第3話 少年魔王と第一の騎士
カグヤは城下町を歩く。身にまとう闇を素朴な町娘の服に変化させ、街のにぎわいを確かめるように歩き回る。
「ちょっと、そこ行くお姉さん! どうだい? 今が旬のメルモだ。甘くておいしいよ」
「あら、素敵ね。ネザクに買ってってあげようかしら?」
行商人らしき男から声をかけられたカグヤは、愛想よく返事をして立ち止まる。商人が手にしたメルモという赤い実は、今の季節──花々が咲き誇り、果実がたわわに実りはじめる季節である『白季』に出回ることが多い果物の代表格だ。
「お姉さんはとりわけ美人だから、サービス価格で提供しちゃおうかな?」
「うふふ、お上手ね。……うーん、ひとつ味見させてくれる?」
「え?」
行商人は、目を丸くしてカグヤを見た。言い方こそ可愛らしいものの、彼女の言い分は要するに、商品をひとつ、タダで寄越せと言っているに等しい。だが、少し考えるような素振りを見せたその商人も、結局は笑いながら頷きを返した。
「まったく美人には敵わないな。でも、そのかわり、おいしいと思ったら二個と言わず三個でも四個でも買ってくれよな?」
「もちろんよ。ありがと」
カグヤは人好きのする笑顔を浮かべ、商人から赤い果実を受け取った。
手渡しをする瞬間、商人の手がカグヤの手に軽く触れる。すると商人は、うぶな少年のように顔を赤らめ、慌てて手を引いた。
「あ……」
自分でも、どうしてこんなに動揺してしまったのかわからない──そんな顔だ。いずれにせよ、商人の視線はすでに、カグヤの姿に釘づけだった。
手に取った果実を嬉しそうに眺める瞳。
その表面を軽く拭き、感触を確かめるように撫でまわす白い繊手。
どこから齧ろうか思案するように、時折口から覗く赤い舌。
そのどれもが、商人の目を惹きつけて離さない。
「いただきます」
赤い果実にかじりつくカグヤ。着ている服こそ町娘風の簡素な装いだが、今の商人には、そんな彼女の姿が何より色っぽく艶やかに見えていた。
「…………」
そんな彼女に見惚れたまま、固まる商人。
カグヤは妖艶な笑みを浮かべ、その目をゆっくりと覗き込む。美しく澄んだ黒瞳に見つめられ、己の思考が鈍磨していく中、彼の心は心地よい酩酊感に満たされていた。
それは、黒魔術 《魅惑の瞳》。
自分に魅力を感じた人間を虜にする、精神支配系の魔法。
「質問があるのだけど、いいかしら?」
「……はい」
行商人は虚ろな瞳で口を開く。
「……あら、随分深く効いたわね。それじゃ、ここ最近のあなたの旅のルートを教えてくれる?」
《魅惑の瞳》の支配能力は、その直前の魅了の程度に応じて変わる。
「はい。わたしは大陸を中央部から西部に向かってまいりました」
「どこから出発したの?」
「エレンタード王国」
「そう。じゃあ、エッダの様子にも詳しいかしら?」
「はい。あそこは学園都市と言いつつも、人や金が集まる流通の拠点ですから……」
行商人は、ぺらぺらと自分の行商ルートや立ち寄った国や街での出来事を話している。だが、仕入れた商品の価値の変動や国際情勢など、上手く活用すれば自分の利益に繋がるはずの情報だ。普通なら、口が裂けても初対面の相手に教えたりはしないだろう。
「あなたがここまで来る間に、気付いたことを教えてくれる?」
そんな風に、カグヤは質問を繰り返していた。
闇と精神を支配する魔法。黒魔術。
四月界のひとつ、暗界が司る術適性。
そもそも人の持つ術適性は、生まれた季節によって左右される。
たとえば、空に獄界を象徴する紅い月が上る季節、『紅季』に生まれれば、魔闘術の術適性を得る。その原理は、霊界の『蒼季』による霊戦術であれ、他の何であれ同じだ。
しかし、昼に昇る黒月は不吉の象徴。加えて術適性そのものが人々に忌み嫌われていることもあり、『黒季』には子供を産むことを避けようとする風潮もある。
そのため、彼女のような黒魔術師は比較的希少であり、術式自体も体系的に確立されたものは知られていないのが現状である。
「どうもありがとう。メルモ、いただいておくわね」
カグヤは礼を言うと、ちゃっかりと赤い果物を更にひとつ、行商人から貰い受けてその場を離れた。
「……すべて世は事も無し、ね。でも、平和な世界だからこそ、やりがいはある。ネザクのためにも、頑張らなくっちゃ」
カグヤは、鼻歌でも歌い出しそうな風情で街を歩く。辺境国家『リールベルタ』には大小いくつかの城があり、ネザクが占拠する城は、その中でも特に小さいものだ。カグヤには、そのことが少し不満だった。
今いる城下町も、『城下』とは名ばかりで、城からはそれなりに距離がある。行商人が滞在するくらいだから、交通の便は悪くない。石畳も整備されていないが、辺境である以上、仕方のないことだろう。
カグヤは、先ほどと似たような手口で情報を収集し、中央から派遣された騎士団の一部が、依然としてここに駐留していることを掴んだ。
向かった場所は一軒の宿。団体客向けの大きな宿だが、宿泊客がいないときは酒場兼食堂としても機能している。
木でできた両開きのカウンターを押し開け、中へと足を踏み入れる。その時には、自らの服装を普段の黒いローブへと変化させていた。
「いらっしゃ……」
店主が言いかけて絶句する。そこには、先ほどまでの小奇麗な町娘の姿はない。
思わず息を飲むほどの圧倒的な美貌。黒衣に包まれたその肢体は、ゆったりとしたローブの上からでも優美な曲線を描いていることがわかる。
カグヤは店内をぐるりと一望すると、目当ての男たちを見つけた。簡易な鎧兜を身に着けた五人の男は、騎士にあるまじきことに昼間から酒を飲み、くだを巻いている。
「ねえ、あなたたち? ちょっといいかしら?」
カグヤはゆっくり彼らに歩み寄ると、傍らの席にしなやかな所作で腰を下ろす。
「え? な、なんだ、あんたは?」
「偉く美人だな……」
彼らは騎士団とは言っても、所詮は小国の兵士に過ぎない。五大国家の一つ、エレンタード王国が抱えるような魔法騎士団とは、わけが違う。魔法に対抗する訓練など、ろくに受けていないものがほとんどだろう。
だが、カグヤは先ほどの魔法は使わなかった。使う必要はないし、使っても意味がない。
「あなたたち、キルシュ城に用があるんでしょう?」
「……俺たちを笑いに来たのか?」
騎士の一人が低く唸るような声を出した。彼らは、これまで自分たちの醜態を町の人間に散々馬鹿にされてきたようだ。
「いいえ。違うわ。よかったら、城まで連れて行ってあげようかと思って」
「な! ……やっぱりからかってるんじゃないか」
「できるわけないだろ。あんただって知ってるんじゃないのか?」
質問には質問を。
「何を?」
にこやかに笑いながら、相手の言葉の先を促す。
「だ、だから、あそこには化け物がいるって話だよ。実際のところ、俺はあそこで馬鹿でかい魔獣と剣を持った死神みたいな奴を見たんだからな」
「……あら、やっぱりラスキアも一緒だったのね」
「何か言ったか?」
「いいえ」
「……多分あれは、『魔』だ。それも相当上位の……。くそ! 『魔王』だって? まさか本当にそんな奴がいるだなんて……」
ここでカグヤは理解した。彼らも一応は情報収集をしていたらしい。だが、『魔王』というお伽話の存在を、彼らはまったく信じていなかったのだ。
「……うーん、題材を間違えたかしら? インパクトを考えて『魔王』にしたつもりなんだけど」
「何か言ったか?」
「いいえ」
カグヤは、自分が流布させた噂の、思わぬ信憑性の無さに溜め息をつく。だが、逆に言えば、それが『まことしやかに』流れるようになれば、彼女の第一目的は達成できる。
「信じてもらえないかもしれないけど、わたしはあの城に住んでいるのよ。『魔王』とも親しいわ」
「なに……?」
驚いてカグヤを見る騎士たち。その顔は、半信半疑と言ったところだ。だが、しばらくすると、ある種の納得が彼らの中に広がるのを感じる。
「まさか、『魔王』の愛人なのか?」
予想通りの誤解だ。だが、これでいい。どうせ「姉です」と言ったところで、今は信じないだろう。
「うふふ。『魔王』はね、あなたたちの勇気を称賛していたわ。今度は招かれざる客ではなく、れっきとした客人として招きたいそうよ」
そう言うと、騎士たちは互いに顔を見合わせた。
カグヤは、くすりと笑う。王の命を受け、ネザクを討伐するべく城を訪れ、一目散に逃げかえった彼らの心境は、手に取るように分かった。帰るに帰れない。ありのままに報告しても、信じてもらえるはずもない。そんなところだろう。
「な、何が目的だ?」
「簡単よ。『魔王』は人間の配下を必要としているの。誰も彼を恐れて城に近づかないんだもの。その点、あなたたちは合格だわ」
「ふ、ふざけるな! いくらなんでも『魔王』の配下などになれるものか!」
カグヤの使う闇が、酒場全体に響き渡るほどの叫び声を吸収する。
「馬鹿ね。冷静に考えてごらんなさい。お伽話の『魔王』なんて、いるわけがないでしょう? 魔王は魔王でも、彼は人間よ。極めて優れた月召術師ではあるけれどね」
星界では、誰もが有する四大系統の他に、稀にではあるが更に別の術適性を生まれ持つものがいる。そのうちの一つが、月召術だ。希少な存在であり、特に強力な『魔』を召喚できる術師にいたっては、国同士で人材の奪い合いが起こることさえある。
「月召術師? あんな化け物を召喚できるほどの?」
「た、確かに、それしか考えられない。で、でも……」
彼らの顔に迷いが見える。やはり、『魔王』の呼び名は成功だった。最初にインパクトのある側面を見せつけたせいか、彼が人間であることを明かしただけで、思った以上にその評価は上方修正されているようだ。
「じゃ、じゃあ、城を占拠しているのは……」
「もちろん、この国を牛耳るための足掛かりよ。わかるでしょう? あれだけの『魔』があれば、こんな小国程度、支配するのは簡単よ。でも、人間の配下を一人も持たないわけにもいかない。だからこそ、あなたたちと言うわけ」
騎士たちは改めて顔を見合わせる。この期に及んでここに留まり続けていることからもわかるとおり、彼らは身分も低く、中央政府への忠誠心も高いとは言えない者たちだ。カグヤはこの時点で、彼らが自分の誘いに乗ってくるだろうことが確信できていた。
「まあ騙されたと思って、ついて来てみたら?」
──キルシュ城。
謁見の間の玉座の上で、魔王たるネザクは……テンパっていた。顔色を目まぐるしく変えながら、瞬きをひたすら繰り返している。
「う、ああ、どうしようどうしよう!」
「ちょっと落ち着きなさい。みっともないわよ」
そんなネザクに向かって貰ってきたメルモを放り投げながら、カグヤはやれやれと首を振る。
「だ、だって、こんなの酷いよ! 不意打ちじゃないか! いきなりお客さんを連れてくるとか……なに考えてるんだよ!」
ネザクは危うい手つきでどうにか飛んできた果物を受け取ると、抗議の声を上げた。
「あなたの部下になる連中なんだから、もっと堂々としないと舐められるわよ?」
「そ、そもそも何でいきなり部下なんて……」
「あなたが魔王になるって言ったんでしょう?」
「僕がって言うより、カグヤが強引に……」
「なあに? 言い訳なんて男らしくないわよ」
「理不尽だ!」
「それじゃこれから案内するから、それでも食べて気を落ち着けなさい。……それとほら、身だしなみ! 襟が曲がってるわよ?」
「わ、わかったよ……」
ようやく玉座に腰を落ち着けたネザクだったが、まだせわしなく視線を彷徨わせている。
魔王としての威厳など欠片も見当たらない、ごく平凡な少年の姿がそこにはあった。
それから少し間をおいて──
「さあ、どうぞ」
「あ、ああ……」
カグヤに促されて入ってきたのは、五人の騎士。びくびくとあたりを見廻すように歩いている。さして上等ともいえない鎧兜。錆びていないのが辛うじて武人の矜持といったところだろうか。
一団の先頭は、無精ひげを生やした三十歳前後ほどの騎士だった。彼の名はエリック・ヴェスターグ。五人の騎士の中でも小隊長を務めている男だ。用心深く周囲を見回しているのは、恐らく『魔』が潜んでいないかを確認しているのだろう。
身のこなしにも隙はなく、剣の腕前も期待できそうだ。さらに言えば、五人の中でもどうやら彼だけは、比較的高い魔法の素養を備えているようでもあった。
「ふーん、思ったよりは使えそうな男ね」
カグヤは小さくつぶやく。
「でも、これからが本番よ」
「……なあ、あれが本当に魔王なのか? どう見てもただのガ……いや、子供にしか見えないんだが?」
「人間だと言ったでしょう? ……でも、そうね。あの子のことを、あなたたちには良く知ってもらわないとね」
ぞくりと鼓膜を震わすカグヤの声。その妖艶ともいえる微笑を目の当たりにして、エリック隊長は、背筋に猛烈な悪寒を覚えた。彼女は、「城主の愛人」などという生温い存在ではない。得体の知れない『魔女』とでもいうべき相手だ。それを見抜いたエリックの直観力は大したものだと言えるのかもしれないが、こと『魔王』に関しては見誤っていた。
ただの気弱そうな少年。カグヤに呼ばれて恐る恐る玉座の段から降りてくる彼を見つめ、エリックはそんな風に判断してしまっていた。
「ほら、ネザク。『確認』するわよ」
「わ、わかってるよ……。えっと、その……僕が魔王だ。とりあえず、仲良くしてね?」
拍子抜けするような言葉。華奢な体格に少女のような整った顔立ち。少年の動きに合わせ、金色の髪が絹糸のようにさらさらと揺れる。周囲には、『魔』と思われる存在は確認できない。
強力な『魔』を召喚できるとは言っても、当の本人は非力な子供でしかないようだ。エリックたちはそう思い、安堵したまま少年が近づいてくるのを見つめていた。
「手加減はしてあげるけど、頑張ってね?」
カグヤの声と同時、ネザク少年の水色の瞳が、深みを帯びた紅に変わる。
その直後だった。エリックとその部下である四人の騎士たちは、全員が全員、一斉に顔色を青ざめさせる。──息が詰まる。身体中から冷や汗が吹き出てくる。少年が近づいてくるだけで、心と体のバランスが狂っていくような、奇妙な感覚にとらわれる。
騎士たちは、魂をわしづかみにされたような衝撃に、声も出せずに身悶えする。
「大丈夫?」
顔を青くするエリックに、心配げな声までかけてくる少年。だが、エリックは反射的に飛びのいた。熱でも測ろうとしたのか、少年の手が額まで伸びてきたからだ。
「……危なかったわね。敏感な人でよかったわ」
胸を撫で下ろすような、カグヤの声。気づけば、少年の目に宿る紅い光は消え、騎士たちの心をかき乱すような奇妙な圧迫感も、同じく雲散霧消している。
「えっと……ホントに大丈夫? 無理しなくてもいいんだよ?」
「…………」
エリックは、返事もできない。気遣わしげに話しかけてくる少年が、化け物にしか見えなかった。
「ネザク。いくら初対面で緊張しているからって、今のは良くないわ。ただの確認で彼を殺す気だったの?」
「あ! そうか。ごめん。僕の世界征服を手伝ってくれる人だもんね。気を付けなくちゃ」
凍りついたように固まる騎士たちの前で、理解できない会話を交わす姉と弟。だが、ようやく思考回路が復活したエリックには、それとは別に聞き逃せない言葉があった。
「せ、せかいせいふく?」
それは子供がよく口にする、荒唐無稽な戯言だ。子供でさえ、本気で語る言葉ではないだろう。
「ん? どうしたの?」
「あ、あんた、世界を征服するつもりなのか?」
「うん。成り行きだけどね。僕は、城下じゃ『魔王』って呼ばれてるんでしょ? だったらいっそのこと、魔王らしく世界を征服した方がいいんじゃないかと思って。……まあ、ほとんどカグヤのせいなんだけど」
エリックは絶句する。誇大妄想にしか聞こえない言葉を、気張った様子もなく、冗談でもなんでもなく、ごく当たり前のように口にする少年。だが、本当に世界征服を成し遂げる者がいるとすれば、かえってこんな人物なのかもしれないと、奇妙な説得力さえ感じてしまう。
そんな少年を前に、彼の心に何かがこみあげてくる。
エリックは、田舎の小さな領主の家で次男として生まれた。そして当然のように次男坊がたどるお決まりのコースを踏襲し、家から追い出されるようにして騎士になった。幸いにして剣にも魔法にも自信はあったが、武勇だけでは平和なご時世に出世もできない。大した夢も持てないままに、彼が胸に抱えた『何か』は、これまでずっと燻り続けていた。
野心とも冒険心とも名づけられないその火種は、今まさに息吹を吹き込まれたかのように、赤々と燃え上がりはじめる。
「は、ははは! ……面白い。よし、わかった。じゃあ、改めて言わせてくれ。俺にも、あんたの『世界征服』とやらを手伝わせてほしい」
周囲の騎士たちが驚きの視線を向けてくる中、エリックは大胆不敵に笑う。どうせなら、到底叶わないだろう絵空事に向かって、全力で生きてみるのもいいかもしれない。その時のエリックには、怠惰に無気力に生きるより、その方がましだと思えた。
「これは最初から、いい拾いものだったかもね」
カグヤはそんな彼の様子に、満足げな笑みを浮かべた。
これが後に、『第一の騎士』と呼ばれることになるエリックと少年魔王の出会いだった。
だがこれは、今後、他の誰よりもこの姉弟による『被害』を受け続けることになる彼の、最初にして最大の過ちだったとも言えるのかもしれない。
次回「第4話 英雄少女と吸血の姫」