第28話 英雄少女とふたたびのダンジョン(下)
そして一行は、あっさりと地下二十階までたどり着いていた。階段を下りて石造りの通路を進むと、赤い染みで薄汚れた一枚の扉がある。
「うん、とうとう来たな」
「……ですわね。あの小憎たらしい人形に、今日こそ思い知らせてやりますわ」
エリザとリリアは扉を睨みつけながら、お互いに頷きあっている。
「でも、入学して一か月も経たない二人がこんなとこまで来たって言うんだから、ほんとに呆れるよな……」
エドガーはここまでの道のりを思い返しながら、あらためて感心する。ここまで五人は、ほとんど危なげもなく辿り着いている。──だが、それは五人だからだ。
彼女たち二人がここまで辿り着けたのは、リリアの霊戦術による罠の発見とアンデッドの使役能力、エリザの人間離れした身体能力に臨戦即応の星喚術、その相性がダンジョンの攻略に当たって極めて都合が良かったからに過ぎない。その意味では、奇跡のような結果だと言える。
エドガーが呆れたのは、無謀さがそのまま奇跡に直結してしまい、しかもそれを当然のものとしてしまう、二人の少女の破天荒ぶりに対してだった。
「さて、情報を整理しましょう──敵の人形は天井から吊り下がっていて、近づくと室内に血の雨が降る。血の雨はそのまま対象の動きを封じ、圧迫して潰してしまう。放置すれば床にたまった血が、人型となって侵入者をどこまでも追跡してくる──こんなところかしら?」
「うんうん、そうそう。やっぱルヴィナ先輩って頭いいよね! あたしが上手く言えない言葉をそんなにきれいにまとめちゃうんだもんな」
「……確かに苦労したわ。あなたの説明、『ぐわー』とか『どばどばー』とか、擬音語・擬態語が多すぎるんだもの。正直、リリアの説明が無ければお手上げだったかも……」
ルヴィナが疲れたような顔で言う。
「で、作戦はどうする?」
ルーファスが問うと、ルヴィナは軽く頷きを返す。
「ええ、それじゃ、みんな。よく聞いて……」
──室内への突入開始。
まず、真っ先に部屋に飛び込んだのは、かつてと同じくリリアの生み出した《死騎兵》。
「ケタケタケタ!」
ボロボロの衣服に半分飛び出した目。ぼさぼさで半分抜け落ちたような頭髪。不気味な声で首吊り人形が笑う。骨のきしむ音を立てながら駆ける骸骨の騎士に、あの時と同じ赤い雨が降る。
「……確かに、アンデッドも使わずに初見でこんなトラップがあったら、普通は助からないな」
エドガーは床にまき散らされた赤い血液が《死騎兵》に寄り集まり、圧潰させていくのを見つめながら身震いする。そうしている間にも床にたまる血の量は増えていくのだが、ちょうど頃合いを見たかのように、ルヴィナが叫ぶ。
「ヴァルディミオ! やりなさい!」
幻界第十八階位、氷の巨人ヴァルディミオ。蒼い体躯をボロ布で包んだ巨人は、大口を開け、そこから氷の息吹を吐き出した。途端に凍り始める広間の床。当然、その下には血液が閉じ込められる。
「よーっし、あたしの番だ!」
エリザが手にしているのは、巨大なブーメランだ。
「喰らえ! 三日月斬!」
投げ飛ばされたブーメランには、鋭い刃が付いている。そしてそれは、その大きさゆえに方向さえ間違えなければ、対象へと確実に命中する。
「ケタケタケタケタ!」
狙うは、笑う人形を吊り下げる紐。ぶつりと紐が切れた人形は、重力に逆らうことなく地に落ちる。
すかさずそこに、迫るルーファス。床の血液は完全に凍りきってはいないが、宙を滑るように移動する白霊剣技であれば問題はない。
「発動、《爆炎の大剣》」
ルーファスは手に巨大な炎の剣を出現させ、地に落ちた人形に叩きつける。
「ケケケケ!」
爆裂する一撃に吹き飛ぶ人形は、しかし、大したダメージを受けていないようだった。よく見れば、人形の周囲には凍りきっていなかった血液が集まり、不気味な鎧を形作っている。
「……固いな」
言いながら、ルーファスは後方へと滑るように下がっていく。
「リリアさん」
「もう少しですわ」
ルヴィナの呼びかけに答えたリリアは、ようやく術式を完成させる。
「発動、《冥王の瞳》」
片眼鏡のようなものを目の前にかざし、リリアは術を発動させる。それは対象の命を司るモノ──いわば『弱点』を見抜く瞳の魔法。
「……人形の首の後ろに動力源がありますわ!」
「オッケー、了解!」
「よし! 行くぜ!」
エリザとエドガーの二人が、ようやく本格的な出番だとばかりに、血の鎧を着た人形へと飛びかかる。身体強化の魔闘術で正面からぶつかり合うエドガーに、素早い動きで敵を撹乱して背後を狙うエリザ。
こうなれば、もう決着はついたも同然だった。周囲の罠を警戒しつつではあるが、ルーファスやルヴィナの援護も加わり、ついにはエリザの一撃が人形の背後の動力コアを撃ち砕く。
「うん! やったぜ! 今度こそ勝利だ!」
「ふっふっふ、ざまあみやがれですわ。たかが人形ごとき、わたくしの敵ではありませんわね」
人形が打ち倒されると、どんな仕掛けなのか床に残っていた血液も見る間に消えていく。
「やればできるものだな。俺が学外任務中に傭兵たちから聞いた話では、この『欲望の迷宮』の地下二十階を突破できたものは、ごくわずかだと言うぞ」
「……まあ、未来の英雄になろうって言うんですから、これくらいはやれないとじゃないですかね?」
ルーファスに向かって返事したエドガーの声も、さすがに誇らしげだ。
「ふう、どうにかなったわね」
ルヴィナが安心したように胸を撫で下ろす。だが、彼女はまだ甘かった。『日々これ前進あるのみ』の英雄少女のバイタリティを、彼女はいまだに舐めていた。
それゆえに──
「これで二十階はクリアだ。次は三十階だな!」
「はあ?」
エリザの叫びに、彼女が思わず間の抜けた声を発したのも、無理はないのかもしれない。
「何を言ってるのよ。目的は果たしたでしょう?」
「えー? 何言ってんの? あたしたち五人の目標は、このダンジョンの新記録樹立でしょ?」
そんな目標を立てた覚えはない。そう言いたかったが、仰ぎ見たアルフレッドの、苦笑しながらも容認するつもりの顔を見て、ルヴィナは諦めざるを得なかった。まあ、かの星霊剣士が背後にいる以上、たとえ三十階だろうと問題はないのかもしれない。
──五人は徐々に、優れた連携をこなせるようになってきていた。それは命のかかった場面だからこそ、必然的に、そして加速度的に、磨かれていく力だった。
味方となる者の能力──その長所や短所も含めた特徴を把握し、その時のメンバーにとって何が一番有益なのかを考えて行動する。それができるようになりつつある今、彼らには二十階以降の階層に出現する魔法生物やトラップの類も敵ではない。
そして地下二十九階。次の三十階を前にして、一同は改めて休憩をとることにした。この先には、かつての最強トレジャーハンター部隊が恐れをなして逃げ出した化け物がいる。それを思えば、アルフレッドと言えど皆をここで引き止めるべきか否か、判断に迷うところだった。
周囲に敵や罠がないことを確認し、広い通路に車座で座る一行。
「次は戦うんじゃなく、様子見のつもりで行こう。地下二十階と同じだ。初見では対策の立てようがない。無理そうなら今回はここで引いて、もし挑戦するなら、次は卒業試験の時にしてほしい」
アルフレッドは、そう提案した。
「それは俺の卒業試験の時に、このメンバーで挑ませてくれるという意味だろうか?」
ルーファスは最上級生だ。あと九か月もすれば卒業となる。
「そうだね。それでいい」
ルーファスの言葉に快諾した直後、アルフレッドは何かを考える顔になった。
「そう言えば、君には聞いたことが無かったけど、君は卒業したらどうするつもりなんだ?」
「む? 卒業後……か」
ルーファスは何故か口ごもるように言い淀む。
「なになに? 言えないようなことなの?」
興味津々に身を乗り出すエリザ。
「こら、やめなさい。人の事情を詮索するものじゃありませんわ」
リリアが例のごとくたしなめる。だが、ルーファスは構わず、アルフレッドの問いに答える。
「もちろん俺は、故郷の『ファンスヴァール』に帰るつもりです」
「じゃあ、白霊兵団にでも入るつもりかい?」
白霊兵団は、エルフ族の故郷である森林国家ファンスヴァールにおいて、最強の戦力と言われている白霊術師のエリート集団だ。
「いや、憧れの人に俺の成長を見てもらいたいだけです。その後のことは、特に考えていません」
「憧れの人? それって……あ、いや、別に詮索するつもりはないよ」
アルフレッドは、慌てて言い直した。
「先生も良く知っている人です。……白星弓の守護妖精アリアノート・ミナス」
「え? アリアノートと知り合いなのかい?」
驚いた顔をするアルフレッド。
「おお、なんか面白い話になってきた」
「……おバカ、おやめなさいな」
相変わらずそんな言葉の応酬を続けるエリザとリリアを余所に、ルーファスの言葉は続く。
「彼女は十年前の邪竜戦争で、敵国の兵士に殺されかけた俺を助けてくれた命の恩人です。当時、十代の半ばにも達していない少女でありながら、颯爽と戦場を駆け、森を守ったあの人は、俺にとっての英雄です」
「なるほど」
アルフレッドは納得したように頷いた。
「おお、これはまさか、憧れの女性とか言いつつ、恋してるんじゃない?」
意外にも色恋沙汰に興味津々のエリザだった。──ただし、他人限定。
「あのねえ、あなただって英雄に詳しいのだから知ってますでしょう? アリアノートは、エクリプス王国の五英雄、黒霊賢者アズラル・エクリプスと結婚してますのよ」
「あ、そうだっけ」
あははと笑うエリザ。そんな声が聞こえたのか、ルーファスが会話に割り込んでくる。
「俺のは純粋な憧れだ。彼女が同じ五英雄と婚約したと聞いた時は、むしろお似合いの相手で嬉しいと思ったぐらいだぞ」
そう言うルーファスには、強がったような印象はなく、心からそう感じているらしかった。
「似合いの二人……ね。ま、まあ、間違いではないんだけど……」
それだけに二人を直に知るアルフレッドとしては、複雑な思いがあった。
──地下三十階。
通路を進んだ先の大広間の扉を開く。
逃げ帰ったトレジャーハンターたちの証言は、ひとつとして要領を得ないものだった。ただ、この世のものとは思えない酷く恐ろしいものを見たのだと、それだけは共通していたが、肝心の敵の姿に関して尋ねても、はっきりした答えは返ってこなかったらしい。
部屋の扉の向こうにあったものを見て、最初に恐慌をきたしたのは、リリアだった。
「な! き、きゃあああ!」
部屋に入ることもできず、口元を押さえて後退するリリア。
「な、なに? どうしたの?」
エリザが慌てて彼女を抱きとめる。ガクガクと恐怖に震える彼女は、エリザに抱きかかえられてようやく少し、落ち着きを取り戻したかに見えた。が、しかし
「う、うわあああ!」
「な、なに? なんなの、これ!」
「ぐ、うううう!」
立て続けにエドガー、ルヴィナ、ルーファスが動揺した声で叫ぶのが聞こえた。
「なに? なんなの、いったい?」
わけがわからず、一人ぽかんとした顔で戸惑うエリザ。そんな彼女の前に進み出て、目の前の扉を閉めるアルフレッド。そこでようやく、四人は落ち着きを取り戻したが、依然として荒く息を吐いたまま顔を青褪めさせている。
「せ、先生?」
「エリザ、君は大丈夫なのか?」
「う、うん。先生は?」
「ああ、大丈夫。まあ、俺の場合はこれのおかげかな?」
よく見ればアルフレッドの周囲には、小さな菱形の光が列をなして障壁を作っているようだ。
「星霊楯ラルヴァ?」
「ああ、部屋の中央にあるあれ、見たかい?」
「う、うん。なんか黒い球みたいな?」
「そう。あれは多分、黒魔術の産物だね。精神に働きかけて対象に恐怖を与える攻撃。それと意識して対策をとらない限り、そうそう防げるものじゃない」
その意味では、エリザに通じないのは不思議ではあるが、彼女を常識で測るべきではないのだろうとアルフレッドは自身を納得させる。
実際、黒魔術は、その存在自体が極めてレアだ。無論、黒季に子供を産むのを避ける風潮が世の中にあるとはいえ、全てが上手く行くわけではない。術適性としてそれを有する子供なら多くいる。しかし、そうした子供は、ほとんどが魔法使いにはならない。
世間から忌み嫌われる黒魔術を体系的に教えてくれる場所などないし、使い手になろうと試みるだけで社会からつまはじきにされかねないのだ。
だから、それに対する対抗策というものも、世の中には少ない。ましてや、こんな不意打ちで喰らえば、最強のメンバーをそろえたトレジャーハンターだって対処は困難だっただろう。
「うーん、流石にこれじゃ、先には進めないよね?」
「ああ、そうだね。……それじゃ、学院に戻ったら、みんなで黒魔術に対抗するための練習をしよう。僕は過去に黒霊賢者と戦った経験もある。味方として戦ったこともある。だから、きっと君たちに、このダンジョンの攻略に繋がる方法を伝授できると思うよ」
結局、今回のダンジョン攻略は、トップ記録タイとなる地下三十階到達(制覇せず)となった。しかし、今日ここで地下三十階に辿り着き、初めて黒魔術というものに接触できたことは、彼ら五人の今後において、思わぬ意味を持つことになるのだった。
次回「第29話 少年魔王とふたたびの戦争(上)」




