザって、ルーファス先輩の性質の悪さを味方につけちゃってるわよね」
ある意味、感心してしまうルヴィナだった。
「ねえ、ルヴィナ先輩はどうなのさ? 強くなれるんだよ? 行ってみたくない?」
賛同する仲間を増やすつもりのエリザ。幼稚な戦略だが、イデオンはますます困惑気味の顔をしている。恐らく彼にはエリザを説得することなどできないだろう。ルヴィナは軽く嘆息し、自分の果たすべき役割に取り掛かることにした。
「その前に……『修羅の演武場』のことですけど、もう少し詳しく話していただけませんか?」
エリザの言葉はとりあえず横に置き、イデオンに尋ねるルヴィナ。
「え? い、いや、だが……」
ちらりとエリザに目を向けるイデオン。
「大丈夫。悪いようにはしません。お聞きしたいのは、そこではどんな戦い方をする必要があるのか、についてです」
「うーん、そうだな。とにかく狭い闘技場で四方八方、上空からも地中からも敵が攻撃してくるからな。回避なんかできない。全身くまなく強化しての防御は不可欠だし、一瞬だって気は抜けない。敵は無限に湧いてくるから、倒すためというより、敵の攻撃の密度を減らすために、とりあえず目の前の奴を薙ぎ払っておかなきゃならない。……とまあ、こんなところか?」
イデオンが思いつくままに語る言葉に、アルフレッドは呆れたように息をついた。そんな場所に息子を送り込もうとは、イデオンの正気を疑いたくなる。
「エリザ、わかった?」
ルヴィナは確認するようにエリザに声をかける。
「うん。面白そうだよね」
「…………」
その一言を聞いて、脱力感に襲われるルヴィナではあったが、どうにか気を取り直して言葉を続ける。
「そうじゃなくて。要するに『修羅の演武場』での訓練は、魔闘術師にしかできないってことよ。あなたの星喚術だって、全身くまなく防御しながら敵と戦い続けるのは難しいでしょう?」
「うーん。さすがに全身甲冑って訳にはいかないかなあ……。それでも完璧とは言い難いし……」
「よし、いいぞ」
「なんとかなりそうね」
初めて悩む様子を見せたエリザに、一安心するイデオンとルヴィナ。だがそこへ──
「要は敵の攻撃を防げればいいのだろう? だったら、その方向性を……むぐ!」
「少しは空気を読みなさい。まとまりかけた話を壊すつもりですの?」
アドバイスめいた言葉を口にしかけたルーファスの口を、リリアが塞ぐ。
「リリアさん。ファインプレーよ。一歩間違えれば変態の餌食になりかねないのに……その身を賭して防いでくれて、ありがとう」
感心したように言うルヴィナの前で、口を押さえるリリアと抵抗するルーファスがもつれ合って倒れる。電撃の音が響いた気がするが、ルヴィナはその先を見ないようにしつつ、あらためてエリザを見た。
「うーん……わかった。今回は諦めるよ。でもその代り……」
エリザは赤銅色の瞳を輝かせ、イデオンの顔をまっすぐに見上げている。
「一度あたしと勝負してよ!」
こればかりは断れそうにないお願いを、元気よく口にした。
次回「第42話 英雄少女と銀牙の獣王(下)」




