第34話 少年魔王と月影の巫女(下)
実のところ、捕虜とした月影の巫女を離宮に軟禁するようになるまでの間、クレセント城内は大荒れに荒れていた。かつて占領したリールベルタのテルエナンザ城とは規模が違う城だ。そもそも城壁内には多くの貴族たち(ほとんどが月影一族だ)が居を構え、一種の町が形成されている。
ネザクたちは城を占領する際、当然のことながらそれらの貴族の屋敷を無視し、一直線に本丸へと乗り込んだ。すでに抵抗する気を失った国王バルドルを捕縛し、魔王による支配を宣言させても、そうした城内の貴族たちが簡単に納得するはずもない。
それこそ最初の一週間は厳戒態勢もいいところであり、ルカやリラが城内を歩くときは、必ずリゼルかカグヤが護衛代わりに付き添っていたほどだ。既に彼女らは『魔王一味』と目されている。人質になど取られてはかなわなかった。
一方、エリックを初めとする騎士たちはと言えば、これまたシュリが使役するオンテルギウスと行動を共にすることで、身の安全を図っていた。
「性懲りもなく、次から次へと小賢しい真似しやがって」
その日の夜、エリックは寝室のまわりに嫌な気配を感じて目を覚ましていた。恐らくは貴族たちが派遣してきた刺客の類だろう。四体のオンテルギウスを四人の部下に預けているため、エリック自身には護衛はない。
それでも彼とて腕には覚えがある。簡単に負けてやるつもりはなかった。
「こうなると、ネザクが月召術師団の『魔』の召喚を禁じてくれているのが有難いな」
寝台の脇に置いてある剣を手に取り、慎重に外の様子をうかがう。相手が『魔』では勝ち目がないが、月召術師たちは皆、ネザクに『魔』を乗っ取られることを恐れている。
実際、占領初日に彼をその手で不意打ちにしようとした術師が数人、自らが召喚した『魔』に殺されているのだ。それ以来、この城で『魔』を召喚する術師はいない。
部屋の外の気配は三人、いや四人はいるだろうか? いずれにしても中で待っていては、逃げ場もなく、危険だった。
「よし、行くか」
エリックは覚悟を決めて扉を少し開け、剣先だけをその隙間から突き出した。
「発動、《剣の閃光》」
抜き放った剣に白霊術を乗せ、目くらましの閃光を放つ。エリックはそのまま半開きの扉を蹴り開け、閃光に目をくらませた刺客の一人に接近、これを斬り捨てる。
「次!」
相手の視力が回復するより早く、エリックは立て続けに二人目を葬ったが、直後、背中に鋭い痛みが走る。
「ぐ! 投げナイフだと?」
突き刺さった場所から、息をするたびに強い痛みが胸の方まで突き抜ける。
「ぎ!」
目の前に踊る黒装束。痛みをこらえて剣を掲げたその時だった。
「にゃははは! 大怪盗参上!」
甲高い声に、金色の閃光。吹き飛ぶ刺客の男に代わり、目の前に着地したのは、金虎族の少女、シュリだ。猫のような金色の瞳をぱちくりさせながら、エリックに両手の爪をかざして見せる。しなやかな尾が別の生き物のように、彼女の背後で揺れている。
「……魔闘術? お前まさか、『狭間の子』なのか?」
「えー? 第一声がそれ? せっかくシュリが助けてあげたのに……って、あ、危ない!」
地を這うようにエリックの脇を駆け抜け、手から伸ばした金色の爪を振りかざすシュリ。金属の弾かれる音がする。
「危ない危ない。あとちょっとで、エリックおじさまの頭に刺さってたところだよ」
どうやら投げナイフの敵は別にいたようだ。
「すまん! 助かった!」
「ふふん! 特別ボーナスのためだよ!」
シュリは三角とびの要領で壁を蹴り、逃げようとする投げナイフの刺客の頭上を跳び越える。
「逃っがさないにゃん!」
「く! 薄汚い獣人族め!」
投げナイフの刺客は先回りしてきた金虎族の少女を見て、忌々しげに舌打ちした。月影の一族、または一族を信奉する人間たちは、エルフや獣人を格の低い種族とみなす傾向がある。この男もその類のようだ。
「……薄汚い? シュリは毎日、お風呂に入ってるにゃん!」
憤慨するように金色の尾を逆立てるシュリ。
「こ、こうなればせめて貴様だけでも!」
刺客は腰から黒塗りの短剣を抜き放ち、シュリへと躍りかかる。シュリの金の猫目が、その瞳孔を軽く拡げた。
「発動、《愚者の舞》」
「な! か、身体が……!」
驚愕の声を上げて倒れる刺客。冷ややかに獲物を見下ろすシュリの前で、その刺客は、自分の短剣に胸を貫かれて絶命する。
「な、なんだ? 今のは」
エリックが驚いたように尋ねる。すると彼女は、にんまりと笑みを浮かべてエリックを振り返った。
「シュリの必殺技だよ。魔闘術と霊戦術の合成術……うーんと、『魔戦術』ってところかな?」
「……いや、技の名前じゃなくてだな。そいつ、勝手に自分で死んだように見えたんだが?」
「うん。支配の魔力を相手に纏わせて、無理矢理身体を動かしたの」
「おいおい、それってとんでもない術じゃないか?」
本来、霊戦術による魔力の憑依は、生物には無効なはずだ。エリックは驚きを禁じ得なかった。
「まあ、力が強い相手とかには効かないし、ほんとの使い道は少し違うんだけどね」
「……なるほどな。それでも大したものだ。いや、本当に助かったよ」
剣の腕には自信があっても、こうした刺客相手の戦闘にはエリックも不慣れだったようだ。自分より遥かに若い少女に助けられ、少しばつの悪そうな顔をしている。
「それより……エリックおじさま。背中の傷、大丈夫?」
心配そうにエリックを見上げてくるシュリ。
「う……その目はやめろ。瞳孔を大きくするな。……まあ、心配ない。見えない場所の傷だからな。俺程度の白霊術じゃ、すぐに治療もできないが、後で鏡でも使って治すさ」
イメージによって治癒を行う白霊術の治療魔法の場合、実際にその傷を視認することなく発動するには、熟練の技量が必要だった。
「シュリが治してあげるよ?」
「いくらでだ?」
「タダでいいってば! シュリをお金の亡者みたいに言わないでほしいにゃ。カグヤ姉様から言われて夜間警備のお仕事やってるついでだもん。お給金だって出るんだよ?」
「なんだ、そうだったのか。でも一人で警備するんじゃ大変じゃないか? この城、結構広いぞ?」
「ううん。シュリの受け持ちはエリックおじさまの部屋の前だけだよ?」
「……あの魔女」
それ以上、言葉が出なかった。こんな少女に護衛の対象にされること自体、ショックだったが、そんなカグヤの人選が的確だったことが、何より悔しい。と言うか絶対、あの魔女ならエリックがこんな気持ちになることまで見越しているに違いなかった。
「にゃはは! これで特別ボーナスゲットだね。あーあ、また襲ってきてくれないかなあ……って、いたた! 何するにゃ!?」
縁起でもないことを言う少女に、流石のエリックも拳骨を叩き込んだのだった。
──その翌日のこと。
魔王ネザク・アストライアは、かつてない危機に陥っていた。
目の前には、殺気をみなぎらせた二人の少女。まだ日も昇らない早朝のこと、ネザクは同じ寝台でぐっすりと眠ったままのカグヤを残し、一人で部屋を出歩いていた。
「待て! お前が魔王ネザクだな?」
「お母様の仇。覚悟」
手にしたナイフをこちらに突きつけ、人形のように綺麗な顔立ちの少女が二人、鏡写しのように並んで立っている。ネザクが目を丸くして驚くのも無理はない。彼女たちは双子である。だが、ここまで完璧に瓜二つの双子は、滅多にお目にかかれるものではなかった。
「え、えっと……仇ってなに?」
きょとんとした顔でネザクは訊き返す。どことなく、そわそわした様子だ。
「な……なに、じゃないでしょう!? しらばっくれるつもり?」
「許さない……お母様は立派な人だった。月召術師団の団長としてのお仕事も大変なのに、わたしたちのこともちゃんと気遣ってくれた。そんなお母様をよくも……」
イリナ・ファルハウトとキリナ・ファルハウト。
月影の一族の中でも、とりわけ高い地位にある者のみが着用を許される白と赤を基調とした法術服を身にまとい、震える手でナイフを握る二人の少女。
彼女たちも、『魔王』が他者の召喚する『魔』を乗っ取る能力を持つことは知っている。だからこその武器なのだろうが、使い慣れていないらしく、構えは全く様になっていなかった。
が、しかし──
「え、えっと、ちょっと待ってよ! その……今、ぼく、それどころじゃなくて……」
ネザクは顔面を蒼白にして訴える。
「……それどころじゃない、ですって? お母様を殺しておいて……」
「許さない。殺す」
じりじりとナイフを手に、にじり寄る二人。
「うう……だ、だから! ……月召術師団の団長ってことは、ミリアナさんでしょ!? ミリアナさんは生きてるよ! お城の中に監禁されてるだけなんだよ!」
カグヤに口止めされている事実をあっさりと口にするネザク。後が怖いが、今は彼もそれどころではなかった。身体をもじもじしながら、顔には脂汗まで浮かべている。
──下世話な話、彼は目が覚めてから、トイレに向かっているところだったのだ。
「信用できないわ。助かるための言い逃れでしょう?」
イリナは、油断なくナイフの刃先を少年に突きつけている。親の仇と思い、見張りの目を掻い潜って辿り着いた魔王は、意外なほど若く、可愛らしい少年の姿をしている。
「なら、母様に会わせろ」
キリナは鋭い視線でネザクを睨み、いつでも斬りかかれる体勢で構えている。少年魔王の頼りなさげな姿は、どうにも彼女たちの心をくすぐるが、母の仇であることに違いはないはずだった。
だが、二人がそんな少年の外見に惑わされているうちに、事態が急変する。
「だ、だめだ……漏れる!」
叫ぶネザク。
「え? なに?」
「な、なんだ?」
突然のことに呆気にとられるイリナとキリナ。
「ト、トイレ! トイレに行きたい! 漏れちゃうよ!」
我慢できなくなったネザクは、股の辺りを押さえるようにしてジタバタと足踏みを始めた。
「え? も、漏れるってまさか……、ど、どうしよう?」
「ト、トイレ? いや、でも、その……母様の仇……」
二人は戸惑ったように顔を見合わせる。
「駄目だ駄目だ。もる、もる、もっちゃううう!」
限界だと言わんばかりに声を張り上げるネザク。
「ちょ、ちょっと待ちなさい! 駄目よ! こんなところで! え、えっと、ト、トイレならこっちよ!」
「は、はやく来い!」
イリナとキリナは大慌てでネザクの手を掴み、トイレへと連れて行く。
「もれる……」
「だ、駄目、ほら、もう少しよ! がんばって!」
「男なら耐えろ。頑張れ!」
少女二人に叱咤激励されながら、トイレに駆け込む魔王陛下。
「ま、間に合ったあ……」
少年を見送ったトイレの前で、ようやく安堵の息をついた少女たちの耳に、ほっとしたような声が届く。
「だ、大丈夫だったみたいね……」
「ふう……冷や冷やしたぞ」
そう言って、二人はお互いに顔を見合わせ、くすくすと笑い出す。あの分ではあの少年、恐らく嘘はついていないだろう。そう思えば、今度は今の状況の滑稽さが際立ってくるというものだった。
「うう……僕の人生、最大のピンチだったよ。この歳でお漏らしなんて、泣くに泣けないもんね……」
手洗いを済ませてトイレから出てくるネザク少年。
「ああ、お姉さんたち。ほんとにありがとね。おかげで助かったよ」
笑みを浮かべて礼を言う彼の頭からは、そもそもの原因が少女二人による足止めだったという事実までもが、綺麗さっぱり洗い流されてしまったようだ。
と、その時だった。
「うっふっふ! 見たわよ。ネザク!」
魔女登場。
「う、うわあああ! カ、カグヤ!」
唐突に姿を現した彼女に怯え、キリナの背中に隠れるネザク。
「な、なんだ?」
わけもわからず背中にしがみつかれたキリナは、反射的に目の前の黒衣の女性に目を向ける。だが、彼女はキリナではなく、背中に隠れたネザクへとその視線を送っているようだ。
「朝っぱらからトイレに可愛らしい女の子を二人も連れ込むなんて、ネザクってば、何てやらしい子に育っちゃったのかしら? お姉ちゃん、びっくりだわ」
「な! なに言ってるんだよ!」
キリナの肩越しに顔だけを突き出し、顔を赤くして抗議の声をあげるネザク。キリナとイリナは思わず顔を見合わせた。いくら相手が自分より年下の少年とはいえ、異性をトイレに連れて行ってあげたことなど、身分の高い二人には当然経験のないことだ。
今頃になって、羞恥心に顔を赤らめる二人。
「まあ、いいわ。ネザクにお友達が増えるのは悪いことじゃないしね。でも、ネザク? あなた、秘密にしておきなさいって言ったこと、ばらしたでしょ?」
「あ、あうう……。そ、それは仕方なかったんだよ」
「あら? 言い訳するの?」
カグヤの追い討ちのような言葉に、思わず首をすくめるネザクだった。
──その後。
ミリアナは娘二人と共に、離宮に軟禁されることとなった。それから二週間近くもの間、ネザクとリラは、幼い少女を連れて頻繁にこの離宮を訪れている。
そして時々は、今回のように夕食を共にする。気付けば娘二人はすっかり彼に打ち解け、そこにはまるで一家団欒のような光景が広がっていた。
ミリアナは最初、その状況に戸惑いと不安を覚えていた。相手は自分が完全に同調していたはずの銀翼竜王リンドブルムを強制的に支配下に置き、幻界に送還してしまった化け物だ。可愛い少年の姿には、つい母性本能をくすぐられそうになるが、それではいけないと自分を律してきた。
だが、それも時間が経つにつれ、馬鹿馬鹿しいとさえ思えてくる。
「いつも、おいしい料理を作ってくれてありがとう、ミリアナさん」
食器の後片付けを手伝いながら、少年が笑いかけてくる。あの魔女はつかみどころのない女性だが、この少年はこうしているといたって普通の、いや、それどころかいまどき珍しいくらいに純真な子供だった。
「……魔王様のお口に合ったようで光栄ですわ」
試しにそう言うと、彼は頬を膨らませて不満げな顔をする。
「……『魔王様』は止めてって言ったのに」
「ふふ、ごめんなさいね。こちらこそ残さず食べてくれて、作り甲斐があるわ」
そう言って笑いかければ、満面の笑みで応じてくる少年。この国に来て何をするでもなく、『支配すれども統治せず』を貫く彼らの意図はわからない。
だが、ミリアナには、この少年を嫌うことだけはできそうにないのだった。
次回「第35話 英雄少女と黒霊賢者(上)」




