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少年魔王の『世界征服』と英雄少女の『魔王退治』  作者: NewWorld
第1部 第3章 魔王のはじまり
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第33話 少年魔王と月影の巫女(上)

 クレセント王国が陥落して三週間余りが経とうとしていたその日、ミリアナはクレセント城敷地内にある離宮の台所で、料理を作っていた。いつもの巫女装束の代わりに簡素なエプロンドレスを身に着け、白く長い髪は料理の邪魔にならないよう結い上げている。


「……こんなものかしらね」


 発熱する魔石に乗せた鍋の中に菜箸を差し込み、ぐつぐつと煮える食材の茹で具合を確認する。世間では邪竜戦争の英雄──戦場を舞う『月影の巫女』として畏れられ、敬われる彼女も、普段は二児の母である。


 これまでも月召術師団の団長として政務・軍務に忙しい日々を送る中、合間を縫っては子供たちに食事を作ってあげるぐらいのことはしていた。とはいえ、当然毎日というわけにはいかず、乳母役の使用人に子供の面倒を任せることも多かった。


 それを思えば、こうして毎日子供たちの料理を作ってあげられると言うのは、必ずしも悪いことではないのだが……。


「ミリアナさまー、ごはん、まだー?」


 台所を出た先にある食堂から、小さな子供の声がする。しかし、ミリアナの娘はすでに二人とも十五歳を超えているはずだった。


「…………」


 軽く息をつきながら、味付けの最後の調整に取り掛かるミリアナ。


「あ、あの……ミリアナ様。こっちはこれでいいでしょうか?」


 不安げな声で付け合せの料理の盛りつけを指し示すのは、先ほどから手伝いをしてくれている一人のメイドだった。短めな黒髪をした可愛らしいこの少女の名は、リラと言う。

 ミリアナがこうして『彼ら』の夕食を時折つくるようになって以来、彼女は色々と料理の手伝いをしてくれていた。


「ええ、大丈夫よ。ふふ、だいぶ上達したわね」


「ほ、本当ですか? 嬉しいです!」


 目をキラキラと輝かせて喜ぶ少女に微笑ましい思いを感じながらも、ミリアナは料理の最終工程にとりかかる。


 と、そのとき。背後からキンキンと食器類が打ち鳴らされる音が聞こえてきた。


「ああ、こら! エレナ。そういうことをしたらお行儀が悪いって教わらなかったの?」


 これは少年の声だ。年下の少女を注意しているような言葉だが、弱気な印象は否めない。


「えー? でもエレナ、お腹減ったのー!」


 案の定、まったく効果はないようだ。


「うう……これじゃまるで、小さいカグヤが一人増えたみたいだよ」


 嘆く少年の声にくすりと笑いをこぼしながら、鍋つかみで鍋を持ち上げ、食卓へと持って行く。


「あ、きたきた! ミリアナさまー! ごはん、ありがとうございます!」


 食卓を囲む数人のうち、もっとも小さい体格の少女がお行儀よく頭を下げてお礼の言葉を口にする。


「いいえ、どういたしまして。待たせちゃってごめんなさいね」


「ううん。大丈夫。ネザクお兄ちゃんが遊んでくれたから」


「やっぱり僕で遊んでたんだね……」


 そんな会話を交わしながら、こうして食事の用意をするのも、もう何度目のことか。ミリアナは食卓の席に腰かけながら、同じ席に着く顔ぶれを見回した。魔王ネザク、辺境の王女エレナ、メイドのリラ、それから……


「嬉しい。毎日、お母様の料理が食べられる」


「うんうん。お母様の料理って、すごくおいしいんですもの」


 キリナとイリナ。白い髪の双子の少女。二人がそれぞれ左右対称に髪の分け目を変えているのは、あまりにそっくりな二人の見分けがつくように、配慮しているのだそうだ。とはいえ、そんなことをしなくても、二人は口調も性格も全く違う。二人の違いは、少し話せばすぐわかるものだった。


 多少お転婆なところはあるとはいえ、二人の娘たちは、ミリアナにとっては亡き夫の忘れ形見だ。月影の一族としての実力も、この歳で既に戦術級の上位クラスを召喚できるだけのものをもっており、母親によく似た美しい顔立ちも相まって、国民からはちょっとしたアイドルのような扱いを受けている二人でもある。


 そんな自慢の娘たちだったのだが……


「はい、それじゃネザク、あーん!」


「イリナ、駄目。わたしがネザクに食べさせる」


 ネザク少年の両サイドを固め、左右から料理をすくった匙を差し出して彼に食べさせようと相争っていた。


「キリナ様もイリナ様も、すっかりネザク様の魅力の虜になっちゃいましたね」


 ミリアナは自分の隣に腰かけて笑うリラを見て、ため息をつく。いったいどうしてこんなことになったのだろう? そもそも自分たちは魔王に敗北し、その占領下にある国の貴族として軟禁されている立場ではないのか?


「ちょ、ちょっと待ってよ! ごはんくらい、自分で食べられるってば!」


「いいの。遠慮しないで。わたしはあなたの捕虜なんだから。ネザクに何か要求されたら、何でも言うこと聞くしかないの。だから、ネザク。……なんでもわたしに命令してね?」


 イリナは微笑む。


「心配するな。ネザクの面倒は、わたしが見る。……食事もトイレも何もかも、これから一生な」


 キリナは無表情のままだ。


 凛々しくも、勇ましい双子の姉妹。母親の名に恥じない優秀な月召術師サモナーとして将来を嘱望され、今や自分以上に国民的人気を博しつつある二人の少女は、とんでもない言葉を口走っている。


 ミリアナは眩暈を覚えながらも、気丈にも目の前の現実を直視した。こうしている間にも、他の五英雄の皆は自分の身を案じ、対策を練ってくれているはずなのだ。


 とはいえ、目の前で二人の娘の猛攻にたじたじとなっている魔王を見ていると、自分の置かれている状況が全くわからなくなってくるミリアナだった。

 

 事の起こりはもちろん、この王国が占領されたその日のこと。

 ミリアナは鍋の料理を取り分けながら、そのときのことを思い出していた。




──およそ三週間以上前。


 ネザクに敗れたミリアナは、捕虜となって魔王軍の陣営にいた。まず驚いたのは、彼らがわずか数人の集団でしかなかったことだ。しかし、災害級の『魔』を乗っ取り、月召術師団を降伏させた彼らは、ほとんど破竹の勢いで王城に迫る。


 城を護る月召術師団の残存兵力も、敵の中に災害級の『魔』が数体、特にミリアナの相棒でもあるはずの銀翼竜王の勇姿があるのを見て、大半が戦意を消失させてしまった。

 降伏を呼びかける声に応じず、最後まで勇敢に戦ったのは、『三日月兵団』だ。決死の覚悟で城を護る彼らには、前回と違ってカグヤの黒魔術インベイドにもつけ入る隙がない。


 とはいえ、クレセント城が陥落するまでに要した時間は半日に満たない。城門は剛魔獣ラスキアに叩き壊され、侵入をくい止めようとした『三日月兵団』は、その多くが銀翼竜王リンドブルムに薙ぎ払われた。


「まったく、だから降伏しなさいって言ったのに。無駄に死んじゃうなんて、馬鹿ねえ。もったいないじゃない」


 勇ましくも無駄死にしていく兵士達を眺め、つまらなそうに呟く女性。魔王軍の中でも、恐らくは指導者格にあるだろう彼女の声が、なぜか酷く耳に残った。


 ミリアナの親戚でもある国王バルドルは、己の命と引き換えに民の安全を求めたが、魔王軍はそれにはまったく取り合わなかった。むしろ、彼に生きたまま国を統治するように命じ、国内外に魔王ネザクの支配を宣言させたのだ。


 捕虜となった自分の身柄は解放されず、最初は王宮の一室に監禁される形となった。何とか出ようと試みるも、扉が魔法で封印され、なぜか『魔』の召喚もできないとあっては、非力な女の身では如何ともしがたい。


 最初の一週間は、外部との接触も得られず、唯一、料理を運んでくる黒髪のメイドだけが話し相手となっていた。何かの糸口を掴めないかと考えたミリアナは、彼女が給仕を務めるわずかな時間に、色々と話をするよう心がけた。


「魔王を名乗る主人を持つなんて、あなたも大変ね」

「まだ、十六歳なの? それじゃ、わたしの娘たちと一つ違いね」

「ありがとう。今日の料理も、とってもおいしかったわ」


 そんな当たり障りのない会話を続けること数日、リラはかなり打ち解けてきた。もともと人懐こい少女のようで、給仕の用が無い時までミリアナの部屋にやってきては、遅くまで話し込むこともしばしばだった。


 そんななか、魔王の人となりを聞こうとすると、必ず彼女はこう言った。


「口で説明するのは難しいです。なんかこう……見た目もすごくかわいいんですけど……それだけじゃなくて……守ってあげたいと言うか、でも、同時に虐めたくなっちゃうって言うか……」


 そんなことを顔を赤らめながら言う少女に、唖然としてしまった。到底主人のことを語るような言葉ではない。最初はこの少女も魔王に脅されるか何かで仕方なく従っているのかもしれないと考えていたミリアナだったが、それが大きな間違いであることを思い知らされた。


「……そう。あなたがそんなに言うなんて、一度会ってみたいわね」


 監禁から一週間が経とうとしたその日、ミリアナは思い切ってそう言ってみた。


 すると彼女は


「え? ああ、いいですよ。そろそろお城の中もだいぶ落ち着いたみたいですし、カグヤ様に話してみますね」


 と、あっさり承諾してくれた。ミリアナは拍子抜けした気分を味わいながらも、ついにネザクとあらためて面談する機会を得ることになるのだった。


 そして、クレセント王国王城の謁見の間にて、ミリアナは縄で縛られることもなく、いつもどおりの巫女装束でネザクの前に立った。国王が座るべき玉座に腰をかけるのは、まるで少女のような可愛らしい顔立ちの少年だ。


「あ、え、えっと、その……こんにちは。ミリアナさん」


 何故か少年は顔を赤らめ、視線をあちこちに彷徨わせながらあいさつをしてくる。


「え、ええ……こんにちは」


 他に返しようがない。続く言葉があるものかと待っていても、少年は下を向いたまま喋らない。


「ごめんなさいね。この子ったら、あなたと初めて会った時の裸とか思い出して、照れちゃってるのよ。うふふ、ネザクったら、やらしーんだから!」


 うきうきした声で笑う黒衣の女性は、本来なら王妃が座るべき玉座に腰を落ち着けている。


「な! ち、違うよ!」


 顔を真っ赤にして否定するネザク。ちらりと彼がこちらを見たのを受けて、なんとなくではあったが、ミリアナは巫女装束の襟元を正す。するとネザク少年は、絶望的な顔をした。


「う、うわあああ! ち、違うんです! ほんとに、ほんとに違うんです!」


 どうやら、いらぬ誤解を与えてしまったようだ。とはいえ、ミリアナにはそんな誤解を解いてやる義理などないし……なにより、困った顔で必死に訴えかけてくる少年の顔を見ていると、『このままでもいいかな』という気がしてきてしまう。


 これがリラの言う、『虐めてしまいたくなる』という奴だろうか。ミリアナもつい、そんな風に思ってしまった。


「あらあら、焦っちゃってもう……。じゃあ、事務的な話は、わたしからしましょうか。こんにちは、月影の巫女様?」


 黒衣の女性、カグヤは笑いを含んだ声で呼びかけてくる。


「……なぜ、わたしを殺さないのですか?」


「え? うーん……なんか面白みに欠ける質問ね」


 意味の分からないこと言いながら、カグヤは首を傾げる。


「え?」


「……こうしましょうか。あなたはわたしに三つまで質問できる。その質問には、わたしは嘘偽りなく本当のことを答えてあげる。というわけで、最初の質問はさっきのでいい? よく考えた方がいいわよ。殺さないのに、大した理由なんてないのかもしれないんだしね」


 カグヤの突然の申し出に、探るような目を向けるミリアナ。だが、カグヤは曖昧に笑うだけだ。ミリアナは黙して考える。彼女が本当のことを言う保証などないが、受け答えをさせるだけでも何らかの情報は得られるはずだった。


 が、しかし──


「……娘たちは無事ですか?」


 ようやく絞り出した言葉は、英雄でも貴族でもない、一人の母親としてのものだった。


「……貴重な質問のひとつなのにね。でも、わたし、そういうの好きよ。身分とか建前とかのために、大事な人のことを後回しにするような奴より、ずっと好き。……だから、特別にサービスしてあげる。ちゃんと生きてるし、元気よ。でも元気すぎて大変だったのよ? お母さんの仇だ! なんて言ってネザクにナイフを突きつけてきたりしたんだから。ね? ネザク」


「う、うん。カグヤ。やっぱりあの二人、可哀そうだよ。お母さんが心配なんだろうし、一緒にいさせてあげようよ」


「そうね。また暴れられるのもなんだし、一緒にまとめて離宮にでも入ってもらうのがいいかもね」


「……どういうことですか?」


 ミリアナにはさっぱり話が見えてこない。


「ええ。だから、ここからはサービスよ。質問にはない回答をしてあげる。……実はね、あなたは現在、戦争中に行方不明になったことになってるの。城内はともかく、城外には情報統制しているから、まあ、死んだと思っている人も少なからずいるでしょうね」


「そんな……。で、でも、なぜです?」


「それは二つ目の質問にするわよ?」


「構いません」


「そう。えっとね。ああ、面倒ね……エリックから説明してくれない?」


 カグヤは傍らに控える一人の騎士に声をかける。すると彼は、呆れたように頭を振った。


「まったく、だったらこんな問答始めなきゃいいだろうに……」


「何か言った?」


 ぶつくさと文句を言う騎士の態度は、配下の者とは思えないほどぞんざいで、対するカグヤもそれを咎めるような雰囲気はない。ますます不思議だった。


「いいえ。……じゃあ、俺から回答しますよ。要は情報を曖昧にしておくことで、色々と探りを入れてくるだろう連中を誘い出すんです。まあ、国内外のネズミ獲りってわけですね」


 世界の最高戦力である五英雄。その一角である自分の生死は、各国のパワーバランスさえ左右しかねないものだ。それを餌に、敵の動きを誘導しようということだろうか。


「ネズミ獲りですか……。わかりました。それでは最後の質問です」


「どうぞ」


「あなたたちの目的は?」


 そのものずばり。

 そう聞くと、エリックは軽く目を見開き、それから皮肉げに笑いながら肩をすくめて言い放つ。


「世界征服」

次回「第34話 少年魔王と月影の巫女(下)」

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